「マックス(MAX)」といえば、「最大」の意味のほか、ホチキスなど事務用品・機器メーカー、オール2階建て新幹線、沖縄出身の女性音楽グループ等々。
さらに、1990年代前後の弘前を知る人なら「ブック」、さらに現在も含めて弘前大学文京町キャンパスの学生や近隣住民なら「ハウス」も連想するかもしれない。
「ブックマックス」「ハウスマックス」、さらに「カフェマックス」というが、弘前市のある場所に集中して存在している/いたのだった。そのお話。
僕が弘前にいた1990年代後半は、新幹線と音楽グループのMAXの登場~全盛期だったから、弘前のマックスはそれらを借用というか便乗というか影響された命名かなと思っていた。ところが今回調べると、それ以前から存在していたことが分かった。だから由来は不明。
場所は弘前市富野町と富田町。この辺りは「富」が付く町名が多くて、ピンと来ない。
弘大農学生命科学部や(文京町キャンパスとは別にある)教育学部附属特別支援学校からは、いずれも数百メートル、ハローワーク弘前も近いけれど、道路の配置的にやはりピンと来ない。
枡形交差点~松森町の取上交差点(さらに奥羽本線の踏切、弘南鉄道弘南線弘前東高前駅)を結ぶ道路とその裏道の枡形寄りといえば、伝わるか。でも分かりにくいかも。
僕たちの頃は、スーパー「主婦の店マルエス」が近くにあったものの、後に移転(さらに後に廃業、Uマートに引き継ぎ。跡地は今も空き地)しているし、しかも他にもマルエスの店舗があったから、場所を伝える時は誤解を招く。
結局は「ブックマックスの近く」「ブックマックスの通り」など、特に表通りに面していたブックマックス自体がランドマークになっていた。自動車教習所の送迎バスの乗降場としても使われるほど。
はす向かいにしじみラーメンの「和歌山」があるが、開業は2000年以降のはず。
ブックマックスは、富田町にあった書店兼レンタルビデオ屋。文房具もけっこう扱っていた。
先に述べてしまうと、現在、ブックマックスの店は廃業、建物も解体された。跡地は、
薬王堂。奥突き当りの左方が枡形、右方が農学生命科学部
ドラッグストア「薬王堂 弘前富田店」になっている。
建物の大きさ、敷地内の位置関係はブックマックス時代とおおむね同じだが、やはり違う建物だから面影は薄い。
思い出とネットやGoogleストリートビューの情報を基に、ブックマックスの歴史をたどってみる。
2014年9月撮影のストリートビューより。この時点で看板はあるが廃業後
ブックマックスは、広い駐車場を備えた、平屋の大きな店舗。
全体の雰囲気としては、秋田駅東側にある加賀屋書店東通店っぽいけれど、店も駐車場ももっと大きいと思う。
今は、秋田市茨島や八橋のような、独立した建物が並んだショッピングモールの構成店舗の1つとして書店があることがあるが、ブックマックスの店の雰囲気はそんな感じ。
営業時間はおそらく21時までだった。
今は珍しくない形態だが、当時としてはあまり多くないタイプの書店だった。前の道路の通行量がわりとあるのと、周囲が学生街という立地を活かした書店だったのだろう。
考えてみれば、弘前大学より南(弘前駅と反対)方向には目立った本屋はないはずだし、大学生協の書店とは違う品揃えなので、こちら方面に住んでいた(ちょっと離れていたけど)僕は、たまにお世話になっていた。
2013年5月のストリートビューより
店舗に向かって左側(枡形寄り)・駐車場前の道路沿いには、電話ボックスとともに自動販売機がずらりと並んでいた。飲料のほかこの辺りでは他に西弘前駅前くらいにしかないセブンティーンアイスもあった(今はどちらも撤去)。閉店後のストリートビューではアイス1台・飲料7台。
僕が弘前を離れるまでは、ブックマックスは営業していたが、いつの間にか廃業していた。
調べると、2004年6月20日閉店との情報があった。思ったより早い。
閉店後も、建物・駐車場は長らくそのまま手付かずであった。ストリートビューで分かるように、屋根などサビが出ていた。
2014年のストリートビューでは、自動販売機は営業中のようだが、壁面の店名や駐車場入口の「本」の看板類は残されたままで「テナント募集中 土地860坪・建物175坪」の看板が立っていた。
さらに、2013年5月までは駐車場が使えた(月ぎめ??)ようだが、2014年6月には「本」の下の「P」の看板が外され、チェーンが張られて中に入れなくなった。
電話ボックスは2014年6月から2015年8月の間に撤去。
自販機群は、2015年8月でも営業をしていたようだ。
2016年になって、やっと建物の解体が行われ、新しい建物ができて2017年3月29日にドラッグストア「薬王堂 弘前富田店」がオープンした。
最近の別記事の通り、青森は地元拠点のドラッグストアがしのぎを削る中、薬王堂は岩手の企業。弘前市内では4店舗目。
まあ、ドラッグストアもこの辺にはないから、場所としては悪くなさそう。【3日追記】と思ったら、遠くはない、第三中前から学園町へ曲がる角に、ツルハドラッグ弘前豊原店が何年か前にできていた。ほんとに最近はドラッグストアが増殖する。
2014年6月ストリートビューより店舗の看板
書店名としては「BOOK MAX.」と英字大文字で最後にピリオドが入るのが正式らしい。Mだけ赤で他は緑色の文字。
上の看板で、左にあるのがロゴ。なんとなく記憶にあったが、今改めて見ると、MとXを組み合わせたもので、岩木山もイメージしているみたいだ。
「BOOKS MAX=ブック“ス”マックス」でなく単数形なのは、語呂が悪いからかな。
ところで、ブックマックスの運営企業というか経営者は誰だったのか、漠然と疑問だった。
全国チェーンや成田本店、今泉本店のような地元大手書店とも関係はなさそうで、他にブックマックスという書店はない。ロゴが岩木山風なことも合わせて、地元の個人経営だったのか。
今泉本店をかつて経営していた、弘前市議会議員 今泉昌一氏の2012年1月6日付ブログで、次のようなことが分かった。
・ブックマックスの創業者は山崎幸治氏で、一代限りで廃業した。
・ブログがアップされた2012年始に、山崎幸治氏の死亡広告が地元紙に掲載された。
・ブックマックスは、紀伊国屋書店弘前店の開店(1983年)より後に開店した。
ということで、ブックマックスは、20年弱営業した、地元の書店だったことになる。
書店としてのブックマックスについてはここまでだけど、後でまた同じ名が登場します。
今回、解体前の元ブックマックスが写る、Googleストリートビューを見ていて、気付いて思い出したのが「カフェマックス」。
ブックマックスの隣(道路から見て右隣・松森町方向)に、2階建ての民家のような建物があって、その1階に「カフェマックス」があった。名前の通り喫茶店らしい。
2014年6月撮影ストリートビュー
2015年8月のストリートビューでは、店は営業していないが、10時~19時営業、第2・4火曜日定休、「BOOK MAXの駐車場をご利用下さい。」の表示が残っていた。
看板のロゴは、MAX部分はブックマックスと同じ。ブックマックス廃業時にカフェもやめたとの情報があり、同経営だったのだろう。
薬王堂開店後の2017年もそのままで、「テナント募集」の紙が張り足されていた。その後、2018年8月に「ステーキ食堂 ミートソルジャー」がオープンした。(冒頭の写真手前に少し写っている)
以上を踏まえると、当時を知る方々の中には、ブックマックス、カフェマックスがなくなった今、ハウスマックスはどうなのかと、心配な方もおられよう。
ハウスマックスは健在です!
ハウスマックス・カフェマックスがある枡形~松森町の道路は、広くて一直線だけど、歴史としては新しくもないようだ。
しかし、あたかもこの道の旧道であるかのように、この道の北側を並走する、狭くてカーブが多い道もある。位置関係としては、秋田大学近くの手形陸橋の通りと、三吉神社前の旧道みたいな感じ。
しかもこの道は、ほかの道に対して斜めに交わる、ちょっと不思議な道。枡形から弘前駅方面へ行くときは、多少の近道かと思って、僕はよく歩いていた(いずれまた)。
ハウスマックスは、この狭い道に面して、ブックマックスと背中合わせに位置する。所在地は富野町。
吉田ハウスの向こうがハウスマックス。その裏がブックマックス、道路奥が農学生命科学部方向
道路左側がハウスマックス
ハウスマックスとはアパート。場所的に大学生がメインターゲット。表通りに出て渡ればすぐ文京町キャンパス。道路の配置上、文京町3番地の農生・理工学部はもちろん、正門側1番地の各学部やミニストップ、Uマートも思ったより近く、なかなか好立地。
上の写真では、手前に淡い色の建物と奥にグレーの建物があるが、どちらもハウスマックス。しかも、この奥(左方)にも、同じ造りの建物が並ぶ。
淡い建物が4棟、グレーの建物が3棟あり、それぞれハウスマックスA~D、E~Gと棟の名前が表示されている。
ハウスマックスとは、アパート群の総称になるわけだが、僕が大学に入った時はA~Dしかなく、在学中にE~Gができた。
各不動産情報サイトによれば、前者は1988年4月、後者は1998年4月にできた(Aは1987年4月との情報もあるが、怪しい。Eは1997年11月との情報も)。
どれも1Kで、1棟当たり、A~Dは16戸、E~Gは12戸の模様。【3日追記】全体でちょうど100室。
現在の家賃月額は、A~Dは3万円台なのに対し、E~Gはその+1万円で4万円を越える。どちらも相場の範囲内【3日追記・でも4万円超は高いかも】ではあるが、築年数が10年違えば1万円違うのか。
【3日追記】余談だが、秋田市でも弘前市でも、都市ガスが引かれている地域なのに、そこに建つアパートでは都市ガスを引かずにプロパンガスを使わせているケースが多い。理由は知らない。ハウスマックス各棟は、珍しく都市ガスが使える。
反対側から
7棟のうちA棟にだけ、外壁に「ハウスマックス」の名が表示されている。
「ハウス・マックス」。20年前もこれだった
ブックマックスと同様の色使いで「マ」だけ赤文字。でも、こちらは日本語表記で間に「・(中黒)」が入る。しかも独特の書体。
アパート名にありがちな「ハイツマックス」「コーポマックス」とかでなく、「ハウス」にしたのが少々珍しい。
さらに、下にある管理者名の表示。
なんとブックマックスのロゴマークと「BOOK・MAX(中黒が入る)」!
カットした下には、電話番号が書かれているが、営業していた頃のブックマックスと同じ。
どうも、「株式会社ブックマックス」という企業が存在するらしい。
つまり、書店を廃業した後も、ハウスマックスを管理する会社として、「ブックマックス」の名前は今も残っているということのようだ。
大学生協は、以前からアパート仲介の不動産業をやっていたが、2000年以降、アパートの管理受託にも力を入れるようになった。該当アパートには壁面にその旨の表示板(秋大も弘大も同じデザイン)が設置されているが、ハウスマックスにはなさそうだった。仲介は生協でもやっている。
まとめると、
・ハウスマックスのほか、かつてはブックマックス、カフェマックスも、同じ一角にあった。
・マックス群は、昭和末期(ブックマックスは1983年より後、ハウスマックスは1988年)にできた。
・現在はハウスマックスだけが残っているが、ブックマックスも企業としては存続し、ハウスマックスを管理しているらしい。
といったところ。
あと気になるのが、これら各マックスができる前は、何があったのか。
1975(昭和50)年、1982(昭和57)年の航空写真を見てみた。既に現在並みに家が多く建っているが、後にマックス群となる敷地には、大型の建物と家ではない箱状の物体が並んでいた。おそらく製材所。
敷地は広い通り側と狭い通り側で一体化しているようで、できあがった板を狭い道側(現・ハウスマックス)に積み上げていたように見える。
実際はどうだったのだろう。
大学を挟んで反対側のバカヤローカーブや寒沢スキー場ほどのインパクトはないけれど、「マックス集中地帯」も、弘前大学周辺では特徴的な場所ではないだろうか。
狭い道の話題は続く。
新幹線はJR東日本のE1系電車が1994年に運行開始、1997年にE4系も登場したがその後の後継はなく、東北新幹線からは撤退、上越新幹線からもいずれなくなる運命。
音楽グループは、「安室奈美恵withスーパーモンキーズ」の安室奈美恵を抜いたメンバーで活動する時のユニット名で1995年結成。当初はグループ内ユニットという形だったようだが、後に実質独立。安室さんは引退したが、MAXのメンバーは多少の出入りはあるもののほぼ変わらず、9月30日もNHKBSの番組で歌っていた。
音楽グループは、「安室奈美恵withスーパーモンキーズ」の安室奈美恵を抜いたメンバーで活動する時のユニット名で1995年結成。当初はグループ内ユニットという形だったようだが、後に実質独立。安室さんは引退したが、MAXのメンバーは多少の出入りはあるもののほぼ変わらず、9月30日もNHKBSの番組で歌っていた。
さらに、1990年代前後の弘前を知る人なら「ブック」、さらに現在も含めて弘前大学文京町キャンパスの学生や近隣住民なら「ハウス」も連想するかもしれない。
「ブックマックス」「ハウスマックス」、さらに「カフェマックス」というが、弘前市のある場所に集中して存在している/いたのだった。そのお話。
僕が弘前にいた1990年代後半は、新幹線と音楽グループのMAXの登場~全盛期だったから、弘前のマックスはそれらを借用というか便乗というか影響された命名かなと思っていた。ところが今回調べると、それ以前から存在していたことが分かった。だから由来は不明。
場所は弘前市富野町と富田町。この辺りは「富」が付く町名が多くて、ピンと来ない。
弘大農学生命科学部や(文京町キャンパスとは別にある)教育学部附属特別支援学校からは、いずれも数百メートル、ハローワーク弘前も近いけれど、道路の配置的にやはりピンと来ない。
枡形交差点~松森町の取上交差点(さらに奥羽本線の踏切、弘南鉄道弘南線弘前東高前駅)を結ぶ道路とその裏道の枡形寄りといえば、伝わるか。でも分かりにくいかも。
僕たちの頃は、スーパー「主婦の店マルエス」が近くにあったものの、後に移転(さらに後に廃業、Uマートに引き継ぎ。跡地は今も空き地)しているし、しかも他にもマルエスの店舗があったから、場所を伝える時は誤解を招く。
結局は「ブックマックスの近く」「ブックマックスの通り」など、特に表通りに面していたブックマックス自体がランドマークになっていた。自動車教習所の送迎バスの乗降場としても使われるほど。
はす向かいにしじみラーメンの「和歌山」があるが、開業は2000年以降のはず。
ブックマックスは、富田町にあった書店兼レンタルビデオ屋。文房具もけっこう扱っていた。
先に述べてしまうと、現在、ブックマックスの店は廃業、建物も解体された。跡地は、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/29/2f5e166ab82827f271b56140cb316652.jpg)
ドラッグストア「薬王堂 弘前富田店」になっている。
建物の大きさ、敷地内の位置関係はブックマックス時代とおおむね同じだが、やはり違う建物だから面影は薄い。
思い出とネットやGoogleストリートビューの情報を基に、ブックマックスの歴史をたどってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/d5/772cef0cc5b41abd9c9e5a33325710d0.jpg)
ブックマックスは、広い駐車場を備えた、平屋の大きな店舗。
全体の雰囲気としては、秋田駅東側にある加賀屋書店東通店っぽいけれど、店も駐車場ももっと大きいと思う。
今は、秋田市茨島や八橋のような、独立した建物が並んだショッピングモールの構成店舗の1つとして書店があることがあるが、ブックマックスの店の雰囲気はそんな感じ。
営業時間はおそらく21時までだった。
今は珍しくない形態だが、当時としてはあまり多くないタイプの書店だった。前の道路の通行量がわりとあるのと、周囲が学生街という立地を活かした書店だったのだろう。
考えてみれば、弘前大学より南(弘前駅と反対)方向には目立った本屋はないはずだし、大学生協の書店とは違う品揃えなので、こちら方面に住んでいた(ちょっと離れていたけど)僕は、たまにお世話になっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/56/3b79470afd657b194e2968d80b506515.jpg)
店舗に向かって左側(枡形寄り)・駐車場前の道路沿いには、電話ボックスとともに自動販売機がずらりと並んでいた。飲料のほかこの辺りでは他に西弘前駅前くらいにしかないセブンティーンアイスもあった(今はどちらも撤去)。閉店後のストリートビューではアイス1台・飲料7台。
僕が弘前を離れるまでは、ブックマックスは営業していたが、いつの間にか廃業していた。
調べると、2004年6月20日閉店との情報があった。思ったより早い。
閉店後も、建物・駐車場は長らくそのまま手付かずであった。ストリートビューで分かるように、屋根などサビが出ていた。
2014年のストリートビューでは、自動販売機は営業中のようだが、壁面の店名や駐車場入口の「本」の看板類は残されたままで「テナント募集中 土地860坪・建物175坪」の看板が立っていた。
さらに、2013年5月までは駐車場が使えた(月ぎめ??)ようだが、2014年6月には「本」の下の「P」の看板が外され、チェーンが張られて中に入れなくなった。
電話ボックスは2014年6月から2015年8月の間に撤去。
自販機群は、2015年8月でも営業をしていたようだ。
2016年になって、やっと建物の解体が行われ、新しい建物ができて2017年3月29日にドラッグストア「薬王堂 弘前富田店」がオープンした。
最近の別記事の通り、青森は地元拠点のドラッグストアがしのぎを削る中、薬王堂は岩手の企業。弘前市内では4店舗目。
まあ、ドラッグストアもこの辺にはないから、場所としては悪くなさそう。【3日追記】と思ったら、遠くはない、第三中前から学園町へ曲がる角に、ツルハドラッグ弘前豊原店が何年か前にできていた。ほんとに最近はドラッグストアが増殖する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c1/c754c7346bad7b2f0ccd02b4b6768e81.jpg)
書店名としては「BOOK MAX.」と英字大文字で最後にピリオドが入るのが正式らしい。Mだけ赤で他は緑色の文字。
上の看板で、左にあるのがロゴ。なんとなく記憶にあったが、今改めて見ると、MとXを組み合わせたもので、岩木山もイメージしているみたいだ。
「BOOKS MAX=ブック“ス”マックス」でなく単数形なのは、語呂が悪いからかな。
ところで、ブックマックスの運営企業というか経営者は誰だったのか、漠然と疑問だった。
全国チェーンや成田本店、今泉本店のような地元大手書店とも関係はなさそうで、他にブックマックスという書店はない。ロゴが岩木山風なことも合わせて、地元の個人経営だったのか。
今泉本店をかつて経営していた、弘前市議会議員 今泉昌一氏の2012年1月6日付ブログで、次のようなことが分かった。
・ブックマックスの創業者は山崎幸治氏で、一代限りで廃業した。
・ブログがアップされた2012年始に、山崎幸治氏の死亡広告が地元紙に掲載された。
・ブックマックスは、紀伊国屋書店弘前店の開店(1983年)より後に開店した。
ということで、ブックマックスは、20年弱営業した、地元の書店だったことになる。
書店としてのブックマックスについてはここまでだけど、後でまた同じ名が登場します。
今回、解体前の元ブックマックスが写る、Googleストリートビューを見ていて、気付いて思い出したのが「カフェマックス」。
ブックマックスの隣(道路から見て右隣・松森町方向)に、2階建ての民家のような建物があって、その1階に「カフェマックス」があった。名前の通り喫茶店らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e3/6905ad47b3a7e1c52722e4f24145f838.jpg)
2015年8月のストリートビューでは、店は営業していないが、10時~19時営業、第2・4火曜日定休、「BOOK MAXの駐車場をご利用下さい。」の表示が残っていた。
看板のロゴは、MAX部分はブックマックスと同じ。ブックマックス廃業時にカフェもやめたとの情報があり、同経営だったのだろう。
薬王堂開店後の2017年もそのままで、「テナント募集」の紙が張り足されていた。その後、2018年8月に「ステーキ食堂 ミートソルジャー」がオープンした。(冒頭の写真手前に少し写っている)
以上を踏まえると、当時を知る方々の中には、ブックマックス、カフェマックスがなくなった今、ハウスマックスはどうなのかと、心配な方もおられよう。
ハウスマックスは健在です!
ハウスマックス・カフェマックスがある枡形~松森町の道路は、広くて一直線だけど、歴史としては新しくもないようだ。
しかし、あたかもこの道の旧道であるかのように、この道の北側を並走する、狭くてカーブが多い道もある。位置関係としては、秋田大学近くの手形陸橋の通りと、三吉神社前の旧道みたいな感じ。
しかもこの道は、ほかの道に対して斜めに交わる、ちょっと不思議な道。枡形から弘前駅方面へ行くときは、多少の近道かと思って、僕はよく歩いていた(いずれまた)。
ハウスマックスは、この狭い道に面して、ブックマックスと背中合わせに位置する。所在地は富野町。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/18/b846c96b874fc48d4770bc4e797bfd44.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/12/91f64a5b842c36835dc2dedb9b39718f.jpg)
ハウスマックスとはアパート。場所的に大学生がメインターゲット。表通りに出て渡ればすぐ文京町キャンパス。道路の配置上、文京町3番地の農生・理工学部はもちろん、正門側1番地の各学部やミニストップ、Uマートも思ったより近く、なかなか好立地。
上の写真では、手前に淡い色の建物と奥にグレーの建物があるが、どちらもハウスマックス。しかも、この奥(左方)にも、同じ造りの建物が並ぶ。
淡い建物が4棟、グレーの建物が3棟あり、それぞれハウスマックスA~D、E~Gと棟の名前が表示されている。
ハウスマックスとは、アパート群の総称になるわけだが、僕が大学に入った時はA~Dしかなく、在学中にE~Gができた。
各不動産情報サイトによれば、前者は1988年4月、後者は1998年4月にできた(Aは1987年4月との情報もあるが、怪しい。Eは1997年11月との情報も)。
どれも1Kで、1棟当たり、A~Dは16戸、E~Gは12戸の模様。【3日追記】全体でちょうど100室。
現在の家賃月額は、A~Dは3万円台なのに対し、E~Gはその+1万円で4万円を越える。どちらも相場の範囲内【3日追記・でも4万円超は高いかも】ではあるが、築年数が10年違えば1万円違うのか。
【3日追記】余談だが、秋田市でも弘前市でも、都市ガスが引かれている地域なのに、そこに建つアパートでは都市ガスを引かずにプロパンガスを使わせているケースが多い。理由は知らない。ハウスマックス各棟は、珍しく都市ガスが使える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/28/0415ad88b7053a9a168acba717e81979.jpg)
7棟のうちA棟にだけ、外壁に「ハウスマックス」の名が表示されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/5d/98d2437f0c3107d56b440c4ac16fcdae.jpg)
ブックマックスと同様の色使いで「マ」だけ赤文字。でも、こちらは日本語表記で間に「・(中黒)」が入る。しかも独特の書体。
アパート名にありがちな「ハイツマックス」「コーポマックス」とかでなく、「ハウス」にしたのが少々珍しい。
さらに、下にある管理者名の表示。
なんとブックマックスのロゴマークと「BOOK・MAX(中黒が入る)」!
カットした下には、電話番号が書かれているが、営業していた頃のブックマックスと同じ。
どうも、「株式会社ブックマックス」という企業が存在するらしい。
つまり、書店を廃業した後も、ハウスマックスを管理する会社として、「ブックマックス」の名前は今も残っているということのようだ。
大学生協は、以前からアパート仲介の不動産業をやっていたが、2000年以降、アパートの管理受託にも力を入れるようになった。該当アパートには壁面にその旨の表示板(秋大も弘大も同じデザイン)が設置されているが、ハウスマックスにはなさそうだった。仲介は生協でもやっている。
まとめると、
・ハウスマックスのほか、かつてはブックマックス、カフェマックスも、同じ一角にあった。
・マックス群は、昭和末期(ブックマックスは1983年より後、ハウスマックスは1988年)にできた。
・現在はハウスマックスだけが残っているが、ブックマックスも企業としては存続し、ハウスマックスを管理しているらしい。
といったところ。
あと気になるのが、これら各マックスができる前は、何があったのか。
1975(昭和50)年、1982(昭和57)年の航空写真を見てみた。既に現在並みに家が多く建っているが、後にマックス群となる敷地には、大型の建物と家ではない箱状の物体が並んでいた。おそらく製材所。
敷地は広い通り側と狭い通り側で一体化しているようで、できあがった板を狭い道側(現・ハウスマックス)に積み上げていたように見える。
実際はどうだったのだろう。
大学を挟んで反対側のバカヤローカーブや寒沢スキー場ほどのインパクトはないけれど、「マックス集中地帯」も、弘前大学周辺では特徴的な場所ではないだろうか。
狭い道の話題は続く。