書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

バカの発想法

2021年09月26日 11時45分54秒 | 意識論関連

学力偏差値が高いだけのバカなら 生物の遺伝的進化の全ては生存や種の保存などの目的に則って都合良く生じるものであると勘違いして疑うことをしないが

遺伝的進化というものは特定環境下における適応の結果に過ぎないため 環境によっては何億年もほとんど遺伝的には進化しない生物も残っているのである

ノーチラスやシーラカンスやナメクジウオやヌタウナギやゴキブリは数億年も前からほとんど進化していないという そもそも生態系の多様性を構成する生物は全てが進化しているわけではなく 大腸菌のような原始的な生物がヒトの腸内細菌としての「役割」を果たしているのである

深海や枯れ草の下や動物の腸内といった環境下においては 数億年ほとんど環境が変わらないため 形質や習性が変わってしまうと逆に環境適応できずに死滅してしまうため 遺伝的進化が起きないのである

遺伝的進化というものは決して一方通行なものではなく 海獣類のように一度陸上に上がった生物が海に適応することもあるし 洞窟のような環境下であればカメラ眼や紫外線耐性が「退化」することもある

遺伝的進化というものは あくまで環境適応した個体への収斂の結果であって 目的に則って都合良く生じさせられるようなものではない

 

医療というものは高度にシステム化されているため 医者という仕事は科学的に物事を検証できなくても ただ大量の知識に基づいて機械手続き的に処置を行うだけでも成立するのである

「臨床は科学ではない」

厚生労働省によって認可された医薬品というのは 膨大な治験に基づいて危険性が検証されるが 必ずしも効果のメカニズムの全てが解明されている必要性はない

100万人に投与して害がなければ「害がない」と「みなしている」だけであって 科学的根拠は必ずしも必要がない

そもそもヒトという種の生物の生体メカニズムの全てが解明されているわけでもないので 何がどのように作用して医薬品が効いているのかの全ては科学的には「わからない」ことは少なくはないのである

ある特定のメカニズムにおいて 癌を死滅させるのに効果があることが科学的に立証されているとしても それが正常なヒトの細胞にどのような副作用を及ぼすのかはほとんどわからない

ヒトに限らず哺乳類の生体メカニズムというものは非常に複雑で 何がどのように相互作用しているのかは誰にも完全には把握できていないのである

日常用いているコンピューターであっても そのシステムの中身は誰も全てを把握できていないからこそ セキュリティホールが見つかるのであって最新のアンドロイドOSやiOSであってもウイルス耐性は完全ではない

ヒトの生体というものは 進化の過程において偶発的に環境適応してきた結果に過ぎないため 免疫機構は決して完璧なものではない

免疫機構に学習能力があるのは 哺乳類のような複雑で世代交代速度が遅く進化速度の遅い生物にとっては遺伝的進化だけではウイルスの変異に対応できないため 新種のウイルスなどに対してその都度対応できる機構を持った個体への収斂進化の結果である

別に「ウイルスの変異に対抗しようと思って自らの免疫機能を遺伝子に組み込んだ」わけではない

 

何の話だっけ

ああ 医薬品の話だった

説明する意欲がわかないから集中できないわ

寝起きだし

 

厚生労働省認可された医薬品をマニュアルの通りに使っていれば 未知の副作用で患者に不利益が生じても医者には責任がない

医者の大半というのは 生活のために機械手続き的に医療サービスを提供しているだけであって 教わったことを教わった通りに鵜呑みにしていても構わない職業なのである

従って大半の医者は遺伝的進化が「目的のために進化する」と教え込まれていても 自分からは「これは科学的に間違いではないか」とは夢にも「思って」いないのである

ヒトは信じたいことだけを信じようとする習性があるため 自分が既に信じ込んでいたことを否定されると反射的に拒絶し 「なかったこと」にしようとする

原因は簡単で 「気分が悪くなる」からである

意識というものの本質が 自分の主観的気分感情の強度程度だと勘違い錯覚しているからこそ 論理客観的に物事を検証することをできなくなるのである

認知的不協和(気分が悪くなること)を解消するためには 客観的事実に基づいた根拠や証拠は「なかったこと」にしておいて 多数や権威の言っていることだけを盲目的に信奉しておく方が 気分的に「楽」なのである

「楽」ということは 精神的怠慢の原因ともなる

当人的には必死であっても 精神が怠慢だと「命がけで地下鉄に毒ガス」になることもよくあることである

本人は「人類の救済だ」と本気で「思って」いるのだろうが 論理客観的には何の根拠もない

それは 「息子が巻き込まれたトラブルを解消するため」と本気で「思って」電話相手の言うままにATMを操作するのと同じことである

多くのヒトがバカである場合 傍観放置しておいた方が「楽」ではある

そのうち誰かがナントカしてくれるはずだと そう私も「思って」いたのだが 全くナントモならないからひつこく説明を続けているのである

一部の生物学者は「進化には目的はない」と言い出したのだが これは世間一般にはあまり周知されておらず いまだに「ウイルスは弱毒進化する」などと言い出すバカな医者は後を絶たない

ウイルスが何らかのメカニズムによって弱毒化する可能性もゼロではないが 同時に強毒化する可能性も存在しているのであって 決して「ウイルスは必ず弱毒化する」という都合の良い進化が保証されているわけではない

安易に「期待して良い」ものではないのである

デルタ株によるブレイクスルー感染によってワクチン接種の進んだイスラエルは再び爆発的に感染者が増加しており 同時に重症者や死者数も増えているのである

治療薬の開発が進んでいるというが 治療薬は感染した人の重症化を防ぐことは出来ても ワクチンが打てない人の感染を防ぐ効果はない

ワクチンが打てない人なら治療薬も使用できない可能性もある

結果的に死んだ人数の選択「だけ」では倫理の論証にはならないが 死んだ人数が増えるか減るかの選択には倫理は存在するのである

「死なずに済んだはずの命」を蔑ろにしておいて 倫理もヘッタクレもない それは「人が死ぬか 死なないか」の選択と同じであり トロッコ問題とは全く異なる選択である

 

何も考えないバカというのは 「トロッコ問題には倫理が存在しない」と説明すると「死んだ人数が増えても倫理的には問題がないんだな」という短絡的「解釈」を平気でしたがるが バカというのは自分の無責任性を正当化するための屁理屈しか捏造したがらない

だからバカなのである

バカというのは自分がいかにバカであるかを全く自覚しようとはしない

だからいくら説明しても理解はしようとはしないし 考えようともしない

 

そりゃ やる気も出ないぜ

 

 

免疫の学習機能の話に戻すと

免疫に限らず「学習」機能というものは後天的に行動変容を引き起こすものであって これは遺伝的形質や習性とは別に環境適応に有利なために進化的に発達したものである

遺伝的進化任せだと 急激な環境変化に対応しきれないため 急激な環境変化に対応できる「学習」能力を獲得した個体種への収斂の結果として 「学習」能力の高い個体種への進化を遂げたと言える

しかし 動物的な行動「学習」というものは たとえば学級内でイジメが起きた場合には イジメに加担するか傍観しておいた方が「個体の生存にとって有利」なため 「怖い相手には逆らわない」ように「学習」するだけである

