雀の手箱

折々の記録と墨彩画

明日は節分

2015年02月02日 | 塵界茫々
 早いもので、もう二月と月も改まってしまいました。風邪のような、疲労のようなけだるい状態で、パソコンも開かない日が続いていました。
 明日、3日は節分です。
 節分は、季節の分かれ目を意味するからには、春夏秋冬の節分があるはずで、平安時代の文学作品にも秋の節分の日の方違えの事が出ていた記憶があります。
 昔、興味を持って節分の行事を調べたことがありますが、宮中行事の追儺(追儺・鬼やらいの行事で、大晦日の夜)まで入れると、かなり遡りますが、節分に豆撒きをして、「福は内、鬼は外」とはやし立てるのは南北朝のころから行われたようです。ただ民衆に、今のように、いり豆をまいて厄払いをし、福を呼ぶ節分行事が定着したのはどうやら、江戸時代に入ってのようです。
 ある時期、春の節分を以て1年の境としたこともあり、春の節分が盛んになっていったと思われます。旧暦を用いる易断では、今でもこの日を以て年齢を区切っています。
 旧暦といえば、今年の立春の3日はまだ12月16日で19日が元日です。ですから、古今和歌集冒頭に置かれた在原元方の歌のように、「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはん今年とや言はん」となるわけです。

 幼い日から親しんだ豆撒き行事ですが、最近では、「恵方巻き」なるものが流行り、奇異な感を抱いています。関西発信とされるこの行事は、海苔組合と寿司業者の陰謀で、今や全国版へと拡大し定着したようです。同じ商業ベースの仕掛けでも、バレンタインデーのチョコレートはまだしも愛らしさがありますが、丸かじりという行儀の悪さにはどうも馴染めないでいます。
 明日は盛大に厄払いの打ち豆をして、心と体にどっしりと腰を下ろし巣食っている鬼を追い出したいものです。




1月7日に太宰府天満宮で行われる鷽替え神事の木ウソ。鷽替え神事の後,鬼ふすべとなります。