簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

鉄道地図から読めるもの

2012-12-31 | Weblog




 
 ところで、Kさんが途切れていると指摘したのは、鹿児島本線のことだ。
当時の本線は、八代から内陸部に向かい人吉・吉松を経て鹿児島に至る今日の肥薩線の
ルートで、海側のルート(現肥薩おれんじ鉄道線)が全通して、鹿児島本線と呼ばれるよう
になるのはもう少し先の事で有る。



 因みに日豊本線も、都城から吉松に至り(現吉都線)、そこからは現肥薩線のルートで
鹿児島に繋がっており、都城から隼人に至るルートはまだ出来てはいない。
そのほかにも、紀勢や山陰など、現在本線と呼ばれている幹線でも繋がっていない路線は
数多くあり、当時は中小の民間私鉄が、各地域ごとに不規則に伸びていた様子が窺える。



 国鉄としての路線網が確立されるのはまだ少し先のことに成るが、そんな中で面白いのは、
日本の南北の路線図である。



 北の稚内から宗谷海峡を挟んで、樺太庁鉄道線が書かれている。
大泊港から栄浜まで伸び、途中の小沼からは支線が川上炭山まで伸びている。
これは、当時三井鉱山株式会社が産出する石炭を輸送するのが目的で有ったらしい。
かつて日本の統治下にあった南樺太は、宗谷岬の50キロ先である。



 南に目を転じると、朝鮮半島から満州に至る路線や、台湾の鉄道線も見ることが出来る。
明治時代以降、大日本帝国が外交戦略や戦争によって獲得し統治した当時の国力を窺い
知る路線が書かれ、その時代が良く解り興味深い。(完)




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