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大阪・関西万博を前に、いま忘れてはならない昭和の小説家小松左京の警鐘 70年「人類の進歩と調和」と25年「いのち輝く未来社会のデザイン」―テーマの成り立ちを検証、見えてきた違いとは…
2025/01/01 09:00
大阪・関西万博を前に、いま忘れてはならない昭和の小説家小松左京の警鐘 70年「人類の進歩と調和」と25年「いのち輝く未来社会のデザイン」―テーマの成り立ちを検証、見えてきた違いとは…
(47NEWS)
1965年10月20日午後、京都市内のホテル。各界の賢人たちが額を寄せ合い、一つの文章を推敲(すいこう)していた。「20世紀は偉大な進歩の時代であったが、同時に苦悩にみちた争いの世紀でもあった」
この一文を見たノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹が言った。「20世紀は1999年まであるわけですからね、争いの世紀でもあったと決め込んじゃ、これ非常に具合悪い。その間に努力しなければならないのですから」
元々の文章の起草者であるフランス文学者の桑原武夫が「20世紀」を「近代」と置き換える案を示すも、打ち出しが弱くなると懸念の声が上がる。作家の大仏次郎が提案した「今日まで」を挿入する形で落ち着き、次の修正に取りかかる―。1970年大阪万博の開催意義を宣言した「基本理念」を練り上げるテーマ委員会の作業の一幕だ。2時間半にわたって繰り広げられたかんかんがくがくの議論が会議録に残っている。基本理念をベースに生み出されたのが「人類の進歩と調和」というテーマだった。
他の文献をめくると、在野から万博の意義を考えた作家、小松左京らの存在も欠かせなかったことが分かる。一流の知識人がアジアで初めて開催される大規模イベントに向き合い、ゼロから哲学を打ち立てた。
翻って、開催が迫る2025年大阪・関西万博はどうだろうか。行政主導で決まった「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマで何を語るのか、いまひとつ分かりにくい。両テーマを巡る議事録や関連著作などから、成立過程を検証した。(共同通信=木村直登、文中敬称略)
▽そうそうたるメンバー
「70年万博」開催の機運が高まったのは1964年の東京五輪がきっかけだった。五輪と万博という国際的な事業を立て続けに開催することで、戦後日本の復興をアピールする狙いがあったようだ。地元大阪や通商産業省での検討を経て、1965年5月、日本の開催申請が博覧会国際事務局(BIE)に受理される。競合の可能性のあったメルボルン(オーストラリア)が申請をしなかったため、9月、日本開催が自動的に決定した。
準備の本格化に向けた最初の仕事の一つがテーマの策定だった。国家の威信を懸けた事業の根幹を形作るとあって、そうそうたるメンバー18人が「テーマ委員会」に招集された。主な委員は次の通り。(肩書などは当時)
・茅誠司 物理学者、前東京大学学長(委員長)
・桑原武夫 フランス文学者(副委員長)
・湯川秀樹 物理学者(日本人初のノーベル賞受賞者)
・丹下健三 建築家
・大仏次郎 作家
・武者小路実篤 作家
・井深大 ソニー創業者の一人
1965年9月1日、第1回委員会が開かれた。11月のBIE理事会にテーマを報告する必要があり、猶予は2カ月余りしかなかった。10月5日に第2回委員会が開かれ、まず「基本理念」を起草する方針が決まる。草案を託された副委員長の桑原は「ほとんどかん詰状態」(日本万国博覧会公式記録)で構想を練った。
▽「考える会」
実はテーマ委員会を裏で支えた民間の動きがあった。作家の小松左京や人類学者の梅棹忠夫らが1964年7月に結成した研究会「万国博を考える会」だ。経緯は小松が著した「大阪万博奮闘記」に詳しい。小松らはその歴史から、19世紀には技術の一大情報交換の場だった万博が、戦後になり、社会問題の提起を行う場に変化していることを知る。仮に「理念」に重きを置いた万博を開催できるなら「きわめて意義のあるものになり得る」のではないかと考えた。
ただ、政府は国際競争力を強化するため、「輸出振興」を主眼に検討を進めていた。小松は日本の技術や産業の「一大デモストレーション」にとどまれば、万博の意義は失われると危惧していた。
自発的に始まった研究会だったが、大阪府職員が彼らに助言を求めるようになったことから、準備に関与していく。テーマ委員会の副委員長の桑原が基本理念を起草する際は、考える会のメンバーがほぼ毎日会合を持ったという。ただ、あくまで小松は在野の立場を堅持し、政府や行政におもねらない。官僚主義的な流れに対抗するように、万国博覧会協会の職員にたんかを切る場面もある。取材に来た記者に吐いたせりふが象徴的だ。「『人類の知的、文化的、精神的共有財産』のために仕事をひきうけたんです。『お国のため』なんて(中略)まっぴらですね」
▽感情的な問題が起こっても
では、テーマ委員会では実際にどのような検討がなされたのか。「テーマ委員会会議録」(日本万国博覧会協会)からは各委員の真剣さが伝わってくる。
第1回から積極的に主題とすべき案を提示された。「人間の尊厳の再確認」「世界の文化の多様性」「ナショナリズムの調和」。第2回ではこのような意見を一つの文章としてまとめ、土台とすることで意見が一致する。今回の記事の冒頭に記載した、湯川や桑原らによる文章の推敲の議論は第3回だ。
そして、小松らが築いた理念重視の思想を受け継ぐ「基本理念」に至る。小松が「大変な名文」と評する出来だ。要約すると次の通り。
科学技術の進歩は、人類の生活に大きな変革をもたらしたが、世界にはいまだに多くの不調和が横たわる。人類の未来を繁栄に導くのは「知恵の存在」だ。人類の知恵が有効に交流できれば、そこに高次の知恵が生まれ、全人類に調和的発展をもたらす。万博を「そのようなよき時代の歴史の転換点」としたい―。
「人類の不調和を知恵で乗り越える」という壮大な物語だった。知恵や技術を包含する「進歩」と「調和」というキーワードからテーマが決まった。
議事の進行の仕方を見ると、現在の政府や行政機関には見られない自由さがある。議事の冒頭、事務局からは万博の歴史が簡単に説明されるが、議論の方向性は白紙で、委員に全て委ねられている。また、委員長の茅の次のような発言もある。「感情的な問題が起こっていいぐらいの気持ちで議論を戦わせて最終的なものに持って行く」。その言葉の通り、詳細に渡って、遠慮無用の論戦が展開された。
▽堺屋太一の系譜
一方で、通産省側はテーマ委員会に冷ややかだったようだ。当時、若手官僚として政府の立場で万博の実務を取り仕切った堺屋太一は著書「地上最大の行事 万国博覧会」の中でこう振り返っている。「万国博の実体とは懸け離れた美辞麗句を並べて議論を重ね(た)」「テーマというのはキャッチフレーズに過ぎない。『皆さまの〇〇銀行』とか、『技術の〇〇』などと同じである」。堺屋は過去の万博が技術革新や国際交流の起点となっていたことを熟知していた。70年万博を、戦後日本を世界に示す機会にすべきと考えていたようだ。「今こそ規格大量生産社会となった日本を見せよう」。
堺屋の思想は2025年大阪・関西万博の源流でもある。誘致の立役者である前大阪市長・松井一郎は著書「政治家の喧嘩力」で経緯を明かしている。2度目の東京五輪開催が決まった2013年。大阪府・大阪市の特別顧問を務めていた堺屋は橋下徹・大阪市長(当時)と松井に対し、すし屋でこう打診する。「大阪を成長させていくためには、世界的にインパクトのあるイベントが必要だ」「もう一回、万博をやろうよ」
これをきっかけに、橋下、松井が率いる政治団体・大阪維新の会は誘致にまい進する。2014年8月、大阪維新を含む府議会最大会派が提出した提言の中で、万博誘致の目的はこう明記された。「更なるインバウンド(訪日客)施策の推進」。カジノを含む統合型リゾート施設(IR)誘致と並ぶ地域経済の成長戦略の一環だった。
▽松井知事の「試案」
大阪府を中心に万博誘致について検討が始まった。世論を意識し、議題は「なぜ今、万博なのか」「なぜ大阪なのか」が中心になったようだ。当時、府知事だった松井は2016年6月、府の顧問らとともに「基本構想試案」をまとめて、公表した。示したテーマは「人類の健康・長寿への挑戦」。これは「松井知事の思いを形にしたもの」(「EXPO2025 大阪・関西万博 誘致活動の軌跡」)とされる。
直後に国への提案をまとめるための新たな会議体が立ち上がった。テーマについて「中高年のイメージがある」などの否定的な意見も出たが、代案の検討には至らなかった。2016年10月、細部の微修正を経て「試案」がほぼ変更されずに「基本構想案」として固まった。「知事の思い」がそのまま維持されたのだ。
▽見えぬ哲学
大阪から構想案の提出を受けて、経済産業省は「2025年国際博覧会検討会」を設置した。万博開催国として立候補するための準備が主な目的だ。ノーベル賞受賞者で京都大教授の山中伸弥やスポーツジャーナリストの増田明美らが参画した。
経産省は議事録を作成しておらず、詳細を追うことはできない。ただ、会議資料によれば、事務局である経産省側が議論のアウトラインを決めていた経緯が分かる。経産省は他都市との誘致合戦を見据え、発展途上国も含めたより多くの国の支持を得るための改変を模索した。大阪では硬直的だったテーマが大きく変更される。第2回検討会で事務局は4つのテーマ案を提示する。
いのちを支える社会の創造/共に輝く生命、輝き続ける地球/人類の進歩と幸福の再考/未来社会をどう生きるか
このときに松井は改めて資料を提出し、強調している。「『豊かな人生』を送るために『健康』こそが、人類共通の願い」。結局、大阪府が基本構想で掲げた「人類の健康・長寿への挑戦」のテーマは変更される見通しとなったが、松井は「『健康』の要素は含まれている」と経産省案に理解を示した。2017年3月の第3回検討会で「いのち輝く未来社会のデザイン」が提示され、承認された。
しかし、その後、政府や日本国際博覧会協会に、テーマに込めたはずの哲学を説明しようとする姿勢は乏しいように見える。テーマ決定から7年半以上経過した今も、多くの国民が、このテーマで何を語ろうとしているのか分からない状況が続いている。
▽矜持
70年万博のテーマ委員会では、日本の立場からテーマを考えるのか、世界の立場から考えるべきなのかが話題となる場面がある。副委員長の桑原は即座にこう打ち消している。「(日本の立場を)押し出すとまずいですよ」。日本はあくまでホスト役に徹し、共産主義国も含めたより多くの国からの参加を促すべきだと考えたようだ。小松は著書で、万博が世界史へ貢献できるという確信がなければならないと説いている。その信念がぶれてしまえば、「大金かけたきれい事になってしまう」。
確かに、実際の展示ではテーマ委員会が重視した「調和」というキーワードは薄れ、ひたすら「進歩」を称賛する内容が多かったという指摘もある。テーマ委員会を構成した知識人と堺屋のような実務者の思想は相いれないのだろう。ただ、それぞれの「矜持」が緊張感を生み、6400万人超の来場者を記録する大成功につながったとも言える。
「インバウンド施策の促進」から構想が始まった25年万博は、現在もその利己的な動機を隠していない。日本国際博覧会協会はこう明示している。「日本の成長を持続させる起爆剤にします」。万博会場の人工島・夢洲には、カジノを含むIR施設が誘致されることもあり、万博が大阪の港湾開発の一手段のようにも映る。
日本国際博覧会協会は「くるぞ、万博。」「想像以上!が、万博だ。」といったキャッチフレーズを繰り出して、関心を集めようとしているが、70年万博と比すると、開催理念を語る言葉が足りていないのではないか。「大金かけたきれい事になってしまう」という小松の警鐘を現実にしてはいけないはずだ。
× × ×
小松左京(こまつ・さきょう) 1931年大阪市生まれ。学生時代に「モリ・ミノル」などのペンネームで漫画を描いた。1962年に作家デビューし、日本SF界の旗手として活躍。1973年発表の「日本沈没」は大ベストセラーとなった。主な作品に「復活の日」「首都消失」など。2011年、80歳で死去。
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