書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○詐欺チェックリスト。

2019年03月22日 01時32分10秒 | 日記
ふと思ったんだけど

電話の脇に

 □ 荷物を無くした
 □ 今日中に振り込んで欲しい

など 振り込め詐欺が良く使うワードのチェックシート的なものを用意しておいて

電話で頼み事をされたらチェックするようにすれば客観性が働くんじゃないだろうか

家族への直通電話番号も書いておけば「みんなには内緒にして」とか言われても直通電話ならかけられるし



ああ そうだ

 □ みんなには言わないで内緒にして

っていうチェック項目もあった方がいいね



Ende;

○説明出来ないこと。

2019年03月22日 01時14分01秒 | 意識論関連
感覚的直感というものが正しい判断につながるケースというのが時折あります

将棋の強い人だと盤面全体から違和感のようなものを直感的に「感じる」ことがあり それによって勝つことも多いそうです

でも こうした将棋の棋士の直感というのは たくさんの経験によって培われたものであって そこいらの凡人が真似出来るようなもんじゃない極めて特殊な能力でしかありません

「身体が欲するもの」というのも感覚的なものですが 必ずしも健康にとって有利なものを身体が欲しがるかと言えば 高血圧の人が塩分を過剰に欲しがるような逆のケースの方が圧倒的に多いんですね

論理的に考えるよりも 感覚が促す直感の方が正しいことも稀にあるにはあるんですが それは決して「直感の方が圧倒的に正しい判断を促す」ことを統計的に証明出来るレベルのものではなく むしろ論理的根拠に基づいた判断の方が安全性は高いのです

だからこそ医薬品の厚生労働省認可というのは簡単には降りないんですよ 直感頼りに医薬品認可なんぞしてたら危なくて仕方ないですからね

 ◇

直感などの感覚的なものというのは動物的な本能と直結しているものであって 直結しているから直感って言うんだと思います

東北の震災では 地震直後に津波が来ることを知っていながら逃げない人がいましたが 逃げなかった人達は過去の経験則から津波を恐れなくなってしまっていたそうです

はて 経験則って理性でしょうか?

「いままでずっと大丈夫だったから 今回も大したことはない」と思うのは意識でしょうか?



「怖くない」というのは感覚です

論理的に考えたら感覚的な怖いかどうかに関わらず 安全性を優先していたら「もしかしたら今回は巨大津波が来るのかも知れないから逃げておこう」という話になる

厚生労働省の認可のように安全性を優先していれば経験則が促す感覚的安心には惑わされずに避難していたわけですよ



ややこしいのは こういう話をしても どういう訳か「経験則は意識だ」なんて養老孟司あたりが言い出すと誰も論理検証せずに簡単に鵜呑みにするバカが圧倒的に多いんですね

こうした一種の思考バイアスというのは 「自分は先天的に優秀な存在で 先天的本能習性が促してくる直感的感覚こそが常に正しい選択を促してくれるはずだ」という勝手な妄想があるからではないかと思います

いわゆる「正常性バイアス」が促す錯覚なんですけど 「自分だけは絶対に大丈夫だ」と思っておいた方が気分的に安心なので 論理(意識)的な安全性よりも気分的安心の方を優先してしまうヒトという種の生物の動物性によって 「悪いのは常に理性や意識だ」という話の方ばかりを信じたいというバイアスが働くからだと思います

それじゃ「理性が働くから詐欺に騙される」とでも言うんですかね

詐欺の言っている内容を論理的に検証出来ていれば 「手形や小切手を無くしたから立て替えて」なんて話は「いや、それはまず銀行に連絡して無くした手形や小切手を停止してもらえ」って話になるんですけど 「今日中に」的に焦らされることで促される恐怖心(感覚)が優先して騙されてしまう

手形とか小切手拾ったからって換金するには銀行との取引や身元証明が必要で 会社と無関係な奴が引き出せるわけないんですけど 知らないのかしら

もし知らないっていうんなら そのことを周知しとけって話なんですけどね

特殊詐欺の手口というのは 理解出来ないような混みいったややこしい話で相手の論理検証性を遮断し 「今日中に」的な時間制限を与えて感覚的に焦らすことで 疑われる余地を見えなくさせるわけです



でも騙された人って 騙された構造原理を理解して 「次回からは騙されないようにするにはどうするべきか」なんて論理的に考え検証して再発防止策なんぞ立てないんですね

「騙されるなんて 私ってなんてバカなのかしら」と決めつけ その場限りに気分的に落ち込み 感覚的に「騙されないようにしよう」などと努力辛抱根性的な精神論でどうにかしようとしてしまい 論理的対策なんぞ「考え」ないもんだから 何度でも詐欺に騙されることになる

言われた内容を丁寧にメモに取るとか 金を振り込む前に本人に直接確認するとか そういう合理性のある行動よりも直感的感覚が優先するため騙される



直感的に「理性や意識や主体性が悪い」と思っておいた方が 気分的に楽なんじゃないかと

そういう欠陥が多くのヒトには普遍的に存在するのではないでしょうか

そうでなければ養老孟司のようなオカルト爺の言っている内容を鵜呑みにする習性を説明出来ないんですけどね



Ende;

○動物性。

2019年03月21日 23時29分55秒 | 意識論関連
養老孟司は「意識が主体的なものだと思うのは錯覚」的な趣旨の発言をしていたんだが

その説明が「殴られて意識を失うのも 意識が戻るのも自分では選択出来ないからだ」という

意識を失うとか戻るという事柄だけを取り上げて「意識が主体的なものではない」と結論づけるのはあまりに短絡的で

「目的」意識に基づいて行動選択することまでもが「主体的なものではない」などと言い出すのは もはやオカルトでしかない

百歩譲ってそれがもし正しいというのであれば 目的意識も持たずに漫然と条件反射的無意識に行うことも同じだということになる

バカなの?

そもそも養老の論説には論理整合性がなく 非科学的オカルト観念の陳列であり 到底科学者としてマトモではない

松尾豊東大特任准教授などのAI研究者でも養老の言っている内容が非科学的オカルトだとは認識していないらしい



AIには「蒸留」という概念があり 回路を単純化して効率化することを指す

「(脳は)上手に逃げる 回避する そうやって楽をする」「社会はその方向に向かっている」 -養老孟司

社会を構成する個人が楽をする方向に向かっているのは結果です それは目的ではありません

「社会が環境破壊の方向に向かっている」からといって それが目的にはならないんですよ

個人が楽をするというのは 要するに利己的であるということであって 東電社内において原発の津波に対する脆弱性を放置して組織に迎合しておいた方が「楽」だったから 危険性は放置されたんですよ

それを「社会はそういう方向に向かっている」などという結果論だけを抽出してきて あたかも正当化されたような錯覚に 多くの大衆や学術研究者は陥っているのであろうか



「動物性が倫理と結び付いている」

これは倫理が先天的に組み込まれていることを前提としており そもそも科学的根拠がありません

「a=b」と「b=a」が同じでないことを受け入れられないことが どうして倫理に結びついてしまうのか 訳がわかりません

そういう「感覚」って脳の報酬系が作り出したものですからね

原発の危険性が放置されたのは むしろ動物的な社会形成習性によって統率協調的に「組織の利益を優先」したからであって それは「自律的な社会的責任判断を怠った」ことも意味します

自律って動物性のものなんですかね? 違いますよね

動物ってエサ貰えるなどの「脳への報酬」さえあれば何でもするんですよ

原発の危険性を放置しておけば安定した生活が貰える条件下で 自律が動物性のものだと言えるんですかね?

「その方が楽だ」という「感覚」が危険性を放置させたんですよ

それはもう 脳に直接麻薬を注入すれば左右に思い通り歩くネズミと一緒でしょ

養老の言っている内容を鵜呑みに出来る奴なんてのは脳がネズミレベルだよ

自覚症状はないんだろうな 「感覚」的に安心だから

特殊詐欺に騙される被害者も 「感覚」的に誘導されて信じ込むんであって

養老に騙されているメカニズム原理が理解出来なきゃ詐欺への論理的対策も出来ないのは当たり前の話だよ



自律的に何も考えないバカの場合 養老の言っている内容で気分が良くなれば 簡単に鵜呑みにするでしょう

それが洗脳の基本構造ですよ



ヒトが自律的に社会的責任判断をしなくなる原因は 評価承認欲求中毒にあります

学力成績という抽象化された脳への報酬が目的の場合 教えられた内容が本当に正しいのかどうかを自発的自律的に検証することなどせず 簡単に鵜呑みにします

これこそが「動物性」ですよ

そうやって脳への報酬だけを目的にしていれば「津波に対する脆弱性まで考慮に入れたら 日本のどこにも原発は造れない」と言われれば 原発の危険性も放置するようになります

自律的な社会的責任判断というのは 大抵の場合脳への報酬にはならないですからね

ましてやこの国では内部告発者は「裏切り者」として社会から排除されるくらいですから そんな環境下で自律的に社会的責任判断が脳への報酬になるわけがないでしょ

こんな簡単な理屈もわからないんですかね

バカ過ぎて話になんないです



Ende;

○EF65 2090。

2019年03月21日 14時00分03秒 | 写真
Yahoo! Geocities終了に伴い消えた画像をガンレフに掲載

フルサイズへのリンクなのでご注意


 ◇追記:タイトルに「EF56 2090」って書いちゃってたので 直した どうもEF64は間違えないのにEF65は取り違えることがある 間違ってたら誰かツッコミ入れて欲しいわ


Ende;

○被害者増えないようにするために必要なこと。

2019年03月20日 13時25分58秒 | 意識論関連
「死刑の重み」とは主観です

刑罰というのは国家権力を利用した報復感情を満足させるための制度であって

ヒトという種の生物に組み込まれた先天的暴力性であり ヒトの動物性でもあります

テロなどの暴力というのは そもそもが何の解決にもならない方向性のない感情論に基づいたものであり

刑罰であっても合理性がないことにおいてはテロと構造的には同じものです

国家権力なら合理性があると「思う」のは 理性を欠いた身勝手な主観的感情論であって

先天的な本能が促す感情(行動バイアス)を人間としての意識の本質だと勘違い錯覚しているからこそ

テロや刑罰という非合理な暴力だけで満足してしまうわけです

テロの非合理性を論証するためには 先に刑罰の非合理性を認識する必要性があるのです



犯罪の被害者や遺族が強い報復感情を持つのは致し方ないことではありますが

決して多くはありませんが被害者や遺族の中には「再発防止を優先して欲しい」という要望もあるわけです

少数派であるからといって無視して良い話にはなりませんし

そもそも再発防止を優先するのは社会安全において刑罰よりも合理性が高いことは明らかですから

これをやらないというのは社会的に無責任な行動選択でもあるのです



テロリストを死刑にしても「なぜテロなどという訳の解らぬ行動を採るようになるのか」についての科学的検証は進めないと 具体性のある合理的対策には全くなりません

刑罰を実行しておけば 報復感情を満たしてその場限りには満足感が得られるのかも知れませんが

その結果無差別殺人が繰り返し発生することに対する具体的再発防止対策が全く進まないことにもなるのです



テロリストの中には自分が行った残虐行為を「人類の救済のための自己犠牲だ」などと本気で信じ込み テロなどの暴力の非合理性を理解認識しないまま自信たっぷりに死刑を待つ者も珍しくありません

自分の行為を事後正当化することで 認知的不協和を解消しているわけです

そうでなくとも 一見反省しているかのように見える犯罪者も 単に刑罰が苦しいから後悔しているだけであって 自分の行為の非合理性を理解認識しているわけではないケースがほとんどです

国家権力を用いた懲罰という名の暴力威圧では 犯罪行為自体の非合理性を誰も理解することなく「解決」として扱われ 具体性のある合理的対策が一切されないまま教訓にも知識にも何にもならずに話が終わってしまうのです

普通の人なら 懲罰を恐れるんでしょうけども テロリストとか通り魔の類は自暴自棄な奴が大半であり 身勝手な観念に囚われ自分の主観的感情を絶対的なものだと錯覚しているわけです

こういう主観的感情を絶対的なものだと錯覚している奴に対しては 懲罰という暴力的威圧は役に立ちません

「死刑の重み」は個人差がある主観的なものに過ぎないのです



刑罰を停止してしまうと 被害者や遺族は気分的には満足出来ないかもしれませんが 加害者以外も「主観的感情を絶対的なものだと錯覚」していたのでは 加害者の身勝手さの原因もうやむやにされてしまうことになるのです

ヒトはいままで「加害者には刑罰」という短絡的社会制度を漫然と繰り返してきましたが

この短絡性を見直さないことには テロなどの無差別暴力の原因究明にもならず 何度でも罪のない被害者が生まれてしまうことになるのです

「知ったことではない」とは 山口県光市母子殺人事件の被害者遺族の方の発言ですが

その「気持ち」は充分に「わかる」ものではありますが

その「わかる」というのは同じヒトという種の生物として主観的に共感している意味においての「わかる」であって

客観的な論理的理解とは全く別のものなのです

そりゃ 仕事を終えて家に帰ったら女房子供が惨殺されていれば「無罪で釈放してください 俺が殺します」という気持ちにもなるでしょう

しかし それでは「どうして加害者が訳のわからぬ行動を採るようになったのか」についての科学的検証は一切行われないことになります

謎が謎のまま闇に葬られてしまっているのです



危険学や失敗学では「ハインリッヒの法則」に則って 一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が隠れていることを前提に徹底検証が行われます

一つの重大事件の陰には 無数の小さな事象が隠れているのです

「一匹見つけたら 百匹はいると思え」ということです

他人の迷惑に全く配慮が出来ない糞DQNって時折いるでしょ あいつらを野放しにしているから重大殺人にまで発展するんですよ

幼稚で身勝手な主観的観念に囚われ 他人の迷惑を考えなくなるバカがどうして発生するのかを 徹底的に調査研究しないことには残虐な犯罪に対する具体的な効果を持った理論的再発防止対策にはならないのです



原発の津波に対する脆弱性放置も 社員が組織内部で利己的保身に走ったことが原因です

それは 犯罪の被害者や遺族が利己的な目先の満足感を追求する無責任さと何ら変わりはありません

それとも「自分だけが被害者なのが嫌で 他人が被害に巻き込まれても構わない」というのであれば それは身勝手という他ありません

「そうではない」と言うのであれば これから起こる可能性を丹念に潰してゆくという地道な積み重ねに協力すべきなのです

被害者や遺族の方にとっては精神的に過酷な選択であることは判っています

それでも いつかは誰かがやらないことには社会安全性は高まることはなく 被害者や遺族が増えることに歯止めはかかりません

哲学者達は「たかし君は やさしい気持ちになりました」などという意味のない道徳教育や「理性や人知を超越した謎の英知」などという妄想に溺れて具体性のある論理的対策はしません

生物学者達も「生物進化には目的がある」などというオカルト観念を強弁し続けることで既得権の保身しかしていません

それで良い訳がないでしょ



Ende;

