雀の手箱

折々の記録と墨彩画

たまきはる

2011年06月18日 | 塵界茫々
 「光のおばちゃん」と愛称で呼んでいたいとこが突然に逝きました。
 「みまき会」の従兄弟達のなかでは最高齢の、94歳という齢に不足はないとはいえ、唐突すぎました。
 なんとなく気分がすぐれないし、食欲がないというので、大阪に離れて暮らす息子が帰省してきて、念のため検査をというので入院し、主治医の先生とも午後9時過ぎまで話をしたあと1時間半くらいで容態が急変したようです。
 
 息子が一人暮らしを案じて電話しても、大抵は帰らなくていいと断るのに、いつになく黙っているからと、不安になって帰ってきたようでした。
 考えてみると、おばちゃんに相応しい “大往生”だったと思います。願わくは、自分もこうあらまほしとさえ思います。
 1週間ほど前、そら豆が採れたからと弟のところに宅急便で届けられたのを、お福分けでもらったばかりでした。病院通いの切れ間のない私達よりきっと長生きするだろうと言い合っていたことでした。
 昨年の「みまき会」には、弟の迎えの車に乗って、はるばる光(山口県の広島寄り)から参加して、日田・天ヶ瀬を巡る1泊の旅をみんなと楽しんだのがお別れとなりました。
 おばちゃんは、両親との縁が薄く、私の母が五人兄弟の末子で、片や夭逝した長兄の長女だったので、一緒に育って、母とは姉妹のような間柄でした。わたしたちも自然「おばちゃん」と呼んでいました。
 望まれて大きな乾物問屋へ嫁いだのですが、平穏な幸せの日々は短く、戦争未亡人となりました。何度か再婚を勧める話があったのを記憶していますが、一切耳をかさず、強制疎開を期に、幼い息子を抱え、姑と三人で夫の郷里に戻り女手で店を切り盛りしていました。
 手先が器用で、わが家にも木目込みの立ち雛が形見となって遺されています。株式をはじめ、経済の話も的を外さず、80を過ぎてなお自分に都合よく古い家も大改造し、気ままな一人暮らしを楽しんでいると思っていました。
 現在NHKの朝の連続ドラマで放映中の「おひさま」に登場する誰彼に、おばちゃんの生き方を重ねて想う毎日での訃報でした。
 このところ夫の体調がすぐれないので、前日から1泊で葬儀に参加するという弟の車に便乗して一緒に出かけるわけにもいかず、遥かに冥福を祈るばかりです。