教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

2月28日 民間事故調の調査 東電拒否「応じないというのは恥ずかしい会社だ」小出裕章(MBS)

2012年02月29日 13時56分37秒 | ブログ
2012年2月29日

2012年2月28日(火)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」に、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演されました。

テーマは……。

・福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査報告書について言及。東電が調査を拒否したことについて
・原子力安全・保安院が、福島第一原発1号機の非常用復水器の配管の設計変更があったことを放置していたことについて
・東電ら電力会社3社が、文科省に巨大津波への警戒の表現を変えるように要求し、それを文科省は受け入れていたことが判明したことについて

です。

番組内容

2012年2月28日【火】
食の安全は確保されるのか ~ 放射性セシウム新規制値
放射性セシウムの新たな規制値が4月から適用される予定ですが、食の安全性は高まるのでしょうか。福島県出身で環境問題に詳しいフリーライター・佐久間淳子さんに、規制値が厳しくなることで予想されるあらたな問題や関東各地の民間測定所の様子をお聞きします。佐久間さんらのルポルタージュ研究所と東京海洋大の水口憲哉名誉教授がまとめた「ハンディ版 食品の放射能汚染 完全対策マニュアル」が来月出版されます。昨年出版された初版が品切れで再版が待望されていたもので、この内容についてもお聞きします。
京大原子炉実験所の小出裕章さんの解説もあります。

録画
▼20120228 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

内容文字おこし
(1)http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65792630.html
(2)http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65792651.html
(3)http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65792652.html


2月27日 汚染水タンク1000基「原子炉建屋の地下もタービン建家の地下も漏れたって見えない だからただただ放置されてる」小出裕章(MBS)

2012年2月28日

2012年2月27日(月)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」に、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演されました。

テーマは……。

・飛行禁止区域が20キロ圏から3キロ圏に縮小し、福島第一原発周辺を空撮。その際に汚染水タンクが1000基並んでいる写真が新聞に掲載。それを受けて、現在の汚染水漏れについて
・政府の事故調査・検証委員会が海外の原子力専門家を招いた会合を行った。そのなかで海外専門からの批判が相次いだことについて。

です。

番組内容

2012年2月27日【月】
東電どうなる? ツケは国民にまわされる!
来月、東京電力の再建計画が発表されます。多額な税金が投入され、金融機関も追加融資、社内カンパニー制で、再来年には黒字になるという骨子が明らかになっています。これで国民が望む電力会社に変わるのでしょうか?被災者への補償、除染、廃炉、発送電分離、原発といった問題は前に進み、東京電力が責任をとる体制になるのでしょうか?電力会社や原子力政策に携わる人たちの取材を続けている経済ジャーナリストの町田徹さんにスタジオに来てもらいます。
原発事故については京都大学の小出先生に聞きます。

録音
▼20120227 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

内容文字おこし
(1)http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65792511.html
(2)http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65792514.html

番組のその他の録音は以下のとおり
この投稿の続きを読む ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安易な議論:大学の無償化。山内康一 の「蟷螂(とうろう)の斧」

2012年02月29日 13時25分21秒 | 国際・政治

予算委員会の議論を聴いているといろんなテーマがあります。
最近何度か耳にしたのが、大学の授業料無償化の議論です。
一見すると良さそうな議論の典型と言えるかもしれません。

民主党政権になってから高校授業料無償化が実現したこともあり、
次は大学の授業料無償化が注目されつつあるのかもしれません。
進学率が9割台後半の高校無償化と、約5割の大学無償化では、
意味合いが異なり、高校の方がまだ納得を得やすいです。

大学院で「教育経済学」のコースを履修した者としては、
大学授業料無償化には、簡単にはうなずけません。
大学の無償化を推進する理由と背景に納得がいきません。

大学の授業料無償化を主張する人は「貧しい家庭の子どもでも、
大学教育を受けられるようにすべきだ」という理由を挙げます。

「貧しい家庭の子どもでも大学教育を受けられるようにすべき」
という点に関しては、私もまったく異論はありません。

私も母校の奨学金基金に募金したことがあります。
学生時代には学生寮の仲間と「あしなが育英会」の街頭募金に参加し、
さらにフィリピンのフォスターチルドレンのために寄付していました。

学生時代の友人のフィリピン人がアメリカの大学院に留学するときに、
銀行の残高証明を提出して、身元保証人になったこともあります。
それくらい「貧しい家庭の子どもが大学教育を受けられるようにすべき」
という意見には心から賛同しています。

しかし、貧しい家庭の子どもが大学教育を受けられるようにするには、
大学の授業料無償化以外にも、いろんなやり方があります。

例えば「低所得の家庭の子どもに奨学金をあげる」というのが、
もっともシンプルでわかりやすい解決策だと思います。

奨学金にしても貸与と給付(渡し切り)の2種類が考えられます。
貸与にした方が、同じ金額でより多くの学生を支援できます。

また、将来、外資系企業でバリバリ稼ぎそうな学生には貸与にして、
僻地医療に従事したい学生には給付にする、といった手もあります。
例えば、看護学部の学生には、奨学金を優先的に提供するのも一案です。

それから、夜間の大学や通信課程の大学の教育内容を充実させて、
働きながら学べる環境を整えることもひとつの解決策です。
あわせて夜間の学部への私学助成額を上げることも考えられます。
名門の国立大学の夜間学部を整備することも有効でしょう。

日本は先進国の中で社会人入学の割合がダントツで低い国です。
海外では25歳以上で大学に入学する人が2~3割います。
そういう人たちは、学費を稼いだ上で大学に進学しています。

社会人入学の条件を緩和し、それを受け入れる社会環境を整えれば、
貧しい家庭の子どもが高校卒業後にいったん働いて学費を貯金し、
そのあとで奨学金をもらいつつ大学に通う人も増えるでしょう。

自分の学費を稼ぐような苦労人のまじめな社会人入学生は、
企業だって評価するでしょう。そういうケースを増やすべきです。
さらに社会人入学生は、動機づけ・目的意識がはっきりしているので、
よく勉強する人が多く、周囲の学生にも良い影響を与えます。

大学に行く人も行かない人もいますが、税金は全員から徴収します。
大学に行かない人の税金で、大学授業料を無償化するということは、
「所得の移転」という側面が出てきます。

大卒の方が平均所得が高く、大卒以外の方が平均所得は低いです。
そうすると「低所得層から高所得層への所得移転」という側面が、
大学の授業料無償化に付いて回ります。

イギリスでは、裕福な家庭の子どもが名門大学に入る可能性は、
貧しい家庭の子どもが名門大学に入る可能性の55倍だそうです。
もしイギリスの大学の授業料が無料だと、お金持ちの子どもの方が、
貧しい家庭の子どもより利益を受ける可能性が格段に高くなります。

