霜月に入り、カレンダーも薄くなってしまった日々をいとおしみながら過ごしています。
今年は88歳、米寿の誕生月なので思いがけなく行政やその他の公的機関からもお祝金が届けられて驚いています。私の本音は「おめでとうございます」と記されていても、世にはばかって生きているようで、「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしています。」と心のうちで呟いています。「90歳何がめでたい」と開き直れる気力も持ち合わせず、多くの人手を借りて成り立っている今の暮しで、どこか居心地悪く、中途半端のめでたさです。
一日の十三夜は、やっと晴天が戻ってきた日々で、先月の十五夜よりも美しいお月様を拝めて、今年は形見月にならずに済みました。文化の日や古典の日とやらも挟む教育文化週間のようですから、十三夜について調べてみました。
中国伝来の十五夜と違って十三夜をめでる習慣は我が国独自のもののようです。お供えのススキも穂がまさに稲穂状ですし、(所によっては本物の稲穂をお供えするところもあるとか)団子の数も13個でいいようです。
ところで琳派おたくの私は、今年も月を扇面に捉えようと四苦八苦しました。頭に去来していたのは漱石の句「張り交ぜの屏風に鳴くやきりぎりす」と蓼太の句「わが影の壁にしむ夜やきりぎりす」です。その摸索した足跡の楽屋裏を落款も押せないものも含めて何枚か選んで足跡を留めます。



主宰におかれては 益々 ご健勝の由 喜ばしくあります。
新人生論を著した故木田先生の言葉に” いつまでも熱中できるモノを有する者が幸せだと。”
先日の 朝日の折々の言葉には ”美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会ったとき、これを知ったら絶対喜ぶなーという人が近くにいることを、幸せと言いたい。”
賢人お二人の言葉にピッタリとはまる情景と知る。
とことん追求できるものを持ち それを 21世紀の武器(PC)にて 発信できる環境。人生を満喫するというのはかようなことを指すのか?と思う。
若い方々の多くが ブログを中断したまま ホッタラカシの中で ただ一人 頑張っておられる姿に敬意を表します。
ところで、
先日のtv番組には 107歳の女性がお昼ご飯に 肉やお刺身・・、赤飯の後 おかわりと食欲旺盛に羨ましく。
88歳はマダマダ”鼻たれ小僧”と言われる時代=イヤイヤ 小僧は 女性には不適切でした。御免。
anyway 男=100歳 女=110歳が 相場になるかもしれませんね。
先ずは 風邪を引かぬよう気を付けましょうか。
自己満足のささやかなものであるにしろ、時間を忘れるまで熱中できるものに出会えたのを幸せと思います。
年齢も趣味の迷い道も「まだまだ」と、発想を変えて、老耄の進むとんでもない出来事にも、変化のある生活と楽しむこととしましょう。
車椅子にのっけた連れ合いと一緒にインフルエンザの予防接種をしてきました。頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。
優しいあなたの働き盛りのお姿を彷彿しています。
ありがとうございます。これは素直な気持ちです。