書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

B級戦犯

2021年09月16日 11時10分57秒 | 意識論関連

「かわいい」とか「かっこいい」という主観的感情は脳への報酬となる

人それぞれ何に対して「かわいい」とか「かっこいい」と感じるかは異なるが 感じているのは快楽である

 

静岡大学の加藤英明であれば 爬虫類に対して「かわいい」とか「かっこいい」といった感情を抱いており これが中毒的に研究への没頭を促しているのである

元々は「かわいい」という感情は子育て行動バイアスとして遺伝的に組み込まれたものであるが こうした本能習性を促す感情というものは目的のために「選んだ」ものではなく あくまで子供を見て「かわいい」と感じる習性を持った個体への収束進化の結果に過ぎない

故に「かわいい」と感じる対象が自分や同一種の子供には限らず 子猫や子犬や様々な動物や 場合によっては自動車などの物に対しても抱くこともあり 更にはアニメキャラクターのような抽象的画像にまで抱くこともある

犬猫や自動車やアニメキャラクターを「かわいい」と思ったところで それが「種の保存」にとって有利に働くわけもなく 単なる趣味趣向にしかならないのは 先天的本能習性としての行動バイアスには方向性や目的が明確に決定しているわけではなく あくまで「何かを見て かわいいと感じる個体」が結果的に子育て(繁殖行動)に適していただけであるため 自分や同一種の子供以外においても「かわいい」という感情が働くこともある

ヒトという種の生物は ネオテニー(幼形成熟性)が高く 明らかに他の猿人類と比較して体毛が薄く 体表のシワも少ない

これはヒトの祖先が外見的により幼い個体との配偶交配を繰り返した結果と言える 他に理由は見つからない

元々は子育て繁殖にとって適した行動バイアスとしての「かわいい」という感情が 配偶者選択においてまで働くことによって 結果的にヒトという生物への収束進化を促したのである

ヒトが外見的に幼い個体に対して性的興奮を抱くのは 祖先の配偶者選択が結果的に現在のヒトへの収束進化を促した結果であって 目的も方向性もないため繁殖能力すら持たない幼女にまで性的対象として繁殖行動を促すこともある

配偶者選択による幼形成熟への収束進化を促すためには 実年齢が低い個体との配偶交配ではなく あくまで充分に成熟しても外見的に幼く見える繁殖能力を持った成体の女性のとの配偶交配が必要であり 実年齢が低い少女に対する性的感情は「かわいい」という本能的感情の暴走に過ぎない

 

そもそも性的興奮というものが暴力性と結びついている傾向があるのも 繁殖のための性行為には嗜虐性が伴うためであり 勃起したペニスを相手の体内にねじ込むという行動が必要なため 結果的に暴力的嗜虐性と結びついた行動バイアスを持った個体への収束進化の結果である

こうした先天的行動バイアスというものが組み込まれる収束進化の過程構造というものは 必ずしもヒトに進化してから起こったとは限らず 他の動物種においてもメスが嫌がるのを無理やり押さえ付けて交尾をすることは珍しいものではない ヒトという種の生物は生物進化の歴史の中では極めて新種であり 先天的本能習性のほとんど全ては野獣の祖先から受け継いだものに過ぎない

 

これらのことから言えるのは 先天的本能習性が促す行動バイアスというものは 目的のために選択したものではなく あくまで結果的に収束選択されたものに過ぎないということである

従って 先天的な本能習性には目的も戦略もヘッタクレも存在せず 特定個体種の進化の先にまで「生存」や「種の保存」などの結果が保証されているわけではない

進化の果てに絶滅しても何の不思議もないのが遺伝的進化というものである

実際にヒトは欲望を満たし続けた結果として 自滅への道を歩み始めてしまったのであり これに歯止めをかけるために必要なのは理性による欲望の制御である

 

猿山のサルのような遺伝子レベルでの貧乏性が利己性を促し不公平や不平等の原因となり 過剰な防衛による合理性のない無駄な軍拡競争に陥るのも ヒトの先天的本能習性によって「促されてしまっている」ものであって 決して本能習性には合理的目的が存在するわけではない

「ヒトには先天的に人間としての社会性が存在しているはずだ」などという 論理的には何の根拠もない勝手な決め付けであっても 衆愚にとっては気分的安心満足を与えてしまうことによって 根拠のないデマであるにも関わらず大衆人気だけは集めることが可能となるのである

衆愚が求める「答え」には 論理客観的な根拠や証拠は必要がないため 嘘だろうがデマだろうがその場限りに気分的に安心満足さえすれば簡単に鵜呑みにして信じようとするのである

こうした頭の悪さもまた遺伝的収束進化による結果に過ぎない

バカの方が繁殖にとって有利でも 何ら不思議なことではない それならヒトはバカへの収束進化が働いていてもおかしくはないのである

「脳が大きければ頭が良い」わけではないことは 既に説明したはずである

 

NHKで毎日ように「ATMでは還付金や給付金は受け取れません」と何度説明しても バカは一切耳を貸さずに詐欺に簡単に騙されるのである

おそらくNHKが詐欺の手口をいくら説明してもバカは治らず これからも被害は減らない

ヒトという種の生物は先天的にバカだということを周知徹底し 誰でも騙される可能性があることを科学的に説明しておかないと被害は収束しないだろう

ヒトという種の生物は断じて「知的生命体」などではないのである

そもそも哲学界や進化生物学界が率先して大衆を騙していること自体が悪質な詐欺であり これを放置しておいて詐欺がなくなるわけがないのである

「これさえやっときゃ頭が良くなる」的なデマは茂木健一郎や澤口俊之などのポンコツ「脳科学者」共によって流布されており 実際には科学論理的な根拠は一切なく 詐欺被害軽減効果も一切ないのである

脳科学というのは生物学の領域であり 茂木健一郎は都合が悪くなると「脳のことは1%もわかっていない」などという都合の良い言い逃れしかしないのである

1%もわかっていないのに どうして「これが脳に良い」だとか断言できるのであろうか 意味がわからない

 

ヒトが騙されるメカニズムというのは 先天的な情動によって冷静な論理検証性を喪失するのが最も大きな要因であり 「ヒトには先天的に人間としての社会性が存在するはずだ」などというデマはこれと逆行する「情動万能論」とも言えるものである

「気分感情のままに行動しておけば 自動的自然にシーケンシャルに人間としての社会性が発揮される」という錯覚を促し 衆愚を更に促進させるのであり 生物学者共による進化万能論的デマというものは詐欺を助長する悪質なものである

そもそも遺伝的進化に目的があるという著しい誤謬を放置したからこそ フランシス:ゴルトンの優生学への論理反証が黙殺隠蔽され 相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺の一因ともなっているのであって 生物学権威共の無責任性は「A級戦犯」とも言える悪質なものである

それらを放置傍観している衆愚やマスコミや大学の他の学部職員も同罪である

恥を知れ バカ共が

 

 

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別物

2021年09月15日 16時41分01秒 | 意識論関連

トロッコ問題類の命題の答えには倫理が含まれていない

バカが多すぎて理解していないので説明してやるからありがたく思え

トロッコ問題類の命題というのは 死んだ人数が選択によって変わるという話である

しかし 何人死ぬ選択をしても倫理的に「正しい選択をした」ことには一切ならない

一人殺すか 1万人殺すかの選択であれば 否応なく一人を犠牲にせざるを得ないだろうが それで倫理的に正しい選択をしたことには一切ならない

「敵兵が襲ってくる」といった命題においても そもそも敵兵自身の倫理は一切言及されることはなく トロッコ問題類の中だけの選択には倫理は一切存在していないのである

 

「一人死ぬか 誰も死なないか」の選択なら そもそもジレンマもへったくれもないので選択は倫理的に明快である

この命題において「人命を優先しない倫理」などあるわけがない

これをトロッコ問題類と同等に扱おうとする事自体がふざけている

物事の選択において責任が問われるのかどうかにおいて倫理が存在するのであって 自分の行動選択によって人命が失われないように選択することには倫理が介在するが

どっちみち誰かが死ななければならない状況の中で死んだ人数を数えても責任問題にも倫理的にも意味はない

トロッコ問題類というのは もはやどうにもならない状況の提示であって 何をどう選択しようとも人間性や倫理的責任が問われることはないのである

 

ヒトは 目の前で多数の死者が出ると サバイバーズギルドという根拠のない観念的罪悪感を抱いてしまう習性があり トロッコ問題類というのはこうした一種の錯覚を利用したペテンの手口に過ぎない

ヒトの多くはバカなので 主観的罪悪感に誘導されて 死んだ人数だけで倫理の問題 人間性としての責任問題であるかのように錯覚して疑わなくなるのである

 

未だにマイケル:サンデルがハーバードの教授でいられるのは 学生達が「学力が高いだけのバカ」しかいないからである

そして 彼らはサンデルの講義で「自分の頭は良くなった」と勝手に妄想錯覚し 主観的に安心満足してサンデルのペテンの手口には一切意識が働くことはない

そして 認知的不協和を解消する形で本論を無視しようとするのである

バカというのは難治性が酷いので 理屈も道理も一切通じず 都合の悪い話は全てなかったことにしようとするのである

サンデル教徒の大半は サンデルがペテン師に過ぎないことには誰も気付くことはない

ヒトとはそういう残念な生き物なのである

 

 


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ヒトは先天的に無責任である

2021年09月15日 12時05分38秒 | 意識論関連

アフリカのサバンナの真ん中で 肉食獣から仲間の弱者を守る余裕はない

過酷な自然環境下では人間性を発揮している暇はない

発揮しても構わないのだが

生きるか死ぬかの瀬戸際では 人間性を発揮していたら全員死ぬ

かつてはそういうヒト達もいたかもしれないが 死んだら証拠は残らない

従って 現存しているヒトというのは 人間性を発揮せずに仲間を見放し見殺しにした個体の末裔である

野生動物というのは基本的にそういうものであり ヒトに限ったことではない

肉食獣から逃げながらも 仲間内では順位序列に固執し 欲望を満たすために身勝手な行動を採ることが 自然界の過酷な環境においては生存に適する行動なのである

野獣の行動は身勝手である

その場限りに欲望を満たすことしか頭になく 社会安全性だの持続可能性や公平性や平等に対する「考え」は全くない

「我も我も」と取材対象に群がるマスコミのように

ナチス政権やミャンマー軍事政権の命令に唯々諾々と従う吏官達のように

まるで「ゾンビ」のように無意識に行動することを 生物学では「社会性」と分類する

社会を形成する習性を発揮すると 生存にとっては有利に働き 個体だけではできない「大きな力」を発揮することがある

だが 力の「大きさ」だけでは人間性の論証にはならない

ただ「生存や種の保存」にとって有利に働くだけである

その場限りには有利でも 社会持続可能性や安全性にとって適している保証は何もなく 絶滅しても誰にも責任は問えない

統率協調性の持つ力の大きさによって文明社会の肥大は招いたが その結果急激な肥大によって地球環境を破壊し ヒトは自らの首を締めているのであって 決して文明規模は人間性の論証にはならない

文明社会の肥大には功罪両面があり 決して一面的に「正しい」とは言えないのである

バカな衆愚は力の大きさだけで人間としての優秀さであるかのように錯覚したがるが これは非常に幼稚な短絡的発想である

力の大きさは世間的に優位な立場を得ることも可能になるが そもそも「優位な立場」という順位序列を認めている時点で人間性としての平等や公平性には配慮が足りていないということでもある

ゾウアザラシが群れの中で優位に立っても それは野獣の価値観に過ぎない

野生動物の大半は 集団の中で順位序列を形成し 封建的カーストを受け入れ あたかもカーストの頂点こそが優秀さの論証であるかのように「感じ」る習性がある

そういうふうに「感じ」られるからこそ 順位序列を甘んじて受け入れられるのであって 公平や平等という概念は野獣にはない

ヒトは野獣の末裔であって 野獣の性質を色濃く反映し 他人よりも優位に立つことこそが人間としての優秀さであるかのように錯覚しがちである

ヒトが権威に逆らわなくなり 盲目的に服従するのは 本当の人間としての価値を忘れているからである

主観的に「怖い」と思った相手には逆らわず イジメや差別が目の前で起きていても傍観放置しておけば 自分が標的にならずに済むので安心である

権威などの「怖い相手」には逆らわず むしろ権威の言っている内容は何の疑いも持たずに盲目的に鵜呑みにしていた方が安心で満足なのがヒトという種の生物の先天的習性なのである

「権威が間違っていたのなら 権威が責任を取れば良い」と 責任を丸投げしておいても自分には何の責任もないと「思って」いるのである

そうやって安心して権威に唯々諾々と服従し 何の批判精神も発揮することなく 何の責任も取ろうとはしない

権威に服従している大多数は 大多数であることを根拠に判断責任が薄まるとでも「思って」いるのである

だから「自律的な社会的責任判断選択」を誰もしなくなる

 

人間性や倫理の根源は「個人が自律的な社会的責任を負うこと」であって 集団組織や権威に服従迎合したがるからこそ 人間性を簡単に喪失するのである

「死んだら全部終わり」であることを根拠に 「生き延びさえすれば勝ち」だという遺伝子レベルの貧乏性を発揮することによって 本当は分け合えば余るものを 奪い合いによって不公平な不足を招いているのである

それは「サルの正義」でしかない

ヒトは誰しも必ず死ぬのであって 特定の場面で生存にとって有利な行動を採っても 人間性を放棄してまで生き延びる合理的根拠は何もないのである

600万人のユダヤ人を殺害し 原発の津波に対する脆弱性を放置して暴走させ イジメを傍観放置するのがヒトという種の生物である

それらの行動は その場限りには「生存にとって有利な行動」ではあるが そこに人間としての存在価値など存在しないのである

 

 