○王子近辺を徘徊。

2019年03月20日 10時35分55秒 | 日記
ジョーシン王子店で店頭限定の ¥16,800-(税込み ¥18,144-)のスポーツ自転車売ってた

ドロヨケとかダイナモライトとか鍵とかカゴは付いてないんだけど

スタンドは付いていた

あとチェーンカバーがないのでズボンの裾をバンドで留めておかないと面倒臭いことになるけど

シンプルで素敵

ちょっと欲しいかも



で そのコーナンの2階がジョーシンだったんだけど

ジョーシンって何の店だっけ?と思いながらエスカレーターを上がったら家電量販店だった

いきなりPS4が7,000円引き(税込み¥24,818 22日金曜まで)だったもんだから

 ◇追記:25日火曜日に寄ったら税込み23.738円に値下げしてた 31日まで

ブラウザとか使えるならこれも良いなとか思ったんだけど

ググってもブラウザでどこまで出来るのかが全然わからなくて手が出ない

マイクロビットとか使えるのかしら ブルートゥース4とかじゃないと無線接続は出来ないらしいし

そもそもブルートゥースねぇんじゃねぇのかしら

NECのAndroid8.1タブレットとほぼ同じ価格なので悩ましいわ

まあブルードットのタブレットなら1万円くらいで買えちゃうんだけど



ジョーシンはプラモデルとか鉄道模型もそこそこ充実していて見ているだけでも楽しかったわ

リトルアーモリーが銃器のプラモデルなのオラは知っているんだけど パッケージだけ見るとフィギュアか何かなのかと勘違いして買う奴いそう

 ◇追記2:コトブキヤのプラモデル


4800円もするそうで インジェクションキットでこの価格はかなりボッタクリ感ある

身長155㎜だそうなので 1/10Scaleくらいかな

上の写真だと手足が肌色だけど これは別のキットから流用したもので

キット自体はこうなるらしい


バイクも別キットのものらしい




場所が若干トリッキーだけど明治通り沿いに看板があるのでそんなに迷うこともないと思うけど

そういや少し離れた豊島5丁目にビバホームズが新規開店するらしい

◇追記:ググったら3月23日に開店だそうな


https://www.vivahome.co.jp/newopen/toshima5_vh.html?hptop_banner02=open2804




Ende;

○空。

2019年03月18日 00時11分30秒 | 写真
夕暮れ空

東西方向に飛行機雲が幾つか見える

多分成田空港に発着する航空機だと思う



急に黒い雲が出てきた


雲の切れ間から積乱雲


忠実設定 コントラスト+4 PLフィルター使用




日没後








飛行機雲


双発機かな




Ende;

○過激かどうかは危険性とは無関係。

2019年03月17日 13時25分15秒 | 意識論関連
マスコミはテロリストを「過激な思想」って形容するんだけど 「過激かどうか」が問題の本質なんじゃなくて「合理性が何もない」ことが問題なんだよね

文科系マスコミ関係者っていうのは主観的に「過激」かどうかを問題にしたがるんだけど

客観的に見たらテロにも刑法懲罰にも合理性はないんだけど

刑法罰は「産まれて以来ずっとあった」ものであるために 論理的根拠なんぞなくても何となく「安心感」があるので非合理なんだけど 誰も疑問を持たず 「過激」だとすら思っていない

梅沢富美男が「死刑にしちまえ!」って怒鳴り散らして多数の愚民と共鳴していることを 誰も「過激」だとは「思って」いない

「思い」という主観的な感覚の強度程度は 決して合理的根拠が伴うわけではないんだけど

ヒトという種の生物は伝統や形式や手続きや経験則などの「いままでずっとそうしてきた」ことに対して気分的な安心感を抱く性質があるために 論理的根拠のない因習の類でも疑うことをしなくなる習性がある

保守主義者の大多数はこうした主観的な感覚的安心感ばかりに頼った主張をしているだけであって 思考停止の典型的パターンの一つだと言える



世の中には間違いもある

そりゃそうでしょ ヒトが作ったもんですからね

絶対に間違わないヒトなんているわきゃない

でもね 社会に間違いがあるなら これは論理的検証によって具体的にどのように改善すべきなのかを提案することが重要であって

「気に入らないから 破壊してやる」っていう発想には合理性もスッタクレもない

ニュージーランドのテロなんかも 「白人社会が脅かされている」とか言っているんだけど 特定の人種や民族や国籍だけで人間性が決定しているわけではないので 主張の根幹がそもそも大間違いだし

解決策が「イスラム寺院を襲撃」なんつう雑極まりない手法では 合理性もスッタクレもありゃしない





文科系マスコミや大衆の多くは「理性や人知を超越した謎の英知」なんつう訳のわからぬ屁理屈は疑うことを知らない

だから原発安全神話なんぞを鵜呑みにして やるべき対策を怠ることになる

「刑法は絶対に社会安全にとって最も有効な対策である」という神話を鵜呑みにしておけば安心なんだろうけど

その安心というのは主観的感覚であって 錯覚が混入していることを疑う必要性がある

刑法廃止っつったって 別に何の対策も要らないって言っているわけじゃなくて 犯罪が起きたら「刑罰判決で解決だ」なんていう雑な処理の仕方で終わらせるんじゃなくて

「どうして犯罪なんぞやるようになっちゃったんだろうね」っていう科学分析を丹念にやるべきだって言っているのよ

本気で再発防止をしたいのであれば 危険学や失敗学のスキームを応用すべきであって 危険学や失敗学的な分析研究においては刑罰は一時停止すべき邪魔なものでしかないから刑法廃止って言っているのよ

「そこまでやったら キリがない」とか「面倒臭い」なんていうのは無責任でしかありません

尼崎の列車脱線事故の分析でも 「キリがない」だとか言い出して分析を途中で放棄したバカな学者がいたけど 被害者遺族達によって更なる分析が行われてJR西日本の組織体質にまで言及することが出来たわけですよ

社会安全性というのは 社会の最も基礎となるものであって これ無しにあらゆる社会活動は成立しないんですよ

それを「面倒臭い」なんて言い出すのは頭がおかしいんですよ



刑罰の犯罪抑止力っていうのは 要するに罰で恐怖心を煽ることによる国家権力を用いた抑圧であって これは民主的な自律の精神を全く考慮に入れていない発想なのね

本来 国民一人一人が自主的 主体的に社会安全を求めることが民主主義の基本にあるはずなのに これを怠って国家権力で一元的に恐怖心を用いて抑圧するという制度は国民主権を無視した他律強制にしかなっていない

