書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○満月。

2019年03月22日 14時00分22秒 | 写真








川口って遠くから見ている分には綺麗

撮影した3月21日(春分の日)は暴風が吹き荒れて大変だった

荒川堤防の上を自転車で走るこたできなかったよ



 ◇追記:

3月21日の月の出が18:07 出た時の月齢は14.7

オイラてっきり満月なら日没と同時に出てくるもんだと思ってたんだけど

調べたらこの日の日没は17:53だった

その差14分



2019/02/19だと月の出が16:57 月齢14.2 日没が17:56 59分前に出てた

2019/01/20 の月の出は15:53 月齢14.1 日没が16時55分 62分前

過去の話しても仕方ないのでこれからの話をしましょう

2019/04/20 月の出が19:10 月齢15.1 日没18:18 52分も前に日没になるので 前日の方が狙い目かも
2019/04/19 月の出が18:02 月齢14.0 日没18:17 日没15分前に月が出る 1日で62分遅れて出る

2019/05/19 月の出が19:03 月齢14.5 日没18:42 日没から16分後に月が出る

2019/06/18 月の出が19:48 月齢15.0 日没18:59 日没から49分後に月の出 ちょっと深いので前日だと
2019/06/17 月の出が18:53 月齢14.0 日没18:59 日没6分前に月の出 あれ 前日より55分遅れだね

2019/07/17 月の出が19:20 月齢14.6 日没18:57 日没から23分後に月の出

2019/08/15 月の出が18:37 月齢14.3 日没18:31 日没から6分後に月の出

2019/09/14 月の出が18:13 月齢14.9 日没17:51 日没から22分後に月の出

2019/10/13 月の出が17:12 月齢14.6 日没17:09 日没から3分後

2019/11/11 月の出が16:11 月齢14.1 日没16:38 日没27分前

2019/12/11 月の出が15:52 月齢14.7 日没16:28 日没の36分前



月齢っていうのは月の出と日没の時間差には関係がないのね

月ってそんなに精度良く回っているわけではないらしいので その都度国立天文台 暦計算室で調べた方が良いみたい

あ それから数値についてはオイラの手作業調べなので 間違ってるかも知れないので悪しからず



Ende;
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○共犯者にならないために必要なこと。

2019年03月22日 12時08分51秒 | 意識論関連
ヒトという種の生物は「自分が先天的に優秀で何も考えなくとも自動的に倫理や人間性が発揮されるはずだ」という感覚が促す錯覚に溺れていた方が「幸福」なんですね

ヒトが洗脳されて盲目になるメカニズム構造の最も基本的な部分がこれです

松沢哲郎が言い出した「先天的本能習性から人間としての社会性が立証できるかもしれない」などという 論理的に立証不可能な話を大衆マスコミが鵜呑みにしたのも 正常性バイアスが促す錯覚を正当化出来るからです

養老孟司による「身体性万能論」も 松沢同様に「先天的に倫理が組み込まれている」という妄想錯覚に基づいた話であり 到底科学的客観性を伴う話ではありません



ヒトは何も考えずにバカでいた方が「幸福」なんです

カルト宗教に心酔してしまえば 地下鉄に毒ガスを散布してくることの方が安心で幸福になる

振り込め詐欺に焦らされれば 金を振り込むことこそが安心で幸福になる

「自分だけは絶対に大丈夫だ」というのは理性ではなく それこそが「感覚」が促す錯覚でしょ

ところが どんなに論理的に説明しても 多くの大衆は感覚的に拒絶し 理解しようとしないんですね

「自分だけは絶対に大丈夫だ」と盲目的に信じ込んで 安心して満足して幸福でいられる

養老による「身体万能論」というのは こうした正常性バイアスを利用した詐欺でしかありません

理性や主体性や意識というものを無効だと言い張り 身体性が促す「感覚」の方にこそ倫理や人間性が存在するとでも「思って」いた方が脳が楽なんでしょうな



振り込め詐欺に騙されて 銀行で振り込もうとしている人に対して「それは詐欺ではないんですか?」と忠告すると 感情的になって反射的に否定するそうです

主観的「感覚」が促す行動こそが正しいと「思って」いるからでしょう

主観的な「感覚」というのは 動物的なバイアスですから 進化の過程で非常時には優先される個体が結果的に生き残ったと言えます

恐怖心を煽られることで 論理的客観性を一時停止させ とにかく「これさえやれば解決だ」という短絡安易な解決策だけに意識を奪われることで 詐欺に騙されるようにもなる

「主観的感覚には先天的に欠陥がある」と言われると おそらくヒトの多くは恐怖心を抱いて観念的拒絶反応を示すことになるのでしょう

それは詐欺に騙されている最中の人が「それは詐欺ではないんですか?」と言われた時の拒絶反応と構造的に同じものです



洗脳というのは 洗脳されていない他人から見れば恐怖を感じるものですが 洗脳されている当人的にはむしろ安心であり幸福なんですね

よくよく冷静に「考え」れば 論理的に何が正しいのかは理解可能なはずなんですが

ヒトという種の生物は どうしても「思い」という感覚的な強度程度こそが意識の本質だと錯覚する



一つ前の記事でも言いましたけど 錯覚って感覚が促すものであって 錯覚を錯覚だと認識するのは理性です



脳には様々な錯覚があることが知られています

脳も含めて遺伝的進化の過程で 過酷な自然環境下では錯覚があった方が生存に有利だったため残されたものだと言えます



AI界隈で言う「蒸留」という概念があり 回路を単純化することで高速効率化が図れることを指すそうです

脳内で特定可能な領野としてマッピングされている機能は 非常に高速で効率的に働きます

歩行機能や発話言語機能といったものは 「どの筋肉をどのくらい動かせば良いのか」をいちいち意識的に考えなくても自動的無意識に出来るようにしているのです

歩行機能が無意識に出来るので「歩きスマホ」も出来るんですね

脚をどのように動かせば歩けるのかなんて一切考えずに 無意識条件反射的に歩くことが出来るので 歩きながらスマホに熱中することも出来る

そして 歩きスマホは感覚的に「怖くない」からみんなやらかす

かく言う私だって 「スマホ操作しながら歩いてはいけない」と意識的に考えなければ「うっかり」とか「無意識に」スマホ歩きをしてしまうことはあります

「お前スマホ持ってねぇじゃねぇか」というツッコミがありそうですが 逆に持ってないが故に慣れてなくて 他人から借りたりするとウッカリそのまま歩き出してしまって叱られたりする

ヒトって意識的に考えながら行動選択しないと 危険なことも平気でウッカリ無意識にやらかしてしまう

感覚的に怖くないからといっても 実際に事故が多数報告されていて危険だと「理解」していながら 寝起きでボーッとしていたりすると「ウッカリ」「無意識に」間違った行動をしてしまう

それがヒトなんですよ

ヒトの多くが無意識条件反射的 「感覚」的に行動している事実を多数抽出してきても それが短絡的に「正しい行動」であることの論証になんかなりません

そのための「意識」なんですよ

感覚的な無意識条件反射行動は「結果」です スマホ歩きで視覚障害者を駅のプラットホームから突き落としてしまうのは 意識的な「目的」ではないでしょ

「結果」を多数抽出したからといって それがどうして短絡的に「目的」であるかのように解釈するんですか?

おかしいでしょ

自覚ないですか?

もうちょっと深く「考え」て下さいよ

論理的に「考え」ていないから養老だの松沢だの西部だのといった奴らに丸め込まれて騙されてしまうんですから



Ende;
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○感覚。

2019年03月22日 11時05分36秒 | 意識論関連
「先天的本能習性から人間としての社会性が立証できるかもしれない」とか

「理性や人知を超越した叡智」などという どうにも訳のわからぬ話を多くの大衆や学術研究者は鵜呑みにしたがる



「叡智」でググると

【英知/叡智/叡知】とは。意味や解説、類語。

1 すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。

2 哲学 で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。また、それを獲得しうる力。ソフィア。


-goo辞書より


というのが出てくる

本来哲学的には「物事の真実在の理性的認識」なはずなのに 「理性を超越した叡智」などという訳のわからぬ謎の能力が哲学界ではまかり通ってしまう

「頭おかしい」としか言いようがないんだけど そういう「理性を超越」したオカルト観念の方がヒトという種の生物の脳には親和性が高いらしい



ヒトという種の生物は 主観的「感覚」として安心満足できることを論理客観的安全性の論証か何かと錯覚する習性がある

哲学というのは本来妖怪悪霊の類を信じ込んでしまう危険性を回避するために 論理的真理を追求する分野のはずなのに

現状は実質的に妖怪悪霊レベルの妄想観念を鵜呑みにして 訳のわからぬ話を平気で展開する



例えば 東電社内で組織の利益を優先し「原発の津波に対する脆弱性を放置しなさい」と言われた場合 組織に迎合同調して原発の危険性を放置しておいた方が安定した生活が送れると判断選択することは「理性」なのか?

ヒトの多く 大衆の多くは「利己的利益追求の全ては理性」であるという解釈をしているが これがそもそも大間違いなのである

利己的利益追求というのは 動物的「感覚」に基づく欲望に基づいたものであり 個人的に「楽」を求めているのである

しかし 理性や悟性の本質というのは動物的な「感覚」に頼らず 単なる目先の主観的な「楽」に流されず 客観的な視点から判断選択をすることであり

目先の「生存にとって有利」な行動よりも 「自分がこれからも生き続けるに価する社会とはどのようなものであるのか」という統合的な視点から社会安全性を優先する行動選択をすることが 理性の本質である

社会を危険にさらしてまで自分が生き続けることに意味がわからない だから社会安全性を自発的 自律的に求めるようになる

こうした責任判断力というのは 自発性がなければ働くことはない

どんなに数学の成績が良くても 論理検証能力テストの点数が高くても 与えられた命題以外を自発的に検証するわけではなく

理性や悟性というものは その根本に自発性がないことには発揮されることはない



日本人に限らず ヒトというのは多数他者との同調迎合性があり 多数他者によって認証された「権威」という服従対象への盲目的信頼をすることが「感覚」的に安心であるため

ヒトの大多数は権威の言っている内容を精密に論理検証することをしなくなる



同時に 先天的な正常性バイアスによって 「自分には先天的に倫理性が組み込まれていて 自動的に常に人間性が発揮されるはずだ」という身勝手な妄想に溺れることによって 「理性や人知を超越した叡智」などという実証不能の謎の能力を鵜呑みにするようにもなるのである

それで「自分だけは絶対に大丈夫だ」と盲目的に信じ込むことで 気分「感覚」的に安心満足する

冒頭でググったように 叡智というのは本来理性に基づく真理追求性であり それによって妖怪悪霊といったオカルト観念に騙されないようにすることで 社会安全性において重要だから社会的存在価値があるわけで

なのに どうして「感覚」の方に倫理(人間性)が存在することになっちゃうんでしょうか



子供は妖怪悪霊の類を信じます

それは脳が幼稚だからです

感覚的に「怖い」ことを 短絡的に危険性か何かだという錯覚があるためです

多数派や 多数派によって承認された「権威」の言っていることの方を 誰も論理的に検証することなく鵜呑みにできるのは それが主観的「感覚」として「怖くない」からでしょう

「自分は先天的に優秀なので 感覚的に安心できることは常に正しい」と「思って」いるからでしょう

そもそも錯覚というのは 感覚が促すものであって 理性が促すものではありません

もう 説明するのがアホらしくなる程単純な話なんですけど どうして誰も気付かないんでしょうね



Ende;
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○詐欺チェックリスト。

2019年03月22日 01時32分10秒 | 日記
ふと思ったんだけど

電話の脇に

 □ 荷物を無くした
 □ 今日中に振り込んで欲しい

など 振り込め詐欺が良く使うワードのチェックシート的なものを用意しておいて

電話で頼み事をされたらチェックするようにすれば客観性が働くんじゃないだろうか

家族への直通電話番号も書いておけば「みんなには内緒にして」とか言われても直通電話ならかけられるし



ああ そうだ

 □ みんなには言わないで内緒にして

っていうチェック項目もあった方がいいね



Ende;
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○説明出来ないこと。

2019年03月22日 01時14分01秒 | 意識論関連
感覚的直感というものが正しい判断につながるケースというのが時折あります

将棋の強い人だと盤面全体から違和感のようなものを直感的に「感じる」ことがあり それによって勝つことも多いそうです

でも こうした将棋の棋士の直感というのは たくさんの経験によって培われたものであって そこいらの凡人が真似出来るようなもんじゃない極めて特殊な能力でしかありません

「身体が欲するもの」というのも感覚的なものですが 必ずしも健康にとって有利なものを身体が欲しがるかと言えば 高血圧の人が塩分を過剰に欲しがるような逆のケースの方が圧倒的に多いんですね

論理的に考えるよりも 感覚が促す直感の方が正しいことも稀にあるにはあるんですが それは決して「直感の方が圧倒的に正しい判断を促す」ことを統計的に証明出来るレベルのものではなく むしろ論理的根拠に基づいた判断の方が安全性は高いのです

だからこそ医薬品の厚生労働省認可というのは簡単には降りないんですよ 直感頼りに医薬品認可なんぞしてたら危なくて仕方ないですからね

 ◇

直感などの感覚的なものというのは動物的な本能と直結しているものであって 直結しているから直感って言うんだと思います

東北の震災では 地震直後に津波が来ることを知っていながら逃げない人がいましたが 逃げなかった人達は過去の経験則から津波を恐れなくなってしまっていたそうです

はて 経験則って理性でしょうか?

「いままでずっと大丈夫だったから 今回も大したことはない」と思うのは意識でしょうか?



「怖くない」というのは感覚です

論理的に考えたら感覚的な怖いかどうかに関わらず 安全性を優先していたら「もしかしたら今回は巨大津波が来るのかも知れないから逃げておこう」という話になる

厚生労働省の認可のように安全性を優先していれば経験則が促す感覚的安心には惑わされずに避難していたわけですよ



ややこしいのは こういう話をしても どういう訳か「経験則は意識だ」なんて養老孟司あたりが言い出すと誰も論理検証せずに簡単に鵜呑みにするバカが圧倒的に多いんですね

こうした一種の思考バイアスというのは 「自分は先天的に優秀な存在で 先天的本能習性が促してくる直感的感覚こそが常に正しい選択を促してくれるはずだ」という勝手な妄想があるからではないかと思います

いわゆる「正常性バイアス」が促す錯覚なんですけど 「自分だけは絶対に大丈夫だ」と思っておいた方が気分的に安心なので 論理(意識)的な安全性よりも気分的安心の方を優先してしまうヒトという種の生物の動物性によって 「悪いのは常に理性や意識だ」という話の方ばかりを信じたいというバイアスが働くからだと思います

それじゃ「理性が働くから詐欺に騙される」とでも言うんですかね

詐欺の言っている内容を論理的に検証出来ていれば 「手形や小切手を無くしたから立て替えて」なんて話は「いや、それはまず銀行に連絡して無くした手形や小切手を停止してもらえ」って話になるんですけど 「今日中に」的に焦らされることで促される恐怖心(感覚)が優先して騙されてしまう

手形とか小切手拾ったからって換金するには銀行との取引や身元証明が必要で 会社と無関係な奴が引き出せるわけないんですけど 知らないのかしら

もし知らないっていうんなら そのことを周知しとけって話なんですけどね

特殊詐欺の手口というのは 理解出来ないような混みいったややこしい話で相手の論理検証性を遮断し 「今日中に」的な時間制限を与えて感覚的に焦らすことで 疑われる余地を見えなくさせるわけです



でも騙された人って 騙された構造原理を理解して 「次回からは騙されないようにするにはどうするべきか」なんて論理的に考え検証して再発防止策なんぞ立てないんですね

「騙されるなんて 私ってなんてバカなのかしら」と決めつけ その場限りに気分的に落ち込み 感覚的に「騙されないようにしよう」などと努力辛抱根性的な精神論でどうにかしようとしてしまい 論理的対策なんぞ「考え」ないもんだから 何度でも詐欺に騙されることになる

言われた内容を丁寧にメモに取るとか 金を振り込む前に本人に直接確認するとか そういう合理性のある行動よりも直感的感覚が優先するため騙される



直感的に「理性や意識や主体性が悪い」と思っておいた方が 気分的に楽なんじゃないかと

そういう欠陥が多くのヒトには普遍的に存在するのではないでしょうか

そうでなければ養老孟司のようなオカルト爺の言っている内容を鵜呑みにする習性を説明出来ないんですけどね



Ende;
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