山極氏は、「戦争は人類に不可欠な平和の解決の手段となってきた」という議論も、「戦争は人間の本性である」という学説も、「真っ赤なウソ」だと指摘。長い人類史の中で武器を使い戦争したのは、きわめて最近のことであり、戦争をしないことこそ人間の本性なのだから「戦争はやめられる」と力説しました。 -日本共産党「赤旗」より引用
はて 「人間の本性」とは 一体何でしょうか?
ヒトという種の生物には様々な個性があり 雑で浅い考えに基づいて意味のない行動を平気で採る者もいれば そうでない者もいます
ですから 一概に「ヒトの本性」などと一括りに断言出来る定義など 本当はどこにも存在しません
スーパーボランティアの尾畠春夫さんと 無差別虐殺をするテロリストを一緒くたに括ってヒト全般に共通する「本性」なんてもんが立証出来るわけがないんですよ
先天的本能習性から「人間としての社会性」が導き出せないのと同様 ヒトという種の生物というのは最初から運命論的に人間性が組み込まれているわけではなく あくまで後天的な目的意識として人間性が発揮されることが可能なのであって ヒトという種の生物に先天的に「人間の本性」などという都合の良い行動バイアスが組み込まれているわけではないのです
『戦争をしないことこそ人間の本性なのだから、戦争はやめられる』などと言えば 大衆の多くは気分的に安心満足して科学的論理検証もせずに鵜呑みにしたがるようですが これは科学的理論ではなく 何の確証もない山極の勝手な妄想観念にしかなっていません
戦争というのは ヒトが引き起こす重大事象の一面でしかありません
危険学や失敗学では「ハインリッヒの法則」に基づき「一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が存在している」ことを前提として考えるのが常識です
戦争だけを見れば 世界人口の割合からすれば非常に小さな数字になるのでしょうが 割合が小さいからといって短絡的に「戦争は無くなる」などという論理的根拠には一切なりません
戦争という大規模な暴力に発展する前から ヒトという種の生物は暴力や 暴力の素となる差別をする習性が普遍的に見られます それが「ヒトという種の生物の本性」であると決め付けるのも短絡的ですが ヒトという種の生物は先天的な本能習性に無為に流されるだけではなく 理性によって感情や欲望が促す行動習性バイアスを抑制することが可能であり この理性こそが人間性を発揮するために必要不可欠なものなのです
理性というのは 先天的本能や習性が促す行動バイアスに「本当に意味があるのか?」を検証することが出来ます
ところが ヒトという種の生物は先天的には人間性が組み込まれてはいないために 論理検証的に「本当に意味があるんだろうか?」と考えなければサルなどの野生動物と同様に環境依存的に暴力性を発揮することも珍しいことではありません
野生動物というのは 先天的習性が促す行動バイアス(無意識)だけで行動が決定しており 故に狂暴で危険なのであり 山極寿一がゴリラと仲良くなっても「ゴリラは絶対にヒトに暴力を振るわない」ことの論証には全くなりません
岩合光昭が猫から警戒されないように写真を撮ることが出来ても 猫が子殺しをする事実の反証にはなりません
それは ある種の特異な「芸」かも知れませんが 山極だけがゴリラから警戒されないからといって 「ゴリラの全ては常にヒトに警戒しない」ことの科学的論証には全くならないのです
気分や感情 生物学では「情動」と言いますが この情動が促す行動というのは先天的に決定している環境依存的なものであり ヒト個人が主体的に選択不可能なものであり これは人間としての意識ではありません
ヒトという種の生物は 生物であるという基本構造からは逃れられないために どうしても先天的な動物的行動バイアスに行動を左右されがちな性質があります
ヒトという種の生物に先天的に組み込まれた行動バイアスや習性というものは 個人の主体的選択可能性が存在しませんから これは意識の本質ではなく 理論的には無意識なのです
では 人間としての意識 他の動物と異なり先天的な行動バイアスや習性に流されないように自律的に行動選択をするのは何かと言えば それが自律的な論理検証(理性)なのです
え? 「話が面白くない」ですか?
そりゃそうでしょ あたかも「自分には先天的に人間性が組み込まれている」かのような妄想観念でも陳列しておいた方がさぞかし「面白い」んでしょうから
科学的論理検証に基づいた真理/事実というものは あくまでロジカルに正当な事しか導き出しませんから「面白く」はないんですよ
航空機の墜落原因を検証するのに主観的な「面白さ」が必要ですか?
犯罪の科学捜査に主観的な「面白さ」なんて必要ないでしょ
単純に主観的な「面白さ」が欲しいのであれば そういうのは科学や哲学には求めず 徹頭徹尾主観である芸術やスポーツにでも求めておいて下さい
科学的真理というのは あくまで客観的論理検証によって導き出されるべきものであって 主観なんぞ糞の役にも立ちゃせんのですよ
◇追記:
山極は論理的根拠もなしに勝手に「戦争はなくなる」などと決め付けておきながら 最後には
「どうすればいいのかは、みなさんへの宿題」
などと言い出します
どういう意味かわかりますか?
山極の頭の中には論理的な根拠なんて何にもないんですよ だから解決策を「みなさん」に丸投げする それでも「戦争はなくなる」なんて決め付けておけば共産党の議院達などの大衆は 気分的に安心満足して山極の言っていることを信用しちまう
ただの「ご機嫌取り」大衆迎合でしかないんですよ
科学を逸脱しているんです
そんな奴が京大の学長をやっている
Ende;