この記事後半に続いて、「金照寺山からの風景」 として秋田市が舞台になった7月2日(本放送日)のNHK BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」。
父の転勤で12歳から中学2年生まで秋田市で暮らした、東京都の男性(54歳)からの手紙。
秋田市立秋田南中学校に入学すると、担任の「茶々丸」こと佐々田(←あやふやな記憶)先生が、「毎週日曜の朝7時に金照寺山に集合する」ことを提案。金照寺山頂上の広場に多くの生徒が集まり、走り回ったり冬はソリで遊んだりして、クラスの仲間と少しずつ打ち解けて仲良くなれた。そんな金照寺山頂から見た、秋田市内や遠くの山々が懐かしい。
といった内容。
手紙でも触れられていたが、金照寺山(きんしょうじやま)は、秋田駅の真南約2キロ・奥羽本線(秋田新幹線)と羽越本線が合流する付近にある、標高56メートルの小さな山。
(若い人はどうだか分からないが、)一定の年齢の秋田市民なら、名前は確実に知っているだろう。
その一方で、奥羽本線を挟んだ向かいの「一つ森公園」の山と混同している(奥羽本線開通前はつながっていたそうで、一つ森公園も計画段階では「金照寺山東部公園」と呼ばれていた)人もいる。それに金照寺山は公園としてはあまり手入れされていないので、登ったことがない人は多い。
昔はハイキングの場所だったこともあるらしいが、現状では、名前だけがよく知られた山といったところ。【10日追記】秋田市の都市公園などに指定されているわけではなく、管理はどうなっているのか不明。
金照寺山は元々は「楢山」という名の山で、今の楢山地区の由来になったそうだ。
1602年に佐竹の殿様が茨城から来た時、「天徳寺」が置かれて「天徳寺山」となるが、1625年に泉地区へ移転(それが現在に至る)。1655年頃に角館から「金照寺」が移転して「金照寺山」になった。
今は山のふもと、太平川の百石橋や羽越本線の近くに金照寺(1655年のとは別モノだが、関係はある)がある。
山の南には市立城南中学校、南から西にかけては住宅が建ち並ぶ。平地が多い秋田市では珍しい、高台にある学校や住宅街。
それ以外は斜面に木が茂る部分が多い。JR(?)やコミュニティFMの電波塔があり、北側は太平川が流れる。道がほとんどないに等しかったり、墓地があったりもして、近寄りがたい雰囲気がする場所も多い。いわゆる「心霊スポット」として認識する人もいるらしい。
こころ旅に戻って。
※以下、当ブログの過去の写真の再掲と、Googleのストリートビューの画像を主に使います。
前日からの流れで、羽後本荘駅前で満開のサツキを背に手紙を読む。(メガネをかけずに読み始めて、途中で気付く)
「(駅名は)羽後本荘だけど町は由利本荘。どういうことだか分かんないけど」
これは、かつての市名が「本荘市」で、国鉄時代からの駅名が「羽後本荘」。駅名は、音が同じ埼玉県本庄市の高崎線本庄駅との混同を避けるためだろう。平成の大合併で「由利本荘市」ができたという経緯。
いつものように、地図を広げてルートを確認。【とうちゃこ版のみ】
通常は、県単位の地図(おそらく昭文社「分県地図」)を使うが、今回は「それだと分かりにくいと思いますので」と秋田市だけの地図も出てきた。僕も愛用している昭文社「都市地図」。(昔は「エアリアマップ」というシリーズ名だったが、現在は使わなくなったらしい)
秋田市の地図では、金照寺山やその標高も明記されていて、さらに秋田南中学校も発見できて、「よう分かんな。これ」。
市街地に低い山があることについて「山かこれ? ほんとに」。
羽後本荘から秋田市南端の下浜駅までJR羽越本線で輪行。
券売機で正平さん自らきっぷを購入。「買えるわい。自分で」(先に現金を投入して、ボタンを押していた。タッチパネル式券売機ではボタンをタッチしてから投入するのが正式な手順とされている)
下浜駅から自転車で20キロ。
(再掲)下浜駅跨線橋から国道7号線と日本海
駅前の国道7号線は狭いため、珍しく歩道をゆっくりと通行する。
ずっと国道を進むのかと思いきや、駅から2.4キロほど進んだ(道幅は広くなる)、「大山」バス停そばの「第二酒田街道踏切」を渡って山側の桂根集落沿いの道へ。【とうちゃこ版のみ】
こころ旅の自転車ルートは、後ろからスタッフ(ディレクター?)が正平さんに指示する。行き当たりばったりではなく事前にリサーチされているようだ。
時々、地元の人しか知らなさそうな軒先をすり抜けるような道や、旧街道のような道を通ることもある。
これは、交通安全上の理由のほか、いわゆる「画になる」かどうかという演出上の理由もあるのだろう。延々と幹線道路を走る映像を見せられても、おもしろくない。
では、桂根集落はどんな光景なのかと期待したら、そこは残念ながらカット。
【とうちゃこ版のみ】次のシーンは、木々に囲まれた細い道。沿道にスクラップ置き場のようなものがあり、奥に踏切。
ストリートビューで確認すると、桂根駅北側の「桂根踏切(踏切番号90)」。渡れば老人ホームやデイリーヤマザキがあって、国道7号線(南バイパス)、県道56号線(前の国道)、浜田集落を通る旧道が入り交じる地点。
その踏切の手前の道路上に毛虫がいた。正平さんは「かわいそうに」とその1匹を素手でつかんで、「早く。ダメだって戻っちゃ」と近くの葉に載せていた。
生き物好きの正平さん、昨秋の秋田ではヘビをつかんでいたが、毛虫までつかむとは!