必ずしも「頭が良くなるように学習」できるように進化しているわけではないのである

イジメや差別というものは 多様性を排除し安全性や持続可能性や社会効率の観点からは「悪いこと」だと認識するためには 個人の主観的好き嫌いとは別に客観的な論理的根拠に基づいた判断選択が必要となる

学校安全についての研究者が金髪なのは 私の個人的好き嫌いからすると嫌悪感を持ってしまうのだが それは個人の主観的感想に過ぎないので むしろ言っている内容の方を尊重するという選択をするのである

 

生まれ持った容姿なんぞを嘆くということは 他人を見た目でランク付けしているからであって その価値基準自体が幼稚なものであることを自覚していないということでもある

「親ガチャ ハズレた」などといっても 子供の主体性を尊重してくれる親なら外見なんぞにこだわる子供には育たないはずである

先天性の脳性麻痺で産まれてきてしまえば 外見なんぞ本人にはどうにもならないものであり 外見なんぞで他人をランク付けすること自体が卑劣であることは自覚できるはずである

本当の「親ガチャ」とは 物事を自発的に検証する主体性を育てられない親の元に産まれてくるかどうかであって 先天的容姿は関係がない

どんなに美人に産まれても 人を外見で差別するようなら人間としては最低である

インスタやユーチューブでは外見が金儲けと大きく関わっているのだろうが 世間的成功や人気は人間としての価値の基準にはならない

個人的好き嫌いを持つのは構わないが それはあくまで個人的なものとして社会的行動とは区別する必要がある

私は個人的に金髪が嫌いだからといっても 金髪であることを理由に言っている内容まで否定することはしない

その分別には 論理客観的根拠に基づいた検証判断が必要である

インスタやユーチューブで大金が稼げるという仕組み自体を疑う主体的判断がないから 「金儲け=人間としての優秀さ」といった短絡的価値観でしか物事を判断できなくなるのである

読書猿に大衆人気があるからといって 読書猿の言っている内容を検証しないというのは むしろ「バカな衆愚の多数人気」でしかない

ヒトの多くは多数人気や東大教授の評価さえあれば多数によって内容が検証され保証されているものだと鵜呑みにしがちだが 生物学や哲学同様に大学で教えている内容には間違ったものも少なくはなく 「東大教授」という肩書だけでは信用に価するものではない

そもそも養老孟司が東大名誉教授であるという時点で東大の信頼性は著しく破綻しているのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西表島のライオン

2021年09月24日 16時23分15秒 | 意識論関連

ライオンはアフリカのサバンナでは生態系の中で役割を果たすことができるが 西表島では無理である

ヒト以外の生物では 生態系の中における役割は自ら選ぶことなど出来ないが

ヒトには選択可能性が存在しているのである

可能性はあるのだが その可能性を発揮するためには理性が不可欠である

ヒトがヒト以外と決定的に異なるのは 先天的な本能習性や欲望に抗うこと「も」可能だという点である

本能欲望のままに通りすがりの女学生を強姦していれば ヒトという種の生物ではあっても人間ではない

順位序列に異常執着し 利己的金儲け能力ばかりを自慢しても 人間性の論証には全くならない

 

ヒトという種の生物は その遺伝的進化は狩猟採集生活にまでは適応しているが その適応も所詮は結果的な「種の保存」に適しているだけであって 決して人間性にまでは適応してなどいないのである

だから差別や戦争や貧富格差や不平等が全く解消できないのである

文明社会の構築によって ヒトは変異による多様性は拡大しても 淘汰圧力による収斂進化は起きなくなっており 実証不能の謎の「超人」に進化することはなく

先天的な頭の悪さは解消することはないのである

この出来損ないの欠陥脳を前提に ヒトは社会持続可能性や安全性を構築せざるを得ない

自分の脳の どこがどのように欠陥品なのかを理解し どのようにすればバカにならずに済むのかを知れば 様々な人類の諸問題解決は大きく前進するはずである

逆にいえば バカだと諸問題を 問題だとすら認識しない可能性も高い

実際に認識していないバカは非常に多い

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

役割

2021年09月24日 15時26分50秒 | 意識論関連

目的がないのに役割があるというのはどういうことか

それは「結果的な役割」は存在しているという意味である

ヒトの免疫機能は生存にとっての役割はあるが ヒトという種の生物の生存そのものには目的は存在しないのである

生存が目的ではない以上 生存にとって必要な免疫機能もまた「結果」に過ぎない

これ そんなに難しい話かしら

聞き慣れてないからかな

個体の生存においては恒常性を維持する必要性があり 個体が生存するためには環境を破壊しない恒常性も必要となる

ある個体種が存続するためには 環境がある程度の安定を保つ必要があり ただ環境を食い尽くすだけでは個体の存続にはならない

生態系のピラミッドにおいて 頂点となる肉食獣は猛禽類などの繁殖力が低いのは 別に肉食獣や猛禽類が「環境資源を食い尽くさないように自ら進化した」のではなく あくまで「繁殖力が高すぎて環境資源を食い尽くした個体種が絶滅した」という収斂進化の結果に過ぎない

イワシやサンマは大半が喰われてしまうが 別にイワシやサンマが「生態系を支えるために大量繁殖するよう進化した」わけではない

サンマやイワシは大量に繁殖するが 全部が喰い尽くされるわけではないから絶滅しないだけであって 生態系の底辺としての「役割」に適した結果である

サンマやイワシのような小魚が繁殖力が低かったら食い尽くされて絶滅する だからといって絶滅しないよう繁殖力を自ら増やせるわけもなく 小魚で且つ繁殖力の高い個体種だけが残るという収斂進化の結果である

 

ヒト以外の自然界における生態系の生物は その環境において適した本能習性を持つことによって生態系の中における「役割」が果たせるのであって

アナウサギが天敵のいないオーストラリアで異常繁殖してしまうのは 環境に適応した先天的形質や習性を持っていないことにより 生態系の維持において「役割」が果たせないからである

サルの生息環境においては サルが喰いカスをゴミ箱に集めて清掃局のゴミ収集の日の朝にまとめて集積所に出すようなことはしなくても良いのである

ヒトは過去にプラスチックフィルムを開発し これを食べ物のパッケージに用いているため 中身を食べ終わってもパッケージは路上に放置しておくと海洋汚染の原因となるので ゴミ箱を探して捨てるか 或いは家まで持ち帰ってから捨てるかを選択しなければならない

社会持続可能性に基づいた行動選択をせずに 先天的本能のままにゴミを撒き散らかすというのは 脳がサルと同等にしか働いていないからである

社会持続可能性に配慮せずに自分の目先の欲望のままに行動しているバカをリスペクトすることはできないものである

それなら自分がそういう行動をするバカなら 自己肯定感も希薄になるのは必然的な結果である

どんなに多数のバカを集めて来ても バカが「正常」であることの論証にはならない

バカは自分の行動を改めようとはせず 他人との比較における優位性ばかりを求め 他人からの評価でしか自分の価値を量ること以外の選択肢を失っているのである

たとえどんなに倫理的責任のある判断であっても 他人よりも優位に評価されることの方が優先するため 600万のユダヤ人殺害計画書の作成のような愚劣極まりない行為であっても平気で行うようになるのである

