『横浜市にある柴(しば)漁港の漁師たちが、江戸前のすしダネとして珍重される特産のシャコ漁を、5年ぶりに復活させた。漁獲量が急減し、禁漁を続けていた。「海を休ませれば、答えを返してくれる」と漁師は沖に向かう。江戸の食料庫だった東京内湾は、都市生活と隣り合わせ。環境の変化の波をうけながらも、とりすぎない漁業で生き延びようとしている。 ガサゴソ動くシャコの桶(おけ)を軽トラックに積むと、庭先の加工場へ急ぐ。船が戻って5分とかけず、ぐらぐら湯の沸く釜に放り込む。殻が赤紫色に変わると、エビのような、カニのような、浜ゆでの香りが路地までたちこめた。 横浜市金沢区の柴漁港。 「小柴(こしば)のシャコ」は今月16日、復活初日を迎えた。21隻が出漁、サイズ別に10匹前後を並べる専用の皿で、むきシャコ932枚を出荷した。築地市場の担当者は、限られた量に「うちに回せという仲卸からの予約が多すぎて、お得意がケンカになっちゃうよ」。ぼやきながらも、「鮮度も、上手なゆで方も、小柴だね」と質の高さを認めた。 翌週には出船数、出荷枚数も増えた。横浜市漁業協同組合(http://www.e-shops.jp/local/lsh/an/14/2926533.html )の小山紀雄組合長(63)は「むちゃをして、これまでの皆の我慢を無駄にしたくない」。操業は週2日、1隻の出荷も1日最大80枚と、禁漁前より厳しくした。 東京湾のシャコの大半は柴漁港に水揚げされる。小型底びき網でとるシャコ漁は、組合の稼ぎ頭。2操1休(2日海にでたら1日休む)の漁で、市場価格と資源を安定させた。だが、海からシャコが消えていく。小さなものは逃がすよう網目を大きくし、禁漁区も設けたが回復せず、海を休ませて待った。対岸の千葉・富津にも小さいシャコをとらないよう求めた。 県は4月の資源調査で「完全復活には遠い」と分析。組合は「いつでもブレーキを踏む」と決めて再開した。 シャコのいない港は、日々の生活を変えた。「この4年間、遊んでいる人はいなかった」と漁師の妻(59)。男たちは中国向けにナマコを取り、女たちはパートに出て家計を支えた。「私は朝4時から宅配便の仕分け仕事を週4日。早起きは慣れてます」。シャコ漁再開で、あちこちの家から湯気があがるのが、うれしい。「家族7人総出で、殻をむき、並べました」 江戸前ブランドの歴史は、戦後の東京湾開発と重なる。埋め立てで、漁業権放棄を迫られるなか、柴の漁師は海で生きる道を選んだ。同じ横浜の子安から、シャコの技術を受け継いだ。「限られた資源で、長く漁を続ける。市民向けに直売所を開いたのも、目の前の海の魚種の豊富さを知らせたいから」と小山さん。 江戸前アナゴでも「とりすぎない」漁業は10年前から続いている。長い縄に塩ビ管の仕掛けをつける筒漁で、幼魚が逃げるように水抜き穴を大きくした。柴の漁師、斉田芳之さん(54)は「売りたいサイズのアナゴだけをとり、翌年の分は残す」。この漁法は神奈川県水産技術センターの元研究員清水詢道(たかみち)さん(64)が指南し、千葉、東京の漁師へも広がった。「漁師同士が連携したことに意味がある。東京湾は、ひとつなのですから」 』アサヒコム
江戸っ子の人は、江戸前寿司のすしネタのシャコ好きの人も多い。私のお世話になった田金邦さんはシャコ好きで関西はシャコの良いのが無いと言われていました。海老問屋のお生まれで生粋の江戸っ子でお寿司が大好きでした。ハゼの佃煮も好きでしたね。シャコを湯がくと素人はなかなかシャコの皮が上手く剥けません。身がばらばらになります。シャコの鮮度が問題なかも分かりませんが。シャコは臭みも癖も無意おいしい江戸前の寿司ネタと思います。江戸前のアナゴやコハダも少なくなって来ているのではないでしょうか。やはり東京湾の水質汚濁、環境汚染が問題では無いでしょうか。海に生きる人達の生活や江戸文化の伝統的な寿司ネタを護る為にも東京湾を綺麗な海にし、干潟の保護にも力を入れて欲しいと思います。江戸前寿司のネタの減少は、海からの警鐘と海の環境破壊と自然環境保護の大切さを江戸の食文化と言われている江戸前寿司が私達に教えてくれているのではないでしょうか。最近は昔は余り食べなかった鮭の握りも増えています。時代の流れでしょうか。伝統有る寿司ネタも変わってきていると思います。