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熊川宿(重要伝統的建造物群保存地区)~福井県三方上中郡若狭町熊川

2014-06-19 05:08:17 | 重要伝統的建造物群保存地区

2014年4月30日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

熊川宿 重要伝統的建造物群保存地区

福井県三方上中郡若狭町熊川

熊川の宿は、若狭から京都を結ぶ重要な宿場で、特に天正17年以来発展を続けました。奉行所・番所・お蔵屋敷の跡が残り、情緒あふれる街道沿いには、昔ながらの用水路が流れています。豊臣時代から藩政末期におよぶ古文書・御用日記なども保存されています。熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、往年の繁栄を偲ぶ町並みが保存されています。 ふくいドットコム

18世紀後半より大量の鯖が若狭から京へと運ばれた事から、鯖街道と呼ばれるようになった鯖街道。この街道にある熊川宿は、天正17年(1589年)、熊川が交通と軍事において重要な場所であることから、秀吉に重用され、若狭の領主となった浅野長政により作られた宿場町です。現在は国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されており、古い建物を生かした資料館や喫茶店を散策することができます。熊川の町並みの特徴は、街道に面して多様な形式の建物が建ち並んでいるところです。福ふくガイド

※敦賀駅からJRで上中駅へ。そこからバス利用。若狭熊川で下車。アクセスは悪いぞ!

 

▲多分東口?の高札場風案内板

▲熊川番所正門:宿場町入口にあった番所をもとの場所に復元。

▲?

▲ふくいの伝統的民家

 

▲旧逸見勘兵衛家▼町指定文化財

▲ 若狭鯖街道熊川宿資料館 宿場館 以前は村役場

▲ふくいの伝統的民家

▲前川

まがり:下ノ町と中ノ町の境で、いわゆる「ます形」の矩折れになっており、熊川では「まがり」と呼びます。昔、敵の突進を防ぐために作られたであろう曲がり角で、藩の規則や命令などを掲示する高札場(こうさつば)にもなったようです。ます形は宿場町の入口にあるのが通例ですが、熊川で町中にあるのは、これより西側を下新町(しもしんまち)とも呼ぶことから、町が徐々に西に向かって伸びていったと考えられます。熊川宿ホームページより

※ここから路線バス 次の目的地の「小浜西組」へ

 
▲上中(上中)駅 JR西日本小浜線

福井県三方上中郡若狭町井ノ口

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旧敦賀港駅舎・~福井県敦賀市金ヶ崎町

2014-06-17 18:53:22 | 洋館

2014年4月30日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

旧敦賀港駅舎

福井県敦賀市金ヶ崎町

とんがり屋根が印象的な旧敦賀港駅舎。「欧亜国際連絡列車」の発着駅としてかつて重要な位置を占めていた敦賀港駅舎を1999年の「つるがきらめみなと博21」開催時に再現したものです。敦賀は古くから大陸への玄関口として栄え、近代に入ると日本海側で最初に鉄道が走るなど、港と鉄道の街として発展してきました。時代背景を交えながら敦賀の鉄道に関する歴史を紹介し、鉄道資料や列車模型などを展示しています。ふくいドットコム

 

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旧敦賀港駅舎~福井県敦賀市金ヶ崎町

2014-06-17 18:52:22 | 鉄道・駅

2014年4月30日 福井県

旧敦賀港駅舎

福井県敦賀市金ヶ崎町

とんがり屋根が印象的な旧敦賀港駅舎。「欧亜国際連絡列車」の発着駅としてかつて重要な位置を占めていた敦賀港駅舎を1999年の「つるがきらめみなと博21」開催時に再現したものです。敦賀は古くから大陸への玄関口として栄え、近代に入ると日本海側で最初に鉄道が走るなど、港と鉄道の街として発展してきました。時代背景を交えながら敦賀の鉄道に関する歴史を紹介し、鉄道資料や列車模型などを展示しています。ふくいドットコム

 

2014-06-17 18:52:22

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敦賀の赤レンガ倉庫~福井県敦賀市

2014-06-17 04:43:19 | 洋館

2014年4月30日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

敦賀の赤レンガ倉庫 

福井県敦賀市金ケ崎町

明治から昭和初期にかけて港を中心に国際的な都市として発展した敦賀。その当時の面影を今もとどめる建造物だ。1905年(明治38)に紐育[ニューヨーク]スタンダード石油会社によって建てられた。オランダ製レンガ造りの建物は外国人の設計で、柱6本の内側に壁を設けているため内部は無柱の空間となっていることやフィート単位で造られているのが特徴。るるぶ.com

 

 

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敦賀港駅ランプ小屋(赤煉瓦)~福井県敦賀市金ケ崎町

2014-06-15 14:01:41 | 洋館

2014年4月30日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

敦賀港駅ランプ小屋(赤煉瓦)

福井県敦賀市金ケ崎町 

敦賀港駅は当初金ヶ崎駅と呼ばれていました。明治末期から昭和初期にかけて欧亜国際列車が運行され、ここからウラジオストク航路に乗り継ぎ、遥か欧州を目指す人や荷物で賑わっていた場所です。ランプ小屋は、列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫として、かつては主要な駅に一般的に存在したものです。しかし光源が電灯に変わるなどして、その用途が消滅すると、駅の増改築などで急速にその姿を消していきました。ランプ小屋は1882年(明治15年)頃に建てられました。近代のコンクリートブロックやスレート造のものとは違い、丁寧に積み上げられたレンガや開口部のアーチなどは、独特の趣があります。そのレンガには、ところどころに四角い小さな文字が刻まれています。これはレンガを作った職人のサインのようなものです。漫遊敦賀より

 

関連

▲白石駅(宮城県)構内の油庫 

 

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金ケ崎城跡(金ヶ崎山)~福井県敦賀市金ヶ崎町

2014-06-15 06:03:32 | その他の城

2014年4月30日 福井県 早朝

金ケ崎城跡 (金ヶ崎山)

 福井県敦賀市金ヶ崎町

敦賀湾を一望する小高い山、そこに『金ヶ崎城跡』があります。延元元年(1336年)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場です。戦いは激しさを極め、尊良親王ら300人は籠城から半年後、城に火を放ち自害しました。中腹の金崎宮には、その両親王が祀られています。また、この地には戦国時代の「つはものども」の気迫を今に伝える、数々の逸話も残っています。 ―時は元亀元(1570)年4月。朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとしたその時、近江浅井氏裏切りの報が。窮地に陥った信長だったが、金ヶ崎城でしんがりを努めた木下籐吉郎(豊臣秀吉)の活躍で、無事帰京できたという― 姉川の合戦で、浅井・朝倉連合軍を敗った信長。そして、その信を受け天下取りの道を進んだ秀吉。さらに、秀吉のしんがりを助け、後に謝意を受けた徳川家康…金ヶ崎城をめぐる出来事は、それぞれの武将にとって天下取りへの転換点となっているのです。敦賀観光案内サイトより

以前ここにお城があったことはこの石碑でわかるが今はなにもありません!

▲金崎宮

▲敦賀港

▲敦賀湾

月見御殿(南北朝時代の金ヶ崎城の本丸跡)より

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気比神宮(鳥居重要文化財)狛犬~福井県敦賀市

2014-06-14 09:22:43 | 神社・仏閣・教会

2014年4月30日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

気比神宮 重要文化財

福井県敦賀市曙町

仲哀天皇ほか六座を祀り、「越前一の宮」「北陸道の総鎮守」とも称される古社です。佐渡ヶ島から漂着したムロで建立したと伝わる大鳥居は、木造としては、「広島・厳島神社」「奈良・春日大社」と並ぶ「日本三大木造大鳥居」のひとつで、国の重要文化財に指定されています。

大鳥居

境内入口に建てられている大鳥居は、江戸時代前期の正保2年(1645年)の造営。木造朱塗の両部鳥居で、高さ36尺(10.93メートル)・柱間24尺である。扁額「氣比神宮」は有栖川宮威仁親王の染筆になる。

立髪か?

 

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復元武家屋敷(一乗谷朝倉氏遺跡)

2014-06-13 22:26:58 | 遺産・遺跡など

2014年4月29日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

復元武家屋敷 (一乗谷朝倉氏遺跡)

ここでは、塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路をはさんで、武家屋敷や庶民の町屋が成形されていた様子がリアルに再現されています。 一般社団法人 朝倉氏遺跡保存協会 ホームページより

※ 路線バスで福井駅へ 福井駅からJRで敦賀駅へ  敦賀に着いたのは19時過ぎ

 

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一乗谷朝倉氏遺跡(100名城)~福井県福井市城戸ノ内町

2014-06-13 06:29:01 | 100名城

2014年4月29日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

一乗谷朝倉氏遺跡 100名城

福井県福井市城戸ノ内町

福井市の南東約10キロ、一乗谷にある朝倉氏遺跡は、戦国時代に朝倉氏五代が103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡。武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。 ふくいドットコム

 

唐門

朝倉館跡正面の堀に面して建つ、幅2.3メートルの唐破風造り屋根の門(向唐門)。朝倉氏の遺構ではなく、のちに建てられていた松雲院の寺門として朝倉義景の菩提を弔うために作られたと伝わる。門表には朝倉家の三ッ木瓜の紋が刻まれている。現存するものは江戸時代中期頃に再建されたものである。

 

▲唐門は朝倉氏の遺構ではなく、少々がっかり。。。

▲土塁

▲堀と土塁

 

▲基礎の石?なんだろうな~

▲空堀

▲庭園跡とか?

朝倉義景公墓所

朝倉義景:(1533~1573) 戦国大名。孝景(たかかげ) の子。初名延景。織田信長としばしば交戦,姉川の戦いで大敗。のち信長に一乗谷を攻撃されて自殺し,朝倉氏は滅亡した。

▲この写真にも遺構が写っているはずですが、何が何だか???

