思えば、高松から高徳線に乗って初めて板東駅に降り立ったのが3年前。
それから歩き続けた遍路の旅も、今回が七回目と成る。
その軌跡をJRの路線と絡めて見てみると、初回は11番まで終えて、鴨島から
徳島に出、帰途についているので、高松・徳島を結ぶ高徳線の74.5キロ区間は
乗り潰したことに成る。
二回目は、土讃線の阿波池田から鴨島に入った。
前回と合わせれば、佃から佐古間67.5キロの徳島線も乗り潰したことに成る。
この回は、徳島市内を歩き、18番まで打ち終えて、牟岐線の南小松島から、
徳島を経由して帰途についている。
四回目は牟岐線の日和佐が出発駅となり、そこから室戸を目指して歩いて来た
ので、乗り潰しから言えば、日和佐からその先の終点、海部までは乗る機会が
無かったことに成る。
このようにこれまでは、四国の東を走る路線を主に利用して移動をしてきたが、
五回目からは四国の中央部を南北に貫く土讃線に舞台が移って行く。
五回目に37番を打ち終えて窪川から高知を経由した事で、多度津までの198.7キロ
に及ぶ土讃線は、乗り潰しが完了した。
そして今回は、その先の土佐くろしお鉄道・平田から歩き始めて、宿毛を経て
宇和島を目指すことに成るので、鉄道も西側を走る予讃線を利用することに成る。
最も自身の全路線の乗り潰し状況から言えば、遍路を始める時点では、四国内の
乗り残しは、内子線の伊予大洲と向井原間だけになっていたので、今回の遍路旅で
そこを上手く消化すれば、四国は全て乗り潰しが完了することに成る。(続)
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それから歩き続けた遍路の旅も、今回が七回目と成る。
その軌跡をJRの路線と絡めて見てみると、初回は11番まで終えて、鴨島から
徳島に出、帰途についているので、高松・徳島を結ぶ高徳線の74.5キロ区間は
乗り潰したことに成る。
二回目は、土讃線の阿波池田から鴨島に入った。
前回と合わせれば、佃から佐古間67.5キロの徳島線も乗り潰したことに成る。
この回は、徳島市内を歩き、18番まで打ち終えて、牟岐線の南小松島から、
徳島を経由して帰途についている。
四回目は牟岐線の日和佐が出発駅となり、そこから室戸を目指して歩いて来た
ので、乗り潰しから言えば、日和佐からその先の終点、海部までは乗る機会が
無かったことに成る。
このようにこれまでは、四国の東を走る路線を主に利用して移動をしてきたが、
五回目からは四国の中央部を南北に貫く土讃線に舞台が移って行く。
五回目に37番を打ち終えて窪川から高知を経由した事で、多度津までの198.7キロ
に及ぶ土讃線は、乗り潰しが完了した。
そして今回は、その先の土佐くろしお鉄道・平田から歩き始めて、宿毛を経て
宇和島を目指すことに成るので、鉄道も西側を走る予讃線を利用することに成る。
最も自身の全路線の乗り潰し状況から言えば、遍路を始める時点では、四国内の
乗り残しは、内子線の伊予大洲と向井原間だけになっていたので、今回の遍路旅で
そこを上手く消化すれば、四国は全て乗り潰しが完了することに成る。(続)
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