コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

下諏訪宿本陣(岩波家)~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:45:49 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

下諏訪宿本陣(岩波家)

長野県諏訪郡下諏訪町

下諏訪が中山道の宿場町として栄えていたころ、本陣として栄え、江戸時代には参勤交代の諸大名など身分の高い人を泊めるための旅籠として使われていた。1861年(文久元)には皇女和宮[かずのみや]が徳川14代将軍家茂[いえもち]に嫁ぐ途中に宿泊し、その際利用した上段の間が現在も残っている。約2650平方mの敷地には京風の武家屋敷や茶屋、土蔵などが立ち、当時を偲ばせる。また、銘石を配した築庭式石庭園は、中山道随一の名園といわれている。JTBより

 

 

 

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古い建物(下諏訪)~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:45:34 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

 古い建物(下諏訪)

 

 

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下諏訪一里塚跡(55里)~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:45:19 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

下諏訪一里塚跡(55里)

 

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万治の石仏(長野県下諏訪町東山田字石仏)

2012-06-22 14:45:08 | その他

2012年6月1日 長野県 

万治の石仏

長野県下諏訪町東山田字石仏

高さ2mほどの半球状の自然石に頭が載ったユニークな石仏です。言い伝えによると、諏訪・高島藩主が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を依頼し、石工がこの地にあった巨石にノミを入れたところ、そこから血が流れ出しました。石工は驚いて石に阿弥陀如来をまつったと伝えられています。胴には万治3年(1660年)と刻まれており「万治の石仏」と名付けられました。画家の岡本太郎さんや作家の新田次郎さんが絶賛。最近はメディアにも取り上げられ、訪れる人がひっきりなしです。(下諏訪観光協会ホームページより)

  

南無阿弥陀仏万治三年(1660)十一月一日
願主・明誉浄光 心誉廣春
 伝説によると、諏訪大社下社(春宮)に石の大鳥居を造る時、この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている)。 その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ、果たしてそこに良材を見つけることができ鳥居は完成したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来をまつって記念とした。尚この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。下諏訪町

 

 

  

 

 

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万治の石仏(長野県下諏訪町東山田字石仏)~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:45:05 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

 

万治の石仏

長野県下諏訪町東山田字石仏

高さ2mほどの半球状の自然石に頭が載ったユニークな石仏です。言い伝えによると、諏訪・高島藩主が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を依頼し、石工がこの地にあった巨石にノミを入れたところ、そこから血が流れ出しました。石工は驚いて石に阿弥陀如来をまつったと伝えられています。胴には万治3年(1660年)と刻まれており「万治の石仏」と名付けられました。画家の岡本太郎さんや作家の新田次郎さんが絶賛。最近はメディアにも取り上げられ、訪れる人がひっきりなしです。(下諏訪観光協会ホームページより)

南無阿弥陀仏万治三年(1660)十一月一日
願主・明誉浄光 心誉廣春
 伝説によると、諏訪大社下社(春宮)に石の大鳥居を造る時、この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている)。 その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ、果たしてそこに良材を見つけることができ鳥居は完成したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来をまつって記念とした。尚この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。下諏訪町

 

 

  

 

 

 

 

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諏訪大社春宮(長野県諏訪郡下諏訪町)~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:45:04 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

諏訪大社春宮

長野県諏訪郡下諏訪町

 

▲左右片拝殿▼ 重文

 

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諏訪大社春宮へ続く杉並木~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:44:48 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

 諏訪大社春宮へ続く杉並木

  

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諏訪湖が見えてきた~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:44:31 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

 諏訪湖が見えてきた

  

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電気発祥の地(落合発電所)(長野県下諏訪町)~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:44:15 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

電気発祥の地(落合発電所)

長野県下諏訪町

諏訪地方の電気発祥の地:諏訪の地に、電気の灯が点いて100年の歳月がたちました。明治11年(1878年)日本で、初めて電気の灯りがともり、明治20年代に、白熱灯の実用化とともに、電気の灯りは日本国内に広まり始め、諏訪の地にも水力発電所建設の機運が生まれました。

 

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木落し坂~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:43:52 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目  

木落し坂

御柱祭の最大の見せ場として知られる諏訪大社下社「木落し坂」。長さ100m、斜度35度の難所で、砥川の対岸には観覧席が見えます。信州しもすわより

 

▲御柱▼

▲想像以上に急な坂でした



 

木落し坂から街道へ

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マンホール~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:43:36 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

 マンホール

 

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樋橋一里塚(54里)~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:43:19 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

樋橋一里塚(54里)

 

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樋橋茶屋本陣跡(長野県諏訪郡下諏訪町樋橋)~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:43:03 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

樋橋茶屋本陣跡

諏訪郡下諏訪町樋橋

下諏訪宿から和田峠にかかり6キロメートルばかり登ったところに樋橋という本陣茶屋のある立場があった。家は10軒ばかりで、茶屋が数軒あったという。八十二文化財団より

  

下諏訪指定文化財

江戸時代のはじめめ中山道は五街道の一つに指定されて幹道になり宿駅の整備が行われその時、下諏訪・和田両宿間、五里十八丁(約22キロ)の峠路に立場茶屋としてつくられた一つがこの樋橋で茶屋本陣小松嘉兵衛を中心に何軒か茶屋が出来た。本陣には御殿とよぶ小建築があって文久元年十一月六日には和宮様のお小休みがあった。元治元年十一月には和田嶺合戦の戦場になるなど交通の要地なるがゆえの事件はたくさんあった。昭和四十五年六月一六日 指定 下諏訪町教育委員会

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浪人塚~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:42:48 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

浪人塚 

下諏訪町文化財 史跡
浪人塚
ここは浪人塚と言い、今から120年前元治元年(1864)11月20日に、この一帯で水戸の浪士武田耕雲斎たち千人余と松本、諏訪の連合軍千余人が戦った古戦場でもある。主要武器はきわめて初歩の大砲十門位づつと猟銃少しだけで、あとは弓、槍、刀が主要武器として使われた。半日戦に浪士軍に10余、松本勢に四、諏訪勢に六柱の戦死者があり、浪士たちは、戦没者をここに埋めていったが、高島藩は塚を造って祀った。碑には当時水戸に照会して得た六柱だけ名前が刻まれている。明治維新を前にして尊い人柱であった。
昭和四十六年三月五日 指定 下諏訪町教育委員会 

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標高1200m地点~旧中山道を歩く(8回目)

2012-06-22 14:42:32 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>長久保宿(宿泊) ~下諏訪宿(駅)
2012年6月1日 8回目 

標高1200m地点 

 

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