こうした性質はナチスの吏官に限ったことではなく ヒト全般に普遍的に見られる先天的習性なのである

バカに陥り バカげた話を信じ込んでバカげた判断をしないために必要なのは 自分の主観的価値観や目先の情動に左右されずに常に論理客観的に物事を考えることである

物事を論理客観的に検証し 「その話は本当に論理客観的根拠に基づいた証拠があるのか」を考えようとしないからこそ イマヌエル:カントの「純粋理性批判」なんぞを鵜呑みにして満足してバカになるのである

大学ではカントだのニーチェを鵜呑みにして暗記しないと成績にならないのかも知れないが 学力偏差値が高いだけのバカ学生のほぼ全員はカントの主張には根拠が示されていないことには気付かないのである

医師免許の国家試験に合格していても 進化生物学上の誤謬には誰も気付かず 「ウイルスの目的は生存や種の保存だから弱毒変異が増える」などというオカルト観念を平気で言い出すバカが大半である

医者なんてのは 教えられたことを全部鵜呑みにしておいても 知見のないことはやらずに済む仕事であって 科学的に物事を検証できなくても構わないのである

知らない症例に遭遇しても地域の中核病院にでも患者を丸投げしておけば良いのであって 論理的に物事を検証できる必要性はない

「臨床は科学ではない」からである

麻酔が効くメカニズムなんぞ知っていなくても麻酔技師はできるものであり 実際に麻酔が脳や中枢神経にどう作用するのかは科学的にはわかっていないまま 「効くから使っている」だけなのである

認可された医薬品であっても なぜ効果があるのか なぜ副作用が起きるのかといった科学的な根拠のないものは存在し あくまで大多数の治験において危険性が確認されていないから認可されているに過ぎない

バカな医者は医学界の中の多数派意見でさえあれば何の疑いも持たずに鵜呑みにし 大量の知識をひけらかし あたかも自分で発見発明した技術や能力や業績であるかのように自慢し 横柄な態度を採るものである

どこぞの病理診断医ちゃんなどが典型であろう それは決してレアケースではないのである

 

突然変異というものは何が起こるかわからない

もしかするとウイルスが弱毒化する可能性もあるかも知れないし 強毒化や多剤耐性を獲得してしまうかも知れない

遺伝的進化任せにしておくとCOVID-19の収束は 成功するかも知れないし 失敗して宿主ごと絶滅するかも知れないのである

そんなものをアテにしているというのは 頭がイカれているとしか言いようがない

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨床医の全員が科学的思考ができているとは限らない

2021年09月24日 10時56分53秒 | 意識論関連

インフルエンザが科学的に正しく判定できるようになったのはここ100年余りに
過ぎず,こういった過去の記載がインフルエンザである真偽は不明である。血
清考古学的には1889年に感染した名残であるA型インフルエンザウイルス抗体
(H2N2)が後に検出されているが,ウイルスが初めて人から分離されたのは1933
年のことである。人での流行の歴史は,H3N8(1900年),H1N1(1918年スペイ
ン風邪),H2N2(1957年アジア風邪),H3N2(1968年香港風邪),H1N1(1977
年ソ連風邪),そしてH1N1ウイルス(2009年パンデミック)という順になる。また,
1940年に初めて分離されたB型ウイルスは,今でも流行を繰り返している。
 一方,全てのA型インフルエンザウイルスは鳥のウイルスを起源とするという
理解に則れば,鳥インフルエンザウイルスは人ウイルスが出現する遥か前から伏
在していたと考えられる。高病原性鳥インフルエンザの最初の記載は1878年イ
タリアで発生した家禽の致死性疾患である。1901年に分離されたA/chicken/
Brescia/1902(H7N1)が現存する最古のウイルス株になる。わが国では,1925
年に奈良や東京,千葉などで発生した“鶏ペスト”が最初の高病原性鳥インフルエ
ンザ[A/chicken/Japan/1925(H7N7)]であるとされる。

 

 出典:http://square.umin.ac.jp/jsvh/archives/pdf/50/050017018.pdf

*:PDFファイルへのURLなのでアクセスすると勝手にダウンロードが開始されます


130年以前のインフルエンザ様の症例の原因は不明とされる

だが そもそも鼻風邪程度の症状しかなかったコロナウイルスが突然変異によってSARSやMARS COVID-19といった強毒性を持ったのであって 決して「弱毒変異以外が絶対に起こらない」保証などどこにもないのである

ウイルスの目的は… 」などという話からして科学的に大間違いなのであって 突然変異に方向性や目的など存在していないのである

毒性が強すぎると弱毒化が起きない 」などという話にも論理客観的には根拠がなく 自然環境下であれば致死率95%のミクソーマウイルスであってもアナウサギに対して弱毒化は生じたのである

ミクソーマウイルスの弱毒化プロセスは まず最初に大量死滅が生じて密が解消することで感染拡大が収束し 残った強毒株も宿主ごと死滅することによって 弱毒変異株だけが残るというものである

これがもし人間社会で起きれば阿鼻叫喚の地獄絵図である

ヒトに比べてアナウサギは繁殖力が強いので致死率50%であっても絶滅は免れてはいるが ヒトで致死率50%というのはとんでもない数値である

ヒトにおいて「種として存続さえしておけば大丈夫」という話には全くならない

あまりにも荒唐無稽でバカげた話である

 

 

2020年6月1日にコンゴの赤道州でエボラ流行が宣言されました。この国における11回目のエボラ流行です。その後130人が発病し、55人が死亡しています。死亡率は43%と高いものの、東部の北キブ州とイトゥリ州での流行時に見られた67%から下がっています。

それはなぜでしょうか。赤道州では以前にもエボラが流行したことがあるので、一種の自然免疫が赤道州の人びとの間に存在しているという説明が成り立つのではないかと考えています。これまでに何らかの形でエボラウイルスにさらされた人びとが、免疫を持っている可能性があるということです。これは観察に基づく仮説に過ぎないので、さらに分析を続けていくことが必要です。

また、ワクチンの使用が可能になったことも理由に挙げられます。ワクチンは前回の東部での流行時に開発され、今回の流行初期に活用されました。ウイルスの拡散を抑える上で重要な役割を果たしたと思われます。このワクチン戦略の基本は、患者と直接的・間接的に接触した人を対象とした予防接種です。しかし、農村部や人びとが広い地域に散在して住む地域では、地域の住民全員に予防接種を行った方が効率よく効果も上がると考えられます。

ここでは、コンパッショネート・ユース・プロトコル、つまり、生死に関わる病気の患者に対し、人道的配慮から販売承認前に未認可薬の使用を認める制度も使われました。臨床試験の一環として行った新しい治療法も功を奏しています。


 出典:https://www.msf.or.jp/news/detail/headline/drc20201119nt.html

エボラの「死亡率」低下は 自然免疫の可能性や 治療法の向上 コンゴ共和国のように医療体制が充分ではなく また 人口密度が経済先進国程は高くはない地域において生じているものであって これが東京のような大都市圏で同様に起こるとは到底考えられない

現段階においては「可能性の仮説」であって こうした例だけを根拠に「ウイルスの全ては弱毒化する」などという決め付けをするのは科学的とは到底言えない

「臨床は科学ではない」のだが 自然環境下での出来事や 断片的な結果だけを根拠に「ウイルスは必ず弱毒化する」などと決め付けて良いわけではない

 

突然変異というものには方向性も目的もないので 弱毒化することもあれば強毒化することもあるし 何も変わらないこともある

感染力においても強く変異することもあれば 弱くなることもある しかし 感染力が弱ければ拡大せず 感染力の強い株種への収斂によって感染力は強く進化するのであり デルタ株への置き換わりのメカニズムはそういうことである

突然変異というものは何が起こるかわからないものであって バクテリアがヒトにまで進化したのも膨大な突然変異がもたらしたものである

「確率が低いものは無視して良い」というものではなく 「原発に津波が押し寄せる可能性は低いので無視して良い」という話にはならない

COVID-19がどのような変異を引き起こすのかは全く予測がつかないのであって 危機管理の観点からは最悪の事態をも想定するべきであって 安易に楽観論を持ち出すのは社会的に無責任である

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポリスチレンフィリア

2021年09月22日 22時59分24秒 | 意識論関連

いろいろな動物で屍体に交尾を試みる現象が見られるという

ネクロフィリア(死姦) -ナゾロジー

繁殖行動バイアスというものは 別に子孫を遺そうといった目的のために組み込まれたものではない

動物のオスがメスの生殖器にペニスを挿入したがるのは そういう行動習性を持った個体種が繁殖に成功した結果的な収斂進化であって ペニスを挿入したがらない個体は繁殖できないという単純な結果であって ペニスを挿入したがる行動習性自体には目的はなく 「目的のために進化した」わけでもない

ヒトにおいても時折繁殖能力のない幼女を強姦する事例が見られるのも 本能的行動バイアスには合理的目的が存在しないからであって

ヒトの男が女性の性器にペニスを挿入したがるのも ペニスを挿入したがる個体への収斂進化の結果に過ぎず 合理的目的など存在しないので 行動に合理性がなくても何の不思議もないのである

ヒトに限らず動物の先天的形質や本能習性には目的などなく 気分感情というものの全ては「結果」に過ぎない

シリコンゴム製の人形であっても性的欲求を満足させることは可能であり 繁殖には意味がない行動であっても本能的欲求を満たすことは可能なのであり カラスが死姦で満足しても何の不思議でもない

 

先天的本能習性というものは 「種の保存」といった目的のために合理的に選択したものではなく あくまで結果的に繁殖に適した行動を促す情動を持った個体種への収束進化の結果に過ぎない

凶悪な無差別殺人犯を死刑にしても 「なぜ無差別殺人を引き起こしたのか」についての原因究明にも再発防止にもならないが ヒトは気に入らない相手に懲罰的暴力を振るうことで主観的に安心満足してしまう先天的本能習性による問題「解決」の錯覚に過ぎない

 

遺伝的進化が合理的目的のために選択することが可能であるかのように錯覚するのも 別に合理的目的があるわけではなく ただの結果に過ぎず 錯覚に合理性を求めること自体が不毛である

錯覚には必然的原因のようなものは存在するとしても 結果に過ぎない錯覚そのものには合理性はない

少女の姿を模したポリスチレン製の小さな人形に性的欲求を「感じる」ことも 何の合理性も目的も意味もなく ただの趣味以上の存在価値はないのである

女性にしてみれば こうした趣味は主観的に「気持ち悪い」のかも知れないが 人畜無害な以上とやかく言われる筋合いはない

論理客観的には人畜無害な行為に対する主観的嫌悪感にも 合理性も目的も存在しないのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

致死率95%

2021年09月22日 18時04分01秒 | 意識論関連

インフルエンザウイルスがウイルスとして確定する以前からインフルエンザの症状を呈する疾患は紀元前からあるという

それなら何千年も経過しているのに弱毒化は進んでおらず スペイン風邪のように突然強毒性を持つことがある

ウイルスの毒性や致死率というものは変動はあっても 弱毒化への一方通行になっている証拠はないのである

「毒性が強すぎると弱毒化が起きない」などという話は あまりに都合が良すぎて論証として成立していない そもそもアナウサギに対するミクソーマウイルスの致死率は95%という極めて強力なものであり それでも自然界なら弱毒収斂進化は生じたのである

しかし 人間社会においては「宿主ごと強毒株が淘汰される」ような収斂進化は放置されることはなく あらゆる医学的処置によって抵抗するのが普通である

そもそも鼻風邪程度の症状しかなかったコロナウイルスが強毒変異を起こしたことでSARSやMARSやCOVID-19のパンデミックに陥ったのであって 「変異の全てが弱毒化する」ことの証拠なんぞ一切ないのである

遺伝子の変異というものはカオスでランダムなものであって 弱毒変異が起きたとしても弱毒株以外が全て淘汰されるような圧力がかからないと弱毒への収斂進化は生じることはない

だが 薬剤耐性に関しては収斂進化が生ずる可能性があり ブドウ球菌などが多剤耐性を獲得するメカニズムと同様にCOVID-19も薬剤耐性を持ってしまう可能性は現時点ではまだ高くはないとは言え 決してゼロではないのである

ブドウ球菌で起こることがコロナウイルスでは起こらないという根拠は何もないのである

 

感染症の権威とみなされている者がマスコミで「そのうち弱毒化する」などという根拠のない無責任な発言によって対策の緩みが生じ ダラダラと感染を繰り返し続けることは多剤耐性化や強毒化のリスクを高めることはあっても下げることはない

 

日医大客員教授の北村義浩が「ウイルスは弱毒化する」と言っている根拠は「そう言っている人もいる」程度の話を鵜呑みにして言っているに過ぎず 科学的根拠に基づいた論拠は一切示していないのである

https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200729/dom2007290005-n1.html

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しのどす

2021年09月22日 13時57分51秒 | 意識論関連

https://synodos.jp/library/27297/

佐藤岳詩 (倫理学)

 

法律の問題なら六法全書や裁判所の判例集を参照することで、数学の問題は公式に当てはめることで、基本的には答えを求めることができます。

数学とは そもそも手続き的な計算だけで正しいかどうかが決定するが

法律は手続きだけでは正しいかどうかを決定することはできない

法律の運用において 法律の主旨を逸脱した運用をすることが可能であり 法律にも倫理は必要である

法律書や過去の裁判判決例を紐解いただけでは 運用自体が正しいかどうか 倫理に適っていることの論証にはならない

一方で佐藤氏はこうも論じている

 

倫理の問題というのは不思議な問題です。一方で、これは倫理の問題だから適当に扱うわけにはいかない、深刻に考えなければ、と言われることがあります。他方で、倫理の問題なんて今はどうでもいいんだ、とぞんざいに扱われることもあります。倫理は医学や科学、経済の発展の足を引っ張るばかりで、そんなことを気にしていたら、私たちの社会は全然先に進まないと言われることもあります。

確かに、新しい研究をはじめようとするたびにいちいちたくさんの書類を作成して、倫理委員会にお伺いを立てねばならない、などのことを考えると、そう言いたくなってしまう医学者や科学者、経済学者がいるのも分からないではありません。しかし、そこで考えてみてほしいのは、その医学者は何のために医学を発展させようとしているのだろうか、ということです。もし、それが人の命を救いたい、という想いだとすれば、その想いはとても倫理的なものですよね。あるいは科学的な真理の探究も、それが人類にとって価値のあることだとからそうしている、ということかもしれません。