※想像を膨らまし、当時の様子を思い浮かべてみたが・・・・・

思い浮かぶのは「夏草や つわものどもの 夢のあと」・・・・・

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丸岡城(別名霞ヶ城)100名城~福井県坂井市丸岡町

2014-06-12 06:22:13 | 100名城

2014年4月29日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

丸岡城(別名霞ヶ城) 100名城 重要文化財

福井県坂井市丸岡町霞町

丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しい。丸岡は、天正4年(1576年)、柴田勝家の甥の勝豊が丸岡城を築き、城下町を整備したのが都市的起源とされています。丸岡城は柴田勝豊によって築城され、国の重要文化財です。外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣で石垣は”野づら積み”という古い方式で、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。柴田勝豊の後、城主は、安井家清・青山宗勝・青山忠元を経て慶長18年(1613年)に、本多成重に代わったが、本多氏は4代で改易。元禄8年(1695年)、越後糸魚川から有馬清純が5万石で入城し、幕末に至るまで8代続きました。坂井市丸岡観光協会より

▲大変珍しい継手だそうです

▲堀は埋め立てられ道路となっている

 

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永平寺~福井県吉田郡永平寺町

2014-06-11 06:05:57 | 神社・仏閣・教会

2014年4月29日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

永平寺

福井県吉田郡永平寺町

永平寺は、今から約760年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創された出家参禅の道場。大佛寺山に拠って、渓声山色豊かな幽邃の境に七堂伽藍を中心とした大小70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいる。今もつねに2百余名の修行僧が、日夜修行に励んでいる。境内は約10万坪(33万平方メートル)の広さをもち、樹齢700年といわれる鬱蒼とした老杉に囲まれた静寂なたたずまいは、出家道場として誠にふさわしい霊域である。永平寺町観光ガイドより

▲通用門

 

傘松閣の絵天井
 

 

山門

▲中雀門 ?

 

大庫院

 

承陽殿

 ▲承陽門
 

 

法堂

覚王宝殿(仏殿)

 

山門

▲報恩塔

▲永平寺の家紋「竜胆」 この家紋は後日お目にかかることになった

▲名物 胡麻豆腐 味は・・・・・・・・

※ 参拝は内部のみで、今どこにいるのかわからなくなってしまう!!写真のキャプションに誤りがあるかも?

※ 永平寺から路線バスにて丸岡城へ向かう

 

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旧京都電燈古市変電所(登録有形文化財)~福井県吉田郡永平寺町

2014-06-10 10:40:40 | 洋館

2014年4月29日 福井県

旧京都電燈古市変電所 登録有形文化財

福井県吉田郡永平寺町

永平寺口駅構内にあり、駅本屋の90m東に位置する。桁行19m梁間8.0m、妻入で、西面して建つ。煉瓦造平屋建、切妻造桟瓦葺で、木造トラスとし、開口部の頂端部を迫石とした煉瓦アーチで造る。丁寧なつくりになる、県内有数の大規模な煉瓦造建築。

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永平寺口駅(えちぜん鉄道)旧駅舎~福井県吉田郡永平寺町

2014-06-10 10:40:39 | 鉄道・駅

2014年4月29日 福井県

永平寺口駅(えちぜん鉄道)旧駅舎

福井県吉田郡永平寺町

正14年(1925年)9月に永平寺鉄道の駅として開業した。その後、駅名は永平寺-東古市と変わり、えちぜん鉄道になって最初の永平寺口に戻った。京福電鉄が運行休止に追い込まれる前はここから永平寺の近くの永平寺まで線路が繋がっていたが、利用客が少なくバスで代行可能なことから廃線となった。

 

2014-06-10 10:40:39

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永平寺口駅(えちぜん鉄道)~福井県吉田郡永平寺町

2014-06-10 10:40:38 | 鉄道・駅

2014年4月29日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

永平寺口駅(えちぜん鉄道)

福井県吉田郡永平寺町

※永平寺へは福井駅からえちぜん鉄道で永平寺口駅へ。そこから路線バスにて永平寺へ。とにかく交通が不便!永平寺口駅でかなりの時間バス待ち。。

 

▲えちぜん鉄道 福井駅にて

▲永平寺口駅

  

旧駅舎

大正14年(1925年)9月に永平寺鉄道の駅として開業した。その後、駅名は永平寺-東古市と変わり、えちぜん鉄道になって最初の永平寺口に戻った。京福電鉄が運行休止に追い込まれる前はここから永平寺の近くの永平寺まで線路が繋がっていたが、利用客が少なくバスで代行可能なことから廃線となった。

 

▲現在の駅舎

 赤レンガ倉庫

永平寺口駅そばにあった赤レンガ倉庫。客待ちのタクシードライバーによると、この倉庫はえちぜん鉄道の倉庫だったとのこと。改修予定があるそうです。

追記:2019年1月 この赤煉瓦倉庫は旧京都電燈古市変電所で、登録有形文化財として改修され保存されている。

  

 

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