「犯罪者には自律がないから 恐怖で抑圧するしかない」という意見もありますが それなら「どうして自律が失われたんだろう」という分析が全然進まないことになる

ヒトの多くは自律がありません 他人や権力に抑圧されることでしか行動選択が出来ませんから 脱法行為が後を絶たない原因にもなる

「法律さえ守っときゃ良いんだろ」という無責任な発想が蔓延しているから 法律でがんじがらめにしなければならなくなる

法律でがんじがらめにしたら社会安全性が高まるかと言えば むしろ自律のない無責任な奴が増え 政府による強権性も増長することになる

こういう悪循環から脱するためには 個人の自律というものが欠かせない

個人の自律を醸成するためにおいて刑法は邪魔になる

だから刑法廃止論を唱えているのよ



わかった?

わかった人は手を挙げて (はーい)

(^o^)/



Ende;

○線量計はしっかり固定しましょう。

2019年03月16日 21時53分23秒 | 日記
福島第一原発2号機のオペレーションフロア(最上階)を調査しているロボットに取り付けた線量計から直接データが送れないとかで付属したカメラ映像から読み取っているんだそうだが

データを送れない線量計もマヌケなんだが

「走行振動で計測中に固定していたはずの線量計がズレて読み取れなくなった」とか言っている

やる気ないだろ コイツら

現場で実際に作業しているのは現地住民だそうで

作業に手間取れば現場作業員が無駄に被爆被曝することになる

東電だか東芝だか知らんが 仕事はちゃんとやれよ



現地の高校で測定した線量は 0.117 [ μSV/h ]

オイラの家(都内)とほぼ同じなので とりあえず何か起きなければ危険な値ではない



トリチウム水からトリチウムが分離処理出来ないっていうんだけど

トリチウムって核融合炉の燃料なのに分離技術がないって

どうするつもりなのかしら

訳のわからない話が多過ぎる



Ende;

○「も」。

2019年03月16日 14時50分53秒 | 意識論関連
論理科学的根拠もなしに ただ勝手な観念で「戦争はなくなる」などと言い出すことは科学の仕事ではありません

「戦争はなくせる」と断言すれば 大衆の多くは気分的に勇気がわいたり 元気が出たりするでしょうが そういう主観的な気分を操作するのは科学の領域ではありません

勇気とか元気とかを与えるのは 宗教や芸術エンターテイメントの仕事領域であって そういうのは乃木坂46とかスポーツ選手達に任せておけば良いのです

技術者倫理などの科学領域において 勇気だの元気だのといった主観的気分はどうでも良くて 徹頭徹尾客観的真実を追求することで 論理的根拠に基づいた具体的成果が伴わないことには 科学の社会的存在価値なんぞありゃしないのです



虚無主義者というのは 科学論理的根拠もなしに「戦争はなくならない」だとか 「人類は絶対に絶滅します」などと断言しますが これもまた科学を逸脱した身勝手な決め付けでしかありません

戦争がなくせるか それとも絶滅するまでなくせないのか それは人類一人一人の行動選択によって大きく左右されるものであり 一概に予測可能な単純なものではありません

「わからないものは わからない」 科学はそういう謙虚さが必要不可欠です

不可知であることを認めた上で 目的に則った行動選択可能性を拡げるために科学があるのであって 本来予測不可能なものを身勝手に予言して大衆迎合することは科学としての社会的役割の放棄にしかなりません



危険学や失敗学では 一つの大きな失敗事象を徹底的に調査研究し あらゆる可能性から再発防止のための方策を考えます

決して「大部分の航空機は事故を起こさないから 航空機事故はなくなる」などという訳のわからぬ無責任な宣言はしないでしょ

にも関わらず 「ヒトの大部分は戦争してないから 戦争はなくなる」などという論理的根拠の何もない無責任な宣言を 大衆マスコミは鵜呑みにして満足しているんですよ

バカなの?

まあバカなんでしょうけどね

自分の頭の悪さという「失敗」を自覚せずに 一体どうやって戦争という「人類全体の失敗」がなくせると言えるんでしょうか

科学や哲学というのは 本来主観的感覚が促す錯覚に惑わされずに 論理客観的な真実に基づいた行動判断をするために存在するものであり 必ずしも常に気分が良くなるような結論を導き出すわけではありません

例えば 天動説が信じ込まれていた時代には 地動説は「火炙り」にされました

なぜ「火炙り」などという暴力的な対処をしなければならなかったかと言えば 地動説が気に入らなかったからであり 気分が悪くなったからです

養老孟司は 「ガリレオの地動説が受け入れられるまでには長い時間が必要だった」と述べましたが なぜ「長い時間」が必要なのでしょうか?

