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三日月大造知事(右端)と握手をする滋賀学園の選手たち=滋賀県庁で2016年3月16日、田中将隆撮影
(毎日新聞)
第88回選抜高校野球大会に初出場で準々決勝まで勝ち進んだ滋賀学園の選手らに対して、滋賀県の吉田清一県議(68)=自民党=が今月16日に県庁で開かれた激励会後に、学校の送迎バスの止め方を大声で非難し、「おまえらなんか1回戦負けしろ」と発言していたことが関係者への取材で分かった。バスは県教委が指定した場所に止めていた。学校関係者は「選手を動揺させる行為で残念」と述べ、吉田県議は「負けろとか言ったことについては何も言えない」と話している。
励会は、県教委が開催。選手や監督らが県庁正面玄関に並び、三日月大造知事らが励ましの言葉を述べて送り出した。吉田県議は出席していなかった。
複数の関係者によると、会の終了後、選手らが県庁西側の路上に停車していた大型バスへ移動したところ、吉田県議が突然「なんちゅうとこ止めてんねん」「誰の許可を得てん」などと怒鳴り、「おまえらなんか1回戦負けしろ」と叫んだ。ほとんどの選手がぼうぜんとして見ていた。
学校関係者はその場を取りなそうと、吉田県議に「すみません」と謝って発車させた。バス車内で、野球部長が「気にするなよ」と呼び掛けたが、選手たちは事態をのみ込めない様子だったという。学校側の出席者は「大舞台を前に選手を動揺させたくなかったのでその場では謝罪した。士気をくじくような言葉を選手らにぶつけてほしくなかった」と話している。
吉田県議は野洲市選出で6期目、議長経験もある。毎日新聞の電話取材に「止めてはいけない場所にバスを止めていたので注意しただけ。そんなこと(『負けろ』と言ったこと)は二の次だ」と話した。【森野俊】
日本人として、日本の地方議員として 言霊によって幸せがもたらされ、言霊によって助けられる国が、日本と言う教えを学んでいません。
大切な日頃の練習の成果と地方大会で勝ち抜いた代表校にバスの止める位置が違うのであれば、バスの停止位地を変えれば良いだけのことで有りませんか。
「おまえらなんか1回戦負けしろ」と発言してたら選手は良い気持ちはしません。負けろと言われたら、負けます。言葉は力なり、言霊です。高校野球の精神を馬鹿にしているのでは有りませんか。
出典言霊 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/一部引用
言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。
声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。
日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命は「これは神の使いだから帰りに退治しよう」と言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。
万葉時代に言霊信仰が生まれたのは、中国の文字文化(漢字)に触れるようになり、大和言葉を自覚し、精神的基盤が求められたこととも無縁ではないという指摘がある[1]。江戸期の国学によって、再び取り上げられるようになった際も、漢意(からごころ)の否定や攘夷思想とも関連してくるとされ、自国文化を再認識する過程で論じられてきた。
金田一京助は『言霊をめぐりて』の論文内で言霊観を三段に分類し、「言うことそのままが即ち実現すると考えた言霊」「言い表された詞華の霊妙を讃した言霊」「祖先伝来の一語一語に宿ると考えられた言霊」とし、それぞれ「言語活動の神霊観」「言語表現の神霊観」「言語機構の神霊観」ということに相応しいと記している。「言霊の幸(さき)わう国、言霊の扶(たす)くる国」
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三日月大造知事(右端)と握手をする滋賀学園の選手たち=滋賀県庁で2016年3月16日、田中将隆撮影
(毎日新聞)
第88回選抜高校野球大会に初出場で準々決勝まで勝ち進んだ滋賀学園の選手らに対して、滋賀県の吉田清一県議(68)=自民党=が今月16日に県庁で開かれた激励会後に、学校の送迎バスの止め方を大声で非難し、「おまえらなんか1回戦負けしろ」と発言していたことが関係者への取材で分かった。バスは県教委が指定した場所に止めていた。学校関係者は「選手を動揺させる行為で残念」と述べ、吉田県議は「負けろとか言ったことについては何も言えない」と話している。
励会は、県教委が開催。選手や監督らが県庁正面玄関に並び、三日月大造知事らが励ましの言葉を述べて送り出した。吉田県議は出席していなかった。
複数の関係者によると、会の終了後、選手らが県庁西側の路上に停車していた大型バスへ移動したところ、吉田県議が突然「なんちゅうとこ止めてんねん」「誰の許可を得てん」などと怒鳴り、「おまえらなんか1回戦負けしろ」と叫んだ。ほとんどの選手がぼうぜんとして見ていた。
学校関係者はその場を取りなそうと、吉田県議に「すみません」と謝って発車させた。バス車内で、野球部長が「気にするなよ」と呼び掛けたが、選手たちは事態をのみ込めない様子だったという。学校側の出席者は「大舞台を前に選手を動揺させたくなかったのでその場では謝罪した。士気をくじくような言葉を選手らにぶつけてほしくなかった」と話している。
吉田県議は野洲市選出で6期目、議長経験もある。毎日新聞の電話取材に「止めてはいけない場所にバスを止めていたので注意しただけ。そんなこと(『負けろ』と言ったこと)は二の次だ」と話した。【森野俊】
日本人として、日本の地方議員として 言霊によって幸せがもたらされ、言霊によって助けられる国が、日本と言う教えを学んでいません。
大切な日頃の練習の成果と地方大会で勝ち抜いた代表校にバスの止める位置が違うのであれば、バスの停止位地を変えれば良いだけのことで有りませんか。
「おまえらなんか1回戦負けしろ」と発言してたら選手は良い気持ちはしません。負けろと言われたら、負けます。言葉は力なり、言霊です。高校野球の精神を馬鹿にしているのでは有りませんか。
出典言霊 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/一部引用
言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。
声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。
日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命は「これは神の使いだから帰りに退治しよう」と言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。
万葉時代に言霊信仰が生まれたのは、中国の文字文化(漢字)に触れるようになり、大和言葉を自覚し、精神的基盤が求められたこととも無縁ではないという指摘がある[1]。江戸期の国学によって、再び取り上げられるようになった際も、漢意(からごころ)の否定や攘夷思想とも関連してくるとされ、自国文化を再認識する過程で論じられてきた。
金田一京助は『言霊をめぐりて』の論文内で言霊観を三段に分類し、「言うことそのままが即ち実現すると考えた言霊」「言い表された詞華の霊妙を讃した言霊」「祖先伝来の一語一語に宿ると考えられた言霊」とし、それぞれ「言語活動の神霊観」「言語表現の神霊観」「言語機構の神霊観」ということに相応しいと記している。「言霊の幸(さき)わう国、言霊の扶(たす)くる国」
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