またヨーロッパで大学の授業料が無償の国に多いパターンは、
大学進学率が低く、かつ、税金が高い「大きな政府」の国で、
大卒エリートは社会的に重要という認識が強い国です。

大学進学率が高くて、かつ、授業料が無償の国は、税金が高く、
国民が納得した上で高い税金を払っている国です。
「大きな政府」の国では大学無償化も成り立つということです。

「大きな政府」という考え方を支持しない人は、
大学無償化を支持しない方が自然です。

日本のように、大学進学率が5割ほどもある国で、
大学無償化を実現するには相当な予算が必要です。

そうなると「まともに授業に出てないような学生まで、
授業料を無償にしてもよいのか」という議論が出てきます。
日本の大学は、勉強しなくても卒業できることが多いです。

そういう学生の授業料を税金で全額まかなうのが正しいのか。
あるいは「大学教育」といえるレベルではない大学まで、
税金で授業料をまかなうのが正しいのか、という疑問もあります。

しばしば、「アメリカの大学は入るのはやさしいが、出るのは難しく、
相当まじめに勉強しないと卒業できない」と言われます。
日本の大学もそうなら、大学無償化も意義があるかもしれません。

しかし、あんまり勉強していない大学生が多いのが実情でしょう。
きちんと知識や技能を身に着けた学生の学費を税金で払うのであれば、
社会的なリターンから正当化できる可能性は高くなります。
他方、勉強していない大学生の授業料無償化には、私は反対です。
若者を甘やかすのに税金を投入するわけにはいきません。

仮に大学無償化を実現するなら、その前提条件として、
大学卒業資格の厳格化が必要だと思います。
大学卒業時の学士号の認定要件をいまより格段に厳しくして、
知識や技能の習得を条件に授業料を無償化すべきです。

小中学校は義務教育ですが、大学は任意で行く教育機関です。
その学費まで全額税金でまかなうことには、慎重であるべきです。
もし仮に税金でまかなうなら、それに伴う義務を課すべきです。
義務とは、社会に有用な知識や技能を学生が習得することです。

さらに国内の大学に進学する人には無償化は魅力的ですが、
海外の大学に留学する人にはメリットがありません。
海外留学に行く人が、いま以上に減るでしょう。

おそらく海外と国内の大学のどちらに行くか迷ったら、
国内の大学を選ぶでしょう。だってタダですから。
大学無償化は、若者の内向き化に拍車をかけるでしょう。

いろんな要素を考えると、安易な全面的大学無償化よりも、
さまざまな政策をミックスするのがベターだと思います。
奨学金拡充、社会人入学拡大、特定の学科の授業料無償化、
留学用奨学金の充実など、いろんな手があります。

|

引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費税増税を説きまわる民主党一年議員は全員落選することになるだろう new!!

2012年02月29日 13時08分24秒 | 国際・政治

http://www.amakiblog.com/

      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      日本は無責任国家、国土防衛のみならず、原発の安全管理、事故処理を米国に頼るしかないのか

      2012年02月29日 12時56分41秒 | 国際・政治
      2012年02月29日 00時54分45秒 | 政治
      ◆国土防衛は自明の如し、原発の安全も、日本政府は独自で守れない。この際、大金をはたいてでも、日本のすべての安全保障は、米軍に守ってもらうしかなさそうだ。核保有国でない日本は、独自では核戦争に参戦できない。原発の安全については、奇しくも、東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会(民間事故調、委員長=北沢宏一・前科学技術振興機構理事長)が2月27日、報告書を公表、また、米原子力規制委員会(NRC)が2011年3月11日から10日間の電話会議などの内部記録を公開、いずれも当時の菅直人首相ら政府首脳の「無能ぶり」を鮮明に炙り出している。要するに、政権交代から2年半を過ぎたいまの民主党政権では、国民の生命・身体・財産を守れないという歴然とした事実が、データにより実証されてきたということだ。
       しかも、民間事故調の調査に東電がまったく協力していないことから、東電の奥の院に極秘のデータが隠されている可能性が高く、日本国民の不安、米NRCの対日不信は、完全には払拭されていない。こんなことなら、日本の国土防衛とともに、原発事故に対する安全管理と対策は、米軍に任せた方が、よほど安心感があるという声が、国民の間から出ても不思議ではない。
      ◆民間事故調の報告について、読売新聞は2月28日付け朝刊「総合面」(2面)で、「菅首相介入で混乱拡大」「バッテリーサイズも自ら確認」という見出しをつけて、厳しく批判している。とくに菅直人首相が3月12日朝、大本営とも言うべき首相官邸を放棄して、福島第一原発をヘリコプターで視察に出かけたのは、最悪だった。総大将は、大本営にデンと構えて、総指揮を取っていなければならなかった。それを一介の参謀や部隊長のような振る舞いをしてしまったのである。私は、ブログに何回も菅直人首相の軽はずみな言動を厳しく批判してきた。民間事故調報告書は、このことを指摘しているのだ。
       この民間事故調は、財団法人「日本再建イニシアティブ」(船橋洋一理事長=前朝日新聞主筆)が設置した組織であるというのは、何とも皮肉である。というのは、菅直人前首相は、野田佳彦首相の代理として船橋洋一理事長とともに、1月25日から29日までの日程で、スイスのスキー・リゾート「ダボス」で開かれた「国際経済フォーラム」(世界から著名経営者ら2600人が参加)で、「私が福島第一原発の事故処理をしました」と丸で英雄気取りで演説をしている。日本の実情を知っているマスメディア関係者は、みな呆れ果てていたという。太陽光に関するシンポジウムでは、菅直人前首相の側に、船橋洋一理事長がお数寄屋坊主のように座っており、この2人の関係が怪しまれている。
       ちなみに、菅直人前首相は在職中の2011年1月28日にも、ダボス会議に出席しており、スイスに向かう途中、エジプトのカイロ空港で約500人の邦人が足止めされるのに出くわした。随行していた外務官僚が、邦人救出に政府専用機を使おうと提案したところ、菅直人首相がキレた。「専用機はオレが使う。勝手にエジプトに行った奴をなぜ助けるのか」と言って、放置しよとした。困った外務官僚が前原外相と相談し、外相は首相を説得したが、首相は聞き入れず、28日夕に出発し、30日午後に帰国した。これが市民派宰相、菅直人の正体であると、朝日新聞社の「週刊朝日」が2011年3月4日号で、厳しく批判している。これが日本の国家最高指導者だったとは、実に情けない話だ。
      ◆米原子力規制委員会が公開した議事録は、3200ページにも及ぶという。読売新聞は2月28日付け朝刊「解説面」(7面)の「解説スペシャル」欄で「米『日本任せ無理だ』」「最悪想定80キロ退避勧告」「ハワイも対応の必要あるか 損傷激しいようだ」「注水、米軍動員できない 彼らは一向に着手しない」などという見出しをつけて、リード部分で以下のように解説している。
       「3200ページに及ぶ議事録には、日本側からの情報が乏しい中、米当局が最悪の事態を想定して米国民保護などの危機管理にあたった生々しい議論が交わされていた。状況把握が困難なことを理由に危機を過小評価し、後手に回った日本政府の対応と落差が際立つ(ワシントン支局 山田哲朗、科学部 原発取材班)」
       菅直人前首相は20もの対策本部などを立ち上げておきながら、議事録を取っていたのは、たったの1つ。それも詳細な記録ではなく、概要にすぎない。法律違反もはなはだしい。情報公開が当たり前の米国と何かにつけて隠したがる日本、おまけに、だれも責任を取りたがらない。「無責任が美徳」であるかの如く勘違いしている政治家と官僚と大企業経営者。これから一体どうなるのか。思い切って米国に全面的に頼るしかないのであろうか。
      ガックリだ。

      本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
      日本銀行が欧州ロスチャイルド財閥の指示に従い、欧州国債危機・金融危機回避のため紙幣(1万円札)の大量増刷を始めている

      ◆〔特別情報①〕
       フリーメーソン・イルミナティ筋(ニューヨーク発)の情報によると、日本銀行が、「1万円紙幣の増刷」を始めたという。これは、世界各国の中央銀行を支配している欧州ロスチャイルド財閥(総帥ジェイコブ・ロスチャイルド)の指示によるものだという。メキシコで開かれていた「20か国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議」が2月26日夕(日本時間27日朝)債務危機を封じ込めるための欧州自身の金融安全網強化が不可欠であるという考えで一致し、欧州に強く行動を迫る共同声明を採択して閉幕したのを受けての緊急措置と見られる。

      つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

      「板垣英憲情報局」はメルマガ(有料)での配信もしております。
      お申し込みはこちら↓


      平成24年3月21日(水)
      第3回板垣英憲『勉強会』開催のご案内

      『ロスチャイルドとロックフェラーの暗闘
      ~金融戦争~資源エネルギー戦争~第3次世界大戦へ』


      板垣英憲マスコミ事務所

      プロフィール

      性別
      男性
      都道府県
      埼玉県
      自己紹介
      広島県呉市生まれ。中央大学法学部卒。海上自衛隊幹部候補生学校を経て毎日新聞社入社。社会、政治、経済部記者を経て評論家となる。著書128冊。
      引用元http://www.a-eiken.com

      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      人の感情ってだまされやすい 相場には感情は通じない

      2012年02月29日 09時58分56秒 | 悩み
      <script src="http://stat100.ameba.jp/blog/js/blog_search.js" type="text/javascript" charset="UTF-8"></script>

      占いに関心をもつ動機は、だいたいが、不安と心配である。


      占いを勉強して、不安と心配がなくなればいいのだが

      ますます不安と心配が大きくなったりする人がおおい。


      生年月日が悪いと言って人生をあきらめてしまう人もおおい。


      ちょっと、まて。


      違うだろ。


      新しい可能性を開くのが占いだろ。


      占いではなく こんな開運手法もある。 乗馬で開運

      1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
      2012-02-29 08:25:15

      人の感情ってだまされやすい 相場には感情は通じない

      テーマ:ブログ

      10年という単位でみると 株価はまだまだ 低迷

      むしろ 大底 から やや 回復したかな? という感じ。
      全吉占いのブログ


      5年という単位でみても まだまだ 怖くて買えない。

      全吉占いのブログ


      半年という単位でみると 焦って 買わないと損するという感情になる。


      全吉占いのブログ


      3ヶ月という単位でみると ああ 買い遅れた と後悔する。

      全吉占いのブログ


      いづれも 正しい感情だ。


      だから 感情に逆らうような強い意志と人格がないと 相場は勝てない。


      感情にふりまわされると ぼろぼろに殴られ たたかれ 不安になり 眠れなくなる。

      引用元ameblo.jp/fsoftjp/

      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      Subject: ●NEW47日目▲ジェームススキナー語録■

      2012年02月28日 15時21分40秒 | 悩み

      ■忙しいとは、心が亡くなると書く。

      ☆心に余裕がないと、成功への道が目の前にあっても見えない。
      少し間をおいて考えると、どんな問題でも解決できるだろう。

      皆さんは、少し間をおいて考えていますか?

      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      Subject: ●●新23日目●●斎藤一人365日語録

      2012年02月28日 15時03分42秒 | 悩み

      ■世の中や、人の悪口を一切言わないで行動できれば
      それだけでも成功者なのです

      ☆言葉でこう書かれてると簡単に感じるけど
      なかなかですよね・・・笑

      もちろん、1年前よりは、1か月前よりは、昨日よりは
      魅力的な言葉を使い、地獄言葉を使わないようにはなってきた・・・

      気をつけてきたから。


      人の悪口を一切言わない。


      一切。

      一番近い人にもです。

      あなたは一切、人の悪口を言っていませんか?

       
       

      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      民間事故調:福島第1原発 官邸初動対応が混乱の要因  原発安全神話を指弾

      2012年02月28日 14時57分43秒 | ブログ


      true

      当サイトへご訪問いただきありがとうございます。

      IT関係、いろんな趣味、いろんなスポーツ、生まれて
      からいろんなことに首を突っ込みました。

      そんな経験で面白いと思ったこと、ちょっと気に
      とまったものをご紹介したいと思います。

      現在トッラクバックにスパムが
      多いため、しばらく承認制に
      させていただきます。

      またスパムコメント、非常識な
      コメントについては
      当方の判断で削除させて
      いただいています。

      2012-02-28 10:23:45
      テーマ:ブログ
      「必要なバッテリーの大きさは? 
      縦横何メートル? 重さは? 
      ということはヘリコプターで
      運べるのか?」

      これは、昨年3月11日の夜に
      福島原発が津波で停電した
      際、電源車を手配する
      際の現場の担当者への
      質問です。

      誰が言ったと思います。?