それは 客観的根拠に基づいた論理的事実よりも目先の主観的観念の方が優先してしまうという ヒトの先天的欠陥に起因する頭の悪さが原因です

ヒトという種の生物は 先天的にはそんなに頭が良い生物ではありません

ヒトは ヒトが思う程は「知的生命体」などではないのです

でも ヒトは自分の頭の悪さを自覚認識可能性を持っています

自分の頭が どのように悪いのか どういった欠陥を持っているのかを知れば 頭の悪さをリカバリーすることも可能となるのです

しかし 厄介なことにヒトという種の生物は先天的に自分の頭の悪さを認識することが嫌いで 主観的に気分が悪くなるような都合の悪い話に耳を貸さなくなる性質があるため

ヒトの頭の悪さというのは極めて難治性が高いのです



ヒトという種の生物には 先天的に戦争をなくすことが可能な性質「」存在するのかも知れませんが

それは 実際に戦争を無くしたり 大幅に減らしたりすることが出来た時点で立証になるのであって 毎年のようにテロが繰り返されている現実に対して具体性のある論理的対策すら誰も理解していない時点で「戦争は絶対に無くせる」などと宣言することは科学的根拠がなく 科学的論証には一切ならないのです

たとえ戦争や犯罪を大幅に減らしたり 撲滅することができたとしたら それは撲滅出来た時点で「ヒトには先天的に暴力性を抑制出来る能力存在していた」ことの論証だと言えますが それとて「」を抜くことは出来ず 「ヒトは同時に先天的暴力性も存在する」ことの論理反証にはならないのです

ヒトという種の生物は 決して先天的に「絶対に暴力を振るわない性質」が存在するわけではありません

ですから 人間性というものは先天的本能習性という「本性」から立証することなど原理的に不可能なものであり あくまで個人の意識 目的意識に基づく現選択可能性(本質的自己)の中にのみ存在するものであって 既に存在しているだけの無意識(既存の価値観に基づいた条件反射)な「自己」だけで自動的(自然)に人間性が発揮されるようなものではないのです


 ◇追記:

」が取り除けない以上 先天的本能習性には暴力性も排除出来ないことになります

それはつまり 先天的本能習性からは人間性を立証することは構造原理的に不可能であることも意味します

ですから「先天的に安全なのか危険なのか」という議論は最初から意味がない

必要なのは「先天的にどうなのか」ではなくて 「これからどうすれば良いのか」の方であって それが意識の話になる

先天的な習性が促す行動バイアスというものが無意識だと認識していないから 意味のない議論を漫然と繰り返すことになる




Ende;

○意識の広さ。

2019年03月15日 23時23分19秒 | 意識論関連
スーパーボランティアの尾畠春夫さんと 無差別殺人犯との違いは何でしょうか?

同じヒトという種の生物でありながら 他人が困っていたり苦しんでいることを放置出来ずに自らの身を削るように助けに奔走する人と

身勝手な観念に基づいて何の合理性もない無差別暴力を振るうバカとの違いは一体何か

それは意識の違いです

どう違うのかと言うと 意識の広さが違うんですね

尾畠さんは社会全体を見ている だから目先の自分の欲望には興味がわかない

小さな子供が行方不明になって どこかで親を探して泣いているかも知れない そう思ったら居ても立ってもいられない

飯も喉を通らない だから助けに行く 報酬も世間的評価も欲しがらない

子供が親と再会して喜んでくれれば もうそれだけでお腹がいっぱいになる どんな豪華な食事よりも その喜びが優先している



では 無差別殺人犯は何を見ているのかと言うと 非常に狭い幼稚で浅はかな主観的屁理屈の中しか見ていないし そもそも見ることすら出来ない可能性まである

他人とくらべて自分の世間的な評価や報酬が少ないことに腹を立て 評価をしてくれない世間全体に対して茫漠とした不満をぶつける形で無差別殺人を行い 実質的には何の解決策にもならない暴力による報復感情を満足させることしか見えていない

なぜ社会全体が見えずに 幼稚で浅はかな主観的価値観の中でしか物事が見えないのかと言えば

「他人とくらべた多数他人からの評価」を求めているためである

評価承認欲求中毒

他人からの評価が目的の場合 自律がありません

多数他人からのウケが良ければバイトテロでも何でもやらかします

自分が社会の一員であるという自覚がありませんから 責任感もないんですね

「人類の救済」だとか言ってますが その真意は「俺様は人類を救済した凄い奴として歴史に名を遺すんだ」という「身勝手な価値観に基づいた他人からの評価」が基準になってしまっている

だから自律的には何も考えない

考えないから理屈が幼稚で薄っぺら

自律的論理思考という「考え」の代わりに主観的観念という「思い込み」の強度程度だけが優先してしまう

本当に人類(他人)にとって有益な行動であるかどうかを検証する理性が働かない



目先の多数大衆からの評価を優先し 科学的な論理検証に基づいた具体的な問題解決方法など一切考えず 「どうするべきかは皆さんへの宿題」だと問題を丸投げするバカが山極寿一京大学長です

そして 自分達の頭の悪さが露見すれば既得権に差し障りがあることを恐れて批判を隠蔽黙殺する

こうした山極達の一連の行動を 社会的無責任行為だと認識することが出来ない大衆マスコミも同罪です

自分達の頭の悪さを認識させられることは「楽しい」ですか?

それとも「つまらない」ですか?

「楽しい」か「つまらない」かは 個人の主観ですから 客観的事実真理とは無関係です

その区別が出来るか出来ないかが 人間としての社会性の基準の一つでもあり

これはヒトでありさえすれば出来るわけではなく

意識の広さに依るものなのです



Ende;

○つまらない話。

2019年03月15日 13時31分11秒 | 意識論関連
 山極氏は、「戦争は人類に不可欠な平和の解決の手段となってきた」という議論も、「戦争は人間の本性である」という学説も、「真っ赤なウソ」だと指摘。長い人類史の中で武器を使い戦争したのは、きわめて最近のことであり、戦争をしないことこそ人間の本性なのだから「戦争はやめられる」と力説しました。 -日本共産党「赤旗」より引用

はて 「人間の本性」とは 一体何でしょうか?

ヒトという種の生物には様々な個性があり 雑で浅い考えに基づいて意味のない行動を平気で採る者もいれば そうでない者もいます

ですから 一概に「ヒトの本性」などと一括りに断言出来る定義など 本当はどこにも存在しません

スーパーボランティアの尾畠春夫さんと 無差別虐殺をするテロリストを一緒くたに括ってヒト全般に共通する「本性」なんてもんが立証出来るわけがないんですよ

先天的本能習性から「人間としての社会性」が導き出せないのと同様 ヒトという種の生物というのは最初から運命論的に人間性が組み込まれているわけではなく あくまで後天的な目的意識として人間性が発揮されることが可能なのであって ヒトという種の生物に先天的に「人間の本性」などという都合の良い行動バイアスが組み込まれているわけではないのです

『戦争をしないことこそ人間の本性なのだから、戦争はやめられる』などと言えば 大衆の多くは気分的に安心満足して科学的論理検証もせずに鵜呑みにしたがるようですが これは科学的理論ではなく 何の確証もない山極の勝手な妄想観念にしかなっていません



戦争というのは ヒトが引き起こす重大事象の一面でしかありません

危険学や失敗学では「ハインリッヒの法則」に基づき「一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が存在している」ことを前提として考えるのが常識です

戦争だけを見れば 世界人口の割合からすれば非常に小さな数字になるのでしょうが 割合が小さいからといって短絡的に「戦争は無くなる」などという論理的根拠には一切なりません

戦争という大規模な暴力に発展する前から ヒトという種の生物は暴力や 暴力の素となる差別をする習性が普遍的に見られます それが「ヒトという種の生物の本性」であると決め付けるのも短絡的ですが ヒトという種の生物は先天的な本能習性に無為に流されるだけではなく 理性によって感情や欲望が促す行動習性バイアスを抑制することが可能であり この理性こそが人間性を発揮するために必要不可欠なものなのです

理性というのは 先天的本能や習性が促す行動バイアスに「本当に意味があるのか?」を検証することが出来ます

ところが ヒトという種の生物は先天的には人間性が組み込まれてはいないために 論理検証的に「本当に意味があるんだろうか?」と考えなければサルなどの野生動物と同様に環境依存的に暴力性を発揮することも珍しいことではありません

野生動物というのは 先天的習性が促す行動バイアス(無意識)だけで行動が決定しており 故に狂暴で危険なのであり 山極寿一がゴリラと仲良くなっても「ゴリラは絶対にヒトに暴力を振るわない」ことの論証には全くなりません

岩合光昭が猫から警戒されないように写真を撮ることが出来ても 猫が子殺しをする事実の反証にはなりません

それは ある種の特異な「芸」かも知れませんが 山極だけがゴリラから警戒されないからといって 「ゴリラの全ては常にヒトに警戒しない」ことの科学的論証には全くならないのです



気分や感情 生物学では「情動」と言いますが この情動が促す行動というのは先天的に決定している環境依存的なものであり ヒト個人が主体的に選択不可能なものであり これは人間としての意識ではありません

ヒトという種の生物は 生物であるという基本構造からは逃れられないために どうしても先天的な動物的行動バイアスに行動を左右されがちな性質があります

ヒトという種の生物に先天的に組み込まれた行動バイアスや習性というものは 個人の主体的選択可能性が存在しませんから これは意識の本質ではなく 理論的には無意識なのです

では 人間としての意識 他の動物と異なり先天的な行動バイアスや習性に流されないように自律的に行動選択をするのは何かと言えば それが自律的な論理検証(理性)なのです

え? 「話が面白くない」ですか?

そりゃそうでしょ あたかも「自分には先天的に人間性が組み込まれている」かのような妄想観念でも陳列しておいた方がさぞかし「面白い」んでしょうから

科学的論理検証に基づいた真理/事実というものは あくまでロジカルに正当な事しか導き出しませんから「面白く」はないんですよ

航空機の墜落原因を検証するのに主観的な「面白さ」が必要ですか?

犯罪の科学捜査に主観的な「面白さ」なんて必要ないでしょ

単純に主観的な「面白さ」が欲しいのであれば そういうのは科学や哲学には求めず 徹頭徹尾主観である芸術やスポーツにでも求めておいて下さい

科学的真理というのは あくまで客観的論理検証によって導き出されるべきものであって 主観なんぞ糞の役にも立ちゃせんのですよ



 ◇追記:

山極は論理的根拠もなしに勝手に「戦争はなくなる」などと決め付けておきながら 最後には

 「どうすればいいのかは、みなさんへの宿題」

などと言い出します

どういう意味かわかりますか?

