書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○無責任な優越。

2018年12月20日 14時49分55秒 | 意識論関連
ハロウィーンに渋谷で暴れていたようなバカっていうのは 他に楽しみがないから泥酔して暴れるんじゃないかと思う

TBSの「クレイジージャーニー」に出てくる植物探検家の長谷圭祐とか爬虫類学者の加藤英明みたいに 本当に好きで熱中できることが見つかればバカっていなくなるんじゃなかろうかと思っている

小柴昌俊は「自分は何が本当に好きなのかは、実際にある程度やってみないとわからない。」と言ってたんだけど

他人からの見た目とか 同調圧力とかに負けて やってみたいことを試したこともないから何が純粋に楽しいのかを知ることが出来ないんじゃないかと思う

自分が本当に好きなことを知らない大多数の大衆は ちょっと他人と違うことをするだけで「格好悪い」だとか「そんなことをして何の意味があるんだ」とか「スルメ見てイカが解るか」的に見下すことで その場限りの優越感を得ようとする

純粋に好きなことなら その「好き」ということだけで個人にとっては主観的価値になる 金にならなくても 評価にならなくても 個人が主観的に好きなことで他人に迷惑がかからないなら他人にとやかく言われる筋あいはないのだが

他人の評価承認欲求が強いと多数他人からその場限りの劣等感を植え付けるようなことを言われると 簡単に本当に純粋に主観的に好きなことをやらなくなってしまい

結果的に「何が楽しいのか 何もわからない」状態に陥って 渋谷で泥酔して暴れたりすることになる

本質的な主体性とか 自発性がなくて その場限りに他人からの評価承認ばっかり追求しているもんだから 自律的な社会的責任判断すら出来なくなる

そうやってバカな犯罪者というのは出来上がる



ある意味 ヒトは誰しもバカな部分 クレイジーな部分というのはあって そのクレイジーな部分を何にどう使うのかという自律的な選択可能性があれば 他人に迷惑な行為には走らない

多数他人からの その場限りの誹謗中傷というのは 別に鵜呑みにしたからといって誰の何の保障にもならない

アンタが他人の行動をとやかく言っている時に 相手の何かを保障したり考えたりして言っているかい? どうせその場限りに相手を見下して優位に立ったような錯覚に陥って満足しているだけだろうよ

根拠のないくさし合いを鵜呑みにしているからこそ 本当に好きなことが何なのかを見失い 結果的に自律的な社会的責任判断力まで喪失し 迷惑行為ばっかりするようになる

そもそも 誰にも迷惑をかけてもいないなら「そんなことして何になる」的な評価を 何も考えていないバカに言われる筋あいはない

他人をくさして優位に立ったような錯覚を得たいがために言っている無責任な評価に対し あまりに無意識に流され過ぎなんじゃなかろうかと

オラは思うだよ



誰も他人の事なんか 本当は感心も興味もありゃしない 「そんなことして 何になる」的な幼稚で軽薄な評価というのは 相手の事を深く考えて言っているわけではなくて むしろ言っている自分の無能を正当化して優位に立ったような錯覚に陥りたいだけなんだよね

ノーベル賞受賞者の小柴昌俊が「本当に好きなことをみつけるためには」とか 益川敏英が「嫌いなことや苦手なことはそんなにやらなくて良いから、好きなことや得意なことを伸ばした方が良い」と述べるのは 言うなれば自分のクレイジーさを何に使うかを選択出来るようになるために必要だから言っている

植物の新種を見つけるには 誰も入ったこともない泥まみれのジャングルに立ち入らなければならない

泥水に足を入れればヒルが山ほどたかってくるでしょ それと同じで自分が本当に好きなことを続けようとすれば 「そんなことして 何になる」的にくさしてくるバカも山ほどたかってくる

無防備にくるぶしソックスで足を踏み入れるからヒルに噛まれるんであって ちゃんと長靴履いてガムテープで密閉しとけば大丈夫なのと一緒で 相手の言っていることが本当に意味のあることなのかどうかを分別がつけられるようにしておくことで 根拠のない誹謗中傷に負けることのない「自己」の主体的「意思」を貫くことが出来るようになる



主体性のない糞DQNっていうのは 主体性のない糞DQN同士で幼稚な観念を共有共鳴することで その場限りに気分的安心満足を得ているに過ぎない

だから軽トラ転覆させて喜んでいる

軽トラを転覆させるためには 多数で統率的協調性を発揮しなければならないが その統率的協調性を何に発揮するべきなのかという方向性は糞DQNにはない

そもそもエタノールで脳を麻痺させる程泥酔している時点で 方向性という「目的」意識は働いていないのである

それは 個人が個人であることの 他人との代替が効かない本質的自己の存在 尊厳というものがない状態である

意識とは その場限りの優越感や劣等感とは関係がない

優越感や劣等感 安心や満足といった感覚的なものの全ては 先天的な脳の行動バイアスによって促されている無意識であり 自主的主体的に「考え」た目的行動選択という意識とは全く別のものなのである



Ende;
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○シャッターが切れない。

2018年12月19日 14時03分00秒 | 日記
Canon EOS M10を使っているんだけど

たまにシャッターボタンを押してもセルフタイマーが起動しないことがある

マルチショットノイズリダクションと併用すると起こるバグみたいなもんかと思ってたんだが

どうもシャッターボタンの2段目を押す時間が短すぎるとセルフタイマーに限らずシャッター自体も切れないのだ

普段手持ちで撮る時にはブレないようゆっくりシャッターボタンを押し込んでいるのでシャッターが切れないという事象が起きないのだが

セルフタイマーを使う時っていうのはカメラを固定してあって シャッターボタンを押す時にブレの心配が要らないのでパソコンのキーを押すみたいに一瞬だけ押しているもんだから反応しなかっただけだった



Ende;
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○猿レベル。

2018年12月18日 11時27分26秒 | 意識論関連
スピノザが「完全な能動(自律)は有り得ない」と述べたことに対して伊集院光はこれを「優しさ」などと形容した

これは単なる怠惰である

完全な自律は困難であるからこそ 自律は意識可能な限りに追求しなければならないのであって 「無理そうだから 中途半端でも良いんだ」と解釈しているからこそ気分的に安心して「優しさ」などと形容するのである

それとも何か? 原発の津波に対する脆弱性を放置したことにおいても責任の全てを東電の組織体質に丸投げして個人には一切の責任がないとでも言えるのか?

そもそも組織体質というのは組織を形成する個人の多数派によって形作られるものであって 個人の自律を環境依存で放棄して良いという話には全くならないのである

伊集院光のような薄っぺらで気分優先な解釈のことを文科系大衆観念と言うのである

それは平たく言えば「バカの解釈」に過ぎない



エスカレーター歩行の件で日本人が如何に自律がないかが鮮明になったと言える

列車に乗り遅れるというのであれば早めに家を出れば良いだけの話であって

他人の安全性を脅かしてまで自分の怠惰を正当化するというのであれば もはや自分の安全性も他人から脅かされても文句は言えない立場ということになるのである

もはや考えが浅過ぎて話にならない

オイラはエスカレーターの中央に立って乗ることがあるが そうすると後ろから歩いて来た男に「左に寄れ」などと言われることがある

エスカレーターというのは構造的に一つのステップに一人で乗る場合には重量配分の関係で中央に立つのが理想とされているからであって そもそもエスカレーターというのは歩いて乗るものではない

歩くスペースがあるなら安全に配慮しながら追い越しても構わないとは思うが 「歩けて当然」という態度は傲慢としか言いようがない

自動車の運転においても 道路工事や路上駐車などで道が狭くすれ違いが難しくなっている状況で 対向車が無理に突っ込んで来て逆にゆっくりとしか進めなくなる場合というのがある

相手が通り過ぎるまでちょっと待てばスムーズに通れるにも関わらず 待つという我慢を自律的に出来ないバカが多過ぎて殺意しかわかない

お恥ずかしい話ではあるのだが 実は兄がそういう運転をしていたことがあったので「お前はバカか!」と怒鳴り散らしてやめさせたことがある

「日本人は規則は守るがマナーはない」という話を聞いたことがあるが 規則というのは他人から強制されているものであり マナーというのは自主的に行うものである つまり 日本人には自律がないということなのである

「エスカレーターを歩かないと電車に乗り遅れる」というのであれば その分早めに家を出れば良いだけの話であって 他人の安全を蔑ろにしてまで自分の怠惰を主張するというのはバカとしか言いようがない

急いでいるのは急いでいる方の勝手であって 急いでいる人を優先してあげるのはあくまで配慮であって 急いでいるからといって他人を退かす権利があるわけではない

まるで日光いろは坂の猿に「餌を与えたら狂暴になった」のと同じようなもので 他人の配慮を権利か何かと勝手に勘違いしているのは 脳が猿レベルであると言える

何でもかんでも規則で強制しないと何も自律的には考えないバカしかいなければ 封建的独裁社会にしかならないのは当然の話である

民主主義というのは民衆の意識や深い考えに基づいて初めて機能するものであって バカしかいなけりゃバカ主義にしかならん

「今までずっとそうだった」ことがやめられないというのは ただの中毒でしかない 脳の先天的性質を自律的に制御出来ないから猿レベルの話を平気でするようになるのである

おそらく こういった因習の類を鵜呑みにしているようなバカであれば 学力成績やクイズの正解率や年収を知能の本質だと短絡的に鵜呑みにしているバカが多いのであろう

多数派にバッシングされるまでやめられないというのは 自律がないからであり 逆に言えば多数派からバカにされることを恐れて自律的に真理を追求しないのも自律の欠如が原因である



Ende;
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〇スペインのチョコレート。(税込み108円)

2018年12月10日 14時00分15秒 | 日記
国道17号線(中仙道)の志村坂上交差点を北東方向に入ったところにローソンストア100があって

ここはローソンストア100にしては珍しくホットフードがあるので以前にも紹介したことがあるんだけど

今日はレトルトご飯を買いに行ったらレジの近くに輸入チョコレートが充実しているのを発見

店員さんに撮影許可をもらって撮影してきた

100gで108円なので激安

種類も豊富

スペイン産とかマレーシア産とかいろいろある

ウクライナ産はチェルノブ入りなんじゃなかろうかと根拠のない風評を垂れ流してみたりするんだが 原料はウクライナで作っているわけじゃないから関係ないと思う

どれもパッケージがかわいいので映えそう

今度行ったらウクライナ産のティラミス風とスペイン産のアーモンドを買ってみようかと思う

高カカオチョコレートは40gだったけど

それでも安いと思う

あまりに種類が豊富だったので どれ買おうか迷い過ぎたのと 家に森永チョコレートが2枚買ってあったばっかだったので今回はスルー

ローソンストア100の公式サイトを見たけど こんなチョコレートを扱っているとは載ってなかった



 ◇追記:ウクライナ産のチョコレートを撮り損ねてたのでググってみたら

ティラミス風 1本

ナッツクリーム 5個入り

ちょっと高級品らしい



 ◇追記2:マレーシア産ストロベリーチーズケーキはパフ入りチョコレートでストロベリーチーズケーキ感はあんまりなかった スペイン産アーモンドはクランチアーモンド入りで普通においしかった



Ende;
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〇関係のない話。

2018年12月07日 21時58分17秒 | 意識論関連
ヒトという種の生物が「豊かな文明を築いてきた」のは 別に遺伝的進化とは関係がない

そもそも近代文明が発達したのはここ数百年の話であって

ヒトという種の遺伝的進化自体は数万年はほとんど進化しておらず 近代文明と遺伝的進化には直接的相関関係がない

遺伝的ポテンシャルはあったとは言えるが そもそも文明の規模は人間性や倫理と関係がない

文明規模も所詮は道具に過ぎず その使い方に合理性があるかどうかが重要なのであって 規模がデカきゃ良いっていうもんじゃねぇからな

 ◇

合法か違法かは人間性とは無関係である 法律自体が政権の都合によってコロコロ変わるものであって 戦時下に「敵」とみなしたヒトを殺さないと違法になるかどうかは関係がない

法律というのは機械的手続きであって 法律の主旨を逸脱して拡大解釈されることもあり 「法の下の平等」などというのは幻想神話の類でしかない

 ◇

ヒト以外でも同一種の生物を殺すこともある

それは進化過程において生存において有利だったという遺伝的進化の「結果」に過ぎない

罪悪感のあるなしは人間性とは無関係である

ヒトでありさえすれば悪事に罪悪感を感じるわけでもなく たとえ罪悪感を感じたとしても自律的に行動選択をしなければ人間性や倫理には適さないからである

裁判法廷審理で被告人が被害者の話に涙を流したからといって それが更正の根拠には全くならない

それはDV男が散々暴力を振るった後に脳内物質の相転移で唐突に優しくなってもDVをやらなくなるわけでは全くないからだ

罪悪感というのは所詮「感覚」的なものであって 意識的理解を伴った自律的な自制の源にはならず あくまでその場限りの感情気分の話に過ぎない

ジャレド:ダイアモンドは動物の殺し合いの話を中断した コイツ本当は何の具体的「考え」はないぞ

 ◇

「先天的習性だから諦めるしかないのか」 バカだろコイツ バカ相手に理論的話は意味がない

 ◇

「虐殺の人口に占める割合は減る傾向がある だから少しずつマシになっている」 そんな話がピュリッツア賞かい?

バカ過ぎるわ

何一つ科学的理論に基づいた対策が出てこねぇじゃねぇか



Ende;
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〇順天堂大学。

2018年12月07日 20時52分51秒 | 意識論関連
順天堂大学の教授だか何だかが言ってたんだけど

「ヒトは血液型にバリエーションを持たせることで特定の病気で絶滅しないように進化した」的な主旨のことを言っておった

だから! 遺伝的進化は誰の選択も介在せんのじゃボケー!

_人人人人人人人人人人人人人人人人_
< ボーッと生きてんじゃねぇよ! >
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄


入学試験でコソ~リと受験生に勝手な減点してた癖に



Ende;
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〇最近のエイズ。

2018年12月07日 10時37分58秒 | 日記
NHKの「くらし解説」でHIVの話をしてた

昔はHIVって不治の病で感染したら助からない的な話だったけど

今は薬が開発されて毎日一回だけ飲み薬を服用するだけで検出限界以下にまでウイルスを抑えることが出来るようになっているそうだ

ただ 完全にウイルスを身体からなくすことは出来ないそうなので 一生飲み続けなければならないという

HIVウイルスは免疫不全によって肺炎などを引き起こすことで「発症」となり 潜伏期間はおよそ10年くらいあるという

感染者の9割は男性だけど 誰でも感染する病気ではある

今でも毎年の感染者数は高留まりしていて 感染が発覚した人の3割は発症がキッカケだという

発症するまでの10年間感染が発覚しなかったということは その間に感染を拡大させてしまっている可能性が高いという

心あたりのある人は積極的に検査(匿名で出来るそうな)をして欲しいとのことなんだが

不特定多数の相手とすったもんだあるような奴って そういう責任意識みたいの全然なさそうなので 危なそうな奴は強制的に検査しちまった方が良いんじゃないかとか ちょっと思ってしまう もちろん「危なそう」の基準が難しいのだが


 くらし解説 -NHK



Ende;
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〇封建的独裁中毒。

2018年12月06日 23時13分51秒 | 意識論関連
何かさ

自分の過失を指摘された時に ほとんど条件反射的に逆ギレする短絡的なバカって結構いるんだよね

どこぞの頭のイカれた病理診断医とかもそうだったな

やっぱ評価承認欲求中毒の奴って 何があっても常に順位序列が上として扱われないとすぐに「リスペクトしてくれねぇ」だとか言い出して逆ギレする

何だろう 成育環境で批判や指摘をすると逆ギレするような糞親だとこういう糞野郎が出来上がるんじゃねぇかな

親のご機嫌取りをするばかりを強要されて育つと 他人から自分のご機嫌取りをしてもらえないと 自分が親のご機嫌取りを強要されていた現実を正当化出来なくなって 認知的不協和を解消しようと身勝手自己中心的逆ギレ糞野郎が出来上がるんじゃなかろうか

家庭内ヒエラルキーが酷いと 他者との関係性においても何が何でもヒエラルキー序列順位を強要しないといられない糞野郎が出来上がるんじゃねぇのかな

学校でのイジメとかでも くだらない屁理屈で簡単にぶちギレて暴れるバカがいるから起きるんだと思うぞ

ちゃんと調べあげて統計的データを集めないと 糞野郎がいくらでも出てくるぞ



Ende;
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〇ダニング:クルーガー効果。

2018年12月06日 14時29分06秒 | 日記
この現象で興味深いのは、能力がないことによって、人はうろたえたり困惑したりするのではなく、むしろ不適当なほどの自信に満ちあふれていることだという。

ダニング:クルーガー効果 -カラパイア

これって振り込め詐欺の被害者に共通している「自分だけは絶対に大丈夫」っていう根拠のない自信のことだよね

西野七瀬的にマイナス思考なくらいな方が事実認識力が高いとも言われている



最近カラパイアばっか引用してっけど 他のサイトが開けなくなっているので情報ソースが偏ってるかも (T_T;)

一応ググって他のサイトでも似たようなトピックがあるかどうかは確認してはいるよ



Ende;
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〇限界と役割。

2018年12月06日 13時53分42秒 | 意識論関連
遠藤秀紀(東京大学 解剖学)は子供時代に通っていた神学校で教師から「実証不能の神にすがらなければ生きられない人もいることを どうか忘れないで欲しい」と言われたそうである

頼み事をされると認知的不協和を解消する形で相手を信用する心理バイアス(ベンジャミン:フンクラリン効果)によって合理的根拠がなくても鵜呑みにしちゃう習性を利用してんじゃねぇのか

なんつうことを言い出したりするから怖がられるんだけど

主観的に怖いかどうかと 論理的に間違っているかどうかは別

そ れ は 別 !



宗教って科学や理論哲学ではどうにもならない領域において価値が残されているのかも知れない

津波で息子一族を流されて一人だけ生き残ったおばあちゃんに対して 科学も理論哲学も臨床心理すらも何も出来ることがないからだ

不遇にも全てを失った人に対して社会持続可能性だの安全性だのをどうこう言えない

科学の限界というものも自覚しなきゃいけないとは思う

本当に宗教に価値があるとしたら それは「オノレが生きるため」なんかではなくて 「誰かのため」じゃないとおかしい

鬼が現れて「お前の目玉をよこせ」と言ってきたら 自らの手でえぐり出して差し出す覚悟が宗教家には必要

自分が利己的に実証不能の神にすがらないと生きられないことを論拠に事後正当化するような怠慢な宗教には価値があるとは到底言えないだろう

千日回峰行を命懸けでやって自慢している暇があるなら スーパーボランティアの爪の垢でも煎じて飲んでおけば良いんじゃねぇかと思っている

自分の煩悩すら制御出来ない奴が 社会安全性を無視して無責任な嘘をついて良いわけじゃねぇだろ

嘘だのはぐらかしだのに執着していて 何が神だ 寝言ぬかしてんじゃねぇ!



宗教ってのは多くの場合権威性を主張したがるんだが 権威自体がそもそも宗教的盲目性に過ぎないので 結局は科学も宗教に冒されてしまう

宗教が社会にとってどのような意味や価値を持っているのか その分別がつかない奴が宗教やっているからわけがわからなくなる

科学は 実証不能の神が社会安全性にとって役に立たないことを証明するが それ以上のことは何も出来ないし することはない やったら科学じゃなくなるからだ

宗教に仕事があるとすれば それは社会安全性に関わらない領域であろう

音楽や芸術が人の気持ちを和らげるように 主観的な領域において宗教の役割はあるのかも知れない

だが それはあくまで主観的な領域であることを忘れず 他人に自分の主観を押し付けない謙虚さが必要である

異教徒を差別迫害することが宗教の仕事ではなく むしろ 如何なる他者をも受け入れる心の広さにこそ宗教の存在価値があると言える

科学的真理を受け入れられない時点で宗教としての社会的存在価値はない

地動説を火炙りにしておいて宗教だと言い張るのは傲慢としか言いようがないからだ



Ende;
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〇三領水門周辺。

2018年12月05日 23時33分19秒 | 写真
荒川の左岸側というのは東北線鉄橋の下が自転車では通れないので

普段は右岸側しか通らないので 久しぶりに戸田橋から下流側に行ってみた


菖蒲川が荒川につながるところに三領水門がある


でも今は排水機場が造られて水門は閉じたままらしい


荒川方向

手持ち開放で撮ったら変なボケ方になった

もう少し下流側に行ったら平屋建の住宅があった

奥のビルは川口駅周辺のもの



Ende;
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〇アオリ烏賊。

2018年12月05日 20時58分00秒 | 日記
東名高速のアオリ運転で4名を死傷させた石橋和歩(26)の裁判が始まったそうなんだが

「被害者の話を聴いて涙を流した」とか報道されているけど そんなん演技じゃない証明ができんのかしら

演技じゃないとしても その場限りに哀しい気分になったからといって人間性の論証にゃならん

DV男が散々暴力を振るった後に脳内物質の相転移で急にやさしくなっても 暴力をやらなくなるわけじゃないのと一緒

裁判官のご機嫌取りが上手いかどうかで刑が重くなったり軽くなったりするのは合理的とは到底言えない

法廷で謝ったとか 外見的に「反省が見られる」なんてのは裁判官の主観に過ぎず 何の根拠や証明にもならない

刑法裁判ってのはそもそも合理性なんか何もないんだよね

死刑にするかどうかはどうでもいいから とにかく人格形成過程の解明分析をすべき

どういう育ち方したら 石橋和歩みたいな無責任で身勝手なバカになるのか 刑法とは別に徹底調査分析しないと 似たようなバカが際限なく出てくることになるし 予防にもならない

一人の重大なバカが露見した場合 その陰に無数のバカが隠れていることを前提にして 実際に誰かが被害を受ける前に治療しないと 危なくて街歩くことも出来やしない

おいら一人くらいなら社会的にはどうでもいいことだけど

子供を学校に通わせている親からみてもキチガイ予備軍が放置されているのはシャレにならない

 ◇追記:交際中の女性によると「トラブルのない日の方が少なかった」そうな そんな糞男となぜ交際を続けていたのか お前もアタマおかしいだろうとか思うんだが パトカー相手にまでアオリ運転をしていたこともあるという なんなんコイツ もう死刑でもなんでもいいから徹底した精密検証をしろよ もはや通り魔と一緒じゃねぇか



弁護士が「運転中じゃないから危険運転致死傷罪にはならない」とか言っているけど 法廷弁護人ってどうにも弁護が困難な裁判だと 時折荒唐無稽な弁護を始めることがある

要するに 「こんな被告はもう弁護のしようがないので どうでもいいや」ってヤケクソな屁理屈を言い出すことがあるので そういうことなんじゃないかなと思っている



Ende;
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〇幻の恐怖。

2018年12月05日 14時14分38秒 | 意識論関連
安全性に関わる研究のことを 失敗学や危険学って言うのね

なんで安全学って呼ばないのかっていうとね 安全を追求するために重要なのは 何が危険で何が失敗の原因なのかを詳しく解析することなのよ

あらゆる危険性を徹底排除してゆくことによって 安全性というのは高められる

だから危険を学ぶ 失敗から学ぶ



意識とは何かを知るためにおいても同じことが言える

意識とは何かを追求するためには 意識ではないものが何かを徹底追求することによって 本当の意識が何かを知ることが出来るわけよ

だから 意識論って言いながらも無意識とは何か 愚かとは何かを論じているわけ

愚かさが何かを知って 初めて本当の知能になる

意識とは何かを追求する学問に名前をつけるとしたら 無意識学とか愚学って呼んだ方が良いのかも知れない

自分の頭の悪さがどういうものなのかを知ることによって 頭が悪い失敗を回避出来るようになる それが結果的に本質的な知能向上になる

単に「皆が言っているから」とか 「権威にそう教えられたから」といったことを 何ら自分では論理的に検証することもなく鵜呑みにしていると 真実を見失うことになる

本庶 佑が「教科書を疑え」って言ってたけど 教科書に書いてあることをただ漫然と鵜呑みにしているだけでは本当に頭が良くなったことにはならない

本当に頭の良いエリートの学生だというのであれば 教授の間違いを指摘するくらいの能力がなければならない

自主的 主体的に真理を追求していないからこそ 自律的な論理検証性も働かないバカが増えてしまうことになる

そして 困ったことにバカ同士で話を丸め 「誉められないと やる気が起きないじゃありませんか」などというバカの観念を共有して気分的に安心満足することで 自分達の頭の悪さを認識しようともしなくなる

目先のバカの多数派に流され 自律的に何も考えない状態は「頭が良い」と言えますか 言えませんよね どんなにクイズの正解率が高くても 学力偏差値が高くても 自分の主体的考えがないならただのバカなんですよ

自律の源は主体性です 主体的に物事を考えてこその目的意識ですから 「死にたくない」だとか「金にならない」だとか「世間や権威から承認されない」といった環境依存的な気分感情に無意識に流されるのは 全て主体性の欠如が原因なのです

あらゆる「人災」というのは ヒトの無責任さが作り出すものです

最初っからどうにも回避不可能性が証明されていれば これは「人災」としては扱われることはありません

トロッコ問題的な条件下において 死んだ人数で倫理や正義が立証されることはありません そこには正義も倫理も最初から存在してなどいないからです

他人の無責任さによって危険性が放置されて誰かが死ななければならない状況下において 自分の選択で死ぬ人数が変わるとしても そこに選択責任なんぞありゃしないんですよ

どんなに「悩んで」も 提示された条件の範囲に倫理が存在しないことが指摘出来ない時点で 本当は何も「考え」てなんかいないんですよ

でも マイケル:サンデルの講義を受けた学生達も テレビで見ていた視聴者の誰一人として 「そこに倫理なんぞ存在しないぞ」なんて言い出さない

それは サンデルによって促された命題によって「悩ましい気分」を促されたために それを短絡的に「何かを深く考えた」と錯覚し 「自分は頭が良くなった」と勝手に錯覚することでサンデルを好きになり 何の疑いも持たなくなっていることで余計何も「考え」なくなる

これが洗脳の基本構造です

実は オウム真理教の教祖も似たような手法を用いていました 答えの出しようもない命題を与えておいて「皆さんご自分で考えてみて下さい」なんてね

構造原理的に解答の出しようのない命題であっても 出題された命題自体が構造原理的に意味がないことには誰も気付かない習性があるんです

ジャレド:ダイアモンドも同じです 遺伝的進化の話とは無関係な「スペイン人がインカを滅ぼした」話をひけらかしておいて 結局「関係がありません」という結論でしょ 本人が「関係がありません」って正直に言っているにも関わらず 読者や視聴者は何か意味のあることのように錯覚しているんですよ ピュリッツア賞なんてのはその程度のもんなんです

何ら論理的には意味がない話であっても ヒトの多くは大量の情報を聞かされると情報の内容を理解するだけで意味があると勝手に勘違いして何かを考えたかのような錯覚に陥る習性があります

これって振り込め詐欺も使う手口です

「皆さんも考えてみて下さい」なんて「頼む」のも ベンジャミン:フランクリン効果を期待しているのかも知れませんよ

逆に オイラみたいに最初から「それはお前がバカだから騙されてるだけじゃねぇか」なんて言うと 自分の頭の悪さを自覚しなければならず 反射的拒絶反応によって論理的根拠もなく否定的思考バイアスが働くのかも知れません

それは まるで芸人の宇治原ナントカ君が「俺は頭が良いんじゃぁ!」と怒鳴って開き直っている心理状態と同じじゃありゃしませんかと

バカの難治性というのは バカというのは自律的には何も論理検証出来ず 主観的気分感情が優先してしまうのが原因です

経済心理学において「ヒトは長く続くことは 永遠に続くと錯覚する」と言われています

長い間自分では何も論理検証せずに鵜呑みにしていた話に対しては ヒトは論理反証を条件反射的に拒絶する習性があるのです

長い間 クイズの正解率の高さを誉められ続けることによって それが永遠に続くものだと宇治原ナントカ君は思っていた だから論理反証を条件反射的に拒絶するようになる

これは 宗教家が実証不能の神を論理否定されることに対する拒絶反応と一緒で 中毒の禁断症状のようなものでしかありません

当人的には死ぬ程嫌で マジで死ぬかのような恐怖心を抱くのかも知れませんけど それこそが錯覚妄想に過ぎないのです

「実証不能の神なくしては生きられない程弱いものである」ことの論理的証明なんかないんですよ

それは強迫観念が生み出した幻でしかないのです



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〇バカ逮捕。

2018年12月05日 12時35分38秒 | 日記
渋谷のハロウィーンで泥酔して軽トラ横転させたバカ容疑者4人逮捕

世田谷区の会社員 糀原翔大(20)

目黒区の美容師 國分陸央(20)

川崎市高津区の建設作業員 黒木裕太(27)

山梨県富士吉田市の建設業 川村祟彰(22)



おいらは刑法廃止論者だけど

情報公開とはまた別の話

どうしてこういう無責任なバカに育ったのか その原因を家庭や学校での教育環境まで含めて全て明らかにすることで再発防止につながる重要な情報となる それこそが本当の意味での社会的償いとなる

刑罰なんぞ糞の役にも立ちゃせん



Ende;
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〇人を騙そうとする者。

2018年12月05日 12時12分02秒 | 意識論関連
科学に玄人も素人もありません

真理 すなはち「本当のところ どうなのよ」を考える上において 玄人だから常に正しいという論理的証明なんぞありません

有名大学の教授だからといって科学的に常に正しいことを言っているとは限らない

養老孟司みたいに東京大学名誉教授なんて肩書があっても非科学的オカルト観念で人気取りしかしないこともあるし

大多数の生物学者達のように生物進化があたかも目的意図に基づいて合理的に選択されたかのように言い張り続けることもある

山極寿一が言っている「人類の0.2%しか戦争をしていないことに気付けば戦争はなくなる」なんて話にも 科学的根拠が全くありません

戦争というのは重大事象です 一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が隠れていると考えるのが危険学者の基本です

小さな事象を軽視しているから重大事象に発展するまで放置してしまうことになるのであって 重大事象が少ないことだけを論拠に あたかも簡単に重大事象がなくなると言い出すのは あまりに軽率軽薄であり 到底科学者としての責任感に欠けた発言だと言えます

それとも何ですか ブラック企業の従業員の自殺率が低ければ それだけで自殺がなくなるとでも言うんでしょうか

原発事故だって同じでしょ 運転時間に対しての重大トラブルの割合だけを取り上げたらきっと小さな割合になるんでしょうよ

滅多に起きない事象であるというだけで どうして「なくなる」なんて言えるんでしょうね 山極は科学で飯を喰っていながら 科学的真理の追求においてはド素人以下なんですよ

一体どういう論理的根拠に基づいて「戦争はなくなる」なんて断言出来るんでしょうね

論理科学的根拠もない話でありながら 何となく気分的に安心満足出来るような話を 大衆マスコミは簡単に鵜呑みにしたがります

その方が簡単に金が儲かるからでしょう

みのもんた的に「これさえ喰っときゃ 寿命が何年延びる」的な安易簡単軽薄軽率な決め付けを提示しておけば 大多数の大衆マスコミは簡単に鵜呑みにして満足する

大多数の大衆は 振り込め詐欺に騙される前からマスコミに騙されているんですよ



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