2011年08月31日 01時48分02秒 | 政治
小沢一郎元代表は、「負けは、負けだ」と言いながら、笑顔で喜びの気持ちを振りまいている。代表選の後、東京都内のホテルで会合を開き、参加したメンバーを慰労して、酒を注いで回り、慰労した。小沢一郎元代表がご機嫌だったのは、海江田万里候補に第1回投票で、143票を獲得、第2回投票で野田佳彦候補が215票を獲得したとはいえ、海江田万里候補は、177票を得ていたからである。党員資格処分を受けて、投票できなかつた自らを含めて同志9人を含めると、計186人となる。2011年9月の代表選挙で、国会議員票のうち200票(菅直人票206票)を取り、小沢一郎元代表が党内を2分する勢力を保有していることを世間に見せ付けた。
今回の代表選挙でも、小沢一郎元代表が、やや減ったとはいえ、依然として、党を2分する大勢力の頭領であることを実証してみせた。これに気をよくしたのである。小沢一郎元代表は、選挙運動の先頭に立ち「オレのためだと思って、海江田に票を入れてくれ」と懇願していたという。
◆この会合の席で、小沢一郎元代表は、1年後に訪れる次期代表選挙に向けて、「グループは1つになって、1から勉強して、政策提言を行って欲しい。自分も前面に出る」と強い戦闘意欲を燃やした。
小沢派現在、勢力約120人。だが、主に①衆院当選2~4回議員の「一新会」②衆院当選1回議員の「北辰会」③参院グループなどによって構成されてはいるものの、まだ統一されてはいない。小沢一郎元代表は、これを1つの「派閥」にまとめて、一丸なって、政治目的と政策の実現を図ろうということだ。
同時に、2013年8月29日に任期満了となる衆院議員と同年7月28日に任期満了となる参院議員の選挙で、少なくとも現職議員の全員当選とさらに新人の当選を図るのが、最大目的である。選挙のプロ中のプロである小沢一郎元代表、もの凄い選挙結果を呼び戻そうとしている。
◆野田佳彦首相は、小沢一郎元代表の信認を得るため、一計を案じていた。それは、「輿石東参院議員会長」を味方につけることであった。野田佳彦首相は、代表選挙の演説「ラブコール」を仕込んでいた。
それは、輿石東参院議員長が好んでいる「相田みつを」の言葉であった。
産経新聞 8月29日午後10時46分、「『どじょうの政治、やりたい』野田氏の代表選政見演説要旨」という見出しをつけて、野田佳彦首相が29日の代表選で行った政見演説の要旨を以下のように配信していた。
「昭和35年、日本社会党の浅沼稲次郎委員長が刺殺された。母に理由を尋ねると『政治家は命がけなのよ』と言われた。初めて政治を意識した瞬間だった。初めての選挙は62年4月の千葉県議選。半年前から毎朝、街頭に立ち昨年6月まで四半世紀続けた。(平成8年衆院選で)105票差で敗れた。『一票は重い』と言いながら徹しきれなかったと痛切に反省した。一人一人を大切にする政治は私の原点だ。民主党の同志も大切にする。排除の論理は絶対に通さない。朝顔が早朝に可憐(かれん)な花を咲かすには何が必要か。答えは夜の闇と夜の冷たさだ。夜の闇と冷たさの中で明かりと暖かさを求めている人が大勢いる。今こそそんな政治を実現したい。中産階級が日本の底力だった。こぼれた人はなかなか上がって来られない。そこに光を当てるのが民主党の『国民の生活が第一』という理念だ。理想を掲げながら現実に政策遂行するのが私たちの使命だ。財政を担当し税金の使い方を改めた。議員定数削減、公務員定数と人件費削減にも全力で戦う。それでも足りないときは国民に負担をお願いするかもしれない。政権与党は幻想を振りまくだけではいけない。相田みつをの『どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ』という言葉が好きだ。首相になっても支持率はすぐ上がらない。だから解散はしない。政治を全身全霊を傾けて前進させる。どじょうの政治をとことんやり抜きたい」
野田佳彦首相は、この相田みつをの「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」という言葉は、何のいともなく演説に引用していたわけではない。小沢一郎元代表の支援を得たいという野田佳彦首相の切なる願望の表れであった。
輿石東参院議員会長は、小沢一郎元代表に対する「党員資格停止処分」の凍結ないし解除を提示している政治家である。この意味で、輿石東参院議員会長が権力絶大な幹事長に就任することは、小沢一郎元代表にとって、極めて有利な展開になりつつある。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
野田佳彦首相は、米国オバマ政権および米対日工作担当者マイケル・グリーン戦略国際問題研究所長といかなる関係を築くことができる
か。
板垣英憲の過去著書より連載しております↓