大学教育を取り巻く環境が大きく変化している。少子化による競争激化、生成AIをはじめとする技術の進化、社会で求められるスキルの高度化―。こうした状況に、京都、滋賀の大学トップはどのように対応しようとしているのか。ロングインタビューで戦略に迫る。京都文教大の森正美学長に地域と連携した教育活動を目指す文理融合型の新学部構想や、「偏差値」にとらわれない大学の存在意義を語ってもらった。
1996年の開学時は臨床心理学科、文化人類学科の2学科の人間学部として出発した。知識的な教育だけでなく、人間教育を重視する仏教精神に基づき、心理学の第一人者だった河合隼雄さん、日本を代表する民族学者の梅棹忠夫さん、文化人類学者の川喜田二郎さん(いずれも故人)のそうそうたる知識人らに構想してもらい、新しい学問分野を育てることを目指した。特に地域のニーズを勘案して学部を改組してきたが、基本となる考え方は今も変わっていない。
同じ敷地にある
減る18歳 増える私立大定員 編集部
志願者や入学者が減る一方で、増える入学定員──。需給バランスを完全に失った私立大学は再編淘汰に突入する。
日本私立学校振興・共済事業団が行った2024年度の「入学志願動向」によると、入学定員に対する入学者数の割合を示す「入学定員充足率」は前年度比1.40ポイント減少し、98.19%となった。入学定員充足率が100%未満の大学(定員割れ)は同34校増加して354校となり、私立大学全体に占める未充足校の割合は同5.9ポイント上昇して、59.2%と6割に迫った(図)。少子化が進み大学に入学する18歳人口が減少、定員割れを起こす私立大学は増加傾向にある。各大学の定員削減や再編淘汰(とうた)が必至の情勢だ。
厳しい経営状況
24年度は志願者数、受験者数、合格者数、入学者数は前年度から減少したものの、入学定員は増加した。具体的には、入学者数は前年度から5869人減少して、49万4730人。入学定員は同1239人増えて、50万3874人となった。
大学の規模別に入学定員充足率をみると、上昇した区分は、「100人未満」「1000人以上1500人未満」「3000人以上」だけだった。「1000人以上1500人未満」「1500人以上3000人未満」「3000人以上」の区分では、入学定員充足率が100%を超える一方で、1000人未満の規模の大学は100%未満となった。
地域別にみると、入学定員充足率が上昇したのは「関東(埼玉、千葉、東京、神奈川を除く)」と「東海(愛知を除く)」「大阪」「兵庫」「福岡」であり、「関東(埼玉、千葉、東京、神奈川を除く)」が4.88ポイント、「福岡」が4.67ポイント上昇。「関東(埼玉、千葉、東京、神奈川を除く)」「東京」「大阪」「福岡」では、入学定員充足率が100%を超えた。
学部系統別の入学定員充足率は、すべての学部系統で低下したが、「医学」「農学系」「社会科学系」「芸術系」では、100%を超えた。
日本私立学校振興・共済事業団によると、定員割れをしている私立大学の約2割は債務超過などの厳しい経営状況にあるという。
(編集部)
少子化による18歳人口の減少は、予測されていたことです。
新型コロナパンデミックの影響も有りますが、
今の有名私立中高一貫校は、少子化による18歳人口の減少期を見据えた長期的学校経営に基づいて、努力して来たと言えます。旺文社蛍雪時代の全国の大学を取材されたA名編集長に退職前に電話で、伺いました。大学を取材すると生き残る大学は分かると言われました。昭和30年時代の大学校数になると予測されました。
理工系学部の新設など97校支援 文科省、デジタルや脱炭素分野
文部科学省は26日、デジタルや脱炭素分野などの理工系学部を新設・拡充する大学と高等専門学校の計97校を、財政支援の対象に選んだと発表した。2022年度に立ち上げた約3千億円の基金から拠出。国際競争の激しい成長分野を引っ張る理系人材の育成を目指す。
文科省は取り組みを二つの類型に分けて公募していた。一つは、主にデジタル関連の学部新設など組織改編を検討する公私立大に最大20億円を支援する内容で、今回は59校を選定した。
もう一つは、主に情報系の既存学部を強化して定員を増やす国公私立大と高専に最大10億円を支援するもので、38校を選んだ。
東大が5年制新課程を創設へ、文理融合型で学部・修士一貫…27年秋入学
