教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

【北海道新幹線】「わくわくする」青函トンネルのトンネルマンは「万感の思い」

2016年03月26日 21時08分37秒 | 青函トンネルマン
青函トンネルマン 新幹線に感慨
(産経新聞) 19:14

当時使われたトンネル掘削機の前に立つ角谷敏雄さん。現在もボランティアガイドとして難工事を語り伝えている=北海道福島町の青函トンネル記念館で、手塚耕一郎撮影
(毎日新聞)
 (31)は「わくわくします。息子は列車に乗るのも見るのも大好き。3歳の頃からの運転士に乗りたいという夢が新幹線に乗ることで、より身近になり、夢に近づいているような気がします」と話す。新青森で下車して温泉や水族館を観光して、また新幹線で戻る予定という。新幹線は東北の距離を大きく縮めている。
午前7時38分着の下り1番列車で新函館北斗駅に降り立った盛岡市の団体職員、畑村栄一さん(44)は「あっという間で揺れが少なかった」と話す。青函トンネルに入ったとき、車掌が「青函トンネルの入り口はどっち」とクイズを車内放送したという。「列車が好きでいろいろ乗ってきましたがこんなことは初めて。しゃれていますね」と喜んでいた。
4歳の長男と友人で降りた東京都渋谷区のフリーライター、大谷明子さん(44)は「息子は列車が大好き。札幌にいるじいじに陸路で会いにいけるようになった。札幌で30歳まで過ごしましたが、やっとですね。北海道のような広大な土地でこそ、新幹線がいきるのに長かった」と感慨深げだった。
函館名物のイカのかぶりものをして、新幹線を見に来ていた主婦、長川麻由さん(29)は「夫の転勤で、函館から東京に引っ越すのを新幹線開業にあわせました。今日は見学の後引っ越しに荷出し。明日は新幹線で東京に向かいます」と話した。
午後、函館市内のホテルで開かれた祝賀会では、青函トンネル開通の立役者である「トンネルマン」らが集まり、旧交をあたためた。
「工事に関わった延べ1400万人の思いが通じてこの歴史的な日が晴天に恵まれた。これほど感動したのは初めて。長かった」と話すのは本坑に先駆けて地質調査を行う「先進導坑」のボーリング班長を行っていた福島町の花田順一さん(86)だ。この日早朝、青函トンネルの出入り口である知内町で、上り、下りの一番列車がトンネルから出るのを目に収めた。
「苦労させた妻と一緒に新幹線に乗りたい」と話す。
昭和40年からトンネルの掘削などで工事に携わった角谷敏雄さん(81)も知内町で見守った。新幹線がトンネルを抜けるとガッツポースをして、妻、スミエさん(73)の手を握りしめた。「わくわくして待っていたけれど、いざ新幹線が出るとあっという間だった。工事で亡くなった3人の仲間にこの日を報告したい」と話す。
27日に新幹線で新青森に乗る今も現役のトンネルマンの佐々木龍雄さん(64)は「日本中が喜んでくれる。命がけでトンネルを掘ってきて、改めて自分たちの仕事に誇りを感じた。これほどの感動はない」と感無量な様子だった。
新青森から新幹線で来たいう土谷幸彦さん(68)は青函トンネルが入った時刻と出る時刻をスマートホンでメモしていた。「25分12秒でした。これは永久保存します」と話していた。(杉浦美香)「長かった」「夢に近づいた」。北海道新幹線が開業した26日、最北の新幹線の駅となった新函館北斗駅では、乗客らが一様に目を輝かせ、北と南がつながる歴史的な日にさまざまな思いを寄せていた。青函トンネルの掘削に従事したトンネルマンらは開業祝賀会に集まり、新幹線仕様だった青函トンネルが本来の役割を果すことになった日を感慨を持って迎えていた。』

海底トンネルの工事は、今の最新土木技術を駆使しても、現場技術者の長年経験と勘が必要と言うことです。長い間皆さんお疲れ様でした。
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