スタッフからも「えーっ」と声が上がり、ご本人も「大きなお世話なんだろうな」と言っていたけど。
浜田地区では、大森山の西側のふもと・海沿いの集落の中の旧道を進む。こころ旅としては妥当な選択。【朝版では下浜駅の次がこのシーンなので、桂根集落内を通らなかったかのように編集されている】
山のふもとだけに、アップダウンやカーブが多い道。
「昔の旧道だろうね。けっこう、うねってますね。なんだかんだつって」
海辺ぎりぎりの道ではないが、海が見え隠れし、昔ながらの立派な住宅や秋田市内にしては小ぢんまりとした浜田小学校があり、いい雰囲気の道。何かネタがあるかと思ったが、特になし。
【月曜朝版のダイジェストと水曜の朝版】この日は蒸し暑かった。「暑い。蒸す」と浜田の旧道の途中で、休憩。
わりと広い道路が交わる丁字路の角でひと休み。旧道が南バイパスのトンネルの上を通る所だ。バス停で言えば「元中村」と「中村一区」の間。
ストリートビューより。左に下りればバイパス
さて、南から秋田市中央部に入るには避けて通れないのが、雄物川(おものがわ)越え。
正平さんは高い所が嫌いで、特に下が見える橋を非常に怖がり、それがこころ旅の定番の場面になっている。
今回のルートでは、上流側から秋田大橋(県道56号)、雄物新橋(県道65号)、雄物大橋(国道7号南バイパス)の3本が選択肢となる。
いずれも長さ400~500メートルほどの橋で、下の雄物川の水面から高さがあり、恐怖を感じるのも分かる。
しかし、雄物大橋、秋田大橋は比較的新しい橋であり、車道・歩道とも足元の真下に川面を見て歩くような構造ではなく、恐怖感はかなり軽減されると思う。(その分、おもしろくない橋だとも思いますが)
一方、雄物新橋は、1963年にできた古い橋(名前は「新橋」だけど)。車道は広くはないし、外付けの歩道も(一部若干拡幅されたが)とても狭く、高欄(手すり)の隙間から川面が直に見えて(しかもこの付近の川はとても深そう)、3橋の中でもっともスリルが味わえる橋である。
また、雄物新橋は両岸とも、すぐに信号機のない交差点かつ坂道になっていて、通行には少々神経を使う地点でもある。他の2橋は、そのような危険は少ない。
いずれを通っても大して距離が変わらないこともあるし、雄物新橋は通らないだろうなと思っていた。
水曜日では一切放送されなかったが、【月曜朝版のダイジェストだけ】で、こんなシーンがあった。
昭文社の秋田市の地図で雄物川付近を見ながら、「これなにこれ? 新橋とか大橋とか。地下道ないの?」「オモロ川っていうの? ぜんぜんオモロない」
「『雄物の渡し』って書いてありますね」(スタッフ「それにしますか?」)「(渡しなんて)ねえよ!」
また、【月曜朝版のダイジェストと水曜の朝版(休憩シーンの次)】では、
下り坂の下の先に大きな橋の緑色の橋桁が横たわって見え、「なんかあるぞ。会いたくなかったヤツだな。」
この場所は、新屋栗田町の県立栗田養護学校北側・県営住宅経由の新屋西線が鋭角に曲がる(「浜街道」バス停)丘の上。川沿いながら間に木があって、川は見えない。
ストリートビューより。テレビではズームしていたのでもっとはっきり見えた
ここに来たということは、浜田の休憩した地点で旧道を外れて南バイパスへ下りて、雄物大橋手前の立体交差でこの道に入った、もしくは、旧道をさらに進んで、県営住宅や養護学校の前を通って来たといったところだろうか。
見えた橋桁は秋田大橋のもの。それより手前に雄物新橋があるのだが、木に隠れて見えない。
タイミング良く、中央交通の路線バス(栗田神社経由駅行きか)など車が雄物新橋に向かって通過。「左も(橋が)あるな」
坂を下って示されたルートは、左。
なんと雄物新橋を渡った! もちろん、車道を通行。
北岸・勝平地区側から。向こう岸の右から坂を下りて、橋を渡った
【この辺りは月曜朝版と水曜の朝版で、会話が小刻みにカットされたりされなかったりしている】
「ああ! 歩道はあんなに(狭く)なってる。」「つべこべ言わんと行こう」「後ろから(車が)来たらどうしよう」「(下を)見たくない」「無理」「怖い」
車で別動して撮影する「Bカメ」は、対岸の勝平側の下流側の高い位置から、雄物新橋を渡る一行を俯瞰でとらえる。月曜朝版は、このシーンでエンディング。
微妙に違うがこんな感じのアングル
幸い、後ろから車両は多くは来なくて、追走してくれたようだ。
字幕では「雄物川」とは表記されたが、橋の名前は知らされなかった。8日放送の弘前市では「富士見橋を渡る」などと橋の名前が表示されたので、ケースバイケースのようだ。
雄物新橋。奥の松が生えている辺りにBカメがいたはず
「見たくない」「無理」「怖い」が流れたのは月曜朝版だけ。月曜朝版では、正平さんが怖がったことを強調する編集だった。
ところが、とうちゃこ版では、橋に入る前のシーンはすべてカット。
Bカメの雄物新橋を渡る映像だけが使われて、正平さんは怖がらずに渡ったかのような編集だった。
テレビの編集なんて、いかようにもできるもんだ。
それにしても、どうして雄物新橋を選んだのか。ある種の演出だろうか。
トラス橋なので形が橋らしい(他の2橋は上部構造がない桁橋)し、丘の上から俯瞰撮影できるし、正平さんが怖がりそうだし、そんな条件を満たす橋は、3つの中で雄物新橋しかなかったわけだが…
正平さんがかたくなに「こんな橋渡りたくない! 向こうの橋(秋田大橋)のほうが渡りやすいじゃないか!」と主張したらどうなっただろう。そんな往生際の悪いことはしないで演出に従うのが、プロか。
※演出を否定するものではありません。ただ、伝えられることすべてが、ありのままの事実ではないということは忘れるべきではないでしょう。
いよいよ秋田市中央部・中心部に入る。※ここから先のルートは、下のほうに地図で示してあります
新屋から金照寺山というと、茨島→卸町→牛島などと通るかと思いきや、
朝版、とうちゃこ版とも、次のシーンは大町の旭川に架かる四丁目橋。意外な場所かつ身近な場所で驚いた。
雄物新橋からの経路は不明だが、勝平→新川橋→川尻→旭南または旭北だろうか。
他にも道はたくさんあるのに、こんな狭くて一方通行の道を選んだのが不思議。
四丁目橋の手前は、歓楽街・川反(かわばた)。
ひょっとしたら正平さんが「夜はここらで秋田美人と一杯やりたいねぇ」なんて言ったかもしれない。あるいは少し手前の旭北寺町のたたずまいを眺めたりしたかもしれない。
ストリートビューより四丁目橋。ここを右折
四丁目橋を渡って、五丁目橋方向へ右折。土手長町通りへ。(サークルK土手長町通り店に突き当たる丁字路かのように見えるが、カギ型の変形十字路で、サークルK左側に「池永小路」が伸びている)
(再掲)北都ビルディング。左が四丁目橋
