時事通信 4月30日(土)14時47分配信
熊本地震の発生翌日に現地入りし、被災者の救護に当たった災害派遣医療チーム(DMAT)の医師に、熊本県益城町を最初に襲った震度7の激震直後の活動などを聞いた。救急病院でも経験したことのない出来事に、医師は「現実離れしていた」と振り返った。
「震度7の地震があれば自主的に待機する」というルールの下、九州大学病院救命救急センター(福岡市東区)のDMATチーム、生野雄二医師(37)ら4人は、発生直後の14日午後10時ごろ、病院に参集した。テレビで情報収集し、DMAT本部から要請を受けた15日午前1時、陸路で熊本県入り。熊本赤十字病院(熊本市)に到着した午前4時50分には、既に40チームが集まっていた。
各チームとのミーティングを終え、益城町役場に詰めた。日ごろ訓練を受けているが、出動は初めて。階段にはひびが入り、水も使えない。何も考えられないまま、骨折を疑われる人や、風邪をひいた車中泊の子供の診療を続けた。
発生から丸1日たった夜、全身に擦り傷や打撲、やけどを負った40代の男性が救護所に来た。倒壊した自宅から子供を助け出すことに必死で、病院にも行かなかったという。
「通常ならすぐに病院に行くような状態だった。1日たって、われに返ったのでは」。生野医師は男性を診察した状況を「救命センターで勤務していても、経験しないような出来事。現実離れしていた」と振り返った。 通常、DMATチームは72時間交代制で救護に当たるが、本部の指示で15日夜のうちに益城町をたった。「被害の拡大が見込まれないとの判断だったのだろう」。しかし、福岡市に到着した16日未明に本震が発生。朝から自衛隊機による患者移送をサポートするため、福岡空港で待機した。
「本震直前まで大きな被害が出ないだろうと思っていた。だんだんと収束していくという思い込みがあった」と生野医師。「『次』がないとも言えない状況。医療者として、できることがあれば何でもやっていきたい」と力を込めた。 』
現実離れしていても、それが熊本地震の救急医療現場の現実のようです。
生野雄二医師の経験したことのない事が、現実に起こっていて見たと言うこ
とです、
今の時代は、自然災害でも過去の経験や常識が、どこまで役に立っかは不確実性が強く、その時の状況に応じた臨機応変な対応が求められるのかも分かりません。
熊本地震の発生翌日に現地入りし、被災者の救護に当たった災害派遣医療チーム(DMAT)の医師に、熊本県益城町を最初に襲った震度7の激震直後の活動などを聞いた。救急病院でも経験したことのない出来事に、医師は「現実離れしていた」と振り返った。
「震度7の地震があれば自主的に待機する」というルールの下、九州大学病院救命救急センター(福岡市東区)のDMATチーム、生野雄二医師(37)ら4人は、発生直後の14日午後10時ごろ、病院に参集した。テレビで情報収集し、DMAT本部から要請を受けた15日午前1時、陸路で熊本県入り。熊本赤十字病院(熊本市)に到着した午前4時50分には、既に40チームが集まっていた。
各チームとのミーティングを終え、益城町役場に詰めた。日ごろ訓練を受けているが、出動は初めて。階段にはひびが入り、水も使えない。何も考えられないまま、骨折を疑われる人や、風邪をひいた車中泊の子供の診療を続けた。
発生から丸1日たった夜、全身に擦り傷や打撲、やけどを負った40代の男性が救護所に来た。倒壊した自宅から子供を助け出すことに必死で、病院にも行かなかったという。
「通常ならすぐに病院に行くような状態だった。1日たって、われに返ったのでは」。生野医師は男性を診察した状況を「救命センターで勤務していても、経験しないような出来事。現実離れしていた」と振り返った。 通常、DMATチームは72時間交代制で救護に当たるが、本部の指示で15日夜のうちに益城町をたった。「被害の拡大が見込まれないとの判断だったのだろう」。しかし、福岡市に到着した16日未明に本震が発生。朝から自衛隊機による患者移送をサポートするため、福岡空港で待機した。
「本震直前まで大きな被害が出ないだろうと思っていた。だんだんと収束していくという思い込みがあった」と生野医師。「『次』がないとも言えない状況。医療者として、できることがあれば何でもやっていきたい」と力を込めた。 』
現実離れしていても、それが熊本地震の救急医療現場の現実のようです。
生野雄二医師の経験したことのない事が、現実に起こっていて見たと言うこ
とです、
今の時代は、自然災害でも過去の経験や常識が、どこまで役に立っかは不確実性が強く、その時の状況に応じた臨機応変な対応が求められるのかも分かりません。