今日は節分、ほうぼうの家で打ち豆に追われた逃げ惑う鬼と、お化けとどちらが怖いかと思案しました。
説話に登場する鬼はどこかユーモラスで間が抜けたところがあり、むしろ愛すべき存在です。
狂言の「節分」の鬼も、恋心を抱いた蓬莱島の鬼が、節分の夜に留守居をする人の女房にまんまとたぶらかされて、隠れ蓑から打ち出の小槌まで取り上げられて、揚句は鬼うち豆で追い払われてしまいます。あの筋立てはその後がどうなったのかと気がかりでした。
江戸のころから、花街でこの日人間の「節分お化け」が登場して以来の「お化け」の方が薄気味悪い存在です。節分お化けは、そうでなくとも怖い存在をますます怖いものにするようで、昔も今もこちらの方が数等恐ろしいもののようです。私も豆に追われないよう気をつけます。
画像は昨年奈良の妹が、眼の手術後を心配して東大寺は二月堂の節分会にお詣りして、厄除け招福の豆を拾って送ってくれたものです。一年大事に神棚に上げていました。お陰様で眼の方は何とか回復したようで、日常生活にほぼ不自由はありません。
イワシの頭を挿したヒイラギの小枝が、般若寺から奈良坂を登る道沿いの家々の戸口にさしてあるのを見て、奈良という町の歴史の奥深さをしみじみ実感したことを思い出します。
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説話に登場する鬼はどこかユーモラスで間が抜けたところがあり、むしろ愛すべき存在です。
狂言の「節分」の鬼も、恋心を抱いた蓬莱島の鬼が、節分の夜に留守居をする人の女房にまんまとたぶらかされて、隠れ蓑から打ち出の小槌まで取り上げられて、揚句は鬼うち豆で追い払われてしまいます。あの筋立てはその後がどうなったのかと気がかりでした。
江戸のころから、花街でこの日人間の「節分お化け」が登場して以来の「お化け」の方が薄気味悪い存在です。節分お化けは、そうでなくとも怖い存在をますます怖いものにするようで、昔も今もこちらの方が数等恐ろしいもののようです。私も豆に追われないよう気をつけます。
画像は昨年奈良の妹が、眼の手術後を心配して東大寺は二月堂の節分会にお詣りして、厄除け招福の豆を拾って送ってくれたものです。一年大事に神棚に上げていました。お陰様で眼の方は何とか回復したようで、日常生活にほぼ不自由はありません。
イワシの頭を挿したヒイラギの小枝が、般若寺から奈良坂を登る道沿いの家々の戸口にさしてあるのを見て、奈良という町の歴史の奥深さをしみじみ実感したことを思い出します。
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