曲がってすぐ、北都ビルディング(旧・北都銀行別館←秋田あけぼの銀行本店←秋田相互銀行本店)前付近で、正平さんが「カラフル!」と声を発する。歩道を歩いていた人の服装のことだろう。後ろ姿で小さくてよく分からないが、カラフルなタイツなどをはいていた。
次のシーンは、南大通りの菓子店・光月堂やローソン秋田南通築地店付近。五丁目橋交差点を左折したことになる。
そのまま「明田地下道西」交差点。自転車を降りて横断歩道を渡って右側へ渡るように指示あり。渡った先で、歩いていた女性2人(母娘?)に声をかけられる。
交差点角に立っている道しるべの案内板に「秋田南中学校460メートル」とあるのを発見。
その女性に「金照寺山知ってる?」と聞くも、ピンと来ず。女性の1人は南中の生徒? 卒業生? で、「(南中で金照寺山へ)遠足や遊びに行かない?」と聞くも、「一つ森は行ったけど…」。
※秋田では一般に「なんちゅう」と呼ぶが、正平さんは「みなみちゅう」と言っていた。
【10日画像追加】南中側の狭い道から見た明田地下道西交差点。奥が秋田駅西口・右が地下道。左の南大通りから来て、左手前角で標柱(電柱に隠れて見えない)を発見・女性と会話した。放映されていないが、この後この狭い道へ進んだはず
そのまま南へ進んで、いわゆる大堰端(おおぜきばた)の通りを進んだようで、次のシーンが秋田南中学校前。道路上から校舎や正門の表示を見る。
(再掲)秋田南中学校。左手前が明田地下道方向
いつものこころ旅なら、目的地のかなりギリギリまでスタッフからルートの指示があるものだが、今回は南中から先は、正平さん自ら探さなければならないらしい。
【2015年6月13日追記】最終目的地は正平さん自身で探すことはたまにあり、「知っているのに教えてくれない」「イケズなやっちゃ」などと、監督に対する文句をおっしゃることもある。
「(金照寺山は)こっからそんなに外れて(離れて)ない(はず)。誰かいねえかなー」で朝版エンディング。
昭文社の秋田市の地図を持っているんだから、それを見ればもう少しは分かるでしょ… という気もしなくはないけど。
考えてみれば、秋田市民に「金照寺山への道順」を尋ねても、はっきりと説明できる人は多くないかもしれない。川があったり道がカーブしていたりして、知っていてもうまく説明できない。さらに、登り口がどこにあるかは把握していない人がほとんどだろう。
とうちゃこ版では、南中前からさらに南へ進む。秋田市中心部の数少ないサークルKがまた映る(秋田南通宮田店)。
その先、ト一屋の通りや2010年に新しく開通した愛宕下橋方面への道が交わる、楢山佐竹町の交差点。
そこを左に曲がって細い道に入り、すぐに二股に分かれるので右へ行くと、「今、高いもの見えたね。秋田市内なのに山あるんだけど」。
(再掲)左の南中方向から来て、奥の道へ進んだ。奥に金照寺山が見えている
進むと、羽越本線の踏切。「袋小路踏切」だ。
(再掲)右方向に太平川、対岸に金照寺山がある
その見えている山が金照寺山という確証はなく、近付く道も分からない。
「難しいな。こういう所になると」「これしかないじゃん。周りに50メートルのもの(ほかに)ないもん。ただ、その名前を見っけないと」
踏切で引き返し、すぐの住宅の松の木に登って剪定をしていたおじさんに尋ねる。
あれが金照寺山であることは教えてもらって分かったが、そこへ行く道は「複雑で教えれない」。「落ちないでね」と声をかけて、少し戻って南へ進む。
高い所が苦手な正平さんは「今の人と逆の立場だったら、怖くて答えてられない」。
なお、この松の木は羽越本線の車窓から見える。先日、車窓から見たところ、おじさんが落っこちないで無事に手入れが終わったようで、美しい枝ぶりになっていた。(松は2本あり、どちらも剪定済み。線路に近い木で作業中のところを正平さんが尋ねたはず)
佐竹町の交差点の手前で左折し、太平川から続く大堰跡の桜並木の北端付近を通る。(並木には入らない)
(再掲)ここを左から右へ通過
次のシーンは、踏切を渡って右へカーブする道。「金照閣踏切」の先だ。
百石橋で太平川を渡って、金照寺の前を通ったのだろう。
山のほうへ曲がる道があり、そこにあるバス停に「金照寺山公園前」のバス停を発見!
やっと入口が分かった。「みんな知らないもんだな」
曲がってからしばらくは住宅が並ぶ坂道が続く。「でもあの山、木がうっそうとしてて、周り見えんのかな?」
500メートル強進んで、住宅が途切れた所に秋田市南部公民館による「ふるさと探訪」の説明看板を発見。
いつもなら「とうちゃこ」となる場所のはずだが、特に発言はなし。
四丁目橋から金照寺山までは青線のルートをたどったと考えられる
自転車を置いて、徒歩で登る。木と草に囲まれた狭い坂道。
「ここへ日曜の朝集まったんすか? めんどくさいこと言う先生やったんやな」
頂上へ到着。そこは草が生い茂る広場だった。
正平さんが危惧した通り、広場を木がぐるりと囲んでいた。「なんも見えん。どうしましょ」「森になっちゃってる」
木の隙間から、部分的にかろうじて遠くが見える部分があった。
東方向の太平山の一部、逆光ながら南方向の県立新屋高等学校、秋田市上下水道局豊岩浄水場、風力発電の風車が映された。
再度手紙を読んで、「秋田市内にこういう所があります。そのうち刈りこんで見えるようになる時が来るかもしれない」と結んだ。
実は、僕も以前(もう10年くらい前?)、1度だけここに行ったことがある。
やはり途中の道が分かりづらく、積極的な整備がされていない感じがしたのと、何よりも眺望が期待外れだった。
ただ、木の葉が茂っていない冬ならば、いくらかは見通しがいいはず。
手紙では冬も来ていたとあるので、もしかしたら、当時も木が茂っていて夏場は眺めはあまり良くなく、冬に見た眺めが心に残っていたかもしれない。
また、この広場よりも、金照寺山の山腹というか坂の途中の各所のほうが眺めが良い場所もある。
(再掲)北西の山腹から太平川桜並木と南中・秋田駅方向。正平さんたちもこの下は通ったはずだが、階段なので自転車では来られない
【11日追記】他には、東側の奥羽本線・車両基地近くの階段や城南中学校の敷地から回りこむルートもあるはず。
あと、この日、昼食シーンはなかった。珍しくはないことだが、どこで食べたのだろう。
人それぞれ、いろんな思い出があるものだ。
投稿者は転勤族で、中2の途中で転出したということだから、今は秋田の同級生とは音信不通かもしれない。これをきっかけに、クラスメイトや茶々丸先生と再会に至ったりするかな。
それに、見慣れた場所に芸能人が来てテレビで取り上げられるのは、やっぱり不思議なもんだ。袋小路踏切まで映ったのは感慨深く、満足して見た。
と思ったら、今回の内容について、やや重大なツッコミどころがあるのだった。
秋田南中学校は移転していたのだった!!
当ブログでもこの記事などで取り上げていたのに、恥ずかしながら頭から抜けた状態で見ていた。
当初の南中は、現在の楢山南中町の楢山コミセンの位置(上の地図参照)にあり、1976年度から1978年度にかけて、南通宮田の現在地に移転している。
投稿者が南中に通っていた当時は、旧校舎の末期となる。その頃、現在の南中の場所はグラウンドと工場だったはず。
こころ旅では、目的地が不明瞭なものについては、正平さんやスタッフの推測で「とうちゃこ」したり、投稿者にそこがほんとうにその場所なのか確認はしないので、実は少し的外れの場所だったということが、それなりにありそう。
厳しく言えば「詰めが甘い」が、こういうユルさもこころ旅の魅力とするべきだろう。
今回は、「南中そのものがこころの風景(目的地)」という手紙ではなく、ついでに学校も訪ねてみたわけだから、根幹から覆されるような話ではないし。(「蛇足」ではあるか)
【19日追記】15日放送の小樽では、大学の寮を訪れた(秋田同様、目的地そのものではなく、関係する場所)。当時の寮は解体されて新しいものができていた。当時のことをよく知らない今の寮の管理人の話を元に、以前寮があったと思しき場所に立っていたが、それが投稿にある寮と同一なのか確証はないだろう(寮が複数存在した可能性もある)。
こういうことは、大学の本部に尋ねれば、わりと簡単に正確な場所が分かったのではないだろうか。せっかく現地に行ったんだし、天下のNHKなんだし…(繰り返しますが、これがこころ旅の良さではあると思うけれど…)
金照寺山には城南中学校があり、秋田南中からすれば「隣の学区」になる。
ただし、中学校どうしにしては比較的近い距離であり、南中学区の端からでも道のりで2キロ強で山に来られると思う。
でも、毎週生徒を集めるのなら、千秋公園辺りでも良かった(こちらは秋田東中学区)のに、茶々丸先生はどうして金照寺山を指定したのだろう。千秋公園だと、帰りに(当時は秋田県内随一の繁華街だった)広小路で遊んで不良行為に及ばないようにという配慮か?
あと、中央交通さん。
金照寺山への登り口を見つける重要な役目を果たしたバス停のことですが。
ここは、秋田駅西口と日赤病院を結ぶ有楽町・牛島経由の路線が通る。かつては市営バスによる上北手荒巻・古野行きだったが、中央交通移管後日赤止まりに再編、さらに北都銀行前経由から南大通り経由に変わっている。
この路線には、牛島小学校経由と城南中学校経由の2系統があり、ここは城南中経由だけが通るバス停。
そのバス停名は「金照寺山公園前」と表示されていた。
「金照寺山公園」という公園は存在しない気もするが、そのものズバリの名称。
しかし、中央交通の公式サイトや100円だかで売り付け頒布している路線図、それに地図サイトなどでは、そんなバス停は存在しない。
「金照寺山公園東入口」という名称になっているのだが…
金照寺山には「東」以外の入口のバス停は存在しないからこのほうが分かりやすいかもしれないが、いつの間に現地の表記が変わったのか?(2012年9月のストリートビューで既にそうなっている)
変えたのなら、せめて公式サイトや売り物の路線図では実態に合わせてほしい。
【11日追記】考えてみればここって「金照寺山の『東』」ではない! 西じゃないか! 「金照寺山公園東入口」は明らかに不適切な名称ということになる。
なお、市営バス当時1988年の冊子時刻表では、「金照寺山公園」と表記されている。いつの間に「東」になって、再びそれが消えたのか…※この記事も参照
秋田市がちょっと出てきた、翌日7月3日・木曜日放送の冒頭も取り上げておく。
最初に手紙を読んだのは、秋田駅東口の南側にある公園の築山(つきやま)の上。
新幹線など列車の出入りがよく見えることから、親子連れに人気だし、人口の割に公園が少ない一帯のためか、老若男女問わずわりと人がいる公園。
所在地としては東通仲町、名称は「拠点第一街区公園」だが、新幹線が見えることから「こまち公園」と呼ぶ人もいるらしい。
※列車が「見える」というだけで、鉄道写真の撮影にはあまり向かない場所だと思います。
正平さんは「駅の裏にいます」と紹介。今は「駅裏」とはあまり言わなくなったが、やっぱり西口と比べれば、西口が衰退したとは言え「裏」に見えるか。
公園からは金照寺山も見える。「あの塔が金照寺山」と昨日の内容を説明。
秋田駅自由通路から見る金照寺山。手前に拠点第一街区公園も見える。赤矢印の先付近に、手紙を読んだ築山がある
手紙を読んだ後、秋田駅から列車に乗車。駅までの途中にNHK秋田放送局(秋田放送会館)がある。
(再掲)左の低いのがNHK、中央がアルヴェ、右が駅東口
駅と棟続きの「拠点センター・アルヴェ」とさらに棟続きがNHK。
木曜の朝版では「(NHKは)駅のすぐ近くにあるべ」と言っていたようだが、「アルヴェ」を知っての発言だろうか?
最後に、若くてきれいな女性が大好きな正平さんらしいエピソード。
【木曜の朝版】「受付は秋田美人かな?」とガラス張りの秋田放送局正面から中を覗く。
しかし、受付カウンターの椅子が低くて机に隠れて、受付の人の顔が見えない。椅子を高くするように「投書して」と言い、通りすがりのおばあさんも賛同。
【月曜朝版のダイジェスト】秋田放送局前に夕方の「ニュースこまち」のポスターが出ていた。
ポスターの写真は、マイクやカメラを持った人物が2列に並んでいて、1名を除いてすべて女性。
それを見て、「これほんとのスタッフ?」「カメラもこの人? マイクもこの人?」と尋ね、こころ旅のスタッフが「そうらしいです」と答えると、「投書して(こころ旅のスタッフと)全取っ替えお願いします。君たちごくろうさんでした」。
しかし、実際にはそうではなく、「※全員 NHK秋田のキャスターでした」とテロップが出た。
そんなに気に入ってもらえたなら、秋田局のキャスターが出てお見送りすれば良かったのに…
【11日追記】アルヴェ屋上に設置されているNHK秋田のお天気カメラからは、拠点第一街区公園も金照寺山もどちらもよく見える。映像を使わせてもらえばよかったのに。(巨大組織NHKでは、こういう横の連携はなかなかできないんでしょうね【11月2日追記】どこかの局では、Bカメが放送局のアンテナ塔に上がって撮影していたことがあり、高いところ嫌いの正平さんが感心? していた)
【月曜朝、木曜朝、木曜とうちゃこ すべてで放映】秋田駅の中央改札口内(在来線側)。
「あきたびじょん」のポスターの1つ、白黒の女性の写真を見て、「この娘、秋田の人だよね絶対に。(プロの)モデルさんじゃないよね」。
番組ではそれ以上追求しなかったが、正平さんの見立ては正解。ただし、近年のものでなく1953年に木村伊兵衛が撮影したもの。モデルの女性は数年前に亡くなっている。
すぐに改札口に目を向けて、駅員に注目。(男性駅員1名と)女性駅員2名がいて、「べっぴんさんだ。両方とも」。
正平さんは秋田美人に会えて満足したかに思えたが、8日の青森県初日の手紙にあった「東北美人には遭遇しましたか」との問いに「してない。まだ」と言っておられた!