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忘れてはならないもの

2021年09月15日 10時54分09秒 | 意識論関連

ギュスターヴ:ル:ボンは「群衆は理性では動かない」と説いたが

「理性では動かない」のは群衆に限ったことではなく そもそもヒトという種の生物は「理性では動かない」のである

ヒトは基本 動物である

動物の行動というのは先天的本能習性による無意識な行動バイアスであり 「生存」だの「種の保存」といった結果に対する必然性は存在していても それが社会安全性や持続可能性や公平や平等に合理的に適する理屈はない

先天的本能習性というものは 祖先の生息環境の影響を色濃く反映し 数十万年以上の年月と大きな淘汰圧力(大半の死滅)の結果であって

「結果に対する必然性」はあるものの これは「目的のための合理性」ではない

更科功はダーウィンの「種の起源」を多くの生物学者が曲解していると論じたが その説明は論理整合性のない「はぐらかし」に終始しており 科学者として無能で社会的にも無責任である

「生物には目的はない」のである

風呂場に生えるカビには目的はない

ウイルスにも目的はない

ただ 結果的に絶滅せず 結果的に環境との調和に適した結果 種として残っただけである

現状残った種だけを根拠にしても「結果的必然性」が「合理的目的選択」の論証には一切ならない

遺伝的進化というものは 自然界における自然現象(必然的結果)であって 目的などない

 

ウイルスによる猛威は かつての進化の過程で幾度も生じ 膨大な死滅をもたらすことによって 現存する動物の免疫機能の進化をもたらした

遺伝的に免疫機能を持っていなかったあらゆる生物種が大量に死滅したことによる「結果」であって 偶発的に免疫機能を獲得した個体だけが生き残っただけであって 遺伝子というものは自ら書き換えることができない以上「ウイルスや菌から身を守るため」といった目的に合わせる形で「進化する」ことは構造原理的に不可能である

現状のヒトの免疫機能を更に進化させるためには 免疫機能の低い個体の大量死滅を放置し 免疫機能の高い数%の個体種だけによる配偶交配によって より高い免疫機能を持った個体の出現を必要とするのであり それでも進化に成功する保証はどこにもなく 決して「誰もが進化できる」ような都合の良い話では断じてない

草食動物の逃げ足が速く進化するためには 天敵に襲われた時に我先に逃げ出す反射的行動が必要であり 仲間を統率協調的に守るとか 予め予防対策をしておくといった合理的行動を採らなかったからこそ 逃げ足が速い個体への収束進化が起こったのである

 

ヒトは脳が肥大する進化が起きたが 大半は論理客観的思考判断のできないバカである

だから何度説明しても誰も論理的理解が全く進まない

 

プラトンだのニーチェだの養老孟司だのリチャード:ドーキンスは大衆からの人気だけはあるが 実際には中身がないので応用性が何もない

本当に社会安全性にとって重要な話というのは 気分が悪くなるので大衆人気は得られない

国会原発事故調査委員会報告書は 社会安全にとって非常に重要な知見であるが ほとんどだれも読まず 誰も理解などしていない

ヒトは先天的には理性で動こうとはしないものなのである

ナチスやミャンマーやイスラエルの兵隊や 群衆では 集団心理によって理性がさらに欠落した行動が 極めて統率協調的に行われるが 

群衆ではない単独犯の通り魔もまた理性など働いてはいない

論理客観的に何が真実であるのかを「考え」ないからバカなのであって バカがやらかす行動はバカげた結果にしか至らない

バカには理屈や道理は通らないので どんなに説明を尽くしても理解することはない

脳の容積にさしたる違いがなくとも バカは難治性が酷いのである

バカは自らの頭の悪さを改善しようとは一切しない

「自分はバカだ」と気分的に落ち込むか 「どうせ自分はバカだから」と称して頭の悪さを正当化するか それこそが「絶望」という罪であることを認識することはない

「絶望して自己自身であろうと欲さない絶望」か「絶望して自己自身であろうと欲する絶望」しかせず 絶望そのものが真理から遠のく罪であることは無視するのである

頭が悪かったことを自覚認識したのであれば どうやったらバカげた間違いに陥らないようにできるのかを自分の頭で「考え」て 初めてバカが治るのである

 

ヒトは 先天的には人間ではない

それは 不条理性ではある

自らの遺伝子も本能習性も 生育環境から刷り込まれた「常識」や価値観も 自分では主体的には選択しておらず 既存の自己自体は選択不可能であり 「自由」ではない

だが それらが本質的な自己でも自由でもないことを理解認識することができれば 常識や因習に囚われることなく現時点での選択可能性の存在を自覚することが可能となる

それはヒトという種の生物ならではの「自由」が存在するのである

その「自由」は論理客観性によってもたらされるものであって 「自分で見つけるもの」であり 神や科学から「与えられる」ものではない

 

 

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悪魔の正体

2021年09月14日 20時33分05秒 | 意識論関連

日本ではあまりイスラム教徒がいないこともあって 観念的な恐怖心を抱きがちではあるが

イスラム教では民族宗派によらず平等や弱者救済を勧め

不労所得を禁じ 金利のないイスラム銀行を提案しており

また 実際のムスリムの大半は客人をもてなし 対話によって調停することを厭わないオープンな人々である

キリスト生誕教会はムスリム(パレスチナ人)によって運営管理されている

「ムスリムは唯一絶対のアッラーを信じなければならない」とは書いてあるが 「ムスリム以外までアッラーを信じさせなければならない」とは書いておらず 「異教徒を差別迫害しろ」ともどこにも書いておらず むしろ異教徒との「平等」や「平和」を説いている

「平和を乱す者には武器を持って戦え」とあるが 基本的には「平和を愛せ」とある

そりゃ誰だって暴漢に襲われたら反撃することもあるわけで 至極当たり前の話である

一体どう解釈したら暴力過激思想になるのか さっぱり理解できない

頭の悪いバカがイスラム教を勝手に捻じ曲げて解釈をするとテロリストになるのであって これは別にイスラム教に限ったことでも何でもない

如何なる宗教やイデオロギーであっても 基本は平和と安全と平等であって 通底する主旨に違いなどない

ところが ヒトという種の生物は先天的に平等が嫌いで 順位序列による差別をしなければいられない先天的習性というものがあるため 暴力を用いて人々を服従させて統率しようとしたがるのである

こうした主旨を逸脱した戒律や法律の機械手続き的な運用性の害というものは 日本の警察でも見られるものであり 宗教の場合はどうしても盲目性が強く出るため「戒律さえ守らせれば 全ては解決」という短絡的発想に陥りやすい傾向がある

これは宗派やイデオロギーによらず あらゆるヒトの社会において見られる「人間としての欠陥」であり 「子供は学校でイジメを始める」ものであり SNS上ではマイクロソフト社のTwitterAIが深層学習してしまうほどのヘイトスピーチが溢れかえっているのである

まず 第一に重要なのは 弱者を暴力で抑えこもうとする卑劣な行為をやめることである

これは国家権力を用いた刑法罰も例外ではない

人間としての社会的責任を負うことを全くしたがらないバカというのは時折いるが バカがなぜバカになるのか その原因を徹底的に究明し 再発防止につなげることが被害を減らす上において最も合理的で実効性が高い

