※前回の竿燈まつりの記事はこちら。
竿燈の写真とネタが残っていますので、もう少しその記事が続きます。
竿燈まつりの演技は20時40分に終了、その後20時50分までは観客が会場内に入って演技者との記念撮影や竿燈を持ったり太鼓をたたいたりできる「ふれあいの時間」が設けられている。それが終われば各団体がそれぞれの町や企業に帰り、21時半に交通規制が解除されるスケジュールになっている。
今まで僕は、混雑を避けるため、遅くとも20時40分になるやいなや帰ることが多く、ふれあいの時間も1度しか見たことがなく、終わった後の様子はまったく知らなかった。
そこで今回は最終日の撤収の様子をじっくり観察してみた。
20時27分 まつりはクライマックス。253本の竿燈が揺れる
その頃、大通りから1本入った町内
奥に御幣がまつられ、ご祝儀の酒が供えられている。各町内の竿燈事務所では、戻って来る竿燈を迎えるため、食事などが準備されていた。
20時48分 大町西交差点
車道には背を低くした竿燈が並び、ふれあいをする観客もいるが、40分を過ぎると帰る人が多く、観覧席は空。
場内では「また秋田市へお越し下さい」「大町二丁目(秋田銀行大町支店横)の本部前では市長とあきた観光レディが皆様のお見送りをしております」と放送が流れていた。
大町西交差点の中央分離帯から撮影
左側の駐車場に本部が設けられるが、中央の信号機の後ろに提灯が並んだやぐら状のものが見える。観覧席の最上段より高いこれは「司令塔」と言うらしく、運営側が会場全体を見通すためのもの。もっとも街路樹があるので、両端までは見えないだろうけど。
まつり中は交差点部分にも長椅子が並べられて有料観覧席になっていたが、ふれあいの時間中にイベント会社関係者と思われるスタッフによって椅子が撤去され、地下道を使わなくても通りの横断ができるようになった。
20時50分、竿燈会長の合図で予定通りにふれあいの時間が終了、竿燈が倒され、「流し」というパターンのお囃子に変わって移動が始まった。
名残惜しいが、21時半という幹線道路の交通規制解除は厳守だし、遠方の町内は少しでも早く戻りたいだろうからやむを得ない。今までは歩行者が車道を歩けていたが、場内放送や警備要員が歩道に上がるように呼びかけはじめる。観客はもうほとんどいない。
ここからは僕が想像もしなかった世界が始まった。
竿燈の大移動
普段の竿燈大通りは中央分離帯を挟んで上り下り車線に分かれているし、まつり中の移動も時計回りの一方向。でも帰る時は、800メートル強の大通り各所から市内各方面の地元へ帰る団体があるわけで一方通行では効率が悪いのだろう、普段の上り下り車線それぞれで両方向へ対面通行していた。つまり4つの流れができていた。歩行者が道路を渡ろうにも、これでは絶対に渡れない。
信号もなく、街灯も消えた薄暗い(竿燈は光を楽しむまつりなので、信号も街灯も消される)道を整然とお囃子トラックや提灯に灯が残る竿燈が移動して行く。しかも結構な速さ。普段町中を移動する時より速いかもしれない。竿燈を持つ人や笛の人は小走りに近いかも。
目の前を何十もの団体が過ぎて行った。まつりが終わった名残惜しさというより、ある意味シュールな光景だった。
わずか10分ほどで皆帰ってしまい、
誰もいなくなった
裏道で待機していたイベント会社のトラックが通りに入り、長椅子を積んだり、観覧席の忘れ物チェック、掃除が行われていた。(道路横断時は注意。警察官のいる交差点の横断歩道部分を渡った方がいい)
間もなく街灯や信号が灯り、いつもの竿燈大通りになるのだろう。
さて、その頃近くの各町内では「戻り竿燈」が行われていた。
各団体ごとに地元や世話になった企業で竿燈を上げるもので、本来の竿燈の姿に近いかもしれない。
寺町二区。周辺住民や通りがかりの観光客が見ている
上米町一丁目と二丁目、下米町一丁目と二丁目はそれぞれ同じ通り上の隣り合った町内なので、2町内分の竿燈をまとめて見られるわけで、なかなか風情がある。
上米町二丁目
下米町二丁目(手前)、同一丁目
最終日だし、盛り上がってしばらく続くのかと思ったら、21時半前には終わってしまった。考えてみれば路上でやっているので交通規制が終われば邪魔になってしまうんだ。元から規制対象外の両一丁目や上亀ノ町はなおさら。駐車場や空き地など、道路以外の竿燈ができる場所を持つ団体の方が長くやっていたかもしれない。
その後は宴会が続いたのだろう。
翌日には秋田駅改札内の竿燈装飾もなくなっていたし、会場の観覧席や提灯も数日中に片付けられるはず。
※次の竿燈まつり関連の記事はこちら。
竿燈の写真とネタが残っていますので、もう少しその記事が続きます。
竿燈まつりの演技は20時40分に終了、その後20時50分までは観客が会場内に入って演技者との記念撮影や竿燈を持ったり太鼓をたたいたりできる「ふれあいの時間」が設けられている。それが終われば各団体がそれぞれの町や企業に帰り、21時半に交通規制が解除されるスケジュールになっている。
今まで僕は、混雑を避けるため、遅くとも20時40分になるやいなや帰ることが多く、ふれあいの時間も1度しか見たことがなく、終わった後の様子はまったく知らなかった。
そこで今回は最終日の撤収の様子をじっくり観察してみた。
20時27分 まつりはクライマックス。253本の竿燈が揺れる
その頃、大通りから1本入った町内
奥に御幣がまつられ、ご祝儀の酒が供えられている。各町内の竿燈事務所では、戻って来る竿燈を迎えるため、食事などが準備されていた。
20時48分 大町西交差点
車道には背を低くした竿燈が並び、ふれあいをする観客もいるが、40分を過ぎると帰る人が多く、観覧席は空。
場内では「また秋田市へお越し下さい」「大町二丁目(秋田銀行大町支店横)の本部前では市長とあきた観光レディが皆様のお見送りをしております」と放送が流れていた。
大町西交差点の中央分離帯から撮影
左側の駐車場に本部が設けられるが、中央の信号機の後ろに提灯が並んだやぐら状のものが見える。観覧席の最上段より高いこれは「司令塔」と言うらしく、運営側が会場全体を見通すためのもの。もっとも街路樹があるので、両端までは見えないだろうけど。
まつり中は交差点部分にも長椅子が並べられて有料観覧席になっていたが、ふれあいの時間中にイベント会社関係者と思われるスタッフによって椅子が撤去され、地下道を使わなくても通りの横断ができるようになった。
20時50分、竿燈会長の合図で予定通りにふれあいの時間が終了、竿燈が倒され、「流し」というパターンのお囃子に変わって移動が始まった。
名残惜しいが、21時半という幹線道路の交通規制解除は厳守だし、遠方の町内は少しでも早く戻りたいだろうからやむを得ない。今までは歩行者が車道を歩けていたが、場内放送や警備要員が歩道に上がるように呼びかけはじめる。観客はもうほとんどいない。
ここからは僕が想像もしなかった世界が始まった。
竿燈の大移動
普段の竿燈大通りは中央分離帯を挟んで上り下り車線に分かれているし、まつり中の移動も時計回りの一方向。でも帰る時は、800メートル強の大通り各所から市内各方面の地元へ帰る団体があるわけで一方通行では効率が悪いのだろう、普段の上り下り車線それぞれで両方向へ対面通行していた。つまり4つの流れができていた。歩行者が道路を渡ろうにも、これでは絶対に渡れない。
信号もなく、街灯も消えた薄暗い(竿燈は光を楽しむまつりなので、信号も街灯も消される)道を整然とお囃子トラックや提灯に灯が残る竿燈が移動して行く。しかも結構な速さ。普段町中を移動する時より速いかもしれない。竿燈を持つ人や笛の人は小走りに近いかも。
目の前を何十もの団体が過ぎて行った。まつりが終わった名残惜しさというより、ある意味シュールな光景だった。
わずか10分ほどで皆帰ってしまい、
誰もいなくなった
裏道で待機していたイベント会社のトラックが通りに入り、長椅子を積んだり、観覧席の忘れ物チェック、掃除が行われていた。(道路横断時は注意。警察官のいる交差点の横断歩道部分を渡った方がいい)
間もなく街灯や信号が灯り、いつもの竿燈大通りになるのだろう。
さて、その頃近くの各町内では「戻り竿燈」が行われていた。
各団体ごとに地元や世話になった企業で竿燈を上げるもので、本来の竿燈の姿に近いかもしれない。
寺町二区。周辺住民や通りがかりの観光客が見ている
上米町一丁目と二丁目、下米町一丁目と二丁目はそれぞれ同じ通り上の隣り合った町内なので、2町内分の竿燈をまとめて見られるわけで、なかなか風情がある。
上米町二丁目
下米町二丁目(手前)、同一丁目
最終日だし、盛り上がってしばらく続くのかと思ったら、21時半前には終わってしまった。考えてみれば路上でやっているので交通規制が終われば邪魔になってしまうんだ。元から規制対象外の両一丁目や上亀ノ町はなおさら。駐車場や空き地など、道路以外の竿燈ができる場所を持つ団体の方が長くやっていたかもしれない。
その後は宴会が続いたのだろう。
翌日には秋田駅改札内の竿燈装飾もなくなっていたし、会場の観覧席や提灯も数日中に片付けられるはず。
※次の竿燈まつり関連の記事はこちら。