AI研究者の松尾豊が「生物の遺伝的進化に特定の目的関数はありませんよね」という問いに対し
生物学者の遠藤秀紀は素直に認めている
「特定の目的関数」なんて言い回しをすると 一般人には内容が難解風味に聞こえるかも知れないが 要するに「遺伝的進化には目的なんぞない」という意味である
にも関わらず 相変わらず「生存のために進化した」という言い回しをするバカ生物学者が居なくならない
変異による形質変化が環境に適応した個体種だけが結果的に生き残る これが遺伝的進化であり 変異には目的がない
そもそもである 配偶交配というのは雌雄の遺伝子をランダムに混ぜ合わせることで変異を促すメカニズムであって
変異こそが生存にとって必要だった性質なのであり
それなら「種の保存」という概念は最初から成立していないのである
たとえクローンニングによって自己の遺伝子を複製した個体を製造したところで 遺伝子が同じというだけで複製個体は自己とは全く違うものである
一卵性双生児が時間的遅延をおいて成長したところで 個人の幸福や目的には意味を全く為さない
それなら配偶交配による子供を残したところで同じことである
「自己の遺伝子を残すことが目的だ」などという話は フランシス:ゴルトンの優生学レベルのオカルト観念に過ぎない
タレントの千秋が「優秀な遺伝子を選べた」などと言っていたが それはオカルト観念に過ぎない
自分の行動選択を事後正当化するための屁理屈を述べたところで むしろ頭の悪さを露呈しているだけなのである
言い訳 言い逃れ はぐらかし ごまかし 取り繕い の類いというのは 恥ずかしいという感情から反射的に出てくる無意識なものであり 寝言レベルのしょうもない話に過ぎない
私も中野ブロードウェイと中野サンプラザを間違えた時に やはり取り繕いみたいなことを呟いたことがあるが 全くもってバカ丸出しであった
ヒトは反射的無意識に行動や言動をしてしまうことがある
それは主観的な感覚が促す動物的なバイアスであって 客観的な論理的根拠があるわけではない
主観的感覚 動物的行動バイアスというのは 進化の過程で結果的に残された性質に過ぎず そこに「特定の目的関数」のようなものが介在する余地はない
遺伝的進化というのは あくまで「死ななかった」だけであって 必ずしも最適化に到達していることが論理的に証明されているわけではない
「個体の生存価」だけを目的にしてしまえば 環境を喰い尽くして結果的に自滅を招くことにもなるわけで あくまで環境適応なくして個体の生存も成立しないのである
狂暴な肉食動物だけが大量繁殖しても 食べられる草食動物も充分に存在していなければ環境ごと自滅することになる
食物連鎖のピラミッド全体のバランスが取れた場合にのみ 環境が維持されるのであって 個体の能力が生存にとって最適である必要性は むしろないのだ
自然環境下では生存競争というものが働くことで 非常に逃げ足の速い草食動物への進化などが生ずるが
ヒトの場合は工夫によって過酷な自然環境を改変するようになったことで 自然界の過酷な淘汰圧力から逃れることが出来たため 遺伝的進化が促されなくなったのである
ところが ヒトであっても所詮は元々野生動物であったため 先天的本能習性として生存競争への執着(中毒)から逃れることが出来ず 相変わらず他人を蹴落としてまで利己的行動選択をしたがるバカが後を絶たない
自然環境下においては利己的であろうが何だろうが 「死ななければ生存」ではあるのだが ヒトの社会においては利己的行動選択は環境を喰い尽くす暴走破綻にしかならない
つまり ヒトの先天的本能習性というのは あくまで「結果」であって そこに「特定の目的関数」のようなものは存在していない以上 人間としての目的である安全性や持続可能性の追求というものは本能習性から自動的に出てくるような都合の良いものではないのである
Ende;