2014年5月22日 山形県
米沢城本丸跡(上杉神社) 100名城
山形県米沢市丸の内
明治9年、上杉謙信公、上杉鷹山公を祭神として、米沢城本丸跡に建立されました。明治35年に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=明治政府が定めた神社の位置づけ、分類を表す。国に尽力した人物を祀る神社)に指定され、このとき祭神は謙信公のみとなり、鷹山公は摂社に祀られ松岬神社となりました。大正8年に起こった米沢大火で類焼、ほとんどの建物が焼け落ちてしまいましたが、その後国からの援助金や米沢市民の労働奉仕などにより、大正12年、現在の神社が完成しました。米沢観光navi
▲珍しい透かし塀
▲稽照殿 (上杉神社の宝物殿)
▲上杉謙信公祠堂跡:明治9年に上杉家御廟所に移されるまで「上杉謙信公」のご遺骸はここにありました。
▲上杉鷹山像
上杉鷹山:上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) / 上杉 治憲(うえすぎ はるのり、1751年9月9日 - 1822年4月2日)は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。諱は初め勝興、後に治憲であるが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名である。上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) / 上杉 治憲(うえすぎ はるのり、1751年9月9日 - 1822年4月2日)は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。諱は初め勝興、後に治憲であるが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名である。
鷹山の名言:「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
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