報道やネットの受け売りですが、久しぶりに弘前の話題。
昨年後半から今春にかけて、市内で4つの店が営業をやめた。うち3つは中心市街地の土手町。
いずれも当ブログではこれまで明確に取り上げたことはなく、写真も撮影していない。それほど、弘前の街に溶けこんだ、あって当然のものであった。
●一戸時計店
中土手町の新しい大きい交差点、昨年夏にハッピー・ドラッグがオープンした向かいに「一戸時計店」があった。
その建物が有名で、観光名所(外観のみ)であった。
明治30年に建てられた(大正9年までは別の店)、赤いトンガリ屋根(円錐形)の小さな時計台で、ささやかながら街のシンボルであった。
(再掲)手前のメガネ屋の隣にトンガリ屋根の先端がちょっとだけ見える。奥の巨大構造物は中三
閉店は2018年10月だそうだが、陸奥新報で報道されたのが今年3月22日で、そこで広く知られたようだ。
店主が亡くなって後継者がいないためだそうで、今はシャッターが下りたままで時計は動いているようだ。
陸奥新報では「家族と商店街関係者は「建物を何とか残したい」と保存、活用の方策を探っている。」としている。
なお、2013年1月20日には、車同士の衝突事故のはずみで、1台が店舗に突っこんでくるという被害(けが人なし)を受けている。
【2019年8月2日追記】2019年8月から2020年春まで、近くで工事中の「弘前れんが倉庫美術館」の開館準備室の事務所が入居することになり、久々にシャッターが上がることになった。
【2021年7月23日追記】中土手町商店街振興組合の事務所として使うことが決まった。老朽化しているので2022年秋にも改修を行う予定。2021年7月時点ではシャッターは下りているものの、時計は動いている。
【2022年12月7日追記】改修を終え、2022年12月5日から中土手町商店街振興組合事務所としてオープン。時計は一時期止まってしまったが、補助金、クラウドファンディング、奈良美智Tシャツの売上によって修理された。
●ミニストップ弘大前店
富田大通り、弘前大学文京町地区の向かい、富野町8-2にあった、イオン系列のコンビニが閉店。
2018年11月25日閉店とする情報が多いが、実際には在庫処分が順調で11月22日正午に繰り上げて閉店した。
さっそく解体されて更地になったらしい。年越しで行った時にバスで通っているのに、気づけなかった。
店舗名は略した「弘大前店」が正式。
弘前大学文京町地区の正門は、敷地のどちらかと言えば隅にある。
ミニストップがあったのは、大学敷地の中央付近、人文学部と理工学部の間=文京町1番地と3番地をへだてる市道が大通りと交わる所。
信号機のない横断歩道を渡らないとならないものの、学内からの買い物場所としては、大学生協と並ぶ便利な立地で、「弘大前」でも差し支えないだろう。
開店当初は、大学敷地1番地側からは遠回りだったが、2000年代に大通りから人文学部裏の自転車置き場に出入りできる口が設置されたので、便利になったかも(別にミニストップのための出入り口じゃないけど)。
開店は、僕が在学中だったから、1998年度だと思う。
弘前市内のミニストップとしては初期の出店だったと思うが、青森市などには既に多かったそうだ。
「ソフトクリームがおいしい」と話題になり、その形の携帯ストラップ(というものも当時目新しかった)をもらって見せびらかす学生もいて、「いつか食べなきゃ」と思いつつ、及び腰で卒業してしまった。
文京町周辺には、他にはスーパーが1つあるがコンビニはない。大学生協では買えない物や時間帯もあるわけで、重宝されていた店だと思っていた。(秋田大学手形キャンパス周辺も、ファミマが1つあるだけ。どちらも需要はありそうだけど…)
青森県内では、ここ何年かでミニストップの閉店が続いているそうで、その一環か。弘前市内には土手町ともう1店しかなくなった。
●スペースイン
下土手町のゲームセンターが今年3月24日閉店。
僕はゲーセンはまったく利用しないので、行ったことはない。場所は中三(なかさん。百貨店)の並びで、20年少し前の大学生には略して「スペイン」と呼ばれていたくらいしか知らない。
3月19日アップの弘前経済新聞と4月7日の陸奥新報が詳しい。以下、出典を「経」「陸」と略記。
どちらも、「スペイン」の略称で親しまれたことを取り上げていて、大学生以外にも通用したようだ。
閉店の告知は3月17日。オープン年は、1989年(経)、1990年(陸)で、1年ズレているが「ゲームセンターの屋号では県内で最も長い歴史を持っていた。」(陸)。ともかく平成時代だけをほぼフルに営業した。
運営は「三珠産業」。本社は駅前のアートホテル弘前シティ・弘前駅前郵便局の向かいで、スペインの姉妹店の位置づけであるゲームセンター「ゲームフェスタミタマ」も併設しており、今後はそちらに集約。
スペイン跡は「同社がテナントビルとして活用」「入居者を待っている」(陸)。
ただし、下土手町で約30年間同じ場所で営業していたわけでもなかった。
・隣接する「したどてスカイパーク」を挟み2店舗で営業をしていたが、2005年に現店舗に移転した。(経)
・2005年には近隣の旧今泉本店ビルを取得し移転した。(陸)
2005年に、2000年に倒産した「今泉本店(という名の書店)」の後に入ったのだった。
でも、両サイトの書き方と、立体駐車場の変遷(2013年に1階は日弘楽器が閉店、ミニストップになった)などもあって、ちょっと分かりづらい。
独自に調べたところ、1995年や1998年頃では、西側(弘前公園寄り)から、
[今泉本店・日弘楽器・スペイン・中三]の並び(略している店もあります)。(経)の「2店舗で営業」というのがよく分からない。
その後、
[移転したスペイン・スカイパーク・元スペイン・中三]となった。
スカイパークの中三側隣の移転前のスペインの建物らしきものは、Googleストリートビューによれば、2014年5月には美容室、2015年8月~2018年は空き店舗になっている。
地図サイトによれば、今泉本店→スペインのビルは「三珠第2ビル」、駅前のゲームフェスタミタマは「三珠ビル」という名のようだ。
●紀伊國屋書店 弘前店
全国チェーンの大手書店。今年5月6日閉店。
弘前経済新聞によれば閉店は3月26日発表、売り場面積は372坪。陸奥新報によれば「約1230平方メートルの売り場面積と15~16万冊の書籍数(雑誌類を含まないのかも?)」。
※ちなみにジュンク堂書店秋田店は「約50万冊(雑誌・コミック含む)」とむしろ多いが、品揃えの違いもあり、単純に冊数での比較はできないと思う。
中土手町の「弘前パークホテル(旧・ホテル法華クラブ弘前店)」が入る「川嶋ビル」1階に、1983年9月22日開店。東北地方では最初の出店(他には仙台店だけ?)。
※以前の記事で、法華クラブのオープン年を間違って記載していました。法華クラブは書店の少し前、同年5月1日開業のようです。ビル自体が新築されたところに、ホテルと書店が新規オープンした形のようです。法華クラブは2000年撤退。
5月8日付陸奥新報では、市民らに惜しまれつつ閉店したことを「県内随一の品ぞろえを誇る書店であるとともに商店街の顔」「「学都弘前」の一翼を担ってきた」「「知の拠点」との別れを惜しむ」といった表現で伝えている。
僕は弘前へ行った当初、「紀伊國屋書店」の何たるかをよく知らず、ただの大きい本屋として入って、「これは秋田の大きな本屋とは格が違う」と圧倒された。
県庁所在地でもない街に、このような書店があるのが弘前という街なのだということを理解した。陸奥新報の表現は大げさではないと思う。
ただ、本は大学生協で割引きで買えたし、場所的に近くもないので、頻繁に利用したわけではない。たまに行く程度。
専門書の品揃え、そして店内の作りや雰囲気は、地元資本の書店や最近の大型書店にはない、独特のものがあった。通路が広いだけでない「余裕」や「重厚感」「威厳」と言っては大げさかもしれないが。
店内の匂いも他の書店とは違うように感じ、見た目よりも重い手押しのガラスドアのゴムがどこかにすれる【23日補足・もしくは ちょうつがいがきしむ】「きゅきゅきゅー」という音も印象的(これはメンテナンスの問題)。
ちょっと謎だったのが、店舗中央のドアを入ると、店内の左右で少し雰囲気が違ったこと。
中央に大きな通路があって、店内はなんとなく分割されており、左が書籍(ハードカバーや文庫)、右が雑誌・コミック・参考書・文具。右の雑誌側は通路がやや狭く窮屈で、レジは左右それぞれにあった。単に売り物の種類が違うためだけではない、見えない壁があるように感じられた。
そして、雑誌側レジのレシートは紀伊國屋ではなく「ブックス弘前」と印字された。袋はどうだったっけ?
この謎が、閉店時の陸奥新報で解決。
ブックス弘前は「地元資本」だったそうだ。
ネット上のわずかな情報を元にすれば、紀伊國屋進出時には、地元書店業界から反発が出たそうで、その緩和策として、雑誌部門を地元資本にして、棲み分け的なことをしたのだろうか。
ブックス弘前は2013年で廃業。以降はレジを1つにして、すべて紀伊國屋直営だったとのこと。
陸奥新報ではその引き受けが「分野的にインターネット販売や電子書籍の普及の影響が大きく」閉店につながったようにも書いている。
ただ、紀伊国屋書店では、大分店や宇都宮店の閉店も決まっており、昨今の本を取り巻く状況も鑑みれば、弘前だけが特殊な事情で閉店になったのではないだろう。むしろよくぞここまで持った。
これにより、弘前市街地から路面店の大きな書店はなくなったのだろう。近くの中三の上には、2012年進出のジュンク堂書店がある。
川嶋ビル1階がどうなるのかも注目。※2020年正月の状況。
昨年後半から今春にかけて、市内で4つの店が営業をやめた。うち3つは中心市街地の土手町。
いずれも当ブログではこれまで明確に取り上げたことはなく、写真も撮影していない。それほど、弘前の街に溶けこんだ、あって当然のものであった。
●一戸時計店
中土手町の新しい大きい交差点、昨年夏にハッピー・ドラッグがオープンした向かいに「一戸時計店」があった。
その建物が有名で、観光名所(外観のみ)であった。
明治30年に建てられた(大正9年までは別の店)、赤いトンガリ屋根(円錐形)の小さな時計台で、ささやかながら街のシンボルであった。

閉店は2018年10月だそうだが、陸奥新報で報道されたのが今年3月22日で、そこで広く知られたようだ。
店主が亡くなって後継者がいないためだそうで、今はシャッターが下りたままで時計は動いているようだ。
陸奥新報では「家族と商店街関係者は「建物を何とか残したい」と保存、活用の方策を探っている。」としている。
なお、2013年1月20日には、車同士の衝突事故のはずみで、1台が店舗に突っこんでくるという被害(けが人なし)を受けている。
【2019年8月2日追記】2019年8月から2020年春まで、近くで工事中の「弘前れんが倉庫美術館」の開館準備室の事務所が入居することになり、久々にシャッターが上がることになった。
【2021年7月23日追記】中土手町商店街振興組合の事務所として使うことが決まった。老朽化しているので2022年秋にも改修を行う予定。2021年7月時点ではシャッターは下りているものの、時計は動いている。
【2022年12月7日追記】改修を終え、2022年12月5日から中土手町商店街振興組合事務所としてオープン。時計は一時期止まってしまったが、補助金、クラウドファンディング、奈良美智Tシャツの売上によって修理された。
●ミニストップ弘大前店
富田大通り、弘前大学文京町地区の向かい、富野町8-2にあった、イオン系列のコンビニが閉店。
2018年11月25日閉店とする情報が多いが、実際には在庫処分が順調で11月22日正午に繰り上げて閉店した。
さっそく解体されて更地になったらしい。年越しで行った時にバスで通っているのに、気づけなかった。
店舗名は略した「弘大前店」が正式。
弘前大学文京町地区の正門は、敷地のどちらかと言えば隅にある。
ミニストップがあったのは、大学敷地の中央付近、人文学部と理工学部の間=文京町1番地と3番地をへだてる市道が大通りと交わる所。
信号機のない横断歩道を渡らないとならないものの、学内からの買い物場所としては、大学生協と並ぶ便利な立地で、「弘大前」でも差し支えないだろう。
開店当初は、大学敷地1番地側からは遠回りだったが、2000年代に大通りから人文学部裏の自転車置き場に出入りできる口が設置されたので、便利になったかも(別にミニストップのための出入り口じゃないけど)。
開店は、僕が在学中だったから、1998年度だと思う。
弘前市内のミニストップとしては初期の出店だったと思うが、青森市などには既に多かったそうだ。
「ソフトクリームがおいしい」と話題になり、その形の携帯ストラップ(というものも当時目新しかった)をもらって見せびらかす学生もいて、「いつか食べなきゃ」と思いつつ、及び腰で卒業してしまった。
文京町周辺には、他にはスーパーが1つあるがコンビニはない。大学生協では買えない物や時間帯もあるわけで、重宝されていた店だと思っていた。(秋田大学手形キャンパス周辺も、ファミマが1つあるだけ。どちらも需要はありそうだけど…)
青森県内では、ここ何年かでミニストップの閉店が続いているそうで、その一環か。弘前市内には土手町ともう1店しかなくなった。
●スペースイン
下土手町のゲームセンターが今年3月24日閉店。
僕はゲーセンはまったく利用しないので、行ったことはない。場所は中三(なかさん。百貨店)の並びで、20年少し前の大学生には略して「スペイン」と呼ばれていたくらいしか知らない。
3月19日アップの弘前経済新聞と4月7日の陸奥新報が詳しい。以下、出典を「経」「陸」と略記。
どちらも、「スペイン」の略称で親しまれたことを取り上げていて、大学生以外にも通用したようだ。
閉店の告知は3月17日。オープン年は、1989年(経)、1990年(陸)で、1年ズレているが「ゲームセンターの屋号では県内で最も長い歴史を持っていた。」(陸)。ともかく平成時代だけをほぼフルに営業した。
運営は「三珠産業」。本社は駅前のアートホテル弘前シティ・弘前駅前郵便局の向かいで、スペインの姉妹店の位置づけであるゲームセンター「ゲームフェスタミタマ」も併設しており、今後はそちらに集約。
スペイン跡は「同社がテナントビルとして活用」「入居者を待っている」(陸)。
ただし、下土手町で約30年間同じ場所で営業していたわけでもなかった。
・隣接する「したどてスカイパーク」を挟み2店舗で営業をしていたが、2005年に現店舗に移転した。(経)
・2005年には近隣の旧今泉本店ビルを取得し移転した。(陸)
2005年に、2000年に倒産した「今泉本店(という名の書店)」の後に入ったのだった。
でも、両サイトの書き方と、立体駐車場の変遷(2013年に1階は日弘楽器が閉店、ミニストップになった)などもあって、ちょっと分かりづらい。
独自に調べたところ、1995年や1998年頃では、西側(弘前公園寄り)から、
[今泉本店・日弘楽器・スペイン・中三]の並び(略している店もあります)。(経)の「2店舗で営業」というのがよく分からない。
その後、
[移転したスペイン・スカイパーク・元スペイン・中三]となった。
スカイパークの中三側隣の移転前のスペインの建物らしきものは、Googleストリートビューによれば、2014年5月には美容室、2015年8月~2018年は空き店舗になっている。
地図サイトによれば、今泉本店→スペインのビルは「三珠第2ビル」、駅前のゲームフェスタミタマは「三珠ビル」という名のようだ。
●紀伊國屋書店 弘前店
全国チェーンの大手書店。今年5月6日閉店。
弘前経済新聞によれば閉店は3月26日発表、売り場面積は372坪。陸奥新報によれば「約1230平方メートルの売り場面積と15~16万冊の書籍数(雑誌類を含まないのかも?)」。
※ちなみにジュンク堂書店秋田店は「約50万冊(雑誌・コミック含む)」とむしろ多いが、品揃えの違いもあり、単純に冊数での比較はできないと思う。
中土手町の「弘前パークホテル(旧・ホテル法華クラブ弘前店)」が入る「川嶋ビル」1階に、1983年9月22日開店。東北地方では最初の出店(他には仙台店だけ?)。
※以前の記事で、法華クラブのオープン年を間違って記載していました。法華クラブは書店の少し前、同年5月1日開業のようです。ビル自体が新築されたところに、ホテルと書店が新規オープンした形のようです。法華クラブは2000年撤退。
5月8日付陸奥新報では、市民らに惜しまれつつ閉店したことを「県内随一の品ぞろえを誇る書店であるとともに商店街の顔」「「学都弘前」の一翼を担ってきた」「「知の拠点」との別れを惜しむ」といった表現で伝えている。
僕は弘前へ行った当初、「紀伊國屋書店」の何たるかをよく知らず、ただの大きい本屋として入って、「これは秋田の大きな本屋とは格が違う」と圧倒された。
県庁所在地でもない街に、このような書店があるのが弘前という街なのだということを理解した。陸奥新報の表現は大げさではないと思う。
ただ、本は大学生協で割引きで買えたし、場所的に近くもないので、頻繁に利用したわけではない。たまに行く程度。
専門書の品揃え、そして店内の作りや雰囲気は、地元資本の書店や最近の大型書店にはない、独特のものがあった。通路が広いだけでない「余裕」や「重厚感」「威厳」と言っては大げさかもしれないが。
店内の匂いも他の書店とは違うように感じ、見た目よりも重い手押しのガラスドアのゴムがどこかにすれる【23日補足・もしくは ちょうつがいがきしむ】「きゅきゅきゅー」という音も印象的(これはメンテナンスの問題)。
ちょっと謎だったのが、店舗中央のドアを入ると、店内の左右で少し雰囲気が違ったこと。
中央に大きな通路があって、店内はなんとなく分割されており、左が書籍(ハードカバーや文庫)、右が雑誌・コミック・参考書・文具。右の雑誌側は通路がやや狭く窮屈で、レジは左右それぞれにあった。単に売り物の種類が違うためだけではない、見えない壁があるように感じられた。
そして、雑誌側レジのレシートは紀伊國屋ではなく「ブックス弘前」と印字された。袋はどうだったっけ?
この謎が、閉店時の陸奥新報で解決。
ブックス弘前は「地元資本」だったそうだ。
ネット上のわずかな情報を元にすれば、紀伊國屋進出時には、地元書店業界から反発が出たそうで、その緩和策として、雑誌部門を地元資本にして、棲み分け的なことをしたのだろうか。
ブックス弘前は2013年で廃業。以降はレジを1つにして、すべて紀伊國屋直営だったとのこと。
陸奥新報ではその引き受けが「分野的にインターネット販売や電子書籍の普及の影響が大きく」閉店につながったようにも書いている。
ただ、紀伊国屋書店では、大分店や宇都宮店の閉店も決まっており、昨今の本を取り巻く状況も鑑みれば、弘前だけが特殊な事情で閉店になったのではないだろう。むしろよくぞここまで持った。
これにより、弘前市街地から路面店の大きな書店はなくなったのだろう。近くの中三の上には、2012年進出のジュンク堂書店がある。
川嶋ビル1階がどうなるのかも注目。※2020年正月の状況。