2014年5月23日 福島県
二本松城 (霞ヶ城)100名城
福島県二本松市郭内
二本松城は二本松市街地の北に位置し、麓の居館と、標高345mの「白旗が峰」に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城である。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となった。現在は「霞ヶ城公園」として整備されており、石垣と再建された箕輪門がある。山上の本丸には天守台、石垣が近年になって再構築された。また、城の入り口には二本松藩7代藩主・丹羽高寛が、家臣で儒学者の岩井田昨非の献策により、一夜のうちに自然石に藩政改革と綱紀粛正の指針を刻ませた「戒石銘碑」があり、1935年(昭和10年)に「旧二本松藩戒石銘碑」として国の史跡に指定されている。城郭由来の建造物として、県指定文化財の茶亭「洗心亭」が、明治時代に城内に再移築され現存する。
箕輪門
丹羽光重公は、霞ヶ城築城にあわせて門の建設も行い、材料となる樫(カシ)の木を領内全域に手を尽くして求めた結果、箕輪村(現在の二本松市内)山王寺山のご神木を主材とし、この門を楼門として立派に完成し、「箕輪門」と命名しました。石垣と累々たる城壁、城門は十万石大名の威容を示していました。戊辰戦争によって、灰燼(かいじん)と帰しましたが、再建の声が高まり、昭和57(1982)年に再建されました
洗心亭:霞ヶ城内の庭園にいくつかあった茶室の一つ
▲ 霞ヶ城の傘マツ
▲安達太良山
▲搦手門
▲東櫓台
▲西櫓台
▲天守台▼
▲奥の山並みには安達太良山が見えたはずだが。。。。
▲修復されていない石垣
▲戒石銘碑
旧二本松藩戒石銘碑(きゅうにほんまつはんかいせきめいひ)は、二本松藩第7代藩主丹羽高寛が、家臣で儒学者の岩井田昨非の献策により、藩士の戒めとして旧二本松城の入り口にあたる場所(現福島県二本松市郭内3丁目)に設置した石碑。一夜のうちに自然石(花崗岩)の露出面に刻まれたという。1935年(昭和10年)12月24日、国の史跡に指定された。
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