父の転勤で12歳から中学2年生まで秋田市で暮らした、東京都の男性(54歳)からの手紙。
秋田市立秋田南中学校に入学すると、担任の「茶々丸」こと佐々田(←あやふやな記憶)先生が、「毎週日曜の朝7時に金照寺山に集合する」ことを提案。金照寺山頂上の広場に多くの生徒が集まり、走り回ったり冬はソリで遊んだりして、クラスの仲間と少しずつ打ち解けて仲良くなれた。そんな金照寺山頂から見た、秋田市内や遠くの山々が懐かしい。
といった内容。
手紙でも触れられていたが、金照寺山(きんしょうじやま)は、秋田駅の真南約2キロ・奥羽本線(秋田新幹線)と羽越本線が合流する付近にある、標高56メートルの小さな山。
(若い人はどうだか分からないが、)一定の年齢の秋田市民なら、名前は確実に知っているだろう。
その一方で、奥羽本線を挟んだ向かいの「一つ森公園」の山と混同している(奥羽本線開通前はつながっていたそうで、一つ森公園も計画段階では「金照寺山東部公園」と呼ばれていた)人もいる。それに金照寺山は公園としてはあまり手入れされていないので、登ったことがない人は多い。
昔はハイキングの場所だったこともあるらしいが、現状では、名前だけがよく知られた山といったところ。【10日追記】秋田市の都市公園などに指定されているわけではなく、管理はどうなっているのか不明。
金照寺山は元々は「楢山」という名の山で、今の楢山地区の由来になったそうだ。
1602年に佐竹の殿様が茨城から来た時、「天徳寺」が置かれて「天徳寺山」となるが、1625年に泉地区へ移転(それが現在に至る)。1655年頃に角館から「金照寺」が移転して「金照寺山」になった。
今は山のふもと、太平川の百石橋や羽越本線の近くに金照寺(1655年のとは別モノだが、関係はある)がある。
山の南には市立城南中学校、南から西にかけては住宅が建ち並ぶ。平地が多い秋田市では珍しい、高台にある学校や住宅街。
それ以外は斜面に木が茂る部分が多い。JR(?)やコミュニティFMの電波塔があり、北側は太平川が流れる。道がほとんどないに等しかったり、墓地があったりもして、近寄りがたい雰囲気がする場所も多い。いわゆる「心霊スポット」として認識する人もいるらしい。
こころ旅に戻って。
※以下、当ブログの過去の写真の再掲と、Googleのストリートビューの画像を主に使います。
前日からの流れで、羽後本荘駅前で満開のサツキを背に手紙を読む。(メガネをかけずに読み始めて、途中で気付く)
「(駅名は)羽後本荘だけど町は由利本荘。どういうことだか分かんないけど」
これは、かつての市名が「本荘市」で、国鉄時代からの駅名が「羽後本荘」。駅名は、音が同じ埼玉県本庄市の高崎線本庄駅との混同を避けるためだろう。平成の大合併で「由利本荘市」ができたという経緯。
いつものように、地図を広げてルートを確認。【とうちゃこ版のみ】
通常は、県単位の地図(おそらく昭文社「分県地図」)を使うが、今回は「それだと分かりにくいと思いますので」と秋田市だけの地図も出てきた。僕も愛用している昭文社「都市地図」。(昔は「エアリアマップ」というシリーズ名だったが、現在は使わなくなったらしい)
秋田市の地図では、金照寺山やその標高も明記されていて、さらに秋田南中学校も発見できて、「よう分かんな。これ」。
市街地に低い山があることについて「山かこれ? ほんとに」。
羽後本荘から秋田市南端の下浜駅までJR羽越本線で輪行。
券売機で正平さん自らきっぷを購入。「買えるわい。自分で」(先に現金を投入して、ボタンを押していた。タッチパネル式券売機ではボタンをタッチしてから投入するのが正式な手順とされている)
下浜駅から自転車で20キロ。
(再掲)下浜駅跨線橋から国道7号線と日本海
駅前の国道7号線は狭いため、珍しく歩道をゆっくりと通行する。
ずっと国道を進むのかと思いきや、駅から2.4キロほど進んだ(道幅は広くなる)、「大山」バス停そばの「第二酒田街道踏切」を渡って山側の桂根集落沿いの道へ。【とうちゃこ版のみ】
こころ旅の自転車ルートは、後ろからスタッフ(ディレクター?)が正平さんに指示する。行き当たりばったりではなく事前にリサーチされているようだ。
時々、地元の人しか知らなさそうな軒先をすり抜けるような道や、旧街道のような道を通ることもある。
これは、交通安全上の理由のほか、いわゆる「画になる」かどうかという演出上の理由もあるのだろう。延々と幹線道路を走る映像を見せられても、おもしろくない。
では、桂根集落はどんな光景なのかと期待したら、そこは残念ながらカット。
【とうちゃこ版のみ】次のシーンは、木々に囲まれた細い道。沿道にスクラップ置き場のようなものがあり、奥に踏切。
ストリートビューで確認すると、桂根駅北側の「桂根踏切(踏切番号90)」。渡れば老人ホームやデイリーヤマザキがあって、国道7号線(南バイパス)、県道56号線(前の国道)、浜田集落を通る旧道が入り交じる地点。
その踏切の手前の道路上に毛虫がいた。正平さんは「かわいそうに」とその1匹を素手でつかんで、「早く。ダメだって戻っちゃ」と近くの葉に載せていた。
生き物好きの正平さん、昨秋の秋田ではヘビをつかんでいたが、毛虫までつかむとは!
