書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○線量計はしっかり固定しましょう。

2019年03月16日 21時53分23秒 | 日記
福島第一原発2号機のオペレーションフロア(最上階)を調査しているロボットに取り付けた線量計から直接データが送れないとかで付属したカメラ映像から読み取っているんだそうだが

データを送れない線量計もマヌケなんだが

「走行振動で計測中に固定していたはずの線量計がズレて読み取れなくなった」とか言っている

やる気ないだろ コイツら

現場で実際に作業しているのは現地住民だそうで

作業に手間取れば現場作業員が無駄に被爆被曝することになる

東電だか東芝だか知らんが 仕事はちゃんとやれよ



現地の高校で測定した線量は 0.117 [ μSV/h ]

オイラの家(都内)とほぼ同じなので とりあえず何か起きなければ危険な値ではない



トリチウム水からトリチウムが分離処理出来ないっていうんだけど

トリチウムって核融合炉の燃料なのに分離技術がないって

どうするつもりなのかしら

訳のわからない話が多過ぎる



Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

○「も」。

2019年03月16日 14時50分53秒 | 意識論関連
論理科学的根拠もなしに ただ勝手な観念で「戦争はなくなる」などと言い出すことは科学の仕事ではありません

「戦争はなくせる」と断言すれば 大衆の多くは気分的に勇気がわいたり 元気が出たりするでしょうが そういう主観的な気分を操作するのは科学の領域ではありません

勇気とか元気とかを与えるのは 宗教や芸術エンターテイメントの仕事領域であって そういうのは乃木坂46とかスポーツ選手達に任せておけば良いのです

技術者倫理などの科学領域において 勇気だの元気だのといった主観的気分はどうでも良くて 徹頭徹尾客観的真実を追求することで 論理的根拠に基づいた具体的成果が伴わないことには 科学の社会的存在価値なんぞありゃしないのです



虚無主義者というのは 科学論理的根拠もなしに「戦争はなくならない」だとか 「人類は絶対に絶滅します」などと断言しますが これもまた科学を逸脱した身勝手な決め付けでしかありません

戦争がなくせるか それとも絶滅するまでなくせないのか それは人類一人一人の行動選択によって大きく左右されるものであり 一概に予測可能な単純なものではありません

「わからないものは わからない」 科学はそういう謙虚さが必要不可欠です

不可知であることを認めた上で 目的に則った行動選択可能性を拡げるために科学があるのであって 本来予測不可能なものを身勝手に予言して大衆迎合することは科学としての社会的役割の放棄にしかなりません



危険学や失敗学では 一つの大きな失敗事象を徹底的に調査研究し あらゆる可能性から再発防止のための方策を考えます

決して「大部分の航空機は事故を起こさないから 航空機事故はなくなる」などという訳のわからぬ無責任な宣言はしないでしょ

にも関わらず 「ヒトの大部分は戦争してないから 戦争はなくなる」などという論理的根拠の何もない無責任な宣言を 大衆マスコミは鵜呑みにして満足しているんですよ

バカなの?

まあバカなんでしょうけどね

自分の頭の悪さという「失敗」を自覚せずに 一体どうやって戦争という「人類全体の失敗」がなくせると言えるんでしょうか

科学や哲学というのは 本来主観的感覚が促す錯覚に惑わされずに 論理客観的な真実に基づいた行動判断をするために存在するものであり 必ずしも常に気分が良くなるような結論を導き出すわけではありません

例えば 天動説が信じ込まれていた時代には 地動説は「火炙り」にされました

なぜ「火炙り」などという暴力的な対処をしなければならなかったかと言えば 地動説が気に入らなかったからであり 気分が悪くなったからです

養老孟司は 「ガリレオの地動説が受け入れられるまでには長い時間が必要だった」と述べましたが なぜ「長い時間」が必要なのでしょうか?

それは 客観的根拠に基づいた論理的事実よりも目先の主観的観念の方が優先してしまうという ヒトの先天的欠陥に起因する頭の悪さが原因です

ヒトという種の生物は 先天的にはそんなに頭が良い生物ではありません

ヒトは ヒトが思う程は「知的生命体」などではないのです

でも ヒトは自分の頭の悪さを自覚認識可能性を持っています

自分の頭が どのように悪いのか どういった欠陥を持っているのかを知れば 頭の悪さをリカバリーすることも可能となるのです

しかし 厄介なことにヒトという種の生物は先天的に自分の頭の悪さを認識することが嫌いで 主観的に気分が悪くなるような都合の悪い話に耳を貸さなくなる性質があるため

ヒトの頭の悪さというのは極めて難治性が高いのです



ヒトという種の生物には 先天的に戦争をなくすことが可能な性質「」存在するのかも知れませんが

それは 実際に戦争を無くしたり 大幅に減らしたりすることが出来た時点で立証になるのであって 毎年のようにテロが繰り返されている現実に対して具体性のある論理的対策すら誰も理解していない時点で「戦争は絶対に無くせる」などと宣言することは科学的根拠がなく 科学的論証には一切ならないのです

たとえ戦争や犯罪を大幅に減らしたり 撲滅することができたとしたら それは撲滅出来た時点で「ヒトには先天的に暴力性を抑制出来る能力存在していた」ことの論証だと言えますが それとて「」を抜くことは出来ず 「ヒトは同時に先天的暴力性も存在する」ことの論理反証にはならないのです

ヒトという種の生物は 決して先天的に「絶対に暴力を振るわない性質」が存在するわけではありません

ですから 人間性というものは先天的本能習性という「本性」から立証することなど原理的に不可能なものであり あくまで個人の意識 目的意識に基づく現選択可能性(本質的自己)の中にのみ存在するものであって 既に存在しているだけの無意識(既存の価値観に基づいた条件反射)な「自己」だけで自動的(自然)に人間性が発揮されるようなものではないのです


 ◇追記:

」が取り除けない以上 先天的本能習性には暴力性も排除出来ないことになります

それはつまり 先天的本能習性からは人間性を立証することは構造原理的に不可能であることも意味します

ですから「先天的に安全なのか危険なのか」という議論は最初から意味がない

必要なのは「先天的にどうなのか」ではなくて 「これからどうすれば良いのか」の方であって それが意識の話になる

先天的な習性が促す行動バイアスというものが無意識だと認識していないから 意味のない議論を漫然と繰り返すことになる




Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする