今年もこの季節は団扇で遊ばせていただいています。先日の例会にはカメラを忘れて行き記録できませんでした。団扇の交換で火がついて、描きこみ用の団扇を買ってきて、テーマを決めて次々と煽ぎたてています。
そこで気が付いたことがいくつかあります。それは団扇を下に置いて描いたものと、手に持って奉書をしたためるときのように斜めに構えて描いた時とでは、団扇を使用して、動かす時に絵の感じが異なるということです。それとどんなに歪んでいても、一気に引いた線は勢いを持ち、生き生きしています。
竹を描いて試してみました。素材そのものに細かい凹凸があり、繊細な表現は不可能なのですから、開き直って面白さを求めるべきだと悟りました。画きすぎは暑苦しくなりがちです。用のものには、それなりの極めをつけるべきだとやっと気づいた今年の団扇描きです。
これ以上のエコはないでしょうから、団扇でささやかな涼をどうぞ。
暑中お見舞い申し上げます。
今年の団扇
団扇のゆったりとした静かな風に、文字通りの風情がありますね。手作りの素材、手仕事の趣。 扇風機ではとうてい出せない涼風です。 団扇を使うしぐさも、情緒も、涼風のうち。
この絵柄どれも好き。 青竹のにおい、サラサラと鳴る音…。墨だけでも色を感じるのは、さらりと描いた雀さんの力、筆遣い。 竹はどの作品も魅かれます。 朝顔も好みです。
こころの棘、自分のことを言われたようでコメントできませんでした。
目に見えない音や風を描くのは本当にむつかしいですね。
それを突き詰めていけば、蛙さんのご覧になったシュールの作品に通じるのでしょうが。
余白にこそ物語が生まれるのだと いつも描きすぎ、説明が過ぎる絵になりがちな欲深な自分を反省することしきりです。
藍染の浴衣の似合う方が、しなやかな「しぐさ」で使ってくださるなら、秋草をさらりと画きたいものですね。「美の壺」見損ねました。
暑苦しいメタボ体形ではこの辺が関の山です。「千里横行」の蟹が似合いそうな私です。