50年の日中関係<本澤二郎の「日本の風景」(4579)
<1972年9月29日に国交正常化に角さん茅台に酔って機内でイビキ>より、転載させて頂きました。
いま中国に本物の茅台酒はない。「特供」と記された本物は、外国に輸出されて国内にない。一般に出回っているものは偽物。幸運にも4、5年前、北京のチョウさんが秘密の場所から取り出してくれ、乾杯した。残りをいただいて大事に保管したつもりだったが、その価値が理解できず、いつの間にか消えてしまった。中国では幻の茅台である。50年前の日中関係は幻だったのか?安倍・清和会外交の歴史的な不始末に屈してしまうのか、それとも?
50年前、この茅台で北京の田中角栄首相と周恩来総理が、共に歓喜して痛飲した。帰国後しばらくして大平正芳外相が、宏池会事務所で「周総理が日本の特別機の待つ上海まで、中国機を用意して見送ってくれたんだが、角は周総理の横で高いびきを始めた。礼の国での失礼な態度に、隣でひやひやしたよ」とエピソードを明かしたことが懐かしい。茅台のせいで二日酔いだった。田中にとっても大平にとっても、50年前が人生の最高を極めた日となった。
ともあれ日本と中国は、めでたく国交を結んだ。その歴史的瞬間を茅台が両雄を満足させた。一躍中国の茅台の需要が膨らんで、大半の中国人も本物の茅台と縁が無くなった。国交正常化50年にして、日本と中国の外交は最悪、振り出しに戻ってしまった。強権的な北京政府に世界は翻弄されている。
9・27安倍国葬で菅義偉は、自身を首相に押し上げてくれた安倍晋三を絶賛したものだが、世界最大の消費市場を放棄する日本会議・統一教会の愚かな安倍外交に東アジアは、緊張して危険極まりない。
<各社とも政治部長が同行、3歳長男と羽田の特別機見送り>
戦後最大の歴史的な外交舞台に、田中と大平以外に官房長官の二階堂進も随行している。「趣味は角栄」を任じる二階堂への田中の配慮だった。
この世紀の晴れ舞台に、各社とも政治部長が同行した。ヒラの出番などなかった。当時は政府専用機がなかった。おそらく日本航空をチャーターした特別機を羽田に用意したはずだ。
中国は、史上最大ともいえる日本軍による空前絶後の侵略戦争の損害賠償を放棄するという決断をした。仮に損害賠償支払いが現実に実施されると、日本の経済成長は危うかった。中国の驚くべき配慮に親中派の日本政府は、自信を膨らませ、一気呵成、正常化へと突っ走った。
一人抵抗した勢力は、A級戦犯の岸信介配下の福田赳夫の清和会だけだった。直前の自民党総裁選で大角連合が勝利し、7月7日に田中内閣が誕生していたにもかかわらず、台湾派の清和会の抵抗は続くことになる。
当時、大田区の妻の実家に居候していた駆け出し記者は、3歳の長男・春樹の手を引いて羽田空港に駆けつけた。山口朝男政治部長を見送った。見送りゲートで息子を肩に乗せてから、もう50年経つ。
<中国外交部の肖向前氏が教えてくれた「大平正芳の対中長期戦略」>
大平さんは寡黙な人である。人前で自己をひけらかすことはない。人格識見を体現した政治家だった。池田内閣が誕生すると、池田は女房役の官房長官を大平に委ねた。大平は「今日よりゴルフ宴会はご法度ですよ」と首相に釘を刺した。安倍を礼賛した、一時的に宏池会に所属した菅など足元にも及ばない。
大平の対中戦略に感服した人物が中国外交部にいた。知日派の肖向前さん。彼は大平と共に日中友好活動をした元内務官僚の古井喜実から、大平のすごい対中長期戦略を教えられて、頭を垂れた。
「日本にこんな素晴らしい人物がいるのか」と驚いた。それを筆者にも打ち明けたのだ。大平番記者も全く知らない大平の見事な戦略に対して、感動して当然だった。
ご存知鳩山一郎内閣は日ソ国交回復を実現した。次いで石橋湛山内閣は日中正常化を公約に掲げたが、体調を崩して果たせず、後釜に座った台湾派の岸内閣によって封じ込められた。この場面で大平は密かに心に誓った。まずは池田内閣の誕生である。池田政権では、官房長官として政府全体を掌握するや、続いて外相に就任して、岸外交を逆転させた。だが、池田の病気退陣で政権は、またしても岸の実弟・佐藤栄作に移行した。
ここから大平の苦闘が始まる。佐藤派の田中角栄を台頭させて、岸と佐藤の後継者・福田赳夫を抑え込む作戦である。大角連合は、親台湾派の岸・福田封じ込め作戦による田中内閣の実現だった。危うい綱渡り作戦だ。
宏池会の会長就任も不可欠だった。優柔不断の前尾繁三郎追い落としも、やむを得ない決断だった。これらをやり遂げたあと佐藤後継争いとなった。
大平の大作戦など全く知らなかった大平番記者は、田中内閣で幹事長にならずに外相に就任した大平に「おかしい」と懸念を抱いたものだった。
田中内閣誕生と大平外相就任が、悲願の日中国交回復を約束した。大平の対中戦略には脱帽である。中国外交部きっての親日派も、古井の解説に感動した。大平の大戦略を知る日本人は、ほかに誰もいない。肖向前さんに出会うことがなければ、この大平戦略を誰も知らずに50年を迎えたことになる。
かの40日抗争で解散総選挙の途上で、大平は許容しがたい運命を受け入れてこの世を去って逝った。武道館での大平葬儀に涙を流した凡人ジャーナリストを、50年の今、少しだけ誉めたい。肖向前さんではないが、大平は偉大な政治家だった。
この貴重な実績を台無しにした森・小泉・安倍は、万死に値するだろう。アジアの平和と安定をぶち壊した安倍を国葬にした、こともあろうに宏池会の岸田文雄も同罪であろう。
<森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三で逆転、目下危機的な東京と北京>
振り返ると、日中関係を破壊する工作の第一人者は、石原慎太郎である。そして山東昭子も、である。棚上げしていた尖閣諸島をダシにして日中間に亀裂のボールを投げ込んだ。それを松下政経塾1期生の民族神道派の野田某内閣が国有化して、パンドラの箱を開けてしまった。
古い資料を開くと、日本は太刀打ちできない。棚上げして共同開発が鄧小平の知恵だったが、A級戦犯の岸の配下となって、反中の血盟団・青嵐会で暴れまくった石原都知事の撒いた毒矢が、50年前の大角連合の成果をぶち壊してしまったのである。
いま石原が消え、安倍も。残る森喜朗は五輪疑惑の中心人物である。小泉は、日本会議の命を受けて靖国参拝を繰り返し、日中の友情を破壊した。東アジアに緊張を送り込んだ安倍の日本核武装化を、岸田も後継するのであろうか。安倍側近の萩生田、下村、西村は?半世紀を経て浮上した統一教会問題で、日本の政界は激しく揺れている。
<外相・林芳正が改善に向けて努力、清和会崩壊で台湾有事ゼロ>
日中関係は、このまま対立の渦に巻き込まれてしまうだろうか。
プーチンの二の舞はない。話し合い・外交の出番である。その責任者が反安倍の林芳正である。彼は大平の実績を理解する頭脳を持ち合わせているだろう。岸田に期待は持てないが、林の勇気に期待したい。
安倍の清和会は崩壊する。統一教会の清和会は滅ぶしかない。従って台湾有事はない。林はいち早く北京へと足を向けるだろう。日中によるアジアの平和と安定の基礎を再構築することは、決して困難な道ではない。大平宏池会の伝統は、今も生きていると信じたい。
大平と田中の遺産は、必ず蘇るだろう。懐の深い北京にも、いい人材が誕生するかもしれない。
2022年9月29日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
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