スタッフからも「えーっ」と声が上がり、ご本人も「大きなお世話なんだろうな」と言っていたけど。
浜田地区では、大森山の西側のふもと・海沿いの集落の中の旧道を進む。こころ旅としては妥当な選択。【朝版では下浜駅の次がこのシーンなので、桂根集落内を通らなかったかのように編集されている】
山のふもとだけに、アップダウンやカーブが多い道。
「昔の旧道だろうね。けっこう、うねってますね。なんだかんだつって」
海辺ぎりぎりの道ではないが、海が見え隠れし、昔ながらの立派な住宅や秋田市内にしては小ぢんまりとした浜田小学校があり、いい雰囲気の道。何かネタがあるかと思ったが、特になし。
【月曜朝版のダイジェストと水曜の朝版】この日は蒸し暑かった。「暑い。蒸す」と浜田の旧道の途中で、休憩。
わりと広い道路が交わる丁字路の角でひと休み。旧道が南バイパスのトンネルの上を通る所だ。バス停で言えば「元中村」と「中村一区」の間。
ストリートビューより。左に下りればバイパス
さて、南から秋田市中央部に入るには避けて通れないのが、雄物川(おものがわ)越え。
正平さんは高い所が嫌いで、特に下が見える橋を非常に怖がり、それがこころ旅の定番の場面になっている。
今回のルートでは、上流側から秋田大橋(県道56号)、雄物新橋(県道65号)、雄物大橋(国道7号南バイパス)の3本が選択肢となる。
いずれも長さ400~500メートルほどの橋で、下の雄物川の水面から高さがあり、恐怖を感じるのも分かる。
しかし、雄物大橋、秋田大橋は比較的新しい橋であり、車道・歩道とも足元の真下に川面を見て歩くような構造ではなく、恐怖感はかなり軽減されると思う。(その分、おもしろくない橋だとも思いますが)
一方、雄物新橋は、1963年にできた古い橋(名前は「新橋」だけど)。車道は広くはないし、外付けの歩道も(一部若干拡幅されたが)とても狭く、高欄(手すり)の隙間から川面が直に見えて(しかもこの付近の川はとても深そう)、3橋の中でもっともスリルが味わえる橋である。
また、雄物新橋は両岸とも、すぐに信号機のない交差点かつ坂道になっていて、通行には少々神経を使う地点でもある。他の2橋は、そのような危険は少ない。
いずれを通っても大して距離が変わらないこともあるし、雄物新橋は通らないだろうなと思っていた。
水曜日では一切放送されなかったが、【月曜朝版のダイジェストだけ】で、こんなシーンがあった。
昭文社の秋田市の地図で雄物川付近を見ながら、「これなにこれ? 新橋とか大橋とか。地下道ないの?」「オモロ川っていうの? ぜんぜんオモロない」
「『雄物の渡し』って書いてありますね」(スタッフ「それにしますか?」)「(渡しなんて)ねえよ!」
また、【月曜朝版のダイジェストと水曜の朝版(休憩シーンの次)】では、
下り坂の下の先に大きな橋の緑色の橋桁が横たわって見え、「なんかあるぞ。会いたくなかったヤツだな。」
この場所は、新屋栗田町の県立栗田養護学校北側・県営住宅経由の新屋西線が鋭角に曲がる(「浜街道」バス停)丘の上。川沿いながら間に木があって、川は見えない。
ストリートビューより。テレビではズームしていたのでもっとはっきり見えた
ここに来たということは、浜田の休憩した地点で旧道を外れて南バイパスへ下りて、雄物大橋手前の立体交差でこの道に入った、もしくは、旧道をさらに進んで、県営住宅や養護学校の前を通って来たといったところだろうか。
見えた橋桁は秋田大橋のもの。それより手前に雄物新橋があるのだが、木に隠れて見えない。
タイミング良く、中央交通の路線バス(栗田神社経由駅行きか)など車が雄物新橋に向かって通過。「左も(橋が)あるな」
坂を下って示されたルートは、左。
なんと雄物新橋を渡った! もちろん、車道を通行。
北岸・勝平地区側から。向こう岸の右から坂を下りて、橋を渡った
【この辺りは月曜朝版と水曜の朝版で、会話が小刻みにカットされたりされなかったりしている】
「ああ! 歩道はあんなに(狭く)なってる。」「つべこべ言わんと行こう」「後ろから(車が)来たらどうしよう」「(下を)見たくない」「無理」「怖い」
車で別動して撮影する「Bカメ」は、対岸の勝平側の下流側の高い位置から、雄物新橋を渡る一行を俯瞰でとらえる。月曜朝版は、このシーンでエンディング。
微妙に違うがこんな感じのアングル
幸い、後ろから車両は多くは来なくて、追走してくれたようだ。
字幕では「雄物川」とは表記されたが、橋の名前は知らされなかった。8日放送の弘前市では「富士見橋を渡る」などと橋の名前が表示されたので、ケースバイケースのようだ。
雄物新橋。奥の松が生えている辺りにBカメがいたはず
「見たくない」「無理」「怖い」が流れたのは月曜朝版だけ。月曜朝版では、正平さんが怖がったことを強調する編集だった。
ところが、とうちゃこ版では、橋に入る前のシーンはすべてカット。
Bカメの雄物新橋を渡る映像だけが使われて、正平さんは怖がらずに渡ったかのような編集だった。
テレビの編集なんて、いかようにもできるもんだ。
それにしても、どうして雄物新橋を選んだのか。ある種の演出だろうか。
トラス橋なので形が橋らしい(他の2橋は上部構造がない桁橋)し、丘の上から俯瞰撮影できるし、正平さんが怖がりそうだし、そんな条件を満たす橋は、3つの中で雄物新橋しかなかったわけだが…
正平さんがかたくなに「こんな橋渡りたくない! 向こうの橋(秋田大橋)のほうが渡りやすいじゃないか!」と主張したらどうなっただろう。そんな往生際の悪いことはしないで演出に従うのが、プロか。
※演出を否定するものではありません。ただ、伝えられることすべてが、ありのままの事実ではないということは忘れるべきではないでしょう。
いよいよ秋田市中央部・中心部に入る。※ここから先のルートは、下のほうに地図で示してあります
新屋から金照寺山というと、茨島→卸町→牛島などと通るかと思いきや、
朝版、とうちゃこ版とも、次のシーンは大町の旭川に架かる四丁目橋。意外な場所かつ身近な場所で驚いた。
雄物新橋からの経路は不明だが、勝平→新川橋→川尻→旭南または旭北だろうか。
他にも道はたくさんあるのに、こんな狭くて一方通行の道を選んだのが不思議。
四丁目橋の手前は、歓楽街・川反(かわばた)。
ひょっとしたら正平さんが「夜はここらで秋田美人と一杯やりたいねぇ」なんて言ったかもしれない。あるいは少し手前の旭北寺町のたたずまいを眺めたりしたかもしれない。
ストリートビューより四丁目橋。ここを右折
四丁目橋を渡って、五丁目橋方向へ右折。土手長町通りへ。(サークルK土手長町通り店に突き当たる丁字路かのように見えるが、カギ型の変形十字路で、サークルK左側に「池永小路」が伸びている)
(再掲)北都ビルディング。左が四丁目橋
曲がってすぐ、北都ビルディング(旧・北都銀行別館←秋田あけぼの銀行本店←秋田相互銀行本店)前付近で、正平さんが「カラフル!」と声を発する。歩道を歩いていた人の服装のことだろう。後ろ姿で小さくてよく分からないが、カラフルなタイツなどをはいていた。
次のシーンは、南大通りの菓子店・光月堂やローソン秋田南通築地店付近。五丁目橋交差点を左折したことになる。
そのまま「明田地下道西」交差点。自転車を降りて横断歩道を渡って右側へ渡るように指示あり。渡った先で、歩いていた女性2人(母娘?)に声をかけられる。
交差点角に立っている道しるべの案内板に「秋田南中学校460メートル」とあるのを発見。
その女性に「金照寺山知ってる?」と聞くも、ピンと来ず。女性の1人は南中の生徒? 卒業生? で、「(南中で金照寺山へ)遠足や遊びに行かない?」と聞くも、「一つ森は行ったけど…」。
※秋田では一般に「なんちゅう」と呼ぶが、正平さんは「みなみちゅう」と言っていた。
【10日画像追加】南中側の狭い道から見た明田地下道西交差点。奥が秋田駅西口・右が地下道。左の南大通りから来て、左手前角で標柱(電柱に隠れて見えない)を発見・女性と会話した。放映されていないが、この後この狭い道へ進んだはず
そのまま南へ進んで、いわゆる大堰端(おおぜきばた)の通りを進んだようで、次のシーンが秋田南中学校前。道路上から校舎や正門の表示を見る。
(再掲)秋田南中学校。左手前が明田地下道方向
いつものこころ旅なら、目的地のかなりギリギリまでスタッフからルートの指示があるものだが、今回は南中から先は、正平さん自ら探さなければならないらしい。
【2015年6月13日追記】最終目的地は正平さん自身で探すことはたまにあり、「知っているのに教えてくれない」「イケズなやっちゃ」などと、監督に対する文句をおっしゃることもある。
「(金照寺山は)こっからそんなに外れて(離れて)ない(はず)。誰かいねえかなー」で朝版エンディング。
昭文社の秋田市の地図を持っているんだから、それを見ればもう少しは分かるでしょ… という気もしなくはないけど。
考えてみれば、秋田市民に「金照寺山への道順」を尋ねても、はっきりと説明できる人は多くないかもしれない。川があったり道がカーブしていたりして、知っていてもうまく説明できない。さらに、登り口がどこにあるかは把握していない人がほとんどだろう。
とうちゃこ版では、南中前からさらに南へ進む。秋田市中心部の数少ないサークルKがまた映る(秋田南通宮田店)。
その先、ト一屋の通りや2010年に新しく開通した愛宕下橋方面への道が交わる、楢山佐竹町の交差点。
そこを左に曲がって細い道に入り、すぐに二股に分かれるので右へ行くと、「今、高いもの見えたね。秋田市内なのに山あるんだけど」。
(再掲)左の南中方向から来て、奥の道へ進んだ。奥に金照寺山が見えている
進むと、羽越本線の踏切。「袋小路踏切」だ。
(再掲)右方向に太平川、対岸に金照寺山がある
その見えている山が金照寺山という確証はなく、近付く道も分からない。
「難しいな。こういう所になると」「これしかないじゃん。周りに50メートルのもの(ほかに)ないもん。ただ、その名前を見っけないと」
踏切で引き返し、すぐの住宅の松の木に登って剪定をしていたおじさんに尋ねる。
あれが金照寺山であることは教えてもらって分かったが、そこへ行く道は「複雑で教えれない」。「落ちないでね」と声をかけて、少し戻って南へ進む。
高い所が苦手な正平さんは「今の人と逆の立場だったら、怖くて答えてられない」。
なお、この松の木は羽越本線の車窓から見える。先日、車窓から見たところ、おじさんが落っこちないで無事に手入れが終わったようで、美しい枝ぶりになっていた。(松は2本あり、どちらも剪定済み。線路に近い木で作業中のところを正平さんが尋ねたはず)
佐竹町の交差点の手前で左折し、太平川から続く大堰跡の桜並木の北端付近を通る。(並木には入らない)
(再掲)ここを左から右へ通過
次のシーンは、踏切を渡って右へカーブする道。「金照閣踏切」の先だ。
百石橋で太平川を渡って、金照寺の前を通ったのだろう。
山のほうへ曲がる道があり、そこにあるバス停に「金照寺山公園前」のバス停を発見!
やっと入口が分かった。「みんな知らないもんだな」
曲がってからしばらくは住宅が並ぶ坂道が続く。「でもあの山、木がうっそうとしてて、周り見えんのかな?」
500メートル強進んで、住宅が途切れた所に秋田市南部公民館による「ふるさと探訪」の説明看板を発見。
いつもなら「とうちゃこ」となる場所のはずだが、特に発言はなし。
四丁目橋から金照寺山までは青線のルートをたどったと考えられる
自転車を置いて、徒歩で登る。木と草に囲まれた狭い坂道。
「ここへ日曜の朝集まったんすか? めんどくさいこと言う先生やったんやな」
頂上へ到着。そこは草が生い茂る広場だった。
正平さんが危惧した通り、広場を木がぐるりと囲んでいた。「なんも見えん。どうしましょ」「森になっちゃってる」
木の隙間から、部分的にかろうじて遠くが見える部分があった。
東方向の太平山の一部、逆光ながら南方向の県立新屋高等学校、秋田市上下水道局豊岩浄水場、風力発電の風車が映された。
再度手紙を読んで、「秋田市内にこういう所があります。そのうち刈りこんで見えるようになる時が来るかもしれない」と結んだ。
実は、僕も以前(もう10年くらい前?)、1度だけここに行ったことがある。
やはり途中の道が分かりづらく、積極的な整備がされていない感じがしたのと、何よりも眺望が期待外れだった。
ただ、木の葉が茂っていない冬ならば、いくらかは見通しがいいはず。
手紙では冬も来ていたとあるので、もしかしたら、当時も木が茂っていて夏場は眺めはあまり良くなく、冬に見た眺めが心に残っていたかもしれない。
また、この広場よりも、金照寺山の山腹というか坂の途中の各所のほうが眺めが良い場所もある。
(再掲)北西の山腹から太平川桜並木と南中・秋田駅方向。正平さんたちもこの下は通ったはずだが、階段なので自転車では来られない
【11日追記】他には、東側の奥羽本線・車両基地近くの階段や城南中学校の敷地から回りこむルートもあるはず。
あと、この日、昼食シーンはなかった。珍しくはないことだが、どこで食べたのだろう。
人それぞれ、いろんな思い出があるものだ。
投稿者は転勤族で、中2の途中で転出したということだから、今は秋田の同級生とは音信不通かもしれない。これをきっかけに、クラスメイトや茶々丸先生と再会に至ったりするかな。
それに、見慣れた場所に芸能人が来てテレビで取り上げられるのは、やっぱり不思議なもんだ。袋小路踏切まで映ったのは感慨深く、満足して見た。
と思ったら、今回の内容について、やや重大なツッコミどころがあるのだった。
秋田南中学校は移転していたのだった!!
