簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

そうは言っても「数え年」(チョット一息)

2025-01-03 | Weblog
 法的に言うと、人は誕生日の前日が終了する時(午後12時)に歳を
一つとる(満年齢に達する)、とされている。
 よって厳密に言うとハッピーバースデーは、生まれた日ではなく誕
生日の前日が終わる直前の時となる。 



 とはいえ、一般市民の生活では、法の定めにかかわらず、昔ながらの
「数え年」が使われ続けていた。
日本で「満年齢」が本格的に普及するのは、第二次世界大戦後の1950年
代の中半以降と言われている。


 
 今でも神社などの「厄年」や、「七(帯解の儀)・五(袴着の儀)・
三(髪置きの儀)の祝い」は「数え年」で行うのが正式とされている。
長寿の祝い事である「還暦」や「古希」、「米寿」なども、元を言えば
「数え年」での決め事である。



 特に「還暦」は、本来の意味が「暦が還る」という字の通り、十干十
二支による生まれ年の干支が一回りして60年後に戻ってくるということ
で、「数え年61歳の祝い」となる。



 仏事で言うところの「享年」も「数え年」で表すのが一般的と言わ
れている。故人を偲ぶ儀式の「法要」も没後一年後の年忌法要は「一
周忌」であるが、二年目からは亡くなった年を一年目とする「数え年
の数え方」になるため「三回忌」となり以降は全て「数え年」である。



 今日、国や地方公共機関に対しては、法令で「満年齢」の使用が義務
付けられているが、それは民間の慶事や法事などの伝統行事にまでは及
ぶことでもないらしい。従って神社などの厄年や厄除けは、今でも「数
え年」を使うという。



 「数え年」「満年齢」のどちらにするかは、伝統に則る事が好ましい
とは言うが、「こうした意味や由来を考え、家族、当事者の思いで柔軟
に決めれば良い」、と言うのが今日一般的な解釈・運用らしい。
(写真:熊野速玉大社 本文とは無関係)

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お正月に齢を重ねる(チョット一息)

2025-01-01 | Weblog


 今年も無事にお正月を迎えることが出来、又一つ齢(よわい)を重ね
ることが出来た。昔から日本のお正月は、年神様を我が家にお迎えする
大切な日と考えられている。その為年末に大掃除をして室内を掃き清め、
玄関にはその目印となる門松を立てていた。



 お正月になると年神様は家々を訪ねられ、人々に分け隔て無く公平に
一つ歳を授け、「お年玉(一年を生き抜く霊力)」を下さるのである。
 昔は公家や武家等身分の高い人々は兎も角、庶民の間では誕生日を祝
う習慣がなかったので、このような考えから正月元日を迎えると皆が一
斉に一つ年を取っていたのである。



 所謂「数え年(かぞえどし)」と言い生まれると「数え一歳」である。
これは「お母さんのおなかの中に命が宿った時」が誕生日・零歳で、無
事に生まれたので一歳という、仏教の考え方が起源と言われている。
以後正月を迎える毎に一つずつ増えていく。



 と言うのはもはや昔の感覚で、今日では歳は誕生日を迎えると一つ加
算される。生まれたときは「ゼロ歳」で、以後誕生日ごとに歳を重ねる
のが「満年齢」だ。
 調べてみると、明治維新を迎えると新政府は、明治6(1873)年の
「太政官布告」で、満年齢による年齢計算を定めている。



 これは後の明治35(1902)年に「出生日を起算日として民法に定め
る期間計算で年齢を計算する」と改められた。
誕生日の前日が終了する午後12時に歳を一つとると言うもので、結果
的に「満年齢」での年齢計算を規定することになった。



 であるから今日では、お正月を恙なく無事に迎え、年神様に来て頂い
てお年玉はいただけても、歳はいただけないのである。
(写真:熊野本宮大社 本文とは無関係)

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