雀の手箱

折々の記録と墨彩画

師走の日々

2009年12月09日 | 塵界茫々
 年毎に増える喪中はがきが、今月に入ると毎日のように二人のうちのどちらかに届いていました。「歳々年々人同じからず」の思いをかみしめています。
 森繁久弥氏が旅立ち、平山郁夫氏も遥かなる西方浄土への旅に発たれました。昨年の加藤周一氏も師走に入っての旅立ちでした。何かせかされるように急ぎ足で去ってゆかれる方が増えてくる季節のようです。

 かつて同じ職場で、その理想と情熱を尊敬していた先輩の旅立ちは遺族の方からの喪中はがきで知りました。もう、お会いする機会もなく賀状の交換のみになっていました。

 冬の詩の多い北原白秋の詩集を読んでいて、「時は逝く」と題した短い詩に目が留まっていました。

      時は逝く、赤き蒸気の船腹の過ぎゆくごとく、
      穀倉の夕陽のほめき、
      黒猫の美しき耳鳴りのごと、
      時は逝く、何時しらず、柔らかに陰影してぞゆく。
      時は逝く、赤き蒸気の船腹の過ぎゆくごとく。

 たまたま、五日の天声人語でも、「船のやうに年逝く人をこぼしつつ」という矢島渚男さんの句をひいて、”過ぎていく年を大きな船の航海にたとえ、そこから一人、二人とこぼれていく。「逝く」のは時であり、人でもある”と解説してありました。
 功なり、名を遂げた人とは別に、身の回りからも義弟や、従兄の急な下船もありました。
 やがて船を下りる日を迎えるまでは、決して豪華客船とは言い難い船の揺れるがままに、しばらくの航海を続けることとなります。

 そこで、人生の船旅の中の、ささやかなお楽しみ恒例行事で、"河豚を食べに行く"は今年は下関の奥座敷、一ノ俣温泉になりました。週明けに1泊で出かけて楽しんできます。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
時は逝く ()
2009-12-10 17:10:51
 船の航海に喩えられたひとの時間、黒猫の耳鳴りのごと時は過ぎて。ここに来て訃報が相次ぎました。人生の儚さをつくづく想い知り、日々を充実させ楽しんで生きようと思いました。ふくら雀さんの美味しい旅も楽しみですね。羨やむ蛙は河豚のように脹れていますが、
活きのいい河豚の絵でも堪能します。
 温泉でお疲れをほぐして、たのしい旅便りを書いてくださいませ。
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本当は (ふくら雀)
2009-12-10 21:21:21
本当は平目や、クエのほうが私は好きなのです。河豚の共食いを連想するおぞましい姿より、ほっそりスマートだからというわけではなく、味のほうがです。でも嫌いなわけではなく、鰭酒はこの上ないものと魅力なのです。

この恒例行事が終わると、後は年中行事の慌しい正月準備が一気に押し寄せてきます。日ごろの怠慢の限りを臍を噛む思いで呪うのも、毎年の繰り返しですが。

蛙さんもお風邪をひかれませんように、お大事に
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