そうすると、そこでは医学と倫理、科学と倫理が対立していたのではなく、ある倫理と別の倫理が対立している、ということにはならないでしょうか。そのように見方を変えると、直接に対立を解消することはできないとしても、お互いを理解するための筋道が少しだけ見えてくるかもしれません。

 

医学や科学 経済学にも倫理は「人類に価値がある」述べているにも関わらず 法律だけは数学と同様に「手続きだけで答えが出る」と言うのはおかしな話である

刑事裁判では刑法判決 民事裁判では賠償額を決定するだけであって これが社会的には倫理的に「解決」ではないことは明らかである

「通り魔を死刑にしました」というだけでは通り魔事件の再発防止にはならないし

「強盗殺人犯を懲役25年の刑にしました」というだけでは出所後の再犯に対して何の保証にもならない

 

倫理学者ですら刑法というものの不毛さを理解していないのである

司法制度というものは 民主主義国家においては変えることが可能なものであり 決して唯一絶対的なものではない

立法機関によって法律だけを変えていたのでは 司法制度自体が持つ根源的な社会的欠陥をなくすことは出来ないのである

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

https://synodos.jp/opinion/society/27360/

渡邉雅子インタビュー

 

論理的だと「感じる」かどうかがアメリカとフランスでは異なるのだそうだが

「感じ」という主観では論理客観的に正しいかどうかの判断にはならない

アメリカやフランスにおける論理的と「感じ」られる傾向の違いを述べただけでは 論理客観的論証であるかどうかとは関係がない

価値観自体は主観であって その国の文化的な背景に基づいた「常識」に基づいたものであるが

人間社会における普遍的価値観や常識というものは存在するのである

国連が掲げるSDGsという17の努力目標は 社会安全性や持続可能性に基づくものであって これは特定の国家や政府に依存した価値観や常識に左右されるものではない

国益を理由に左右されるべきものでもない

特定の国の利益のために 世界全体の安全性や持続可能性を蔑ろにして良い理由など存在しないからである

ましてや為政者の権力維持保守のために国民を扇動して軍事的威圧による独裁など論外である

 

渡邉は自分が受けた学校での評価を鵜呑みにし あたかも論理的かどうかが国によって違うことに普遍性が存在するかのように主張しているが

主観に過ぎない「感じ」方そのものが「論理的かどうか」の論理客観的根拠にはならないのである

何でこんなアホみたいな事に誰も気づかんかね

 

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学力偏差値

2021年09月20日 21時10分43秒 | 意識論関連

哲学とは「考える」ことである

ところが大衆の多くは哲学というものを誰かの言葉を引用して勝手な解釈をすることで気分的に安心満足することだと勘違いしている

「考える」とは 論理的に何が正しいのかを判別することである

根拠もない観念に基づいた勝手な解釈をこじつけ満足することは「考え」ではなく むしろ「考え」を放棄し思考停止に陥って満足するという 精神的怠慢怠惰に他ならない

 

できそうにないことは やらない方が良い(フリードリヒ:ニーチェ)

「できそう」か「できそうにない」かの判別は主観に過ぎない

論理客観的根拠は必要がない

東京電力福島第一原子力発電所の社員が 津波に対する脆弱性を上司に提言しても受け入れてもらえない場合 原発事故の回避は「できそう」か それとも「できそうにない」のだろうか

人によって「できそう」だと思うか 「できそうにない」と思うかは主観であって それぞれである

「会社の体質ガー」と言い出すのは簡単だが その「会社の体質」とは何かといえば 社内における多数という個人が作り出すものであって 「体質だから個人には責任はない」という話にはならない

社内の「空気」だの「雰囲気」だのに無意識に流されていれば責任逃れができるわけではないからだ

多くの社員が「できそうにない」と主観的に思ったからこそ 多くの社員は津波に対する脆弱性を放置したのであって 主観的な根拠のない勝手な予想こそが会社の体質を作り出したのである

安全性というものは 個人の主観的な「できそう」か「できそうにない」かという勝手な予想に基づいて判断されるべきものではない

論理客観的に危険性が存在するのであれば改善「すべき」という判断が必要なのである

そこに「できそう」とか「できそうにない」といった個人的感想は持ち込むべきではない

ニーチェの言っている内容のほとんどは 単なる主観的観念であって 論理客観的な根拠の説明はなく ただ観念的に決め付けているだけである

闇を覗いている時には 闇もこちらを見ている」などとも言っているが

で?

だから?

闇がこちらを見ていたら何だっつうの?

主観的に「怖い」と思うのかも知れないが 怖かったらやめておいた方が良いとでも言うのかしら?

主観的に「怖い」かどうかは 危険かどうかとは関係がない

「怖い」というのは個人の感想でしかないからだ

「幽霊の 正体みたり 枯れ尾花」

「尾花」とはススキのことである

幽霊をどんなに怖れても危険性の論証にはならない

真実を見極めるために論理客観的検証をするのが科学や哲学であって 主観的な好き嫌いは安心不安を持ち込めば科学でも哲学でもなくなる

妖怪悪霊の類いに惑わされて真実を見極められなくなることで 意味のない無駄なおまじないの類いで安心したり 根拠のない因習に囚われ不毛な暴力的差別や誹謗中傷で勝手な正義に陥らないために科学や哲学は存在するのである

主観的に「怖い」からとか 「できそうにない」といった「個人の感想」に共感同調しても それは気分的安心満足に溺れているだけであって 何ら真実真理の論証にはならず 哲学ではないのである

ヒトは動物であるため 主観的な安心満足が優先してしまう性質があり それによって論理客観的な真実を簡単に見失う習性が先天的にある

オカルトだのスピリチュアルだのが提供するデマを 多くのヒトが信じ込みたがるのは 簡単に安心満足することができるからである

ヒトが求めているのは主観的安心満足であって 論理客観的根拠に基づいた安全性や持続可能性ではない

論理客観性に基づいた安全性を求めてこその「人間」性や倫理なのである

客観的根拠のないデマを信じ込んで他人に多大な迷惑をかけていたら どんなに主観的に安心でも人間性や倫理の論証にはならない

東大医学部の学生であっても 地下鉄に毒ガスを撒き散らすことが「人類の救済」だと信じ込んでしまうこともある

医師免許を持っていさえすればデマに騙されていないことの論証には全くならない

学力偏差値というものは 進化生物学上の誤謬も イマヌエル:カントの「純粋理性批判」に論理客観的根拠が全く伴わないことも マイケル:サンデルの提示する「トロッコ問題」には倫理とは無関係であることに気付くことができるかどうかも関係がない

医師免許も同じである だから時折医者が突拍子もない非科学的なデマを流布することもある

「ウイルスは弱毒化する」などという話も従来の進化生物学における重大な誤謬に基づいた根拠のないデマである

ウイルスだろうが生物だろうが 「目的」にとって合理的な変異を都合よく「選ぶ」ことなど構造原理的に不可能であり 「弱毒化して宿主を殺さないようにしないとウイルスは困るので」などという説明は論理客観的根拠に一切ならない

それこそ「嘲笑」の対象にしかならない

どんなに学力成績が高くても 進化生物学上のこうした誤謬について指摘できる者は極めて稀である

実際私のように学力偏差値が低い者であっても 深く考えれば気付くことのできる話であって 偏差値が高い通り魔やテロリストというのも珍しいことではなく 学力偏差値は知能とは全くといって良いほど無関係なのである