バカを殴っても 結局殴っている方までバカになっているのでは本末転倒である

世の中には間違った制度や手続きというのはあるものの だからといって暴力で制度や手続きが改善されるというものではない

社会構造上の不公平があるならば それは構造的な欠陥を論理的に導き出し 地道に丹念に修正改善し続けてゆく必要がある それでこそ「文明」社会の意義である

平和を乱す「悪魔(人間としての欠陥)」とは ヒトの先天的本能習性の中にあるのであって キリストやムハンマドが望んだ「主旨(本当の目的)」を 多くの有神論者達は忘れているから 何かにつけて暴力で解決しようとするのである

イスラエルの兵隊でも 大半は「パレスチナの赤ん坊が丸焦げになること」は望んでなどいないはずである

600万人のユダヤ人殺害計画書を作成したナチスの官吏であっても 屍体を直視することは嫌ったという

にも関わらず暴力破壊で解決しようとするのは 自分で物事を考え 検証するという「人間としての意識」が働いていないからである

個人的に嫌いかどうかで物事の正義を振り回しては 相手の個人的な嫌いに基づいた正義も正当化しなくてはならなくなる

それだと相互の個人的好き嫌いだけで「正義」のぶつかり合いにしかならない

中東由来の一神教の有神論者達に欠けているのは キリストやムハンマドが望んだ「本当の目的」を忘れていることである

一体何の目的のために戦っているのか それを忘れて「戦い」という「手段」を目的だと勘違いしているから 暴力の応酬が終わらないのである

何が「本当の目的」なのか それを見極めるのは論理客観性である

 

 

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虚飾

2021年09月14日 12時03分05秒 | 意識論関連

「遺伝的進化には目的がない」ことや 「生存戦略などという概念は成立しない」といった生物学上の誤謬に対する指摘反証は どこかの書籍に書いてあることではない

「独学」などと標榜して知識の「量」をどんなに増やしても 主体的な論理客観的検証性がなければ 既にどこかに書かれていることの間違いには誰も気付くことはできないのである

 

何が目的で学ぶのか その動機を自覚していないからバカが治らない

知識の量さえ増やせば頭が良くなって大学に合格できるとか 嘘に騙され損をしないようにできるとか 誰も気づかない間違いに気づいて業績を上げることができるとか そういった利己的利益を目的にしているのであれば 結局は動機の根源が利己的利益や保身という目先の欲望なので 批判精神や論理客観性は働かず ただ書いてあることを憶えて「知って」いるだけのデクノボウになるだけである

利己的欲望が動機の主体だからこそ 根拠のない嘘やデマでも信じ込み 鵜呑みにして満足安心する

そもそも独学というのはマニュアルに頼るものではない

「こうすれば独学ができる」みたいな話がそもそも自己矛盾であることには 衆愚は誰も気付くことはない

マニュアルも案内も何もない領域に踏み込むから独学なのである

誰かに案内されたり そそのかされている時点で独学でも何でもなく 独学を装った多数による流行に過ぎない

 

独学の動機の基本は 主体性である

誰かにそそのかされて気分が良くなって安心して嘘でもデマでも鵜呑みにすることは「独学」ではない

本当に主体的に物事に取り組んでいれば 多数他人の意見に無為に流されることなく自分で真偽の判断をすることも出来るが

多数や他人からの評価や世間的成功を目的とした不純な動機だと 自分で論理検証することなく 自分の主観的な安心満足だけが判断基準になり 嘘でもデマでも気付くことができなくなり バカになるのである

既存の自己の主観的観念(気分や根拠のない常識)だけでしか物事を判断しないため 現時点での選択可能性というものを発揮することができないからこそ 批判性精神も発揮されず 論理客観的検証もできないのである

無能な有象無象からの評価を欲していれば 無能な有象無象の評価基準でしか物事を判断できなくなるのは必然というものである

どんなに多くのヒトが 無能で何も気付くことのできない有象無象からの評価や報酬をアテにしているとしても その多数が「正常」であることの根拠にはならない

 

主体性もまた 「自分の主観的気分」が動機ではあるが 他者からの評価に左右されないという点において純粋なのである

他人からの評価と 純粋な好奇心と そのどちらに傾くかによって 本質的主体性か評価承認欲求かの分水嶺となる

静岡大学の加藤英明のようにバカみたいに爬虫類の研究に没頭しているのは純粋な好奇心によるものである だから夜中に泥酔して騒いだりはしなくなる

多数大衆からみれば「バカみたい」にみえるが これは外見であって 「衆愚の価値観」に過ぎない

「バカみたい」ではあるが 「バカ」そのものではない

本当の「バカ」というのはが大衆が「思って」いるようなものではなく 似非哲学で人生相談をする似非哲学者や 進化万能論を宗教にすり替える似非生物学者である

誰が本当のバカなのかを識別できないからこそ 嘘やデマを見抜くことができないのであって どんなに知識の「量」を増やそうとも バカは治らないのである

 

「知識のエコシステムを 生態系のピラミッドになぞらえれば」などというデマは 他人との順位序列を目的とした不純な衆愚を読書猿の観念に誘うためのものであり 読書猿の言いなりになっていれば他人よりも賢くなって優位に立つことができるという優越感を「脳への報酬」として衆愚は盲目的に読書猿を信じ込むのである

「認知的ワクチン」などというものは存在しない 「これさえ接種しておけばバカにはならない」といったバカげた理屈は存在しないからである

バカというのは先天的な要因によるものであって 他人の嘘を見抜けないからバカなのに バカがそそのかす嘘を鵜呑みにして「これさえやっときゃバカにならないんだな」と「思って」いることそのものがバカの根源なのである

 

哲学というものは 物事の真理を追求することで 「本当の目的」を見極めるためのものであり

人生相談などといった個人的な「悩み」を解消して「気分が良くなる」ためのものではない

セーレン:キェルケゴールを読んで気分が良くなることなどない

ジャン:ポール:サルトルも同じである

カール:ライムンド:ポパーで悩みが解消することなどない

そしてこれらは大衆からの人気は全くないのである

これらは自分への戒めのために読むものであって 他人に推奨できるようなものではない

自戒を他人に推奨している時点で 自戒が欠如しているからである

 

子供が「学校に行きたくない」と言い出した時に 「本当の目的」を忘れるための屁理屈をでっちあげてしまえば 何も悩まずに子供を強制的に学校に送り込むことが出来るであろう

哲学というものを 主観的な「悩み」を解消するためのものだと勘違いしていれば どうにでも都合よく解釈可能な「名言」を担ぎ出して 無理やりこじつけることでその場限りの納得感を醸成することは簡単である

