一ノ俣温泉の帰途、雨になりそうだから、帰りの道筋で寄り道をして歩いてみようということになり、久しぶりに長府の武家屋敷の面影をとどめる町筋を歩いて見ました。
明治天皇に殉死した乃木将軍夫妻を祀った乃木神社に車を停め、明治を生きた硬骨の武将ゆかりの品々や、ロシヤとの講和の地ゆかりの棗の木などを見て、小学生だったころ遠足でこの神社に連れてこられた日を懐かしみました。
下級武士の質素な家と、庭の片隅の井戸は、訪れる人もなくひっそりと山茶花が散っていました。
功山寺に回る途中、横枕小路の土塀の間を抜けていましたら、長屋門が見えたのではいってみると、公園らしき整備された屋敷跡がありました。門の傍らに、まだ紅葉のさかりの1本が崩れた白壁を明るく照らしていました。
功山寺は、春の季節ならば、櫻の古木が左右から荘厳する本堂も、明治維新回天の挙兵をここ功山寺であげた高杉晋作の銅像も、今は隙間の多い空間に寒々しく見えました。思えば、このクーデターが長州藩を再び討幕へみちびき、維新が大きく動きだすことになったと、感慨にふけったことでした。
画像は5枚です。

下級武士の質素な家と、庭の片隅の井戸は、訪れる人もなくひっそりと山茶花が散っていました。
功山寺に回る途中、横枕小路の土塀の間を抜けていましたら、長屋門が見えたのではいってみると、公園らしき整備された屋敷跡がありました。門の傍らに、まだ紅葉のさかりの1本が崩れた白壁を明るく照らしていました。
功山寺は、春の季節ならば、櫻の古木が左右から荘厳する本堂も、明治維新回天の挙兵をここ功山寺であげた高杉晋作の銅像も、今は隙間の多い空間に寒々しく見えました。思えば、このクーデターが長州藩を再び討幕へみちびき、維新が大きく動きだすことになったと、感慨にふけったことでした。
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<最古の禅寺様式を残す鎌倉期の仏殿(国宝)> |
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