マスコミはテロリストを「過激な思想」って形容するんだけど 「過激かどうか」が問題の本質なんじゃなくて「合理性が何もない」ことが問題なんだよね
文科系マスコミ関係者っていうのは主観的に「過激」かどうかを問題にしたがるんだけど
客観的に見たらテロにも刑法懲罰にも合理性はないんだけど
刑法罰は「産まれて以来ずっとあった」ものであるために 論理的根拠なんぞなくても何となく「安心感」があるので非合理なんだけど 誰も疑問を持たず 「過激」だとすら思っていない
梅沢富美男が「死刑にしちまえ!」って怒鳴り散らして多数の愚民と共鳴していることを 誰も「過激」だとは「思って」いない
「思い」という主観的な感覚の強度程度は 決して合理的根拠が伴うわけではないんだけど
ヒトという種の生物は伝統や形式や手続きや経験則などの「いままでずっとそうしてきた」ことに対して気分的な安心感を抱く性質があるために 論理的根拠のない因習の類でも疑うことをしなくなる習性がある
保守主義者の大多数はこうした主観的な感覚的安心感ばかりに頼った主張をしているだけであって 思考停止の典型的パターンの一つだと言える
世の中には間違いもある
そりゃそうでしょ ヒトが作ったもんですからね
絶対に間違わないヒトなんているわきゃない
でもね 社会に間違いがあるなら これは論理的検証によって具体的にどのように改善すべきなのかを提案することが重要であって
「気に入らないから 破壊してやる」っていう発想には合理性もスッタクレもない
ニュージーランドのテロなんかも 「白人社会が脅かされている」とか言っているんだけど 特定の人種や民族や国籍だけで人間性が決定しているわけではないので 主張の根幹がそもそも大間違いだし
解決策が「イスラム寺院を襲撃」なんつう雑極まりない手法では 合理性もスッタクレもありゃしない
文科系マスコミや大衆の多くは「理性や人知を超越した謎の英知」なんつう訳のわからぬ屁理屈は疑うことを知らない
だから原発安全神話なんぞを鵜呑みにして やるべき対策を怠ることになる
「刑法は絶対に社会安全にとって最も有効な対策である」という神話を鵜呑みにしておけば安心なんだろうけど
その安心というのは主観的感覚であって 錯覚が混入していることを疑う必要性がある
刑法廃止っつったって 別に何の対策も要らないって言っているわけじゃなくて 犯罪が起きたら「刑罰判決で解決だ」なんていう雑な処理の仕方で終わらせるんじゃなくて
「どうして犯罪なんぞやるようになっちゃったんだろうね」っていう科学分析を丹念にやるべきだって言っているのよ
本気で再発防止をしたいのであれば 危険学や失敗学のスキームを応用すべきであって 危険学や失敗学的な分析研究においては刑罰は一時停止すべき邪魔なものでしかないから刑法廃止って言っているのよ
「そこまでやったら キリがない」とか「面倒臭い」なんていうのは無責任でしかありません
尼崎の列車脱線事故の分析でも 「キリがない」だとか言い出して分析を途中で放棄したバカな学者がいたけど 被害者遺族達によって更なる分析が行われてJR西日本の組織体質にまで言及することが出来たわけですよ
社会安全性というのは 社会の最も基礎となるものであって これ無しにあらゆる社会活動は成立しないんですよ
それを「面倒臭い」なんて言い出すのは頭がおかしいんですよ
刑罰の犯罪抑止力っていうのは 要するに罰で恐怖心を煽ることによる国家権力を用いた抑圧であって これは民主的な自律の精神を全く考慮に入れていない発想なのね
本来 国民一人一人が自主的 主体的に社会安全を求めることが民主主義の基本にあるはずなのに これを怠って国家権力で一元的に恐怖心を用いて抑圧するという制度は国民主権を無視した他律強制にしかなっていない
「犯罪者には自律がないから 恐怖で抑圧するしかない」という意見もありますが それなら「どうして自律が失われたんだろう」という分析が全然進まないことになる
ヒトの多くは自律がありません 他人や権力に抑圧されることでしか行動選択が出来ませんから 脱法行為が後を絶たない原因にもなる
「法律さえ守っときゃ良いんだろ」という無責任な発想が蔓延しているから 法律でがんじがらめにしなければならなくなる
法律でがんじがらめにしたら社会安全性が高まるかと言えば むしろ自律のない無責任な奴が増え 政府による強権性も増長することになる
こういう悪循環から脱するためには 個人の自律というものが欠かせない
個人の自律を醸成するためにおいて刑法は邪魔になる
だから刑法廃止論を唱えているのよ
わかった?
わかった人は手を挙げて (はーい)
(^o^)/
Ende;
文科系マスコミ関係者っていうのは主観的に「過激」かどうかを問題にしたがるんだけど
客観的に見たらテロにも刑法懲罰にも合理性はないんだけど
刑法罰は「産まれて以来ずっとあった」ものであるために 論理的根拠なんぞなくても何となく「安心感」があるので非合理なんだけど 誰も疑問を持たず 「過激」だとすら思っていない
梅沢富美男が「死刑にしちまえ!」って怒鳴り散らして多数の愚民と共鳴していることを 誰も「過激」だとは「思って」いない
「思い」という主観的な感覚の強度程度は 決して合理的根拠が伴うわけではないんだけど
ヒトという種の生物は伝統や形式や手続きや経験則などの「いままでずっとそうしてきた」ことに対して気分的な安心感を抱く性質があるために 論理的根拠のない因習の類でも疑うことをしなくなる習性がある
保守主義者の大多数はこうした主観的な感覚的安心感ばかりに頼った主張をしているだけであって 思考停止の典型的パターンの一つだと言える
世の中には間違いもある
そりゃそうでしょ ヒトが作ったもんですからね
絶対に間違わないヒトなんているわきゃない
でもね 社会に間違いがあるなら これは論理的検証によって具体的にどのように改善すべきなのかを提案することが重要であって
「気に入らないから 破壊してやる」っていう発想には合理性もスッタクレもない
ニュージーランドのテロなんかも 「白人社会が脅かされている」とか言っているんだけど 特定の人種や民族や国籍だけで人間性が決定しているわけではないので 主張の根幹がそもそも大間違いだし
解決策が「イスラム寺院を襲撃」なんつう雑極まりない手法では 合理性もスッタクレもありゃしない
文科系マスコミや大衆の多くは「理性や人知を超越した謎の英知」なんつう訳のわからぬ屁理屈は疑うことを知らない
だから原発安全神話なんぞを鵜呑みにして やるべき対策を怠ることになる
「刑法は絶対に社会安全にとって最も有効な対策である」という神話を鵜呑みにしておけば安心なんだろうけど
その安心というのは主観的感覚であって 錯覚が混入していることを疑う必要性がある
刑法廃止っつったって 別に何の対策も要らないって言っているわけじゃなくて 犯罪が起きたら「刑罰判決で解決だ」なんていう雑な処理の仕方で終わらせるんじゃなくて
「どうして犯罪なんぞやるようになっちゃったんだろうね」っていう科学分析を丹念にやるべきだって言っているのよ
本気で再発防止をしたいのであれば 危険学や失敗学のスキームを応用すべきであって 危険学や失敗学的な分析研究においては刑罰は一時停止すべき邪魔なものでしかないから刑法廃止って言っているのよ
「そこまでやったら キリがない」とか「面倒臭い」なんていうのは無責任でしかありません
尼崎の列車脱線事故の分析でも 「キリがない」だとか言い出して分析を途中で放棄したバカな学者がいたけど 被害者遺族達によって更なる分析が行われてJR西日本の組織体質にまで言及することが出来たわけですよ
社会安全性というのは 社会の最も基礎となるものであって これ無しにあらゆる社会活動は成立しないんですよ
それを「面倒臭い」なんて言い出すのは頭がおかしいんですよ
刑罰の犯罪抑止力っていうのは 要するに罰で恐怖心を煽ることによる国家権力を用いた抑圧であって これは民主的な自律の精神を全く考慮に入れていない発想なのね
本来 国民一人一人が自主的 主体的に社会安全を求めることが民主主義の基本にあるはずなのに これを怠って国家権力で一元的に恐怖心を用いて抑圧するという制度は国民主権を無視した他律強制にしかなっていない
「犯罪者には自律がないから 恐怖で抑圧するしかない」という意見もありますが それなら「どうして自律が失われたんだろう」という分析が全然進まないことになる
ヒトの多くは自律がありません 他人や権力に抑圧されることでしか行動選択が出来ませんから 脱法行為が後を絶たない原因にもなる
「法律さえ守っときゃ良いんだろ」という無責任な発想が蔓延しているから 法律でがんじがらめにしなければならなくなる
法律でがんじがらめにしたら社会安全性が高まるかと言えば むしろ自律のない無責任な奴が増え 政府による強権性も増長することになる
こういう悪循環から脱するためには 個人の自律というものが欠かせない
個人の自律を醸成するためにおいて刑法は邪魔になる
だから刑法廃止論を唱えているのよ
わかった?
わかった人は手を挙げて (はーい)
(^o^)/
Ende;