街道ウォーク<旧東海道<府中宿(静岡駅)~金谷宿(金谷駅)
2011年6月5日 7回目
日本橋から188km
静岡県静岡市駿河区丸子
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街道ウォーク<旧東海道<府中宿(静岡駅)~金谷宿(金谷駅)
2011年6月5日 7回目
日本橋から188km
静岡県静岡市駿河区丸子
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街道ウォーク<旧東海道<府中宿(静岡駅)~金谷宿(金谷駅)
2011年6月5日 7回目
丸子宿碑他
▲ 丸子宿碑
▲江戸時代の丸子宿▼
▲旧東海道案内▼
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2011年6月5日 7回目
丁子屋
静岡県静岡市駿河区丸子
東海道五十三次の20番目の宿場町で、東海道の中で最も小さい宿場町であった“丸子(まりこ)宿”跡に、とろろ汁の老舗「元祖 丁子屋(ちょうじや)」があります。「丁子屋」は慶長元年(1596年)創業で、松尾芭蕉の俳句や十返舍一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛』、安藤広重の『東海道五十三次』にも出てくる歴史に名を残す名店です。
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2011年6月5日 7回目
日本橋から186km地点
▲静岡県静岡市駿河区丸子六丁目
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2011年6月5日 7回目
安倍川
安倍川(あべかわ)は、静岡県静岡市葵区および駿河区を流れる河川。一級水系安倍川の本流である。清流としても有名で、その伏流水は静岡市の水道水にも使われている。大河川でありながら本流・支流にひとつもダムが無い珍しい川である。よく見聞きする表記として「安部川」や「あべがわ」があるが、これらは誤りである。安倍川のたもとで売られている名物に「安倍川もち」があるが、地元以外では餅に黄な粉をまぶして食べる食べ方を「安倍川」と呼ぶことがある。Wikipediaより
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2011年6月5日 7回目
由比正雪の墓/安倍川義夫の碑
由比正雪の墓
静岡県静岡市葵区沓谷1344-4(正党山菩提樹院)
由比正雪:江戸初期の軍学者。駿河国由比の人。江戸に出て楠木流軍学の塾を開き多数の門人を集めた。1651年浪人を糾合、三代将軍家光の死に乗じて倒幕を企てたが、事前に露顕、自殺した(慶安事件)。三省堂 大辞林
▲由比正雪の墓
安倍川義夫の碑
▲安部川義夫の碑▼
この碑は、正直な川越人夫の顕彰碑である。元文三年 ( 1738 ) 初秋の頃、紀州の漁夫が仲間と貯めた金百五十両の大金を持って、安倍川を渡ろうと川越人夫を頼んだが、渡し賃が高いため、自分で川を渡った。しかし、着物を脱ぐ際に、大切な財布を落としてしまったのである。たまたま、その近くにいた人夫の一人 ( 川原町彦右衛門の息子喜兵衛 ) が財布を拾い旅人のあとを追い、宇津の谷峠で引き返してくる旅人に出会って財布を渡した。旅人は喜んで礼金を払おうとしたが、 「 拾ったものを落とし主に返すのは当たり前のことだ 」 といって、喜兵衛はどうしても受け取らないので、駿府町奉行所に礼金を届けた。そこで、町奉行が喜兵衛を呼び出し、礼金を渡そうとしたが受け取らないので、その金を旅人に返し、代わりに奉行所からほうびの金を喜兵衛に渡したのである。昭和4年 ( 1929 ) 、和歌山県と静岡県の学童や有志の人々の募金によって、安倍川橋の近くのこの地に碑が建てられたのである。
▲安倍川はすぐそこ
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一里塚跡
・・・・・・・一里塚はしない長沼、本通八丁目、丸子・・・・所に設置されたがいずれも現形をとどめていない。本通りの一里塚はその位置を変え、ここに移動してきたものである。現在、県内に残っている三島市錦田の一里塚は、日本橋から二十八里の地点に築かれたもので、大正十一年、国の史跡に指定されているほどである。 昭和五十九年三月 靜岡市 とある
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2011年6月5日 7回目
静岡駅
静岡県静岡市葵区黒金町
静岡駅(しずおかえき)は、静岡県静岡市葵区黒金町にある、東海旅客鉄道(JR東海)の駅である。東靜岡駅← →安倍川駅
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