2014/06/30 8:48:12
下村文科大臣が都議会の女性蔑視ヤジに関し、
次のように発言されました。
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誹謗(ひぼう)中傷で深刻に反省すべきだ。
代議士も都議も『現代の侍』だ。
潔く自分の非をなぜ早く申し出なかったのか。
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こういった「武士道バンザイ的」発言を聞くと
私はいつも違和感を覚えてしまします。
「日本は武士道の国」「尚武の国」みたいな
戦前的メンタリティの発想は理解できません。
広辞苑の「侍(さむらい)」の定義には、
1)「さぶらい」に同じ。
⇒「さぶらい」の定義は「主君のそば近く
仕えること。また、その人。」です。
2)武士。中世では一般庶民を意味する凡下
(ぼんげ)と区別される身分呼称で、
騎馬・服装・刑罰などの面で特権的な扱い
を受けた。
江戸時代には幕府の旗本、諸藩の中小姓以上、
また士農工商のうちの士身分の者を指す。
3)転じて、なかなかの人物。
といった説明が並びます
下村大臣は「3)なかなかの人物」という意味で、
「侍」という言葉を使われたのかもしれません。
それだったら問題ないと言えなくもありません。
しかし、「2)特権的な扱いを受けた」という、
庶民より一段格上の存在という意味もあるので、
こういう場面で使うのはどうかと思います。
今どき国会議員や都議会議員が「格上」だとは、
誰も思っていないでしょう(当事者だけ?)。
議員は日本で最も尊敬されない職業のひとつです。
しかし、武士道を美化する人の立場に立つなら、
代議士や都議を庶民の上に位置づけた発言だと、
受けとめられても不思議ではありません。
下村大臣の真意は、私にはよくわかりません。
しかし、ちょっと嫌な感じを私は受けます。
また、士1割、農8割、工商1割というのが、
江戸時代の大雑把な人口構成だと思います。
明治初期の士族の割合は1割以下のようです。
こういった江戸期の士農工商の人口比を考えると
日本人のメンタリティや精神性を代表するのは、
武士道より「農民道」の方だと単純に思います。
私の実家は父方も母方も何百年も武士じゃなく、
宿場町や門前町で旅館業を営んでおりました。
旅館と農業の兼業みたいなものだったようです。
血縁的には私は町人・農民的バックグランドです。
私のような町人には、武士道的精神論は無関係で、
おサムライさんたちの勇ましい文化とは無縁です。
下村大臣に「代議士も現代の侍だ」と言われても、
「お侍さん、手前どもは町人でございます」と
さめた目でしらっと反応してしまいます。
安倍総理の周辺には勇ましい人たちが多いようで、
武士道とかお好きな方が多いのかもしれません。
冷静になって考えていただきたいと思います。
我々日本人の身体に流れている血のほとんどは、
農工商の非武士階級の血です。
戦争や死、勇ましさを美化するような武士道より、
平和で穏やかな暮らしを志向する農工商の方が、
より尊くて望ましいと私は思います。
引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/