      震災、原発事故の最高
      責任者の菅首相の言葉。

      それも、直接携帯で
      現場と話をしたって
      いうんですから。

      国のトップどころか、
      会社の経営者レベルの
      役割ということを理解
      していないことが、よく
      わかります。

      民間事故調:福島第1原発 官邸初動対応が混乱の要因

      東京電力福島第1原発事故を
      調査してきた民間の「福島原発
      事故独立検証委員会(民間事故調)」
      (北沢宏一委員長)は27日、
      菅直人首相(事故発生当時)ら
      官邸の初動対応を「無用な混乱や
      ストレスにより状況を悪化させるリ
      スクを高めた。場当たり的で、
      泥縄的な危機管理」と指摘する
      報告書をまとめた。

      まあ、上が駄目な場合
      でも、事故時の対応マニュアルが
      しっかりし、下の者が
      何が大切であるか
      わかっていればいいんですが、

      民間事故調:原発安全神話を指弾 検査形骸化と縦割り弊害

      「決められたことをチェック
      するだけ」「木を見て森を見ず」--。
      民間事故調が27日にまとめた
      報告書から浮かぶのは、形骸化
      した原発の検査体制と縦割り
      行政の弊害だった。
      また、国が原子力政策を決定し、
      事業者が運営する「国策民営」
      方式で、安全規制への
      モラルハザード(倫理観の欠如)が
      生まれ、責任の所在が不明確に
      なったと断定。

      そもそも、原発は事故を
      起こさないと言い張って
      推進してきた言葉で
      自縄自縛。

      平時の検査がいい加減で
      あれば、非常時体制なんて
      そもそも真面目に作って
      いません。

      そうした場合、トップと
      補佐とで災害において
      つぎつぎと発生する事柄に
      二人三脚で即時に対応
      しなければならないんですが。

      事故調の報告では、

      菅氏の官邸での指揮に関し
      「強く自身の意見を主張する傾向」が
      班目(まだらめ)春樹原子力安全
      委員長や閣僚らの反論を
      「躊躇(ちゅうちょ)」させたとの
      認識も示した。
      さらに「トップリーダーの強い
      自己主張は、物事を決断し
      実行するための効果という
      正の面、関係者を萎縮させる
      など心理的抑制効果という
      負の面があった」と言及した。


      国というもの、強い意見を
      持つトップであれば、それを
      補佐できる中国の春秋戦国の
      管仲・楽毅のような人間が
      いればいいんですが。

      この日本、上も下も
      無能の集団ということに。

      お先真っ暗o(;△;)o
      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      事故の教訓:システム改善へ。山内康一『蟷螂の斧』

      2012年02月28日 14時41分30秒 | 国際・政治

      民間有識者による「福島原発事故独立検証委員会」が、
      事故発生時の菅直人首相ら官邸の初動対応を検証し、
      その結果を公表しました。

      同委員会は官邸の対応について「無用な混乱やストレスにより
      状況を悪化させるリスクを高めた」と指摘しています。
      さらに官邸の指示を「場当たり的で泥縄的な危機管理」と表して、
      官邸の指示が事故の拡大防止に貢献しなかったと総括しました。

      緊急事態の際の政府トップによる現場への介入を戒めました。
      まさに総理官邸が「管理危機」の状況にあったことを改めて指摘し、
      今後への教訓としています。

      菅氏は第1原発に代替バッテリーが必要と判明した際には、
      携帯電話で「大きさは」「縦横何メートル」「重さは」などと
      担当者に直接質問し、熱心にメモをとっていたそうです。

      同席者は「首相がそんな細かいことまで聞くというのは、
      国としてどうなのかとぞっとした」と述べたそうです。
      生々しくて空恐ろしくなるような状況です。

      一国の首相が現場の係長のような仕事をすることをもって、
      民主党は「政治主導」だと誤解していた様子が見てとれます。
      政治的リーダーの菅首相が、問題を解決するのではなく、
      問題の発生源になっていた、という危機的状況です。

      こういった事後の検証はたいへん重要です。
      将来の危機管理のあり方、政治的リーダーの役割、政と官の関係等、
      これからの統治システムを考えていく上で貴重な参考資料となります。

      菅総理は危機に際して、怒鳴り散らして現場の人たちを委縮させ、
      政治的リーダーとしての資質なさを露呈しました。
      しかし、単に自己当時の首相の資質の問題だけに終わらせては、
      今後に向けた参考とはなりません。

      当時の菅総理周辺のスタッフの対応にも問題がありました。
      総理を支えるチームのあり方、危機管理担当部署の組織や編成、
      常設の内閣危機管理監(官房副長官級ポスト)の機能不全など、
      システムとしての問題点も検証し、改善しなくてはいけません。

      単に「菅総理がダメだった」と納得していては進歩はありません。
      被災者の皆さんの態度が、世界の多くの人を感動させる一方で、
      統治システムの機能不全は、日本のブランドイメージを損ない、
      国益の観点から大きなマイナスとなりました。

      いろんな専門家が異なる角度から事故原因とその対応を検証し、
      今後の参考として広く公表し、システムを改善することが大事です。
      とんでもない事故を起こしてしまった我われの世代にとっては、
      そのことが未来の世代への責任だと思います。

      |

      引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/

      <script src="http://analytics.cocolog-nifty.com/entry_ax.js" type="text/javascript"></script>
      コメント (1)
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

       我々は沖縄を差別している。見捨てている。それでいいのか。 new!!

      2012年02月28日 14時33分18秒 | 国際・政治

       県外移転しかないと応じる仲井真沖縄県知事。

       その二人が前夜に那覇市内の料亭でなごやかに会食をする。

       こんな八百長政治を許す我々国民は沖縄問題を本気で考えている
      というのだろうか。

       野田・仲井真会談を伝える28日の各紙の中で、毎日新聞「発信箱」
      に次のような記事を見つけた。

       外信部大治朋子記者が書いていた「終わらない『戦後』」という
      記事だ。

       沖縄に暮らして1か月半。全国紙にはほとんど載らない地味な日常
      のニュースの中にこそ、沖縄の「終わらない戦後」があると。

       その一つが、地元紙で毎日のように目にする不発弾発見の記事だと。

       沖縄戦で日米両軍が使った爆弾や砲弾は約20万トン。そのうち
      2000トン以上が今も地中に眠り、今でも不発弾爆発で負傷する
      住民が出るという。

       すべての不発弾の処理にはあと80年かかるという。

       沖縄にモノレールはあっても鉄道や地下鉄が存在しないことも、
      実はこの不発弾の危険と無縁ではないと。不発弾があまりに広範囲
      に拡散しているので線路の敷設が危なくてできないというのだ。

       こんな事が本土にどこかにあるというのか。

       大治記者はその記事を次のように締めくくっている。

       「祖国復帰が実現しない限り、戦後は終わらない」と沖縄の本土
      復帰を進めた佐藤栄作元首相は言った。あれから40年。不発弾の
      問題一つをとっても、沖縄は今も「戦後」であり続けている、と。