主観的気分としての「悩み」が 本当に望んだ目的に適っているのかどうかを深く検証することを 嘘やデマで塗り潰し「なかったこと」にすることは簡単なのである

それはとても簡単なことであり 簡単なことしかできない状態を「バカ」と言うのである

バカは他人から間違いを指摘されたとしても 気分が悪くなる都合の悪い話には一切耳を貸さなくなる

もともと純粋な探究心がなく その場限りの気分だけでしか物事を判断しないため 間違いを指摘されても受け入れるだけの精神的余裕が何もないからだ

都合の悪い話に耳を貸さないということは 同時に都合の良い解釈なら何でも鵜呑みにする

都合の悪い話が真実なのかどうかを客観的に深く考えることなく 無意識条件反射的に頭ごなしに否定するための屁理屈なら簡単にでっちあげることができる

そうやってバカというのは益々バカが酷くなるスパイラルに陥るのである

デマを信じ込む「エコー・チェンバー」の構造とは そういうことである

エコー・チェンバーという落とし穴の中というのは 満足感に満たされている幻想の世界である

洗脳から引きずりだそうとすると激しく抵抗されるのは 洗脳の満足感を全て剥ぎ取り裸にするようなものであるからだ

虚飾を剥ぎ取られてしまえば 虚飾に固執していた頭の悪さを丸裸に曝すことになるため その恐怖から逃避する形で虚飾に固執し続けるのである

 

ギュスターヴ:ル:ボンの解説が「哲学者」ではなく武田砂鉄という「フリーライター」なのは 哲学界が無能なバカしかいないことの証左でもあろう

その直後の番組で「哲学者」による人生相談で「楽になる」だとか言っているNHKは あまりに無責任でフザケすぎである

そりゃ「NHKから国民を守る党」だとか出てきても文句を言う権利はない

ちゃんと検証しろ バカ共が

 

 


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小川仁志

2021年09月13日 23時28分42秒 | 意識論関連

「全ては仮面だと思えば楽になるんじゃないでしょうか」小川仁志(山口大学哲学教授)

哲学というのは 真理を追求することであって 読み手個人が主観的に「楽になる」ためのものではない

小川は哲学を精神の怠慢を勧めることで 哲学を大衆迎合の「人生相談」に利用している

現状の哲学界というのは こういうペテン師ばかりである

 

よくもまあギュスターヴ:ル:ボン(100分で名著)の直後に放送したな

NHKの編成部はバカしかいないらしい

 

 

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原因

2021年09月13日 13時05分15秒 | 意識論関連

自閉症と診断され 発話言語が苦手な子がいて どんなに頑張っても話し方のたどたどしさが解消しない

どうも発話言語に関わる左側頭葉のブローカ野とかが他の人と何かが違っていて 先天的に発話言語が苦手らしいのだ

発話言語によるコミュニケーションが苦手なので 世間的には「障害者」扱いされているんだけど パソコンで文字を入力して文章を書くと そこら辺にいる大学生なんぞよりもよっぽど論理的でマトモなことを書くのだ

言語機能というのはコンピューターで言えばI/Oみたいなものなので 主処理としてのCPUやOSがマトモでも入出力がボトルネックになって 外見上は能力が低いみたいに見えてしまうだけらしい

また 大衆観念上だと 多数と違うだけで「異常」みたいに錯覚し 逆に少数ではないというだけで「正常」だと勘違いする習性もある

あと 思考速度とか記憶の量だけで「頭の良し悪しが決定している」というのも大衆観念であって

物事を深く考える性格の人は思考速度はおしなべて遅いが 機械反射的に知っていることをベラベラ話す人は速度だけは速い

ハードウエアとしてのヒトの脳自体に有意な個体差などないので 判断速度が速いのは「考えが短絡的で安易」なだけであることが大半である

判断が速い人というのは すぐにレッテル貼りみたいに物事を「決め付け」たがるんだけど 合理客観的な根拠があるのかどうかの検証は働いていないことが非常に多い

鳥類のヒナが最初に見た相手を親だと思い込む「刷り込み」学習のように 「AはBだ」的に短絡安易に物事を判断してしまうようなものである

一度刷り込み学習してしまうと 疑うことをしなくなる

盲目性とは 判断が短絡的で速いヒト特有の動物的な「学習」によって作り出されるヒトの脳のクセによるものである

東大医学部の学生が カルト宗教にのめり込んでテロをやらかすのも 東大医学部に合格するほどの知識の量と判断能力の速度が高いことが 逆に災いしている可能性が高い

「学力成績=知能」という概念も 大衆観念的な短絡的「常識」に過ぎず 実際には認知科学的にも合理的根拠はない

ないんだけど 「みんながそう信じている」ことを短絡的に鵜呑みにして盲目性を発揮して誰も検証しなくなる

「東京大学名誉教授という肩書があれば 間違ったことなど言うはずはない」という固定観念に囚われ 養老孟司の言っている内容の支離滅裂さにはほとんど誰も指摘することも 気付くこともない

まあ 養老孟司を名誉教授として認定している東京大学の職員達にも責任はある

これはマイケル:サンデルやマルクス:ガブリエルなどの哲学者共や 松沢哲郎や山極寿一や更科功などの生物学権威共においても共通して言えることである

遺伝的進化というものは 膨大な淘汰圧力によって遺伝的に環境適応できない個体種の全てが死滅することでしか生じないものであって 個体の思いや願いや努力や祈りや呪いや考えは遺伝的進化には全く影響を及ぼすことはない

天動説が蔓延している社会なら 地動説は火炙りである

それなら「本当に頭が良いこと」は「環境には適応できる」とは限らない

戦争のようなバカげたことで「勝つ」ためには むしろ統率協調的に特定権威に従順に服従する盲目性こそが必要になる

バカでないと バカげたことをするには「便利に遣う」ことができないのだ

兵隊が上官から「敵を殲滅せよ」と言われた時に 「はて 停戦交渉の余地は全くないのだろうか」と深く考えていたら戦争には「便利に遣え」ないのである

ヒトは 有史以前から紛争や殺し合いを続けてきた その原因は実証不能の観念を振り回すことで他人の迷惑に配慮しなくなるのが原因である

ヒトは その先天的な頭の悪さによって 自分で自分達の首を締め続けることをやめることができない

遺伝子レベルの貧乏性や生活習慣病によって 今まで既に受け入れてきた「常識」に疑いを持つことに拒否反応を示し 自分達の行動を見直すための意識(理性)を「なかったこと」にしたがる

原因はわかっている 「ヒトは先天的に気分が悪くなる事実を反射的に拒絶する習性がある」からだ

それを専門的には認知的不協和理論という

洗脳というものは カルト宗教だけにしか見られないような特異なものではなく 振り込め詐欺に引っかかる被害者にも見られるヒト全般誰でも持っている性質であって 「自分だけは絶対に大丈夫」という観念こそが むしろ盲目性を発揮する上において最も危険なものなのである

ヒトは先天的に論理客観的に物事を検証することが嫌いであるため イマヌエル:カントの「純粋理性批判」には論理客観的根拠がないのに真理だと錯覚したがるが そもそも「理性を批判する論理」という自己矛盾を抱えた屁理屈には論理客観的根拠など何もないのである