 

哲学界が似非哲学をでっちあげて「気分的に楽になる」ことばかりを勧めているというのは 学生から論理客観性を喪失させ 精神の怠慢を推進する社会的にも極めて悪質な大ペテンである

学生から奨学金と称した借金までさせてペテンで精神の怠慢を促しているというのは 大学という教育機関の存在価値を貶める愚劣な行為である

多くのバカは こんなことにも誰も気付くことはないだろう

バカなので 何が正しいのか 何が嘘なのかも区別がつかないのである

そういうバカに限って根拠もなく「道徳」だの「規範意識」だの「人類の叡智」などというファンタジーを持ち出して満足しようとするだけで 論理客観的に真実を見極める能力は1ミリも持ち合わせてなどいないのだ

そのくせ社会的には何の役にも立たぬクイズの正解率だけで「俺は頭が良いんじゃ!」などと主張したがるのである

バカというのは 自らの頭の悪さを1Åも自覚していないのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中秋の満月

2021年09月20日 00時48分42秒 | 写真

9月20日敬老の日は 満月ではないのだけど 日没と月の出がほぼ一致する

日時 月の出 日没
2021/09/20 17:40 17:41
2021/10/20 17:02 17:00
2021/11/19 16:29 16:32
2021/12/19 16:24 16:31
2022/01/18 16:59 16:54

テーブル書くのめんどいわ

 ◇追記:めんどいのにスマホページだと枠が出ないという

PCページだとちゃんと出る

 

 

80-200mm望遠レンズ出してみた

画像をクリックするとGANREFのフルサイズ画像に跳ぶので注意

キヤノンのAPS-cサイズだと320mm相当になる

地平線付近の月って大気の影響受けて鮮明度が低い

そもそも縦に潰れてるし

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福井県立図書館

2021年09月19日 14時17分54秒 | 日記

覚え違いタイトル集 福井県立図書館

http://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/tosyo/category/shiraberu/368.html

 


誤:「もっこすもっこすどらどらぽん」
正:『めっきらもっきらどおんどん』

 いやまあ これは憶えられないけど けども

誤:「お尋ね者は図書館まで」
正:『お探し物は図書室まで』

 図書館に指名手配犯

誤:『飛べと言われても飛べぬ』
正:『いまさら翼といわれても』

 いまさらそんな間違い言われても

誤:『空の匂いをかぐ』
正:水無瀬碧著ドラマ「ウチの娘は彼氏が出来ない」に登場する小説で、実際には存在せず

 ああ そうなのね 残念だったね

誤:『海岸沿いの床屋』
正:『海の見える理髪店』

 確かに海岸沿いじゃないと海見えないけど

誤:「くにえだくにこ」の本
正:「向田邦子(むこうだくにこ)」

 「くにえだくにこ」って誰だよ

誤:「いぶくたけじ」
正:「井伏鱒二(いぶせ ますじ)」

 「鱒」が読めなかったのかしら 老眼なら致し方なかろうて

誤:『普通のまま発狂したい』
正:『平熱のまま、この世界に熱狂したい』

 いろいろ間違えてんな

誤:松潤が映画やってた「ナタラージュン」
正:『ナラタージュ』

 マツジュンに引っ張られたのね

誤:『ニンタラマン・タロウ』
正:忍たま乱太郎シリーズ

 ウルトラ萬太郎シリーズ

誤:『先生が好きな等式』
正:『博士の愛した数式』

 似てるようで「式」以外何も合ってない

誤:『外からのおみやげ』
正:『まどからおくりもの』

 似てるけど 一つも合ってない

誤:『拝啓 空の上から』
正:『前略 雲の上より』

 「前略 坂の上より」って何だっけ 「坂の上の雲」ってのもあったな

誤:「オンライン飛行」
正:『オライオン飛行』

 リモート飛行

誤:「ワルキュルブスの夜」
正:『ワルプルギスの夜』

 惜しいね 惜しいか?

誤:『あと全部ホリデイ』
正:『残り全部バケーション』

 意味的には近いけども

誤:『アサシンシンデレラ』
正:『アンサングシンデレラ』

 暗殺灰かぶり女

誤:「ねじまがったクロマニョン」
正:「ねじまき鳥クロニクル」

 間違い過ぎだよ よくわかったな書士さん

誤:『そのへんの石』
正:『路傍の石』

 雑 憶え方が雑

誤:『痔』
正:『痣』伊岡瞬/著 

 「あざ」とお読みください

誤:君のひぞうを食べたい
正:『君の膵臓をたべたい』

 「すいぞう」とお読みください 「ひぞう」は「脾臓」と書きます

誤:『蚊にピアス』
正:『蛇にピアス』金原ひとみ/著

 いや どのみち無理だけども

誤:『6月のライオン』
正:『3月のライオン』

 梅雨時のライオン

誤:『権児楼』
正:『稚児桜』

 いや 字面は似てるけど

誤:ハリー・ポッターが書いたうさぎの本
正:ピーターラビット

 魔法うさぎ学校

誤:へのかっぱみたいな名前の作家の本
正:妹尾河童(せのお・かっぱ)著書

 それ わざとだろ わざと間違えただろ

誤:団らん感
正:『タラ・ダンカン 1(上)』全12巻

 それもわざとだろ

誤:なんかが強く吹きすぎてる本
正:『風が強く吹いている』三浦しおん/著

 「何か」って何だよ

誤:カフカの「ペスト」はあるか
正:『ペスト』アルベール・カミュ/著 新潮社 1983年刊

 グレゴール:ザムザはある朝ペストに罹っていた

誤:二匹の犬が一匹になる話
正:「一匹の犬が二匹になる話」マルセル・ベルジェ/著,森鴎外/訳

 逆だった

誤:男の子の名前で「なんとかのカバン」
正:『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』J.K.ローリング/著

 

誤:「カワウソスキの行方」
正:『カソウスキの行方』津村記久子/著

 カワウソ好き? 仮想好き?

誤:「妊婦にあらず」
正:『奸婦(かんぷ)にあらず』諸田玲子/著

 奸婦 -Weblio辞典

誤:だいぶつじろう
正:大佛次郎(おさらぎ じろう)

 ああ そう読むんだ 知らんかった

誤:菊地カラー
正:『聞く力』阿川佐和子/著

 それはわざとです

誤:『ぶるる』みたいな旅行ガイドの本はどこにある? 
正:『るるぶ』JTBパブリッシング発行

 JTBは経営不振で振るえあがっているらしい

誤:大木を抱きしめて
正:『敗北を抱きしめて・上、下』ジョン・ダワー・著

 ききまつがいだろな

誤:衝撃の巨人
正:『進撃の巨人』1

 よみまつがいかな 

誤:あでらんすの鐘 
正:『あんでらすの鐘』澤田ふじ子/著

 アートネイチャーの鐘

誤:せきとりしりしり
正:『せきとりしりとり』サトシン/作 高畠那生/絵

 「ニンジンシリシリ」みたいに言うてみる

誤:「おともだちになりましょう」
正:『おともださにナリマ小』たかどのほうこ/作

 え? これ正誤が逆ではないのね

誤:ひとりになりたい 
正:『ひとりたりない』 今村葦子/作

 つい心の声が漏れてしまう

誤:しもん ふみ
正:柴門ふみ(さいもん ふみ)