       我々は沖縄を差別している。見捨てている。

       そうでなければ普天間飛行場の県外移転が出来ないはずはない。

       こんな問題が政治を揺るがすような問題であり続ける筈はない。

       それでいいのか。こんな政治はボイコットしなければいけない。

                                了

       いまの政治のすべてを否定する人たち。橋下新党さえも期待できない
      と思う人たち。インターネットで本物の政党をつくり、本物の政治家を
      我々の代弁者として国会に送り込みませんか。
       「天木直人のメールマガジン」の場でその構想を読者と共に
      考えています。めどが立った時点で既存の政治に殴り込みをかけます。
      そのカギは皆さんのやる気と情熱にかかっています。インターネット
      新党づくりに参加してください。

      「天木直人のメールマガジン」は、 反権力、脱官僚支配、対米
      従属から の自立、平和外交、判官びいきの視点から、メディア
      が書かない日本の政治・外交 の欺瞞を 見抜いて毎日発信して
      います。

        申し込みはこちらから ⇒ http://bit.ly/arIQo1

        定期購読申込と同時に当月配信のメルマガ全てがさかのぼって
      購読できます。

       

      <label>引用元http://www.amakiblog.com/</label>
      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      野田佳彦首相は、米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」初日に沖縄を訪問、仲井真県知事に脅しをかけた

      2012年02月28日 11時54分30秒 | 国際・政治
      2012年02月28日 01時10分11秒 | 政治
      ◆野田佳彦首相が2月27日午前、、就任以来、初めて沖縄県を訪問して、仲井真弘多県知事と正式に会談した。結局、双方平行線のままに終わった。
       だが、この訪問は、朝鮮半島有事を想定した定例の米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」(韓国軍20万人、米軍約2100人が参加)が始まったその当日である。「キー・リゾルブ」は、北朝鮮の奇襲攻撃を想定しており、戦闘態勢確立までの指揮系統や兵器の輸送手順を確認するのが演習の最大目的だ。
       この米韓合同軍事演習は3月9日まで行れる。だが、さらに、米韓両軍は3月1日から約2カ月にわたり、野外機動訓練「フォールイーグル」を韓国全土で実施する。
       これに対して北朝鮮側は相当神経質になっており、27日、すぐさま「(米韓は)無分別な軍事的挑発がどのような破局的結果をもたらすか熟考すべきだ」と警告しており、韓国軍は、北朝鮮軍が暴発する危険が十分あり得るとみて、厳重な警戒態勢を敷いている。むかしから、軍隊の演習から一触即発により、戦端が開かれることがあるからである。
       野田佳彦首相は、朝鮮半島有事を想定した米韓両軍の大演習を横目に睨みながら、仲井真知事に対して、暗に心理的な圧力をかけたものと見られる。言葉を換えれば、「ブラフ(脅し)」をかけたとも言える。「北朝鮮による核攻撃」に備えるには、「米海兵隊普天間飛行場の辺野古への移設」は、国防上、止むを得ないと迫ったのである。
      ◆米国のグリン・デービース政府特別代表(北朝鮮担当)は2月24日まで2日間、北京で核問題をめぐる米朝協議を行った。その結果について、グリン・デービース政府特別代表が2月25日、ソウルで韓国外交通商省の林聖男(イムソンナム)朝鮮半島平和交渉本部長と会談し、説明した。要点は、以下の通りである。
       ①双方はUEP中断や国際原子力機関(IAEA)視察団復帰など、6カ国協議再開のための事前措置を重点的に議論した。
       ②さまざまな問題について真摯に有用な対話をした。ウラン濃縮プログラム(UEP)中断など核心争点で多少の進展があった。
       ③米朝協議では北朝鮮の金桂寛(キムケグァン)第1外務次官が食糧支援を求めてきた。
       ④米国側はこの基本方針として、「どのような食糧が必要とされ、提供可能か、必要とする人に食糧が届くかどうかの監視は可能かを(実施の可否の)判断材料にしている」と答えた。
       ⑤支援の実施条件を話し合った。
       ⑥日本人拉致問題は、話題にならなかった。
       北朝鮮は相変わらず、「核開発」という脅しをかけて、これを最大の武器として、「乞食外交」を繰り返しているということだ。さらに、はっきりしたのは、独裁者と信じられてきた金正日総書記が死亡したにもかかわらず、北朝鮮の態度は、少しも変わらず、独裁体制は、いわゆる「軍部独裁体制」であるということだ。後継者である金正恩最高司令官にしても、単なる飾り物にすぎないのである。この「軍部独裁体制」を破壊しない限り、永久に「乞食外交」を続けていくのは確実である。
      ◆この朝鮮半島有事の危険性が、除去されなければ、沖縄県米軍基地の重要性もなくならない。そればかりではない。フリーメーソン・イルミナティ筋(ニューヨーク発)の情報によれば、中国共産党1党独裁の北京政府も、いつまでもいまの体制を維持するのは、難しくなってきているという。次期国家主席と目されている習近平副主席は、先日、訪米してオバマ大統領と会談して、この存在感をアピールしたけれども、「人権問題」が鮮明になってきているのに、習近平副主席は、この対応に苦慮しているようだった。
       中国全土で年間3万件を上回る暴動、北京政府ばかりか地方の権力機関のなかで、増え続けている金権汚職が、この独裁体制を弱体化させる深刻な要因になっており、習近平副主席が、めでたく国家主席に就任したとしても、体制維持は、困難を極めるものと見られている。中国内部では、すでに国家分裂の兆しが見え始めているという。
       この現象が、現実化したとき、中国人民解放軍も分裂する可能性がある。そのとき、東シナ海から南シナ海、さらに太平洋は、「浪高し」という戦乱状態にならないとは限らない。このためにも、「要石(キーストーン)・沖縄」の「米軍基地」の重要性は、ますます高くなってきている。

      本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
      米オバマ大統領が、再選を目指して「強いアメリカ」演出の一環として「ドル高=円安」に誘導し始めた

      ◆〔特別情報①〕
       フリーメーソン・イルミナティ筋(ニューヨーク発)の情報によると、オバマ大統領が今年11月6日の米大統領選挙で再選しようと、世界に向けて「強いアメリカ」を演出する一環として、「ドル=円」相場を「ドル高=円安」に誘導し始めているという。さて、そのレンジとは?

      つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

      「板垣英憲情報局」はメルマガ(有料)での配信もしております。
      お申し込みはこちら↓


      平成24年3月21日(水)
      第3回板垣英憲『勉強会』開催のご案内

      『ロスチャイルドとロックフェラーの暗闘
      ~金融戦争~資源エネルギー戦争~第3次世界大戦へ』


      板垣英憲マスコミ事務所

      プロフィール

      性別
      男性
      都道府県
      埼玉県
      自己紹介
      広島県呉市生まれ。中央大学法学部卒。海上自衛隊幹部候補生学校を経て毎日新聞社入社。社会、政治、経済部記者を経て評論家となる。著書128冊。
      引用元http://www.a-eiken.com
      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      <たばこ混入>給食食材の中に 広島・福山市教委が被害届

      2012年02月28日 11時10分28秒 | 受験・学校

      毎日新聞 2月27日(月)21時58分配信 『広島県福山市教委は27日、同市立の3小学校に納入された給食食材の中に、たばこの吸い殻計数本が混入していたと発表した。いずれも調理前などに気づき、児童らが口にすることはなかった。市教委は同日、人為的に混入された可能性があるとみて、県警福山東署に被害届を提出した。 市教委によると、3校は同一業者から食材を調達し自校で調理している。食材は同日朝に納入され、うち2校は調理前の点検で発見、1校は気づかずに調理したが、児童が給食の際に見つけたため食べずにすんだ。 納入業者は登録制で、これまで異物が混入したことはないという。市教委は「これまで以上に食材点検の研修を適切にし、警察の捜査に全面的に協力する。早く原因が明らかになってほしい」と話した。【高山梓】』

      広島県福山市教育委員会は、2月27日、福山同市立の3小学校に納入された給食食材の中に、たばこの吸い殻計数本が混入していたのは、給食納入業者の食品管理の責任では有りませんか。給食の安全性を確保する為に早急にたばこの吸い殻混入経路や原因調査すべきです。

      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      「これが世界の終わりじゃない」皇帝が川内にエール

      2012年02月27日 23時00分42秒 | スポーツ
      Photo
      東京マラソンで14位に終わった川内優輝がレースから一夜明けた27日、勤務先の埼玉・春日部高で報道陣の取材に応じた。頭を丸刈りにして現れ「期待に応えられず誠意を示すため頭を丸めた」と神妙な表情で話した。(時事通信)

      「これが世界の終わりじゃない」皇帝が川内にエール

       東京マラソンで4位に終わった“皇帝”ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が27日、都内の中学校で契約を結ぶアディダス主催のマラソン教室を実施した。
       前日14位に終わり五輪出場が絶望的となった“市民ランナーの星”川内に対して、「これが世界の終わりじゃない。競技者はあきらめたらダメだ」と、エールを送った。(デイリースポーツ)
      マラソン選手も体調の優れない時やスランプ状態の時期もあると思います。マラソンは最後まで諦めずに走り抜いた選手が勝利者になるのではありませんか。“皇帝”ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)は、有名なアベベ・ビキラの後輩です。期待に応えられず誠意を示すため頭を丸めた川内選手は、マラソンの故アベベ・ビキラ選手に学んで、心機一転、復活を目指して頑張って下さい。和解お坊さん見たいで、丸刈りもなかなか似合っていますね。

      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
      オリンピック
      陸上競技
      1960 男子マラソン
      1964 男子マラソン

      アベベ・ビキラAbebe Bikila, 1932年8月7日 - 1973年10月25日)は、エチオピア出身の陸上競技長距離走)選手で、オリンピックではマラソンの種目で史上初の2大会連続優勝を果たし、2個の金メダルを獲得した。オロモ人である。

      生涯

      生い立ち

      当時のショア州(現在はオロミア州のセミエン・ショア地区(Semien Shewa))にあるデュノバのジョル村で生まれる[1]。家は貧しい小作農で、家族は当時の国教であるキリスト教コプト派(エチオピア正教会)の信者でもあった。小学校には1年通っただけで早くから家業の手伝いをしていた。19歳の時、皇帝ハイレ・セラシエ1世の親衛隊に入隊し、アディスアベバの部隊で訓練を受けることとなる。10ヶ月の訓練期間の後、当時エチオピアが参加していた国連軍として、朝鮮戦争に従軍するため釜山まで派遣されるが、ほどなく休戦となり帰国した[2]

      マラソン選手へ

      帰国後、親衛隊で訓練の一環として各種スポーツのトレーニングを受ける。その中で、足の速さが上官から注目されるようになる。1957年5月、四軍(陸海空および親衛隊)の陸上競技大会に親衛隊から選抜されて出場、マラソンで2位となり、ローマオリンピックの陸上強化選手に選ばれる[3]。ここでスウェーデン出身の専任コーチであるオンニ・ニスカネン(Onni Niskanen、1910 - 1984)の指導を受ける。ニスカネンはクロスカントリーインターバルトレーニングを取り入れた科学的な練習を施した。

      強化選手となった当初はアベベは目立った選手ではなく、親衛隊で同期(部隊は別)だったワミ・ブラトの方が長距離選手としては期待されていた。しかし、1960年に入ってアベベはニスカネンから特別メニューでのトレーニングを受けることになる。その理由について、山田一廣はアベベはニスカネンの指導を理解して吸収する能力に優れていたからではないかと記している[4]。ニスカネンはローマオリンピックのマラソンコースを視察すると、それに似た練習コース(フルマラソンより1km長い)をエチオピアのキャンプ地近くに作って走らせた。

      7月にローマオリンピックの国内予選会で2位となり、マラソン代表に選出された[5]

      ローマオリンピックで初の金メダル

      1960年9月のローマオリンピックに際しては、偶然に靴が壊れたため(さらに現地で新しい靴を買おうと思ったが自分に合うものがなかったため)裸足で走ることとなった。もともとアベベは子どもの頃から裸足で山野を走り回っており、足の裏の皮は厚く、裸足で走ることに慣れていた[6]。アベベは15kmを過ぎて先頭集団に入り、30kmでトップに出るとあとはそれを譲ることなく、当時の世界最高記録となる2時間15分16秒2で優勝した。レース前には全く無名で、アベベが先頭集団に加わると「あれは誰だ」という声が沿道からあがり、プロフィールにもほとんど記載のないアベベがゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ってきたとき各国の報道関係者も騒然となった。アベベはゴール後に「まだ余力はある。走れと言われればもう20kmぐらい走れる」と話した。

      1937年から1941年までイタリアに侵略、占領されていたエチオピア国民は、アベベの優勝に熱狂し、アベベはエチオピアの英雄となった。この功績により、帰国したアベベはハイレ・セラシエ皇帝に拝謁し、勲章を授与された。また半年後には兵卒から兵長に昇進している。

      アベベの優勝は、アフリカの高地民族が長距離走への適性を持つことを世界に知らしめた。また、エチオピアの国土が空気の薄い標高2000m前後の高地にあり、そこでトレーニングを積んだことで心肺機能が高められたのではないかという見解が示され、陸上競技に高地トレーニングが導入されるきっかけとなった。