世界水準の研究や人材育成を目指し、東京大学が2027年秋に新学部に相当する5年間一貫の教育課程を創設する方針を固めた。医学から文学まで、東大が持つ教育・研究資源を最大限に活用した文理融合型の課程で、気候変動や生物多様性など、従来の縦割りの学問領域では解決が難しい地球規模の課題に対し、解決策を導くことができる人材を育てる。
半数は留学生・全授業が英語
新課程は、学部の4年間と大学院修士の1年間を合わせた5年制。5年間で修士まで修了できる欧米の有力大を参考にした。定員は1学年100人程度で、半数は海外からの留学生、残りは日本の高校卒業生らを想定する。何をテーマに学ぶかは学生自身が決め、必要に応じて既存学部や大学院の授業も受講できる。
例えば、脱炭素に向けた研究開発なら、自然科学の知見だけでなく、法律やビジネスなども横断的、体系的に学び、解決に向けた戦略や新たな価値の創造を目指す。5年間のうち1年間は、留学や企業でのインターンシップ(就業体験)など、学外での学びを課す方向だ。社会変革につながる多様なデザインを学ぶ場との意味を込めて、新課程の名称は「カレッジ・オブ・デザイン」とする。
世界中から優秀な学生を集めるため、欧米の大学で主流の秋入学とし、授業もすべて英語で行う。性別や文化、経済的背景といった学生の多様性を重視し、従来の東大入試とは異なる選抜方法を検討している。東大は24年度中に新課程の入試概要を公表する方針だ。
新課程の教授陣は、既存学部との兼任に加え、優れた研究成果や実績を持つ民間企業の研究員や実務家のほか、東大独自の基金の運用益を活用し、海外からも一線級の研究者を招聘する。
東大の既存学部の学生も新課程の授業を受講できるようにする。学部や専攻分野にとらわれない自由な学びの場を提供し、多様な学生が、相互に刺激し合えるキャンパスを創出する。
岳陽楼の記(がくようろうのき) 作:范仲淹
【還暦ジジイの説明】
チャイナ、北宋の范仲淹が書いた360字の散文。慶暦六年(1046年)の作。
范仲淹と同年の進士・滕宗諒、字は子京が湖南省の岳州に流され、岳陽楼を改修したとき、
記念のため、同じく左遷されていた范仲淹に依頼したもの。
後半の「嗟夫」から始まる部分は、優れた人物は環境や個人、また、そのときどきの立場によって感情を左右されてはならず、
「天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」ものである、と謳っている。
いわゆる「先憂後楽」と約され、政治家としての守るべき態度として有名である。
東京都文京区の「後楽園」の名も、この名文句から水戸光圀公が命名したのだそうだ。
【原文1】
岳陽樓記 范仲淹
慶曆四年春、滕子京謫守巴陵郡。
越明年、政通人和、百廢倶興。
乃重修岳陽樓、增其舊制、刻唐賢今人詩賦於其上、屬予作文以記之。
【書き下し文1】
岳陽楼の記(がくようろうのき) 作:范仲淹(はんちゅうえん)
慶歷四年春、滕子京、謫せられて、巴陵郡に守たり。
越えて明年、政通じ人和し、百廢倶に興る。
乃ち重ねて岳陽楼を修め、其の旧制を増し、
唐賢今人の詩賦をその上に刻まんとす。
予に文を作りて、以て之を記す。
【現代口語訳1】
慶暦四年春、わが友滕子京は罪を得て巴陵郡の長官に左遷された。
しかし、一年もしないうちに、大いに治績があがって治安も回復し、地域の面目を一新した。
この機会に岳陽楼を修復して旧来の造りに戻し、壁に唐代の賢者や現代人の詩文を刻み込み、
ついてはその趣旨を記した文章を書いて欲しいと、私に頼んできた。
そこでこの一文を認めたのである。
【原文2】
予觀夫巴陵勝狀、在洞庭一湖。
銜遠山、吞長江、浩浩湯湯、橫無際涯。
朝暉夕陰、氣象萬千。
此則岳陽樓之大觀也。前人之述備矣。
然則北通巫峽、南極瀟湘、遷客騷人、多會於此。
覽物之情、得無異乎。
【書き下し文2】
予、かの巴陵の勝状を観るに、洞庭の一湖に在り。
遠山を銜み、長江を吞み、浩浩湯湯として、横に際涯なし。
朝暉夕陰、気象は万千たり。
これ則ち岳陽楼の大観なり。
前人の述、備われり。
然れば則ち北は巫峽に通じ、南は瀟湘を極む。
遷客騒人、多く此に会まる。
物を覧るの情、異なる無きを得んや。
【現代口語訳2】
巴陵の素晴らしい景観と言えば、洞庭湖に尽きている。
遠い山々をくわえ込み、長江の流れを呑み込んで、湖水は広々と溢れんばかり、横に果てしなく広がっている。
朝は朝日に照り映え、夕方には雲がかかり、その様子は千変万化して尽きることがない。
これが岳陽楼からの雄大な眺めであって、これについては、先人たちが言い尽くしている。
北は巫峽に通じ、南は瀟水や湘江につながっているので、地方に流された人々や志を得ない文人など、
この地を訪れる者が絶えなかった。
しかし眺めた人々の気持ちは、それぞれの境遇に応じて様々であったに違いない。
【原文3】
若夫霪雨霏霏、連月不開、陰風怒號、濁浪排空。
日星隱耀、山岳潛形、商旅不行、檣傾檝摧。
薄暮冥冥、虎嘯猿啼、登斯樓也、則有去國懷鄉、憂讒畏譏、滿目蕭然、感極而悲者矣。
【書き下し文3】
若しそれ霪雨霏霏として、連月開かず、陰風怒号し、濁浪空を排した。
日星曜りを隠し、山岳形を潜め、商旅行かず、檣傾き檝は摧けた。
薄暮冥冥として、虎嘯き猿啼くとき、
この楼に登れば、則ち国を去って郷を懐い、讒を憂い譏りを畏れ、
満目蕭然として、感極まって悲しむ者あらん。
【現代口語訳3】
長雨がしとしとと降り続いて、一月余りも止まず、冷たい風が吹き荒れて、濁った波が空に逆巻いている。
太陽も星も雲にとざされ、山々も姿を隠し、旅人の姿も見えない。
舟の帆柱も傾き、舵も壊れている。
夕暮れが迫って薄暗くなり、虎が吼え、猿が啼く声が聞こえてくる。
そんなときこの楼に登れば、遠く離れた故郷を思い、讒言や非難を恐れて、
目にするもの全てがもの悲しく感じられ、感極まって悲しみの情に突き動かされる者もいたに違いない。
【原文4】
至若春和景明、波瀾不驚。
上下天光、一碧萬頃、沙鷗翔集、錦鱗游泳、岸芷汀蘭、鬱鬱青青。
而或長煙一空、皓月千里、浮光耀金、靜影沉璧、漁歌互答、此樂何極。
登斯樓也、則有心曠神怡、寵辱皆忘、把酒臨風、其喜洋洋者矣。
【書き下し文4】
若きに至りては、春和し景明らかに、波瀾驚かず。
上下天光、一碧萬頃、沙鷗翔集し、錦鱗游泳し、岸芷汀蘭、郁郁青青とす。
或は長煙一空、皓月千裡、浮光金を躍らし、
静影璧を沈め、漁歌互ひに答うるが若きに至りて、この楽しみ何ぞ極らん。
この楼に登れば、則ち心曠くして神怡び、寵辱皆忘れ、
酒を把って風に臨み、その喜び洋洋たる者有らん。
【現代口語訳4】
春ともなれば、気候も穏やかに風景も明るくなり、水面には波も立たない。
空も水も光にあふれ、見渡す限り青一色である。
砂浜には鴎が群れ、湖水には美しい魚が泳ぎまわり、岸辺の香草や蘭草は青々と茂って、
ふくよかな香りを放っている。
日暮れには、空一面に霞がたなびき、白い月が四方を照らし出し、波に反射してキラキラと揺れる。
月が璧のような影を水面に落とし、漁の舟からは掛け合いの歌が流れてくる。
ああ、なんと楽しいことではないか。
そんなときこの楼に登れば、心はのびのびして喜びにあふれ、名誉も恥辱もすべて忘れ去り。
杯を手にしてそよ風を受けながら、大きな喜びにひたる者もいたにちがいない。
【原文5】
嗟夫。予嘗求古仁人之心、或異二者之為、何哉。
不以物喜、不以己悲。
居廟堂之高、則憂其民、處江湖之遠、則憂其君。
是進亦憂、退亦憂。然則何時而樂耶。
其必曰「先天下之憂而憂、後天下之樂而樂歟」。
噫、微斯人、吾誰與歸。
時六年九月十五日
【書き下し文5】
嗟、予、嘗て古の仁人の心を求むるに、或は二者の為に異なるは何ぞや。
物を以て喜ばず、己を以て悲しまず。
廟堂の高きに居りては、則ちその民を憂ひ、
江湖の遠きに処りては則ちその君を憂う。
これ進むも亦憂ひ、退くも亦た憂うるなり。
然らば則ち何れの時にして楽しまんや。
それ必ず「天下の憂ひに先んじて憂ひ、天下の楽しみに後れて楽しむ」と曰はんか。
噫、この人微かりせば、吾誰にか帰せんや。
時に、〔慶暦〕六年九月十五日なり。
【現代口語訳5】
ああ、私はかつて仁人の心について考えてみたが、岳陽楼に登って悲しんだ人、喜んだ人のどちらとも違っているように思う。
どこが違っているのか、仁人は外界がどうあろうと喜ぶことはないし、自分がどうなろうと悲しむこともない。
朝廷にあっては人民のことを心配し、野にあっては君主のことを心配するのである。
つまり、進んで仕えるときも心配し、退いて野にあるときも心配するのである。
では、いつになったら楽しむときが持てるのか。
その人は必ずや、「心配ごとは人民より先に心配し、楽しみごとは人民よりも後れて楽しむのだ」
と、言うに違いない。
ああ、こういう人物が居てくれなかったら、私は誰に従って行けばよいのか。
【語彙説明】
〇進士(しんし) ・・・ チャイナ、南宋から清の時代、科挙の登第者(合格者)を「進士」と呼んだ。
岳陽楼の記(がくようろうのき) 作:范仲淹
【還暦ジジイの説明】
チャイナ、北宋の范仲淹が書いた360字の散文。慶暦六年(1046年)の作。
范仲淹と同年の進士・滕宗諒、字は子京が湖南省の岳州に流され、岳陽楼を改修したとき、
記念のため、同じく左遷されていた范仲淹に依頼したもの。
後半の「嗟夫」から始まる部分は、優れた人物は環境や個人、また、そのときどきの立場によって感情を左右されてはならず、
「天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」ものである、と謳っている。
いわゆる「先憂後楽」と約され、政治家としての守るべき態度として有名である。
東京都文京区の「後楽園」の名も、この名文句から水戸光圀公が命名したのだそうだ。
【原文1】
岳陽樓記 范仲淹
慶曆四年春、滕子京謫守巴陵郡。
越明年、政通人和、百廢倶興。
乃重修岳陽樓、增其舊制、刻唐賢今人詩賦於其上、屬予作文以記之。
【書き下し文1】
岳陽楼の記(がくようろうのき) 作:范仲淹(はんちゅうえん)
慶歷四年春、滕子京、謫せられて、巴陵郡に守たり。
越えて明年、政通じ人和し、百廢倶に興る。
乃ち重ねて岳陽楼を修め、其の旧制を増し、
唐賢今人の詩賦をその上に刻まんとす。
予に文を作りて、以て之を記す。
【現代口語訳1】
慶暦四年春、わが友滕子京は罪を得て巴陵郡の長官に左遷された。
しかし、一年もしないうちに、大いに治績があがって治安も回復し、地域の面目を一新した。
この機会に岳陽楼を修復して旧来の造りに戻し、壁に唐代の賢者や現代人の詩文を刻み込み、
ついてはその趣旨を記した文章を書いて欲しいと、私に頼んできた。
そこでこの一文を認めたのである。
【原文2】
予觀夫巴陵勝狀、在洞庭一湖。
銜遠山、吞長江、浩浩湯湯、橫無際涯。
朝暉夕陰、氣象萬千。
此則岳陽樓之大觀也。前人之述備矣。
然則北通巫峽、南極瀟湘、遷客騷人、多會於此。
覽物之情、得無異乎。
【書き下し文2】
予、かの巴陵の勝状を観るに、洞庭の一湖に在り。
遠山を銜み、長江を吞み、浩浩湯湯として、横に際涯なし。
朝暉夕陰、気象は万千たり。
これ則ち岳陽楼の大観なり。
前人の述、備われり。
然れば則ち北は巫峽に通じ、南は瀟湘を極む。
遷客騒人、多く此に会まる。
物を覧るの情、異なる無きを得んや。
【現代口語訳2】
巴陵の素晴らしい景観と言えば、洞庭湖に尽きている。
遠い山々をくわえ込み、長江の流れを呑み込んで、湖水は広々と溢れんばかり、横に果てしなく広がっている。
朝は朝日に照り映え、夕方には雲がかかり、その様子は千変万化して尽きることがない。
これが岳陽楼からの雄大な眺めであって、これについては、先人たちが言い尽くしている。
北は巫峽に通じ、南は瀟水や湘江につながっているので、地方に流された人々や志を得ない文人など、
この地を訪れる者が絶えなかった。
しかし眺めた人々の気持ちは、それぞれの境遇に応じて様々であったに違いない。
【原文3】
若夫霪雨霏霏、連月不開、陰風怒號、濁浪排空。
日星隱耀、山岳潛形、商旅不行、檣傾檝摧。
薄暮冥冥、虎嘯猿啼、登斯樓也、則有去國懷鄉、憂讒畏譏、滿目蕭然、感極而悲者矣。
【書き下し文3】
若しそれ霪雨霏霏として、連月開かず、陰風怒号し、濁浪空を排した。
日星曜りを隠し、山岳形を潜め、商旅行かず、檣傾き檝は摧けた。
薄暮冥冥として、虎嘯き猿啼くとき、
この楼に登れば、則ち国を去って郷を懐い、讒を憂い譏りを畏れ、
満目蕭然として、感極まって悲しむ者あらん。
【現代口語訳3】
長雨がしとしとと降り続いて、一月余りも止まず、冷たい風が吹き荒れて、濁った波が空に逆巻いている。
太陽も星も雲にとざされ、山々も姿を隠し、旅人の姿も見えない。
舟の帆柱も傾き、舵も壊れている。
夕暮れが迫って薄暗くなり、虎が吼え、猿が啼く声が聞こえてくる。
そんなときこの楼に登れば、遠く離れた故郷を思い、讒言や非難を恐れて、
目にするもの全てがもの悲しく感じられ、感極まって悲しみの情に突き動かされる者もいたに違いない。
【原文4】
至若春和景明、波瀾不驚。
上下天光、一碧萬頃、沙鷗翔集、錦鱗游泳、岸芷汀蘭、鬱鬱青青。
而或長煙一空、皓月千里、浮光耀金、靜影沉璧、漁歌互答、此樂何極。
登斯樓也、則有心曠神怡、寵辱皆忘、把酒臨風、其喜洋洋者矣。
【書き下し文4】
若きに至りては、春和し景明らかに、波瀾驚かず。
上下天光、一碧萬頃、沙鷗翔集し、錦鱗游泳し、岸芷汀蘭、郁郁青青とす。
或は長煙一空、皓月千裡、浮光金を躍らし、
静影璧を沈め、漁歌互ひに答うるが若きに至りて、この楽しみ何ぞ極らん。
この楼に登れば、則ち心曠くして神怡び、寵辱皆忘れ、
酒を把って風に臨み、その喜び洋洋たる者有らん。
【現代口語訳4】
春ともなれば、気候も穏やかに風景も明るくなり、水面には波も立たない。
空も水も光にあふれ、見渡す限り青一色である。
砂浜には鴎が群れ、湖水には美しい魚が泳ぎまわり、岸辺の香草や蘭草は青々と茂って、
ふくよかな香りを放っている。
日暮れには、空一面に霞がたなびき、白い月が四方を照らし出し、波に反射してキラキラと揺れる。
月が璧のような影を水面に落とし、漁の舟からは掛け合いの歌が流れてくる。
ああ、なんと楽しいことではないか。
そんなときこの楼に登れば、心はのびのびして喜びにあふれ、名誉も恥辱もすべて忘れ去り。
杯を手にしてそよ風を受けながら、大きな喜びにひたる者もいたにちがいない。
【原文5】
嗟夫。予嘗求古仁人之心、或異二者之為、何哉。
不以物喜、不以己悲。
居廟堂之高、則憂其民、處江湖之遠、則憂其君。
是進亦憂、退亦憂。然則何時而樂耶。
其必曰「先天下之憂而憂、後天下之樂而樂歟」。
噫、微斯人、吾誰與歸。
時六年九月十五日
【書き下し文5】
嗟、予、嘗て古の仁人の心を求むるに、或は二者の為に異なるは何ぞや。
物を以て喜ばず、己を以て悲しまず。
廟堂の高きに居りては、則ちその民を憂ひ、
江湖の遠きに処りては則ちその君を憂う。
これ進むも亦憂ひ、退くも亦た憂うるなり。
然らば則ち何れの時にして楽しまんや。
それ必ず「天下の憂ひに先んじて憂ひ、天下の楽しみに後れて楽しむ」と曰はんか。
噫、この人微かりせば、吾誰にか帰せんや。
時に、〔慶暦〕六年九月十五日なり。
【現代口語訳5】
ああ、私はかつて仁人の心について考えてみたが、岳陽楼に登って悲しんだ人、喜んだ人のどちらとも違っているように思う。
どこが違っているのか、仁人は外界がどうあろうと喜ぶことはないし、自分がどうなろうと悲しむこともない。
朝廷にあっては人民のことを心配し、野にあっては君主のことを心配するのである。
つまり、進んで仕えるときも心配し、退いて野にあるときも心配するのである。
では、いつになったら楽しむときが持てるのか。
その人は必ずや、「心配ごとは人民より先に心配し、楽しみごとは人民よりも後れて楽しむのだ」
と、言うに違いない。
ああ、こういう人物が居てくれなかったら、私は誰に従って行けばよいのか。
【語彙説明】
〇進士(しんし) ・・・ チャイナ、南宋から清の時代、科挙の登第者(合格者)を「進士」と呼んだ。
全日制で府外参加は13校にとどまる 大阪府の高校授業料無償化制度 新たに兵庫2校と京都1校が加入意向 吉村知事「加入校増加目指していけたら」
ABC NEWS 関西ニュース 2023年12月21日 18時54分
大阪府外から参加校は伸び悩んでいるようです。
大阪府は、高校の授業料を所得制限なしに年間63万円まで補助し、超える分は学校側に負担を求める制度を来年度から段階的に始める方針です。
府は、近畿の各府県に制度への参加の意向を確認していて21日、新たに兵庫県の私立高校2校と、京都府の1校が加入する意向であることが分かりました。
大阪府外の全日制高校の参加は、和歌山県の8校、奈良県の2校とあわせて、13校にとどまっています。
(大阪府・吉村洋文知事)「こういった(授業料)無償化の理念・趣旨に賛同してくれた学校に感謝を申し上げたい。少しずつでも着実に、丁寧に説明もしながら、また加入校が増えることを目指していけたらと思います」
これで、近畿6府県であわせて107校の全日制高校が、参加の意向を表明したことになります。
少子高齢化で若手人材が不足している。高卒者の求人倍率はバブル経済期直後以来の高水準だ。文筆家の御田寺圭さんは「高卒者の求人倍率上昇は、日本の偏差値至上主義的な世界観が終わり始めていることを示している。『大卒でなければ社会人として務まらない』というのは、人余りの時代に作られた神話だったのだ」という――。
【この記事の画像を見る】
■東京大学前で受験生たちを襲った事件
去年1月、大学入学共通テストの当日に会場となっていた東京大学前で受験生を刃物で刺傷した通り魔事件があったのを覚えているだろうか。その事件の犯人は当時高校2年生だった男子生徒で、偏差値至上主義的な考え方にとりつかれて猛勉強して高偏差値の大学を目指すも、成績が伸び悩み自暴自棄になっての犯行であることが裁判のなかで明らかになっていった。
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「偏差値や学歴、職業で人を上下に見ていた部分があった」。東京大前で2022年1月、3人を刺したなどとして、殺人未遂などの罪に問われた当時名古屋市の私立高校2年だった男(19)の裁判員裁判。東京地裁(中尾佳久裁判長)は17日、懲役6年以上10年以下(求刑懲役7年以上12年以下の不定期刑)の判決を言い渡した。
両親に対する証人尋問で浮かんだのは、中学時代から勉強にのめりこむようになり、高校受験のころから偏差値にこだわるようになった姿。父親は「人の意見に耳を傾けるような正常なコミュニケーションがとれず、自己肯定感が低い部分があった」と述べた。
(中略)
◆親にも出身大学を持ち出して反論
勉強漬けの日々のなか、両親がちょっとしたことで諭しても、2人の出身大学を持ち出し「○○大学出身の人の意見は聞かない」などと見下すように。父親が「人間は偏差値じゃない。テストの出来不出来で、人の(評価に)差をつけてはいけない」と言っても、響いていない様子だった。
(東京新聞「『人間は偏差値じゃない』諭したのに…息子は東大前で受験生たちを刺した 両親の後悔」2023年10月16日より引用)
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■「偏差値」はある種の呪縛になっている
本当に哀しいニュースだ。
大学受験という大きな「関門(コンプレックスとでもルビを振りたい)」に身も心も吞み込まれ、入学した大学・学部・学科の偏差値こそが人間の価値や序列を決めるという感覚に支配されてしまう人は、東大で凶行に及んだ彼にかぎらず世の中に少なからずいる。
むろん大学を卒業して世の中に出ると、たいていの人は自分の学歴をだれかに話したりそもそも自分でもわざわざ思い出したりする機会もなくなっていくのが自然だが、なかには大学を卒業してから何年たっても自分の卒業大学や他人の出身大学の偏差値の話を四六時中やめられないような人も本当に一定数いる。今日の日本社会において「偏差値」というのはある種の呪縛になってしまっていることを痛感させられる。
通り魔的な犯罪をしでかすほど偏差値に狂わされてしまう人が日本社会には依然としているその一方で、あまりにも皮肉で虚しいことだが「偏差値至上主義」的な世界観は、名実ともにいよいよ終わりの兆しを見せている。
■高卒者の求人倍率はバブル期直後以来の高水準
ご存知の方も多いだろうが、いま世の中では若者向けの求人が空前の売り手市場となっている。大卒者だけではその需要をとてもではないが賄いきれず、高卒者にまでその採用の幅を広げる企業がそれなりの規模と知名度を持つ企業のなかにも現れるようになっている。
私が比喩や誇張で言っているのではなく、2023年現在の高卒求人は全国各地の都市部を中心にして、驚くべきことにあの「昭和」の時代に匹敵するレベルにまで増加している。近年の物価上昇を受けて給与水準も高まっている。
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少子高齢化で大卒者の就活は学生優位の「売り手市場」となり、高卒者を対象に採用を始める中堅企業も出てきた。令和時代の「金の卵」を巡り、初任給を大卒者と同等にする動きもあるが、高卒者の求人倍率は50年ほど前の高度経済成長期、バブル経済期直後以来となる高水準だ。若手人材の確保に奔走する企業に就活探偵団が迫った。
(日本経済新聞「高卒採用者は令和の『金の卵』 バブル期以来の求人倍率」2023年10月4日より引用)
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企業側からすれば理工系や医薬系といった専門的スキルを持つ人材は別として、とりわけ文系の人材については「あえて大卒者を採用しなければならない理由」がそれほどないことに気づき始めている。
■わざわざ文系大卒者を採る理由はない
卒業大学の偏差値は学習能力や知的情報処理能力の高さをある程度は担保するという評価はできるかもしれないが、それはべつに卒業高校の偏差値でも十分に代用可能だし、そもそも文系にかぎっていえば、時間割が組まれて規則正しい生活をだれもが送っている高卒時点が「社会人適応性」のピークである人もそう珍しくはない(高校生の時分とくらべて、不規則で自堕落な生活を送ってしまう大学生は高偏差値の大学生でも少なくない)。
とりわけ営業職や接客職など対人コミュニケーションを主とした企業が「優秀で勤勉な、高校を卒業したばかりの若者」を欲しがるようになるのは当然の帰結だったと言えるのかもしれない(もちろん高卒者だってなるべく学業成績が良好な「ええとこの高校」が好まれる傾向はあるだろうが、しかし大学ほど厳然たる偏差値至上主義ではない)。大学側が行っている大学教育が、現代の企業が欲しがる人材と必ずしもマッチしておらず、また世の中のニーズに応じて教育をアップデートしなかったことのツケと見ることもできるかもしれない。
いずれにしても、わざわざ文系の大卒者を採用しなければならない理由がどんどん薄れていくにつれて高卒者に対する労働需要は高まっており、それは偏差値至上主義的な世界観の大前提となっていた「高偏差値でなければまともな仕事に就けない・まともな稼ぎを得られない」という物語を急速に突き崩していることは事実だ。
■「偏差値至上主義」は、人余りの時代の共同幻想だった
偏差値至上主義とは「人余りの時代」だからこそ実効性があった共同幻想だったのだ。
たとえば1990年代前半から2000年代前半に大学を卒業した初代氷河期世代は、同学年の人口の絶対数が多かった。結果として学歴競争がいまよりずっと苛烈だった時代でもあったのだが、デフレ型の不況によって「人余り(労働力の供給過剰)」が起こってしまってもいた。同学年に150~200万人もいてダブついていた人材を文字どおりの“ふるい”にかけて選別するために有効だったのが、出身大学のネームバリューや偏差値であった。だからこそ、この時代に一気に学歴競争は噴出して「偏差値至上主義」が世の中のヘゲモニーを握り、その余韻は都心部で色濃く残っている。
だが、ご存知のとおり現在はかつての「人余り不況期」とはまったく様相が異なっている。
少子化は当時よりもずっと加速しており、事業の好調にともなう事業展開の拡大を企図しても、現場で働いてくれる人手がまったく足りていない状況だ。人手不足のせいで会社や店が休業したり倒産したりする、就職氷河期時代には考えられなかったような事態も当たり前に見聞きするようになった。皆さんの暮らす街でも「人手不足のために休業します」という店先の張り紙をしばしば見るようになったのではないだろうか。掲示されたアルバイトの求人票も時給がどんどん上昇している。
■大卒と比べて「教育にかかるコストに差は感じない」
先述したとおり、これまで「大卒必須」としていた企業でも、そうしてしまうともはや人が集まらないためその学歴要件を緩和し、大卒並みの待遇や福利厚生はなるべく維持したまま高卒や専門卒でも門戸を開くような流れが生じている。そして実際に採用して働かせてみた人に話を聞けば「過去大卒の新卒を雇った時と、教育にかかるコストに大きな差は感じない」というのだから、これまで世の中に当たり前の前提とされていた大卒必須とはいったいなんだったのだろうかと思わずにはいられない。「大卒でなければ社会人として務まらない」とただなんとなくのムードが世の中にあっただけで、そこにはしっかりとした根拠などなかったのかもしれない。
こうなってしまえば「偏差値が高くなければ雇ってもらえない」「まともな仕事を選べない」といった人余り時代につくられた神話はますますその真実性を失ってしまう。「偏差値がすべてではない」というのは、冒頭のニュースでも報じられた裁判でも実際に被告人の父が語った言葉のようだが、それはこれまでのような気休めではなく本当にそうなりつつある。受験生を襲撃した彼がもしあと10年遅く生まれていたら、世の中はもっと違う景色になっていたし、彼も偏差値に呪われることなどなかったかもしれない。
■“泥臭い”仕事を嫌い、事務系職種に殺到する文系人材
長引くデフレ不況による人余りの時代につくられた「偏差値至上主義」的な神話は、若い労働力が加速的に不足する時代に直面し、急速にほころびを見せている。
上述したように高卒者の求人は昭和の時代を彷彿とさせる高水準である。とりわけ宿泊業や運輸配送業や飲食サービス業や建設業といった業種では若い人材が猛烈に不足しており、賃上げや福利厚生の拡充あるいは教育制度の見直しによって人材確保に躍起になっている。
だがこれらの採用枠は、下手に高等教育を受けてしまった文系人材では選びにくい仕事でもあるだろう。なぜならプライドが傷つくからだ。
中途半端に偏差値の高い文系の学生には、そうした“泥臭い”匂いのする仕事は「学のある人間がやるような仕事ではない」という観念や自尊心があるせいでなかなか選ばれないようだ。かれらはそうした泥臭い仕事を嫌がり、その代わりによりにもよって人手不足の時代でも猛烈な買い手市場のまま推移する都市部の事務職に殺到している〔ちなみに厚生労働省のデータによれば事務系職種の現在の有効求人倍率は0.32である(厚生労働省「一般職業紹介状況(令和5年9月)」2023年10月31日)〕。
■学歴コンプレックスを持つ文系が割を食う時代
おそらくこれからの時代は、偏差値至上主義的な神話コンプレックスを強固に内面化しているノースキルの文系がもっとも割を食う世の中へと変わっていくことになるだろう。別に大卒文系でなければ務まらない仕事は少ない。あったとしても先述したとおりそのポジションは求職者が飽和状態になっており雇用流動性も低い。その最たる例が出版業やテレビ業で、これは高偏差値文系学生にとって最高峰ともいえる憧れの就職先だが、倍率は毎年500倍近いとも言われている。
大学文系学部で過ごす4年という若い時間のキャリア的損失を埋められるような学生は、一部の超高偏差値・超エリート層を除けばそれほど多くない。とくに、毎年定員割れを起こすいわゆるFランク大学に通うくらいなら(すなわち、Fランク大なのに大卒者というプライドがついて就労可能性の幅を自発的に狭めてしまうくらいなら)活況を呈する高卒の売り手市場にさっさと身を投じてしまうか、あるいは専門学校で「手に職」をつける方がよほど合理的でさえあるだろう。
■「若い労働力」のプレミアが飛躍的に高まる時代だ
この記事がリリースされる11月といえば、大学受験でいえば「最後の追い込み」の時期に突入している。いまもきっと日本のどこかでは「いい大学に入らないと、まともな人生が送れない」という世界観を強固に内面化した子どもたちが、不安と期待、なにかに追い立てられるような焦燥感や恐怖感を入り混じらせた感情を抱えながら、必死に机に向かっているのかもしれない。
だが世の中は過渡期である。「大学を出なければ社会の正規ルートに乗れない」というデフレの時代の幻想は終わり、社会は変わりつつある。プライドや自尊心にさえ折り合いをつければ、いくらでも若者が身を立てる道は見つけることができる。
少子化の時代はたしかに社会保障の側面では若者にとって暗雲立ち込める時代だが、しかしこの時代は同時に、「若い労働力」のプレミアが飛躍的に高まる時代でもある。
問答無用の少子化とインフレの時代には、自分たち若者の労働力が市場では喉から手が出るほど欲しい「稀少財」としてもてはやされる明るい側面もあるのだ。そう、それは若者が「金の卵」として重宝された時代の形を変えた再演である。
「偏差値こそが人生」「偏差値が高くなければ人生はまともに歩めない」という共同幻想が支配した時代は本当に終わりを迎えようとしている。スマートではないかもしれないしカッコよくもないかもしれないが、泥臭く強かに生きることを厭わずに臨めば、その想いに応えてくれるような場所や機会は着実に増えている。
これから世に出る若者にとって、いまの日本はなにもかもが絶望というわけではなく、見方を変えればチャンスも広がっている。
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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。
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4つの府立高校の再来年度募集停止、元教員らが撤回求め要望書と9500人分の署名提出 大阪
読売テレビニュース11/11(土)11:38
読売テレビニュース
再来年度から募集を停止する予定の大阪府立の4つの高校について、元教員らでつくる団体が教育委員会に撤回を求めました。
今年8月、大阪府教育委員会は少子化などの影響で3年以上続けて定員割れが続いている西野田工科高校など4つの工業高校について再来年度から入学者の募集を停止する案を示しています。10日、元教員らでつくる団体は、府が示している案の撤回を求める要望書と約9500人分の署名を教育委員会に提出しました。
大阪の高校を守る会・奥野 喜久夫 会長
「従業員確保は大事なこと。その担い手を作っているのが工科高校。大阪の産業を守るためにも見直していただきたい」
府の再編整備案は来週行われる教育委員会の会議で正式決定される予定です。
NewsTwit
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募集停止ドミノが続く大学・短大・2~2012年の危険62校のその後とは
個人記事、公開。2012年に危なかった大学の62校のその後をまとめました。リストラ策については意外な策が判明。