 フリガナないとねぇ

誤:田んぼの中にタガメがいる
正:『誰がために鐘は鳴る』ヘミングウェイ/著

 

誤:バレーボール選手の高橋尚子の新しい本
正:『シン!』高橋みゆき/著

 Qちゃんはマラソン選手です

誤:「人は見た目が7割」
正:『人は見た目が9割』

 2割足りない

誤:村上春樹の『そば屋再襲撃』
正:『パン屋再襲撃』村上春樹/著

 粉もの屋ではある

誤:いろんな客
正:『うろんな客』エドワード・ゴーリー/著 柴田元幸/訳

 「胡乱」ってあんまり使わないからな

誤:「散歩する漱石」
正:『闊歩する漱石』丸谷才一/著

 

暇つぶしには最適だよ ブックマークしたわ

 

薬局だと「アリナミンA」と「オロナミンC」と「オロナインH」がややこしいそうな

 

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合目的的能動進化説

2021年09月19日 12時09分03秒 | 意識論関連

イルカなどの海の哺乳類の先祖はどれも、もともと4本足で陸上で生活していた。しかし、何らかの理由で陸上から再び海へ戻った結果、陸上とまったく異なる海という生活に適応するために、体を含むさまざまな部分を大きくモデルチェンジしていった。

たとえば、海の中で水の抵抗を減らして素早く動くために、その体型はサメや魚類のような流線形に変化した。

水中で速く泳ぐための推進力は尾ビレに托し、その結果、後ろ肢は退化させてしまった。前肢はヒレ状にして、泳ぐときの舵取りを可能にした。

その結果、一見すると、イルカも魚のような外貌になったのである。このように、環境に適応する過程で、ある生物同士が偶然その外見や機能が同じになったり、似たりする進化を「収斂(しゅうれん)進化」、または「収斂」と呼ぶ。

 出典: https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1622


陸上とまったく異なる海という生活に適応するために、体を含むさまざまな部分を大きくモデルチェンジしていった。」と田島木綿子は主張しているが 「適応するため」という話は「目的のため」という意味であり 収斂進化の説明との齟齬がある

遺伝的進化というのは 収斂(生物学界隈では「収束」とは言わないらしい)によって生ずるものであって これは「死なずに生き残った」という「結果」であって 「適応するため」といった「目的」に合わせて主体的能動的に進化したわけではない

 

遠藤秀紀はテレビ朝日の番組「博士ちゃん」の中で 進化というのは合目的的に起こるものではなく 「典型的な間違い」と述べている

遠藤秀紀もバカで 田島の言っていることの論理的整合性の欠損を見抜けないのか 何なのかはさっぱりわからないが 進化生物学上の誤謬を放置しておくと「ウイルスは弱毒化する」などというデマも放置されることになり 社会安全性に重大な危険性を及ぼす可能性がある

遠藤は「典型的な間違い」だと主張しているが 実際には学校では「生物の目的は生存や種の保存である」とか「目的のための生存戦略」と教えていたのであり 現在はどうなのかは知らないが 間違ったことを散々教えておきながら 「典型的な間違い」だと言い出すのは随分とおかしな話である

 

生物の遺伝的進化というものは 環境に適応できなかった個体が全て死滅することによる収斂の「結果」であって

結果的に「死ななかった」個体の形質や習性といったものが「生存」にとって必然的であるとは言えるが そもそも「生存」自体が選べない以上は「生存」にとって必然性がある遺伝的進化にも目的はない

選択不可能なものは目的にすることはできない

なぜこの当たり前の話が誰も理解できないのか

訳がわからない

 

結果に対する必然性が「合理的目的選択」の論証にはならない

なりようがない

ヒトは結果的な本能習性によって生活習慣病に陥る傾向が強い

それなら 「ヒトの目的は生活習慣病になること」だと言えるであろうか

生活習慣病になるための行動習性に合理性が存在するであろうか

バカなの?

 

個人的に「死にたくない」という情動が どんなに強いとしても 多数がそう「思って」も それは主観であって論理客観的な目的の論証にはならない

ヒトはどのみち最後は必ず死ぬものであり 永遠に生きる必要性もないのである

世代を受け継ぎ 社会の持続可能性や安全性を優先することが倫理であり人間性であって 「学力偏差値が高くて金儲けに長けていることが個体の生存にとって有利」であることが人間としての価値基準にはならない

ところが世間の衆愚の大半は 利己的金儲けに「成功」した者に肖(あやか)り あたかも世間的成功こそが人間としての価値か何かであるかのように錯覚し 収入だの人気だのといった基準だけで他人を評価しようとする習性がある

 

人間性や倫理の本質は 「個人が自律的に社会的責任を負うこと」であり これを抜きにして世間的にどんなに成功しようが収入が多かろうが人間としての価値基準にはならない

東京電力福島第一原子力発電所の無責任体質に嫌気がさして退職し 四国で農業に従事している元原発職員がいるが 当然収入は減っているであろう

世間的には成功もしていない

それなら東電の無責任体質に迎合して収入を維持しておいた方が人間として優秀だと言えるだろうか

原発事故の対応で原発職員は英雄扱いされているが そもそも危険性を放置した無責任の後始末をしただけであって 「マッチポンプ」でしかないのである

放火はしていないが 爆発する危険性の存在を知っていた以上 さしたる違いはない

直接他人を殺してはいなくても 放置しておいたら死ぬかもしれない可能性の存在を知っていながら放置しても殺人と同等である

 

ウイルス弱毒化説というデマを放置することによって生ずる感染拡大の被害は 特定個人の責任を問うことの難しいものである

バカだと都合の良い話しか信じたがらないからである

進化生物学界が遺伝的進化に目的が存在していないことを周知徹底し 従来の進化生物学上の誤謬を全面的に撤回修正しなければ 感染症学界におけるウイルス弱毒化説というデマもフィックスできないのである

ウイルス弱毒化説の根拠は全て合目的的能動進化選択説に基づいた「こじつけ」であり 収斂進化の構造原理説明が全くされておらず 論理の飛躍も甚だしい妄想でしかない

それを日医大の客員教授までもが鵜呑みにしているというのは あまりにバカげた話である

私しかこれを主張しないというのは

なんなん

もう ええ加減にせぇ!(千鳥のノブ風)

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嘲笑

2021年09月17日 15時43分47秒 | 意識論関連

ウイルスが生き残るためには、宿主(今回なら人)に死なれてが困ります。

宿主が死ぬとウイルスも生きられないからです。

ですので致死率が低く、かつ感染力の高いウイルスが生存に適しています。

変異しやすいRNAウイルスではそういった環境に適したタイプのものがどんどん増えていきますので、それにより弱毒化が起こります。

*同じコロナウイルスのSARS,MERSが広まらないのはその高すぎる致死率が要因にあります。

地域により感染力や致死率に差があり、まだ分からないことも多く、変化の早いウイルスであることが予想されますが弱毒化は人にとっても好材料な要因です。

ワクチン含めて期待できると思います。

 出典:https://www.lireclinic.com/column/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%BC%B1%E6%AF%92%E5%8C%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

 

⇨「変異しやすいRNAウイルスではそういった環境に適したタイプのものがどんどん増えていきますので、それにより弱毒化が起こります。」というが 環境に適したタイプだけが都合よく増えるメカニズムは存在しない