      オリンピックチャンピオンとなったアベベには世界からレースへの招待状が届いたが、ニスカネンはその中から出場レースを慎重に選んだ。その一つに日本の毎日マラソン(現・びわ湖毎日マラソン)が含まれていたのは、次回のオリンピック開催国を下調べするチャンスという意図があった[7]。このレースではコースに入ってきた大群衆や対向車線の車、オートバイ、それに気温27度・湿度77%という悪条件が重なり、レース中に立ち往生するというアクシデントもあって、優勝はしたもののタイムは2時間29分27秒と平凡だった。2位には同僚のワミが入っている。このレースの際もアベベは裸足で走ることを主張したが、表敬訪問した鬼塚株式会社社長鬼塚喜八郎が「日本の道路はガラス片などが落ちていて危ない。軽いシューズを提供するから履いてくれ」と説得したことにより、アベベはオニツカ製のシューズを履いて参加した。鬼塚はその後もアベベのもとにシューズを贈り続けていた。しかし、当時は特定のスポーツ用品メーカーとの専属契約という概念がなく、東京オリンピックの際にはプーマのシューズで参加し、鬼塚を苦笑させている[8]

      1961年には出場した3つのレースすべてで優勝を飾ったが、1962年はレースに出場せず、1963年のボストンマラソンは5位とふるわなかった。国民の期待や、走ることで得た地位から来る重圧があった。このころ、妻には「走ればまた勝つと思われているっていうのは辛いことだな」という言葉も漏らしたという[9]。ローマで樹立した記録は1963年2月に寺沢徹が更新、その後もレオナルド・エデレンベイジル・ヒートリーが短期間に記録を塗り替えていた。

      東京オリンピックでマラソン初の2連覇

      1964年春、アベベは軍曹に昇進した。5月にアディスアベバで1年ぶりにマラソンを走って優勝。8月の東京オリンピックの国内予選では自己2位となる2時間16分18秒8で優勝し、代表に選ばれる。しかし、競技の6週間前に盲腸の手術を受け、ニスカネンの立てた練習スケジュールは大きく狂った。このため、日本の代表選手のコーチたちも「アベベはマークの対象にしていなかった」とのちに語っている[10]。アベベはエチオピア選手団の一員として9月29日に来日し、選手村や隣接した織田フィールドで毎日走った。10月10日の開会式ではエチオピア選手団の旗手を務めている[11]

      10月21日の東京オリンピックマラソン本番では、20km地点辺りから独走態勢に入り、全く危なげのないレース運びで[12]、ヒートリーの記録を1分44秒縮める2時間12分11秒2の世界最高記録で再び金メダルを獲得した。近代オリンピック史上、マラソンの種目で二連覇はアベベが初めての快挙であった。それ以後、オリンピックのマラソン競技で世界(最高)記録を樹立したランナーは出現していない。

      アベベはゴールした後に疲れた様子も見せずに整理体操を始め、7万人の観衆を驚かせた。後にアベベは「まだあと10キロは走れた」と語っている。

      メキシコオリンピックで途中棄権

      再度の金メダルにより、アベベは少尉に昇進する。また、親衛隊の体育教官補佐ともなった。このときアベベに貸与された自動車(フォルクスワーゲン・ビートル)がのちに悲劇につながることとなる[13]

      東京オリンピック後もアベベはマラソンで優勝を重ねた。1965年には、大阪府から滋賀県にコースを移した毎日マラソンに4年ぶりに参加、28度の高温という条件のため記録は平凡だったものの、独走であった。1966年のソウル国際マラソンでも優勝したが、日本から参加した君原健二のコーチである高橋進は、レース中にアベベが監督車に乗ったニスカネンから叱責される光景を目にして、遠からずアベベも敗れるだろうという思いを抱いたと記している[14]。1967年のサラウスマラソンでは途中棄権した。この間、中尉に昇進している。

      1968年10月のメキシコシティオリンピックでも、アベベは3大会連続でエチオピアのマラソン代表に選ばれたが、トレーニング中に左膝を痛めていた。走り込みの不足や36歳という年齢による体力の衰えもあり、史上初の五輪マラソン3連覇は不安視されていた。結局メキシコ五輪マラソン本番では16kmで歩き出し、17km地点で棄権した。なおこの大会では同じエチオピア出身で同僚のマモ・ウォルデが優勝し、エチオピアにオリンピック3連覇をもたらしている。結果は残せなかったものの、アベベは帰国後にマモとともにハイレ・セラシエ皇帝に招かれ、その席で大尉に昇進した。

      自動車事故

      しかし、メキシコ五輪から約半年後の1969年3月23日の夜、アベベはアディスアベバから北に約70km離れたシャノという町の北方で、自動車運転中に事故を起こす。生命に別状は無かったが、第七頸椎が完全に脱臼する重傷を負ったことにより、下半身不随となってしまう。なお国民に動揺を与える不安から、事故の事実は6日後になって初めて公表された[15]。事故後にアベベが語ったところでは、対向車の前照灯に目がくらんで運転を誤ったという。これについてはアベベを妬む者の陰謀説が存在するが真相は今も定かではない[16]

      アベベは事故公表直後にロンドン郊外のストーク・マンデビル病院に入院し、8ヶ月間治療とリハビリテーションを受ける。その治療はマラソンのトレーニング以上に過酷なものであったと家族に語ったという[17]。この間、病院で開かれたストーク・マンデビル競技大会(当時「パラリンピック」と呼称されていたが、現在のパラリンピックのことではない。詳細はパラリンピックの項を参照)に参加し、11月にエチオピアに帰国した。翌1970年もストーク・マンデビル競技大会に参加、このときはエチオピア選手団の総監督も務めている。1971年にはノルウェーで開催された身障者スポーツ週間の犬ぞりレースに参加して優勝を果たした。

      ミュンヘンオリンピック~晩年

      1972年9月のミュンヘンオリンピックでのアベベは、組織委員会から過去の著名な金メダリストの一人として招待を受け、車いすの姿で開会式にゲスト出演し、その後も会場で競技を観覧している。自らが動けないことで「競技を見るのが辛かった」とのちに妻に語ったが、マラソンで同エチオピアのマモ・ウォルデが3位に入り銅メダルを獲得、アベベと同じく五輪二大会連続メダリストの快挙を大いに喜んでいた[18]

      晩年のアベベはこのように体が不自由な状態ながらも、生涯スポーツに関わり続けようとしていた。しかし、ミュンヘン五輪からわずか1年後の1973年10月25日に、脳出血により首都アディスアベバにある陸軍病院にて病死。まだ41歳の若さだった。因果関係は明確ではないものの、自動車事故の後遺症が脳出血の遠因であるとみられた。

      アディスアベバにはアベベの名前を冠した国立スタジアムがある。

      マラソン成績

      • 自己最高記録…2時間12分11秒2(1964年10月)
      年月大会名タイム順位備考
      1960.07 アディスアベバ 2:39:50 2位 ローマ五輪代表選考会
      1960.08 アディスアベバ 2:21:23 優勝
      1960.09 ローマオリンピック 2:15:16.2 優勝 世界最高記録
      1961.05 アテネクラシックマラソン 2:23:44.6 優勝
      1961.06 毎日マラソン 2:29:27 優勝
      1961.10 コシチェマラソン 2:20:12 優勝
      1963.04 ボストンマラソン 2:24:43 5位
      1964.05 アディスアベバ 2:23:14.4 優勝
      1964.08 アディスアベバ 2:16:18.8 優勝 東京五輪代表選考会
      1964.10 東京オリンピック 2:12:11.2 優勝 世界最高記録、史上初の五輪連覇
      1965.05 毎日マラソン 2:22:55.8 優勝
      1966.07 サラウスマラソン 2:20:28.8 優勝
      1966.10 韓国国際マラソン 2:17:04 優勝
      1967.07 サラウスマラソン ----------- (棄権)
      1968.09 アディスアベバ 2:25:04 優勝 メキシコシティ五輪代表選考会
      1968.10 メキシコシティオリンピック ----------- (棄権)

      関連書籍

      後続の版はそれぞれ以前の版を増補改訂している。山田はアベベの母や妻、マモ・ウォルデやワミ・プラトにも直接取材している。

      外部リンク

      脚注

      1. ^ 山田、2004年、P78。英語版Wikipediaでは「Mendida郊外のJato村」」としている。「デュノバ」がDarNebbaとするとMendidaとは約20kmの距離。「Jato」と「ジョル」とは表記の揺れとも考えられる。いずれにせよ、アディスアベバからは北東に約150km離れている。
      2. ^ 山田、2004年、P105 - 106。エチオピアは皇帝親衛隊のみを国連軍に派遣した。
      3. ^ 山田、2004年、P111。
      4. ^ 山田、2004年、P114,142-143。
      5. ^ 山田、2004年、P119。このときの1位はローマオリンピックで7位となったアベベ・ワギラ(Abebe Wakgira)である。
      6. ^ 山田、2004年、P115 - 116,138。
      7. ^ 山田、2004年、P140。
      8. ^ 朝日新聞2006年12月6日?夕刊
      9. ^ 山田、2004年、P153。
      10. ^ 山田、2004年、P159。
      11. ^ 市川崑監督の記録映画で確認できる。
      12. ^ ただ、途中の35km過ぎで突然後ろを振り返ってから5歩、6歩、と歩き又何事もなかったかのように走り出すという不思議な行動をみせた。
      13. ^ 山田、2004年、P253。こうした公用車を使えるのは本来佐官クラス以上であったという。
      14. ^ 山田、2004年、P182(君原と高橋の共著『マラソンの青春』からの引用)。
      15. ^ 山田、2004年、P218
      16. ^ 事故現場は周囲に人家などのまったくない原野で、アベベが発見されたのは翌朝になってからであった。事故の目撃者は見つかっておらず、対向車の素性や事故発生時の詳細は現在も不明のままである。
      17. ^ 山田、2004年、P211。
      18. ^ 山田、2004年、P237 -239。
      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      ボート男子・武田大作の代表選考結果を取り消し

      2012年02月27日 17時51分39秒 | スポーツ

      読売新聞 2月27日(月)16時12分配信 『日本スポーツ仲裁機構は27日、ボート男子の第一人者で五輪に4大会連続出場中の武田大作(ダイキ)が、ロンドン五輪アジア予選の軽量級ダブルスカル代表選考会で補欠となった結果を不服として、日本ボート協会に再考を求めた申し立てを認め、代表選考の結果を取り消した。 選考過程などについて、「著しく合理性を欠く結果を生じていると言わざるをえない」と判断した。 』最終更新:2月27日(月)16時12分

      筋の通らないことは筋を通さないといけないということでしょうか。ロンドン五輪アジア予選の軽量級ダブルスカル代表選考会は、公正無私の判断で、日本の代表選手が金メダルを獲得出来るように努力しないと。ロンドン五輪で日の丸が揚がらないのではありませんか。

      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より
      武田大作(たけだ だいさく、1973年12月5日 - )は、日本のボート選手。ダイキ所属。
      概要
      愛媛県伊予市出身。178cm、73kg。愛媛大学農学部附属農業高等学校愛媛大学農学部卒業。同大学院農学研究科修了。日本におけるボート競技の第一人者。1997年全日本選手権での男子シングルスカル優勝以後、同種目では2009年まで7年連続優勝を含む11回優勝の史上最多優勝記録を持つ(2004年及び2005年は海外遠征のため欠場)。練習場所は地元愛媛の瀬戸内海の海岸。

      高校3年時に、シングルスカルにてインターハイ、国体で入賞。その後、愛媛大学3年時の1993年、東四国国体シングルスカルにて優勝。1994年には、朝日レガッタ・シングルスカルにて当時の第一人者小日向謙一を破って優勝し注目を集める。同年、広島アジア大会に出場。 1996年、23歳でアトランタオリンピックにシングルスカルで出場するものの予選敗退。その後は主に軽量級ダブルスカルの代表となる。2000年、クロアチア。ザグレブにて行われた世界選手権軽量級クオドリプル(4人乗り)で長谷等、三本和明、久保武大とともに優勝。同年、シドニーオリンピックでは長谷等選手とともに軽量級ダブルスカルに出場。日本ボート史上初の決勝進出、6位入賞を果たした。2004年のアテネオリンピックでは浦和重選手とともに再び軽量級ダブルスカルに出場。決勝において健闘したものの再び6位入賞におわった(3位ギリシャとの差は約1秒)。


      YouTube: 全日本選手権2011 M1X

      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      無声の「アーティスト」作品賞 アカデミー賞、仏映画初

      2012年02月27日 17時37分57秒 | 映画
      2012-02-27 15:10:40
      テーマ:芸能エンターテイメント
      今回のアカデミー賞は
      ちょっと趣を異にしています。

      アカデミー賞:作品賞「アーティスト」…仏の白黒無声映画

      米ハリウッドのコダック劇場で
      26日(日本時間27日)、第84回
      アカデミー賞の授賞式が行われ、
      フランスの白黒無声映画
      「アーティスト」が、作品賞、
      ミシェル・アザナビシウス監督の
      監督賞、ジャン・デュジャルダンさん
      の主演男優賞など5冠を制した。

      何しろ無声映画ですから
      内容そのものの評価と
      いうことに。

      無声映画が作品賞を
      とったのは第一回以来
      83年ぶりです。

      ついでに、仏映画の
      作品賞受賞は初めて。

      また、外国語映画賞に
      イラン映画が初めて
      選ばれました。

      イランと米国との確執の
      中、何か意味ありげ。

      主演女優賞は14度目の
      ノミネートの末、29年ぶり、
      「マーガレット・サッチャー
       鉄の女の涙」のメリル・
      ストリープです。
      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする