簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

レントゲン・ボックス

2011-10-07 | Weblog
 それは、小さな箱で出来ていた。
正面には小さなのぞき穴が、他方には乳白色の擦りガラスの付いただけの箱である。
自分の手を、裸電球にかざし、その前にこの不思議な箱を置いて小穴から覗くと、まるで
レントゲン写真のように指が透け、自分の骨が見えるのだ。



 このおもちゃは、衝撃であった。
どうしても欲しかった。
家に飛んで帰り、今見た不思議な光景を、こんこんと親に説き、頼みこんでやっと貰った
お金を握りしめ、勇んで屋台に舞い戻り、勇躍小さな箱を手に入れた。



 この小さな不思議な魔法の箱を、何度も何度も夢中で覗き込んだ。
しかし何度も覗き込んでいるうちに、やがて何だか少しおかしくないか・・・と気付き
始めるのである。
指を変えて覗き込んでみても、見えるのは何時も同じ骨ばかり。

 ならばと、他人の指をかざし覗き込んでみても、骨の形は変わらない。
ここまでくればいくら童心でもおかしいと気付く。
挙句、思い切ってその小さな箱をバラシテみて、思わぬからくりに驚かされる。



 まさに典型的な子供騙しである。
箱の中にあるのは、一枚の鳥の羽根のみで、他には何も入ってはいないのだ。
光の回折現象を利用して、鳥の羽を人の指の骨のように見せていたのだ。

 氏はそれを「レントゲン・ボックス」と呼んでいて、50円だったとも書かれている。
残念ながら、私にはそこまでの明瞭な記憶は残ってはいない。



 ある朝の新聞の小さなコラムが、この不思議な箱の、ほろ苦くも懐かしい記憶を蘇ら
せてくれた。(写真は本文とは無関係)(完)


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下校路の誘惑

2011-10-05 | Weblog
 あめ細工、手作りのセルロイド船、紙芝居、ひよこ売り、あとは・・・・。
記憶の中には、色々な店が来ていたように残っているが、思い出そうとしても、
俄かに思い出す事が出来ない。



 「何か作って欲しい?」と聞かれると、周りを取り囲んだ子供達が競って手を
挙げ「○○を作って!」「××が良い」などと声を張り上げる。
「じゃぁ、今度は○○を作ろう」と和鋏の先で、チョキチョキと切りながら、
曲げたり、伸ばしたり、瞬く間に希望する物を作ってくれる。
結局それは、リクエストをした子供が買う事になるのだが・・・。



 水の入ったタライに静かに浮かんだセルロイドの切れ端で作った船。
ヒョイと掴み、水から上げ、船尾に何か挟んで再び水に戻すとあら不思議、今まで
静かに浮かんでいた船が突然勢いよく走りだす、こんなわくわくさせるおもちゃも
あった。随分と大きくなってから、魔法のエンジンの正体を知るのだが・・・。



 割り箸に付けた水あめを、コネながら見る紙芝居も楽しみの一つであった。
紙芝居が終わり、コネて、空気が混じり白くなった水あめの、そのコネ具合、白さ
加減を良く友達と競ったものだ。



 当時こう言った屋台は本当に魅力的な誘惑であった。
そしてそれらの屋台の主は、小学生が下校時にはお小遣いを持たない事を知っていて、
皆が家に帰り、お小遣いを握りしめ、再び舞い戻ってくるのを辛抱強く待っていた。

そんな中でも衝撃的であったのは、氏が書かれているあるおもちゃの事である。(続)


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半世紀も前の事

2011-10-03 | Weblog
 以前、新聞を読んでいて興味深い記事に出会った。
学研科学創造研究所長・湯本博文氏が書かれたコラムだ。

 その新聞記事は、もうすっかり忘れてしまっていて、時として思い出すことさえ無かった
有る出来事、それは多分に何となく懐かしくもあり、苦い体験でもあった半世紀以上も前の
思い出を鮮明に蘇らせてくれた。



 まだ小学生・・・、何年生の頃のことだったか定かに思い出すことは出来ない。
低学年だったと思う。
記憶が間違っていなければ、当時は集団下校などと言うものは無かった。
(有ったとしても、週に一回くらいのような気もしているが・・違っているかも知れない。)
 
 授業が終わると、多くの場合、校庭にランドセルを放り投げ、何人か集まれば三角ベース
ボールを、また鉄棒やウンテイ(と言ったように記憶しているが)にぶら下がり、ある者は
砂場で相撲に興じたりして放課後を遊び呆けていた。



 また、同じ方向に帰る者がいれば、二人・三人と連れだって、時には石やカンを蹴りながら、
そしてある時は畑から失敬した良く熟れたトマトを齧りながら・・・。
今のようにボランティアの見守隊も、親の付添いも無いので、自由気ままに道草を楽しんでいた。





 時には、下校する小学生を目当てに、正門に近い道路には、自転車に荷を乗せて、あるいは
リアカーを引いた屋台が時々来ては色々な物を売り捌いていた。
巧みな口上で幼心を掴むこれらの屋台は、時には好奇心をくすぐる、心わくわくするものでも
あった。(続)


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