学生時代に教わった進化生物学上の誤謬を鵜呑みにしているような 学力偏差値が高いだけのバカな医師ほど「ウイルスは都合よく弱毒化する」と言い張るらしい

 

ウイルスが感染力を増すには弱毒化する必要があると言う人はよくいるが、この話は科学者には嘲笑されてしまう。ウイルスにそう仕向ける進化上の圧力はほとんどないからだ。ウイルスは、感染した人が死んでしまうよりずっと前に、すでに次の人にとりついている。そして、ウイルスを一番拡散しがちな人たち(つまり若者)は、あまり症状が重くならない。

 出典:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-57710818

どちらがデマなのかは論理科学的に考えれば明らかである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倫理の話をしよう

2021年09月17日 11時20分20秒 | 意識論関連

例えば トロッコ問題的に 一人殺すか1万人殺すかの選択を迫られたとする

その「一人」というのがカミさんが残したたった一人の自分の3歳の子供だとしたら 1万人を見殺しにした場合に倫理的責任を問うことは可能だと言えるであろうか

自分の子供を見殺しにして1万人を助けたら それが倫理的に正しい選択だと言えるであろうか

助けられた1万人は それを手放しで喜び称賛することはできるだろうか

 

誰かが死ななければならない状況というものが 予め予測可能だった場合 その状況に陥ることを傍観放置したかどうかには倫理や人間性が介在するし 責任問題にもなるが

現実に誰かが死ななければならない状況にまで陥ってからの選択には倫理など存在しないし どちらを選択しても倫理的な責任を問うことはできない

従って トロッコ問題類というのは倫理が含まれていないのである

 

だが マイケル:サンデルは講義の冒頭で「倫理の話をしよう」と宣言しているのである

サンデルもサンデルだが 講義を受けているハーバードの学生も学生である

バカは何も理解できないのである

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特A級戦犯

2021年09月17日 09時54分59秒 | 意識論関連

ウィルスの生存、つまりは遺伝情報(DNAやRNA)を保存するという目的を達成するためには、宿主が死んでしまっては意味がありません。つまり、弱毒化し、宿主を殺さないようにする方が有利なのです。こう考えると進化=弱毒化という図式も納得がいきます。

 出典:http://www.himemaria.or.jp/blog/kanwa/?p=3311

 


⇨従来の進化生物学のパラダイムでは 生物やその遺伝的進化というものは目的のために合理的に進化するものだという誤謬に基づいてあらゆる遺伝的進化の結果に「こじつけ」を繰り返してきたが

遺伝的進化には目的が存在していないことが周知されてきているからこそ 更科功による「はぐらかし」まで出てくるようになったのである

何度も説明しているが 遺伝的進化には目的などないので 進化の果てに絶滅しようが何が起きようが 誰も何も保証はしてくれないのである

 

ウイルスというものは自然界においては大量発生した生物種を「培地」として 密を解消する働きが結果的に環境調和に適しているという結果をもたらすものである

つまり 必然性としては特定の生物種だけが異常繁殖することを抑制する「役割」を持っているのがウイルスだと言えるのである

従って弱毒化する「必要性」はウイルスにはない

「目的」がないのに「役割」があるというのはおかしな話だが 結果的必然性にとっての「役割」の理由付けは可能である

たとえば 弱肉強食の生態系のピラミッドにおいて 凶暴な肉食獣が存在しているのも 生態系の中における「役割」としての存在だとも言えるのである

オーストラリアだかニュージーランドでのアナウサギの異常繁殖は 天敵がいないことによる環境破壊であり アナウサギが環境と調和できずに異常繁殖した挙げ句に環境資源を食い尽くし絶滅しても 何もおかしいことはない

それは ウイルスにおいても同じである

現在の生物相における環境調和とて 決して生態系を形成している個体の目的による選択ではなく 膨大な過去の環境調和における「失敗」の果てに 偶発的に環境調和に「成功」した生物相への収束進化の「結果」に過ぎない

進化の果てに環境調和に「失敗」して絶滅しても 誰も保証はしてくれないし 自然現象である以上は何ら「おかしなこと」ではないのである

 

インフルエンザによる「死亡率」の低下は ワクチンの開発やタミフルやリレンザといった強力な治療薬の開発によるものであって 決して 変動はあっても「致死率」が下がったとは言えないのである

スペイン風邪の時代と比べて死亡率が下がったからといって インフルエンザウイルスが弱毒化したとは言えないし 治療をスペイン風邪の時代と同じレベルの治療だけにして「致死率(毒性)を比較する」ことは出来ないのである

生物進化の過程において ウイルスが大きな影響を及ぼしたことは確かだが 遺伝的進化というものは決して全てが成功するような都合の良いものではなく 変異だけでも「失敗」は膨大に生じ しかもその後には膨大な淘汰圧力によって偶発的に生存や種の保存や環境調和に適した個体種への収束が必要となるのである

これらは全て大量の失敗(死滅)を伴う過酷な自然現象であって ヒトの文明社会において生じるような都合の良いものではない

バカか

感染症の専門家がこれを理解しないというのは あまりにバカ過ぎて話にならない

科学というのは理論的に正しいかどうかを検証して決まるものであって 学界内部の多数決で決定されるようなものではないし あってはならない

感染症学の専門家が率先してデマを流布するというのは無責任極まりない

厳に慎むべきである

 

人命に関わる話で論理客観的根拠のないデマを流布するというのは 社会的道義的に無責任極まりない行為であって 悪質である

大半の学者は「生物の目的は生存や種の保存である」と そう教わったのかも知れないが 教わったことを自律的に論理検証できないのであれば それは科学者としては無能である

とっとと辞めちまえ

臨床医学は必ずしも科学的根拠に基づいたものではないが だからといって進化生物学の誤謬を誰も指摘できないというのはバカ過ぎて話にならない

麻酔のように科学的には根拠がなくても利用価値のあるものはあるが それは膨大な臨床データに基づいて安全性を確かめながら使っているものであって 進化生物学の誤謬のように「死滅した個体種を全て無視した結果的必然性を合理性にすり替える」ような話とは同列にはならない

進化の過程でウイルスが遺伝子に影響を与えたとは言えるが あくまで遺伝的進化には膨大な死滅失敗が伴うものであって 「ウイルスに感染すれば進化する」ような短絡安易な話には決してならない

現状の生物学者共は優生学を放置した「A級戦犯」であり これを鵜呑みにして「ウイルスは全て必ず弱毒化する」などというデマを流布するのは「特A級戦犯」である

これ以上デマを正当化するなら家ごと燃やされても文句は言えまい

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱毒収束進化

2021年09月17日 09時02分59秒 | 意識論関連

マラリアって弱毒化したことあるんすかね

エボラとかラッサ熱とかQ熱リッケチアとかヤバいウイルスも弱毒化したことあるんすかね

ヒトに感染するウイルスで弱毒化が生じた事例ってあるんすかね

インフルエンザだって弱毒化したことねぇだろよ

バカかよ

そもそも鼻風邪程度の症状しかなかったコロナウイルスが強毒変異したのがCOVID-19じゃねぇか

何で「ウイルスの全ては弱毒化する」って言えんだよ

脳がこわれてんのか?

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする