書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○面白くない話。

2019年03月23日 13時29分47秒 | 意識論関連
ヒトには本来客観的論理検証性があります

ネコは鏡に映る自分の姿を自分だと認識出来ません 論理的客観性がないからです

ネコの感覚的には事実を認識出来ずに 鏡の中の自分の姿に対して威嚇したり 裏に回って覗き込んだりすることをやめません

感覚が促す錯覚を 錯覚として認識する能力がないんですね

で ヒトの場合どうなのかというと 紙に印刷された錯視図形が動いて見えてしまっても 「これは紙に印刷されているものなので 実際には動いてなんかいないはずだ」という論理的客観性が働くことで 錯覚を錯覚として認識することが出来る

しかし どんなに論理的に構造を理解したとしても 感覚が促してくる錯覚自体はなくならないんですね

そして 錯覚というのは紙に印刷された図像に限らず 様々な場面で生ずるものでもあります



カルト教団に洗脳されている人を 外部から見ていると 「何であんなもんに騙されるんだろう」と不思議で仕方ありませんが

そう「思って」いる人でも振り込め詐欺師の電話で簡単に騙されることは少なくありません

「何であんな話を信じたんだろう」と後になって「思う」ことはあっても どういうメカニズム構造によって自分が信じこんでしまったのかという論理的原因を理解することはないんですね

どんなに強く「思って」も 単なる「思い」という感覚的程度強度は客観的論理検証性にはならないからです

だから何度でも騙されるし 他人の経験も自分の教訓には役立たない



ヒトが騙される最も根源的原因とは 主観的感覚が促す感情の強度程度を意識の本質だと錯覚しているため 論理的客観性が働かなくなるためです

自分の主観的感覚というものを 客観的に検証する理性を放棄してしまうため 錯覚を錯覚だと認識出来なくなる

特に 振り込め詐欺師の手口のように「今日中にナントカならないか」と焦らされると 理性をすっ飛ばして感情が行動と直結してしまう先天的習性があるため ヒトは振り込め詐欺に引っ掛かるような欠陥が先天的に組み込まれているわけです

本来働くはずの論理的客観性というものが 様々な要因によって阻害され 動物的な主観的感覚が促す錯覚を錯覚と認識することが出来なくなって 無意味で危険な行動も平気で行えるようになるわけです

振り込め詐欺師のように焦らされなくても その場限りに気分が良くなるように誘導されると養老孟司のオカルト話も簡単に鵜呑みにしてしまう習性が ヒトという種の生物には普遍的に存在しているのです



「意識の9割は無意識である」と言われますが この「9割」という数字に論理的根拠はなく 「まあ 大体そんくらいだろう」という感覚的な数値でしかありません

それこそカルト宗教に心酔しちまっているバカなら100%無意識なので 地下鉄に毒ガス散布することも平気になっちゃう

ISILを「カッコイイ」と心酔しちまえば 簡単にISILに同調迎合するようにもなる

それはヤクザや暴力団も一緒です ヤクザを「カッコイイ」と思う人って結構多いために 都合の良い任侠映画が未だに制作されていたりします

ヤクザはそんなに都合良く社会的に役に立つような行動なんぞしませんが 主観的感覚としての「カッコイイ」対象としての身勝手な任侠妄想で脳が酔うのでしょう

フリードリヒ:ニーチェを読んで倫理だと勘違いしているバカ哲学者も多いんですが これもまた「カッコイイ」という主観的感覚が促す錯覚によって無意味な内容であるにも関わらず錯覚を錯覚だと認識出来ていないためです

ハイデガーもプラトンも意味がありません

哲学として意味があるのはカール:ライムンド:ポパーくらいしかないんですよ

そりゃ主観的感覚としては「面白く」はないでしょうよ でもね その「面白く」ないというのは国会原発事故調査委員会報告書読んだって一緒なんですよ

社会安全性に必要なのは 自律的な社会的責任判断力であって それが「面白く」ないかどうか「カッコイイ」かどうかという主観的感覚で無視して良い話にはならんでしょ

もうね 本当ね 説明していてバカらしくなってくるわ

「お前ら 死んだ方が良いんじゃねぇのか?」って 主観的感覚としては「思う」けどな





 >*:任侠(にんきょう、任俠)とは本来、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけ ず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す語。 現代的にはヤクザと重複する面もあるが 依拠する信念を違える。

-Wikipediaより


Ende;
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○精神論。

2019年03月23日 12時32分56秒 | 意識論関連
「感覚」とは主観です

でも 感覚が促す錯覚を 錯覚であると認識出来るのは 主観の中に論理客観的検証性(理性)があるためです

人間としての意識が働くためには感覚が促す錯覚に惑わされない理性が常に必要となるのです



目先の感情が促す行動バイアスに無意識に流されていれば「深夜の渋谷で軽トラ転覆させて笑う」などという意味のない行動を採るようにもなるわけです

「私はそんなことしない」と「思って」いるかもしれませんけど

「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すれば無くなる」だとか「理性や人知を超越した英知」だとか「客観的事実は存在しない」などという実証不能の観念を鵜呑みにしていることも 程度の違いはあれ「無意味な話で満足している」ことに違いはありません

「五十歩 百歩」ってことです

養老孟司も含めて オカルトは枚挙にいとまがありません この世の全てのオカルトを私一人で解説することなんて出来ないんですよ わたしゃお釈迦様でもキリスト様でもムハンマド様でもないですから

養老って努力辛抱根性的な「精神論」主義者なんですよ 忘れたんですかね バカはすぐ忘れるので嫌いです

日大アメフト部による反則行為も 精神論に基づいた封建的統率が招いた暴走であって 自律的に物事を考えるという主体性を徹底排除した結果です

精神論が中心となる典型が軍隊です

軍隊というのは個々の兵隊が自律的に判断選択なんぞしていたら統率がとれませんから 上官の命令に一括して従うように精神論的に統率をするように厳しい訓練をするのです

厳しい訓練なんぞ 実際にはどんなに身体を鍛えたところで鉄砲玉一発でヒトなんか死ぬんですから 戦闘において意味なんかほとんどないんですね

それじゃ何で厳しい訓練をするのかというと それによって自主性とか自律的判断力を喪失させることによって 盲目的な統率服従性を発揮させるためなんです

ポーランド騎兵隊が勇敢にナチス機械化部隊に立ち向かったという武勇伝がありますが 実質的な結果は惨敗でした

日本軍によるインパール作戦も同じです 意味はない

それが精神論というものの正体です

広告代理の電通による「鬼十則」なんかも同じで 故に自殺者まで出すことになる

JR福知山線脱線事故の原因も 会社による高圧的な「教育」による恐怖心が招いたものであることが 被害者遺族達による検証によって明らかにされています

養老の言っていることを鵜呑みにするということが どれだけ社会的に無責任なのかを認識せず

目先の主観的感覚に頼り 「錯覚を錯覚だと認識する主体的理性の方が錯覚だ」などという訳の解らぬオカルト話に同調することで 社会安全性を蔑ろにしていることになるのです

私から見れば共犯者でしかありません



Ende;
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○洗脳されている当人は気分が良い。

2019年03月23日 10時28分40秒 | 意識論関連
自律的な社会安全性を求めるためには 自分だけではなく他人の事にも配慮が必要で「近所で子供が丸焦げにされていたら無間地獄だ」というのも「感覚」ではありますが 社会全体にも配慮が働くためには論理検証性による客観的視点が必要不可欠なものであって ただ漫然と「感覚」だけを頼りにしていても社会安全性への配慮は働かないんですよ

意識狭窄による目先の自己中心的な価値観というのが動物的「感覚」なのであって

人間性を伴う「感覚」が働くためには 目先の動物的「感覚」に左右されない理性 統合性や客観性が必要不可欠なんです

それを養老孟司は「感覚(身体性や動物性)こそが人間性だ」みたいなはぐらかし方をすることで あたかも今まで言ってきたことまでもが正しいかのようにごまかしているんですよ

論理検証の苦手な文科系の大衆やマスコミの大半は 養老の嘘に気付かない

なんつっても「理性や人知を超越した英知」だとか「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すれば無くなる」などというオカルト話を鵜呑みにしているんですから

養老が言った「客観的事実などない」という非科学的オカルト観念も鵜呑みに出来るんでしょうよ

そういうのを「バカ」って言うんですよ



養老は著作の中で「安心して同じを求めれば良い」と述べました その結果 民族主義によるヘイトスピーチが増えたでしょ

ヒトの先天的な同調性とか迎合性によって 同質性ばかりを気分的安心を基準に求めた結果じゃないですか

何で養老みたいなオカルト爺の言うことを鵜呑みにするかと言えば

原因もわかってます

「気分が良い」からですよ

頭が良くなるためには 自分の頭のどこが どのように悪いのかを論理的に認識する必要があります

感覚が促してくる錯覚を 論理的に錯覚だと認識することで 本来ヒトが持っているはずの客観的論理検証性が働き 感覚が促す錯覚に惑わされなくなるのです

ところが 「ヒトには先天的に人間性を発揮出来る感覚が存在する」的なことを言われることで 自分の頭の悪さは「なかったこと」に出来るんですよ

だから「気分が良い」

洗脳っていうのは 洗脳されている本人は「気分が良い」から洗脳されるんですよ

バカ相手に「お前バカだろ」と言っても バカ当人はバカなので頭の悪さを認識しようとはしないもんだから 洗脳っていうのは解くのが難しいんですよ



Ende;
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