多くのヒトは「理性には 利己的利益追求の側面があります」などと言われれば 「利己的利益追求そのものが理性ではない」ことには考えが及ばず 「欲望には利己的利益追求の側面はないのだろうか」とも考えることはない

そもそも「考える」こと自体が理性なので 「考える」ことを観念的にとにかく放棄したいヒトにとってはカントの屁理屈は主観的には都合が良いのである

そうやってヒトはバカになる

バカでいた方がヒトは安心で満足なのである

それを客観的に理解していれば 「自分だけは絶対に大丈夫」などとは思わない

イマヌエル:カントはカール:ライムンド:ポパーが言うように 確かに「本当の問題(倫理や人間性の根源)に取り組んで」はいたとは言えるが その批判の矛先は主観的観念に基づく大衆迎合で終わってしまっているのである

ポパーは科学哲学者ではあったが 倫理哲学者ではなかったらしい

畑村洋太郎は工学者ではあるが 法哲学には興味がないのと同じようなものであろう

あんまりアテにしない方がいいかもしれない

 

 

宗教というものは 本来個人的な好き嫌いの範疇であって 他人に強要するようなものではない

「フェルメールの絵画が好き」とか 「生田絵梨花がかわいい」とか そういう「個人の主観的な好き嫌い」は科学は否定のしようがない

科学は 宗教というものは主観的なものに過ぎないことを論証しているだけであって 宗教を頭ごなしに禁止したり迫害したりするものではないし したら科学ではなく「怪しい新興宗教」か「偏ったイデオロギー」にしかならない

それぞれの宗派には 社会にとって有益なものもあれば 有害に解釈可能なものもある その判断においては論理客観性が必要であって どの宗教が「好き」なのかは個人の主観に過ぎない

 

論理客観的には 社会安全性にとって重要なのは原因究明と再発防止であるが 社会制度的には「罰で解決」という短絡的な「処分」しか存在していない

その方がヒトの脳は安心で満足する先天的習性があるからだ

糞DQNや無差別殺人鬼や迷惑系ユーチューバー的なバカが出てくると 反射的に「コイツ死刑で良いんじゃね」と思いがちだが その多数決が社会安全性にとって最も合理的であることの根拠はなく ただの「主観の多数決」にしかならない

宗教やイデオロギーに基づいて暴力破壊に暴走したがるのは 宗教やイデオロギー自体に問題があるのではなく 宗教やイデオロギーが何であれ「暴力的報復罰で解決だ」というヒトの先天的思考バイアスに原因がある

宗教やイデオロギーを持たなくても ヒトは刑法罰には疑いを持たないものであり 宗教やイデオロギー自体が問題なのではなく 「ヒトの物事の解釈の仕方」の方に重大な欠陥が存在しているのである

頑なな有神論者に対しては「私は不可知論者です」的にはぐらかしておけば 有神論者からすれば「ボクちん 頭悪いのでよくわかんないです」的にも解釈可能なため マウントとって優位に立てたかのような錯覚を与えて満足させることは可能だが んなもん日和見主義に過ぎない

リチャード:ドーキンスは宗教の代替として進化生物学を利用しようとしたが 決して遺伝的進化というものは万能ではなく むしろ遺伝的進化によってヒトの先天的欠陥というものは形成されたのである

 

罰そのものを断罪したキリスト教にも 公平や平等に基づくイスラム銀行にも合理性はある

合理性のない暴力で物事を解決しようとするヒトの欠陥は 宗派に依るものではなく ヒトの先天的習性によるものである

仏教国のはずのミャンマーが軍事政権の蛮行に走るのも ヒトの先天的欠陥が原因であって 宗派は相関関係が全くない

宗派の問題ではなく 「ヒトの物事の解釈の仕方」の先天的なクセ(習性・思考バイアス)に欠陥があるのだ

 


Ende;

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答え

2021年09月13日 13時05分15秒 | 意識論関連

養老孟司は

「人はいままで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきた」人とはそういうものであると私は考える

と唯脳論の中で論じているが これは「考え」ではなく ただ「事実を肯定しただけ」である

ヒトの多くは「考え」だと主張されれば それは「考え方の一つなんだな」と錯覚しがちだが 実際には何の考えでもないことには誰も気づかない

バカみたいに鵜呑みにする

「人とは そういうもの」だと運命論や決定論的に解釈することも可能であり まるで「他人に迷惑をかけ続けることは論理的に不可避である」かのように思考停止に陥れることも可能なものでもある

「ヒトという種の生物」として 「実証不能の観念をふりまわして迷惑行為をする」という事実はあるものの だからといって人がそれを回避する為の知恵とか工夫とか対策が一切存在しえないことの証明にはならない

どうにでも解釈可能な話というものは 読み手が自分の都合の良いように 気分的に満足できるように勝手な解釈が可能となるため プラトンだのニーチェだのハイデガーのように文科系大衆人気を得ることは簡単であるが

それこそがナチズムの暴走の大きな要因ともなり得るのである

 

ヒトは 「答え」を求めようとはするのだが その答えには論理客観的な真実としての根拠や証拠は必要としていない

嘘でもデマでも 主観的に安心満足して気分が良くなりさえすれば簡単に鵜呑みにして疑うことをしなくなる

「ヒトの脳とは そういうものなのである」という事実に基づいて それならどうやったらバカにならずに済むのだろうかという具体的な対策まで提示してこその「考え」というものである

ただ事実を肯定しただけでは「考え」ではない

 

ヒトという種の生物は 論理客観的に「考え」ることが本当は何なのかすらも理解認識していないことが多い

マイケル:サンデルの「トロッコ問題」でどんなに「悩んで」も 「トロッコ問題で促される判断の中には倫理や人間性の論証には結びつかない」ことには誰も気が付かない

一生懸命与えられた命題だけに気(意識)を奪われ 気分的に「悩んだ」ことを あたかも「考え」論理客観的に検証したものだと錯覚し 「一生懸命考えたから 自分は頭が良くなった」と勝手に錯覚し 「頭を良くしてくれたサンデル先生」を好きになって 益々疑う批判精神や検証性を失いバカが酷くなるのである

こうしたバカ特有の思考スパイラルを利用すれば カモを騙すことは簡単である どんなに学力成績が高くても「認知的ワクチン」としては一切機能することはない

言っておくが そもそも読書猿が主張するような「認知的ワクチン」なんて都合の良いものなど存在しない

ヒトの頭の悪さはウイルス的な外的環境要因ではなく 遺伝的に先天性の脳の思考のクセの中にあるものであって 遺伝子レベルの貧乏性や生活習慣病的なものは「ワクチンさえ打っときゃ大丈夫」などという短絡的に安易なものでは決してない

遺伝性の先天的な形質や習性というものは 祖先の生息環境の影響を色濃く反映するものであって 数万年もの間紛争や虐殺を続けてきたヒトが 「これさえやっときゃ解決する」的な短絡安易な解決方法など存在するわけがないのである

 

ヒトは 主観的に気分が良くなり満足安心できる話なら その内容に具体性や論理客観的根拠がなくても鵜呑みにする習性がある

自分の主観的安心満足が判断基準ということは 自分の主観が絶対的なものだという傲慢さを発揮していることには誰も自覚がない

だから騙されるのである

ヒトは 一度信じ込んだ話を否定されると 過去に「信じ込んだ自分の判断」がバカだったことも認めなければならないため 気分が悪くなるので拒絶する

反射的無意識に「認知的不協和を解消する」ためである

振り込め詐欺に騙されている人に対して 「騙されているんじゃないですか」と問いかけても「いや 絶対息子からの電話だった」と頑なに信じ込むことも 酷い場合には「騙されていても良いから振り込ませてくれ!」などと支離滅裂なことを言い出すのも 「既に騙された自分」を事後正当化しないと気分が悪いからである

ミャンマー国軍の兵隊が市民を虐殺できるのも 太平洋戦争時の日本軍が特攻や国民の弾圧をしたのも 命令に従わないと気分が悪くなるように体制構造的に仕組まれているからである

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験 通称「アイヒマン実験」は 「普通のヒト」が状況や環境や体制構造によっては簡単に他者に暴力を加えることができるようになることを立証したものである

「普通」とは 要するに「多数」である

多数であることが「正常」であることの論理客観的根拠にはならない

何億人にワクチンを打っても重大な副反応が起きなかったとしても 自分がワクチンを打っても絶対に重大な副反応が起きることはないことの論証にはならないからこそ 日本では強制しないのである

ワクチンを打たないという判断をしても 差別の対象になってはならないが ワクチンを打たない以上は不要不急の外出や他者との接触は徹底して避ける必要はある

「ワクチン怖いけど 一人で夜過ごすのも怖いので 集まって泥酔する」などという怠惰な話を受け入れることはできない

「みんなが養老孟司を疑わなかったから 疑わなかった責任も多数で薄まるはずだ」などという怠惰も許容することはできない

そういうバカ主義の正義が社会を崩壊へと導くのである

 

 

 

Ende;

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熱殺

2021年09月13日 00時34分58秒 | 日記

ニホンミツバチがオオスズメバチを返り討ちにする熱殺蜂球の中心温度は最高47℃だそうな

蜂が熱には弱いのなら 気温の高い晴天日中に複数の鏡で太陽光を集めて巣を47℃以上に加熱したら幼虫とか女王蜂が死ぬのではないか

スズメバチとかアシナガバチは女王しか繁殖能力がないというので 女王を熱殺してしまえば駆除にはなるんじゃないだろうか

太陽光は刻々と方位が変わるので 鏡をステッピングモーター的なものでコンピューター制御するシステムこさえたら便利かな

ただ アシナガバチって臆病で ヒトの姿を見るとすぐに逃げてゆくので 見た目的には大型なので怖いんだけど 毒性は強いがそんなに凶暴ではない

 

港湾で問題になっているヒアリは 国内在来のアリがいると共存できずに定着を阻止できるという話がある

もしかするとアシナガバチの生息範囲には凶暴なスズメバチ類が共存できないといった事はないのかしら

もしそうだとしたら アシナガバチはむやみに駆除しない方が良いという可能性もある

知らんけど

 

 

Ende;

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必修科目

2021年09月12日 14時02分39秒 | 日記

ビワ、アンズ、ウメ、モモ、スモモ、オウトウ(サクランボ)などのバラ科植物の種子や未熟な果実の部分には、アミグダリンやプルナシンという青酸を含む天然の有害物質(総称して、「シアン化合物」と言います。)が多く含まれています。
一方で、熟した果肉に含まれるシアン化合物はごくわずかです。果実を未熟な状態で食べてしまったり、果実を種子ごと食べてしまったりすることは稀(まれ)ですので、通常、果実を食べることによる健康影響は無視できます。

 出典:農林水産省

 

いや 「稀」だからって「無視」したらアカンやろ ちゃんと学校で教えとけ これは優先必修科目だろ

杏仁豆腐って たしかアンズの種から作るんじゃないのかしら

アンズ油ってのもあったけど 摂取にしたら危ないのかな

「熟した果肉に含まれるシアン化合物はごくわずかです」って

果肉にもあんのかい

怖っ!

何でもそうだけど 食べすぎは良くないです

同じ物だけ食べていると飽きてくるのは もしかすると食べ飽きない個体種が何かを喰いすぎて死滅して 飽きやすい個体種への収束進化の結果かもね

いや ヒトにまで進化する以前からの収束進化だろうけどね

 

アーモンドにもシアン化合物が含まれているそうだけど 加熱加工すれば大丈夫ってことらしい

でも シアンの焼却処分は850℃以上だとかいう話もあるので 加熱さえすればどうにかなるわけでもないらしく 加工法が確立されているもの以外は信用ならない

シアン化物を高濃度で含むことが分かっているビターアーモンド中のシアン化物に関しては、現在、20mg/kgの基準は適用されない。ビターアーモンドは通常は加工後のもののみを使用する又は家庭での加熱調理用で、生で摂取することはないだろうとの共通認識がある。しかし、生の仁が生での摂取用に販売されているのは明らかであり、ヒトに対する健康影響が示されていることから、通常の食品法に従い強化措置が取られる場合がある。

 出典:内閣府 食品安全委員会

杏仁豆腐も加熱調理加工だから安全なのかも

意外と食べ物って思った以上に「綱渡り」なのかも

ときたまスーパーでも有毒の魚が売られてしまうこともある

茄子も実以外は全部毒という話もある

そもそもナス科の植物の原種はほとんど有毒だそうな

一般に食用として扱われないものを摂取しようと思ったら 一回ググって確かめる方が良いと思う

それでもネット上で引っかかる保証はないけどね

 


Ende;

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大衆迎合的妄想

2021年09月12日 13時00分35秒 | 意識論関連

ミクソーマウイルスがアナウサギとの弱毒共生に至った経緯においては 最初に95%もの致死率によって大半のアナウサギが死滅することで 免疫力の強いアナウサギ以外が全て死滅するという収束進化も起きているのである

ウイルスだけに着目して「弱毒化する」などと言い出すのは 宿主側の収束進化を全く無視したご都合主義的デマでしかない

もし ヒトが特定のウイルスへの共生を果たすためには ヒト側の免疫力の高い個体種への淘汰圧力も必要なのであり ヒト側の遺伝的進化を促すためには治療も予防も全てやってはいけないのである

先天的に免疫力が弱い人を全員見殺しにしておいて 人間性も倫理もヘッタクレもあったものではない

結果的な共生や環境調和というものも 所詮は目的があって合理的に「選択した」ものなどではなく あくまで「絶滅せずに残った」というだけの結果でしかない

結果に対する必然性は存在しているとしても 決して合理的な目的選択が介在する余地など理論的に存在しえないのである

「ウイルスの目的は宿主との共生」などと言う話は 現存するウイルスの共生できた結果だけを基に合理的目的選択であるかのように錯覚しているだけであって

そもそも遺伝的進化というものは全てが成功する保証などどこにもないのであり どれだけの共生進化への「失敗」があったのかは 現存するウイルスと宿主からは立証できないのである

下手すりゃ99.99%以上弱毒共生に「失敗」している可能性もあるのだ

ヒトがCOVID-19との弱毒共生進化によって絶滅を免れることが可能なのかどうかは 何の保証もない話であり

現存する生物相だけから「遺伝的進化の全てが成功している」かのように錯覚するのは 論理客観的メカニズム構造を無視したご都合主義的妄想を用いた大衆迎合(人気取り)に過ぎない

ヒト側の遺伝的進化は文明社会では人道倫理的に許容できるようなものではなく ウイルスだけが勝手に弱毒共生進化が起きる構造など存在せず 遺伝的進化をあたかも万能の願望器であるかのように扱うのは 科学を逸脱した無責任なファンタジー妄想である

こんな簡単な話すらも いちいち私が説明しないと誰も言わないというのは よっぽどこの世はバカで溢れかえっているのであろうか

私の主観的には「絶望して自己自身であろうと欲さない」絶望しかわいてこないわ

 

 

 

Ende;

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小者

2021年09月12日 00時01分54秒 | 意識論関連

自己肯定感の薄い者というのは 他人との比較でしか自分の存在価値を量ることができないため 自分よりも上とみなした誰かに「誉められる」か 自分よりも下とみなした「誰かを貶める」という順位序列だけに異常執着するのである

自分で自分の脳内麻薬を自給自足できないため 基準が全部「他人との比較」になっているのである

たまたま生まれつき学力偏差値が高いと 「学力偏差値=知能」だと勘違いしているバカな大衆からは誉めてもらえるため 「おだてられて木に登るブタ」か 或いは「エサと引き換えに高度な瞬間記憶能力を発揮するチンパンジー」にしかなれないため

エサ(他者から与えられる脳への報酬)がもらえないことは一切やらないようにもなる

基準が全て「他人との比較」であるため 公平とか平等が基本的に嫌いで 何かにつけて他人に順位序列のレッテル貼りや 「○○は2流」などといったランク付けをしたがるのだが 実際には合理的根拠は何もなく 単なる個人的な主観(好き嫌い)で勝手に決め付け「線引き」をして満足しているだけである

主観という個人的な好き嫌いが 短絡的に論理客観的根拠を伴う真実だと信じこみ 疑う自己客観性はない

ヒトが実証不能の謎の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけるのは 自己客観性の欠落したバカ特有の行動習性が原因である

高学力なテロリストや犯罪者が存在するのも 通り魔の類いが学生時代に学力偏差値が高いのも 学力ビジネスによってそそのかされる競争順位を鵜呑みにする頭の悪さによるものである

社会的責任としての人間性や倫理への配慮ができなければ どんなに学力偏差値などの特定能力が高くても 「人間としての知能」の論証には全くならない



人間性や倫理の根源は 自分が置かれた環境や状況に左右されずに個人が自律的な社会的責任判断選択ができることである

どんなに学力成績が高くても 人間性や倫理性を発揮できないのであれば それは「人間としての知能」としては機能しない

他人に順位序列を求めるのであれば人間性や倫理が働くわけもなく だから学力偏差値が高くてもバカはバカげたことを平気でするのだ



 ◇

ナチスのユダヤ人絶滅収容所の官吏アドルフ:オットー:アイヒマンの発言に興味深いものがあった

「あの当時は『お前の父親は裏切り者だ』と言われれば、実の父親であっても殺したでしょう。私は当時、命令に忠実に従い、それを忠実に実行することに、何というべきか、精神的な満足感を見出していたのです。命令された内容はなんであれ、です。」 (イスラエル警察の尋問で)  -Wikipedia

「精神的な満足感を見出していた」という件に注目していただきたい

「満足感」とは主観であり 脳内麻薬が促す快楽である

傲慢な行動を採る者というのは 現実には従順な小市民である

暴走族も逮捕すると警察署の中では「意外とおとなしく従順」だと言われる

傲慢で残虐な行動も平気で行える者の実相とは 実は主体性がなく 環境や状況に適応的でその場限りの「満足」だけしか興味のない小者なのである



アドルフ:アイヒマンは成績が悪かったそうだが ユダヤ人絶滅計画においては「マイスター」とまで言われたという

私は別に「学力偏差値が高い=バカ」と言っているわけではない あくまで「学力偏差値は知能の本質とは無関係だ」と言っているに過ぎないのだが 学力偏差値を短絡的に知能として扱って欲しい者にとっては受け入れ難い客観的事実であるため 「学力偏差値を妬んだ風説」であるかのように捻じ曲げられて解釈されることが多いらしい

学力偏差値さえ高ければ「頭が良い」ことの論理客観的証明であると盲目的に信じ込んでいた者にとっては 認知的不協和を解消する形で学力成績を事後正当化しなければ満足できないため 歪んだ解釈をでっちあげて「風説」にしておかなければならないのである

それは小者による無駄な悪あがきに過ぎない



Ende;

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承認欲求

2021年09月11日 16時52分24秒 | 小説
A:私 誉められると伸びるタイプなんで

B:… お前さんが伸びると誰が得すんですかね

A:えっと 私が伸びると世の中の為になるんでぇ

B:なんでお前さんが伸びると世の中の為になるって言えるの? 根拠は?

A:…

B:お前さんは学力成績が上がると誉められてうれしいだけで 学力成績が上がっても「世の中のためになる」ことの論証なんぞなかろうて

A:でも 私が伸びると便利に使えますよ 病理診断とかに

B:んじゃ お前さんを「使うやつ次第」じゃねぇか

B:どうせ あれだろ 「ウイルスは弱毒化する」とかいう話を鵜呑みにしてたか 若しくは傍観放置してたんだろ? それでどうして「世の中のためになる」って言えんだよ デマだの嘘だのをフィックスできないバカなら世の中にとっては害悪にしかならんだろ

A:… まあ そうですね…

B:だったら伸びなくても良いでーす 1ミリも伸びないでくださーい

B:誉められないと何もやらないなら自律的な社会的責任判断なんぞ出来ないので 今後1Åたりとも伸びないでくださーい

切にお願い致しまーす



Ende;
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ふみちゃんへ

2021年09月10日 16時40分55秒 | 日記

お買い物に行く途中で スズランらしき草に実がなっているのを発見し 本当にスズランに実がなるものなのかとググったら出てきた

スズランの実 -fc2ブログ

花と同じように連続してコロコロと黄色い丸い実をつけるので 見た目的にはかわいいんだが スズランは全草に毒があるので絶対に口にしてはいけません

スイセンとかクリスマスローズとかコルチカムとかゼフィランサスとかエンジェルトランペットとかキョウチクトウとか もう挙げたらキリがないほど毒草ってあるので 埼玉県民でもそこら辺に生えている草を喰わしてはいけません

わかりましたか 二階堂ナントカさん

 

 

Ende;

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