山極の頭の中には論理的な根拠なんて何にもないんですよ だから解決策を「みなさん」に丸投げする それでも「戦争はなくなる」なんて決め付けておけば共産党の議院達などの大衆は 気分的に安心満足して山極の言っていることを信用しちまう

ただの「ご機嫌取り」大衆迎合でしかないんですよ

科学を逸脱しているんです

そんな奴が京大の学長をやっている



Ende;

○冒涜。

2019年03月14日 16時54分01秒 | 意識論関連
犯罪被害者や遺族の中には「再発防止を優先して欲しい」という人もいて

「自分達のように苦しむ人が再び出ないようにして欲しい」との願いに基づいたものなのだが

梅沢富美男的に「こんな奴は死刑にしちまえ!」的に怒鳴り散らして無責任な多数大衆からの人気取りをしたがるヤカラの大声に掻き消されてしまいがちである

刑罰というものが犯罪に限らず事象の原因究明や再発防止策にとって害にしかならないことは 危険学や失敗学においては常識である

それでも無責任な大多数によって 本当の被害者の訴えや願いは踏みにじられてしまうのである

「死刑にしちまえ!」という強権暴力的意見は あたかも大衆観念上では被害者に同調しているかのようにも見えるのだが 本当の被害者や遺族を冒涜した身勝手な感情論にしかなっていないのである

大衆観念上では 多数派に同調することこそが正義だと錯覚しているのだが 被害者や遺族という少数派の意見を踏みにじり冒涜することは社会的正義には価しない

その場限りの多数派に同調しているだけであれば それはもはや深夜の渋谷で軽トラ転覆させている酔っ払い集団と何ら変わりはないのである

刑法懲罰という制度は 形式であり伝統であり経験則であり手続きである 合法でありさえすれば非合理な少数派に対する冒涜行為も正当化されてしまうのが保守派の論理であり 合理性のある改革であろうとのべつまくなし頭ごなしに否定することが可能となる

そもそも 合理的か非合理かの問題であるはずなのに 保守か革新かという別次元の話にすり替えられていることに 多くの大衆は気付いていない



Ende;

○犯罪の再発防止。

2019年03月14日 11時43分18秒 | 意識論関連
アポ電強盗殺人犯3人

住所不定(長野県出身)無職の
須江 拓貴(すえ ひろき 22歳)

川崎市川崎区京町の土木作業員
小松園 竜飛(こまつぞの たつみ 27歳)

住所不定(長野県出身)無職の
酒井 佑太(さかい ゆうた 22歳)




犯罪者というのは家族親類までもが社会的制裁を受けるそうだが

子供の育て方なんていうのは全ての親が初心者である以上失敗例を経験知識として社会全体で共有周知することで再発を防ぎ教訓という形で社会的財産にすることが出来る

それをやらないというのは むしろ社会的には無責任だと言える

ヒトという種の生物は 暴力的な懲罰報復を短絡的に「解決」だと錯覚し 論理的具体性のある原因究明や再発防止を放棄する習性がある

これが失敗学や危険学では最もダメで無意味な対処であるとされているのである

本気で社会安全性を高めようという意志(目的意識)があれば 刑法罰を解決だと見なす現在の社会制度から見直す必要性がある

無責任に「死刑にしちまえ!」とでも怒鳴り散らして多数からの人気取りでもしておけば金儲けにはなるのだろうが それは金欲しさの本能的欲望の虜である

理性ロジックという言葉に対する観念的拒絶反応(主観的感覚)だけを頼りに「理性や人知を超越」などという非合理な話で満足している頭の悪さを認識すべきである



Ende;

○組織腐敗。

2019年03月11日 10時45分28秒 | 意識論関連
生物学上では先天的な本能習性による統率的協調性を「社会性」と呼び これを人間性を伴った「社会性」と混同していたが 動物習性的な「社会性」では人間性が伴わないことを私が論じた後に 松沢哲郎は「先天的本能習性から人間としての社会性が立証出来るかも知れない」と言い出したのである

私が先天的本能習性としての「社会性」は人間としての「社会性」とは別だと論じる以前は 生物学上では習性としての「社会性」と人間性を伴う「社会性」は混同されていたのであって わざわざ「先天的本能習性で人間としての社会性を立証する」必要性などないのであって

松沢ら生物学者達は自分達の頭の悪さを隠蔽するために「先天的本能習性から人間としての社会性が立証出来るかも知れない」などという 論理的に立証不可能な嘘を発表して大衆マスコミを騙したのである

こうした松沢の嘘の「科学的」発表に対して 大衆マスコミは何ら論理的検証も行わずに「出来たら素晴らしいですね」などと日和ったのである

騙される大衆マスコミは頭が悪くて理解できていないだけであろうが 松沢ら生物学者達は他にも共同研究者がいるはずであり 京都大学の生物学研究者が全員誰も理解出来ないなどわけもなく 彼らは知っていながら隠蔽黙殺をするために嘘の発表をしたのである

もし「最初から誰一人として論理的に理解出来なかった」というのであれば もはや科学者としてポンコツ過ぎて論外である

権威の方針に服従迎合し 論理的事実を集団組織的に隠蔽することが出来たのは まさに先天的本能習性としての社会形成習性の働きによるものであり 生物学界は集団組織的に腐敗しているのである



山中 伸弥率いる京都大学iPS細胞研究所では研究費が不足しているというのに 糞の役にも立たない松沢らの霊長類研究所に無駄遣いしている金を回すべきであり 霊長類研究所は即刻廃止すべきである

「チンパンジーが酒を盗み呑みした」などという話を「業績」などと言い張る松沢は もはや何にも利用価値のないただのイカれたオカルト野郎に過ぎない

どうして京都大学が松沢を飼いならしているのかと言えば 山極寿一学長も頭がイカれているからである



Ende;