当ブログでもこの記事などで取り上げていたのに、恥ずかしながら頭から抜けた状態で見ていた。
当初の南中は、現在の楢山南中町の楢山コミセンの位置(上の地図参照)にあり、1976年度から1978年度にかけて、南通宮田の現在地に移転している。
投稿者が南中に通っていた当時は、旧校舎の末期となる。その頃、現在の南中の場所はグラウンドと工場だったはず。
こころ旅では、目的地が不明瞭なものについては、正平さんやスタッフの推測で「とうちゃこ」したり、投稿者にそこがほんとうにその場所なのか確認はしないので、実は少し的外れの場所だったということが、それなりにありそう。
厳しく言えば「詰めが甘い」が、こういうユルさもこころ旅の魅力とするべきだろう。
今回は、「南中そのものがこころの風景(目的地)」という手紙ではなく、ついでに学校も訪ねてみたわけだから、根幹から覆されるような話ではないし。(「蛇足」ではあるか)
【19日追記】15日放送の小樽では、大学の寮を訪れた(秋田同様、目的地そのものではなく、関係する場所)。当時の寮は解体されて新しいものができていた。当時のことをよく知らない今の寮の管理人の話を元に、以前寮があったと思しき場所に立っていたが、それが投稿にある寮と同一なのか確証はないだろう(寮が複数存在した可能性もある)。
こういうことは、大学の本部に尋ねれば、わりと簡単に正確な場所が分かったのではないだろうか。せっかく現地に行ったんだし、天下のNHKなんだし…(繰り返しますが、これがこころ旅の良さではあると思うけれど…)
金照寺山には城南中学校があり、秋田南中からすれば「隣の学区」になる。
ただし、中学校どうしにしては比較的近い距離であり、南中学区の端からでも道のりで2キロ強で山に来られると思う。
でも、毎週生徒を集めるのなら、千秋公園辺りでも良かった(こちらは秋田東中学区)のに、茶々丸先生はどうして金照寺山を指定したのだろう。千秋公園だと、帰りに(当時は秋田県内随一の繁華街だった)広小路で遊んで不良行為に及ばないようにという配慮か?
あと、中央交通さん。
金照寺山への登り口を見つける重要な役目を果たしたバス停のことですが。
ここは、秋田駅西口と日赤病院を結ぶ有楽町・牛島経由の路線が通る。かつては市営バスによる上北手荒巻・古野行きだったが、中央交通移管後日赤止まりに再編、さらに北都銀行前経由から南大通り経由に変わっている。
この路線には、牛島小学校経由と城南中学校経由の2系統があり、ここは城南中経由だけが通るバス停。
そのバス停名は「金照寺山公園前」と表示されていた。
「金照寺山公園」という公園は存在しない気もするが、そのものズバリの名称。
しかし、中央交通の公式サイトや100円だかで
「金照寺山公園東入口」という名称になっているのだが…
金照寺山には「東」以外の入口のバス停は存在しないからこのほうが分かりやすいかもしれないが、いつの間に現地の表記が変わったのか?(2012年9月のストリートビューで既にそうなっている)
変えたのなら、せめて公式サイトや売り物の路線図では実態に合わせてほしい。
【11日追記】考えてみればここって「金照寺山の『東』」ではない! 西じゃないか! 「金照寺山公園東入口」は明らかに不適切な名称ということになる。
なお、市営バス当時1988年の冊子時刻表では、「金照寺山公園」と表記されている。いつの間に「東」になって、再びそれが消えたのか…※この記事も参照
秋田市がちょっと出てきた、翌日7月3日・木曜日放送の冒頭も取り上げておく。
最初に手紙を読んだのは、秋田駅東口の南側にある公園の築山(つきやま)の上。
新幹線など列車の出入りがよく見えることから、親子連れに人気だし、人口の割に公園が少ない一帯のためか、老若男女問わずわりと人がいる公園。
所在地としては東通仲町、名称は「拠点第一街区公園」だが、新幹線が見えることから「こまち公園」と呼ぶ人もいるらしい。
※列車が「見える」というだけで、鉄道写真の撮影にはあまり向かない場所だと思います。
正平さんは「駅の裏にいます」と紹介。今は「駅裏」とはあまり言わなくなったが、やっぱり西口と比べれば、西口が衰退したとは言え「裏」に見えるか。
公園からは金照寺山も見える。「あの塔が金照寺山」と昨日の内容を説明。
秋田駅自由通路から見る金照寺山。手前に拠点第一街区公園も見える。赤矢印の先付近に、手紙を読んだ築山がある
手紙を読んだ後、秋田駅から列車に乗車。駅までの途中にNHK秋田放送局(秋田放送会館)がある。
(再掲)左の低いのがNHK、中央がアルヴェ、右が駅東口
駅と棟続きの「拠点センター・アルヴェ」とさらに棟続きがNHK。
木曜の朝版では「(NHKは)駅のすぐ近くにあるべ」と言っていたようだが、「アルヴェ」を知っての発言だろうか?
最後に、若くてきれいな女性が大好きな正平さんらしいエピソード。
【木曜の朝版】「受付は秋田美人かな?」とガラス張りの秋田放送局正面から中を覗く。
しかし、受付カウンターの椅子が低くて机に隠れて、受付の人の顔が見えない。椅子を高くするように「投書して」と言い、通りすがりのおばあさんも賛同。
【月曜朝版のダイジェスト】秋田放送局前に夕方の「ニュースこまち」のポスターが出ていた。
ポスターの写真は、マイクやカメラを持った人物が2列に並んでいて、1名を除いてすべて女性。
それを見て、「これほんとのスタッフ?」「カメラもこの人? マイクもこの人?」と尋ね、こころ旅のスタッフが「そうらしいです」と答えると、「投書して(こころ旅のスタッフと)全取っ替えお願いします。君たちごくろうさんでした」。
しかし、実際にはそうではなく、「※全員 NHK秋田のキャスターでした」とテロップが出た。
そんなに気に入ってもらえたなら、秋田局のキャスターが出てお見送りすれば良かったのに…
【11日追記】アルヴェ屋上に設置されているNHK秋田のお天気カメラからは、拠点第一街区公園も金照寺山もどちらもよく見える。映像を使わせてもらえばよかったのに。(巨大組織NHKでは、こういう横の連携はなかなかできないんでしょうね【11月2日追記】どこかの局では、Bカメが放送局のアンテナ塔に上がって撮影していたことがあり、高いところ嫌いの正平さんが感心? していた)
【月曜朝、木曜朝、木曜とうちゃこ すべてで放映】秋田駅の中央改札口内(在来線側)。
「あきたびじょん」のポスターの1つ、白黒の女性の写真を見て、「この娘、秋田の人だよね絶対に。(プロの)モデルさんじゃないよね」。
番組ではそれ以上追求しなかったが、正平さんの見立ては正解。ただし、近年のものでなく1953年に木村伊兵衛が撮影したもの。モデルの女性は数年前に亡くなっている。
すぐに改札口に目を向けて、駅員に注目。(男性駅員1名と)女性駅員2名がいて、「べっぴんさんだ。両方とも」。
正平さんは秋田美人に会えて満足したかに思えたが、8日の青森県初日の手紙にあった「東北美人には遭遇しましたか」との問いに「してない。まだ」と言っておられた!