秋田市川元松丘町(広域な地域名としても、市民の感覚としても「川尻」地区)にある、いわゆる秋田市立病院。正式には「市立秋田総合病院」。
起源は1927(昭和2)年までさかのぼり、その翌1928年から現在地にあるらしい。川尻村は1926年に秋田市に編入されたばかり。
9月末の秋田魁新報のスリバチ学会の人の連載によれば、当初は、伝染病患者を隔離する「避病院」であり(こまごめピペット発祥の都立駒込病院も同じ)、川尻村に病院を置くことを条件に、秋田市への合併を認めたのだとか(細かい言い回しはうろ覚えです)。
その後、川尻は人口が増えて秋田市街地の一部となり、市立病院は秋田市を代表する総合病院の1つとなった。日赤病院が郊外移転したこの20年では、秋田市中央地域にある総合病院は、市立と中通総合病院の2つだけ。【8日・旧脳研(秋田県立循環器・脳脊髄センター)は、大規模ではあるが診療科目からすれば総合病院とは違うのだと思う。】
なお、かつては地方公営企業であったが、2014年に「地方独立行政法人」へ移行している。4つあった秋田市の公営企業は、交通とガスは民間移管したので、今は上下水道事業のみ。
僕は、市立病院にはかかったことも、見舞いに行ったこともなく、建物を外から眺めるだけだった。時折前を通ったり、遠方から眺める程度だが、その建物には親しみがあった。
子どもの頃、新しい建物ができて、その存在を認識し(それ以前の建物は記憶がない)、ハーフミラー(?)も用いられた都会的なビル然とした建物の形状と、茶色いレンガ風の外壁(秋田空港などもそうで、当時の流行りの設計だろう【9日追記・そのほか平安閣(改装済み)、秋田キャッスルホテル、北都ビルディング等々も似ている】)がかっこよく感じていた。1984年10月開院とのこと。
【9日追記・コメントで教えていただいたが、1983年にできた函館市役所の庁舎によく似ている。】
そんな市立病院も、2019年から建て替え(全面改築)が行われていた。
まだ新しい病院なのに…と思いかけてしまうが、38年も経って医療業界も変化が著しいだろうし、何より、秋田市内の他の総合病院は、この20数年でいずれも新しい建物に代わっている。市立病院がいちばん古い建物になってしまっていたはず。
敷地内南側の駐車場だった場所に建設。現在地で3代目ということになるのだろうか、新しい病院は、2022年10月1日に開院した。
市立病院の敷地は、西側を広めで交通量がある市道が通っている。新屋西線のバス通りで「市立病院西口」バス停がある。以前の建物では裏口で、救急車はこちらに入る。
東側には、県道56号(広義では新国道)からつながる、そこそこ広さの市道が突き当たる。そこが病院の正面。突き当たった市道はとても狭くなって左右(南北)に続くのだが、ここを割山線が通る。バス停は「市立病院前」。
県道56号の交差点は「市立病院前」。350メートルほど離れているのだけど。
2002年3月。交差点東・割山線下りが通る寺町側の一方通行路から
市立病院前交差点やそこに続く寺町側から見ると、まっすぐ突き当たりに、先代市立病院がそびえていた。(上写真では電柱で隠れてしまっているけれど)真正面が見え、左右対称のカキッとしたスタイルに、上から下まで連続するガラスが輝いていた。
そこの現在の風景。
割山線上りは、左折して県道→長崎屋バスターミナル→寺町
旧病院の前に、低層の新しい病院の建物ができていて、旧病院の下側が隠れてしまっている。
新しい病院の本体は、南側だから、この位置から見ると左。引くと、
手前の建物に隠れて、頭だけ見える
近くから。
新旧
新しいほうも東側が正面のようだが、突き当りでなく狭い道なので、正面からきちんと見るのは難しい。【8日訂正・新病院は、旧病院の前の低層の建物が出入り口(そこに東西両側から入る?)のようだが、北側が正面になるような感じもする。旧病院の解体が終わっていない現段階では、よく分からない。】
新しい病院の第一印象は「デカい!」。以前の建物も大きいと思っていたが、並んでしまうとちっぽけに見えてしまう。
旧病院は8階建て(正面側は連続ガラスで数えづらい)、新病院は13階建て。
反対側、南西角から
旧病院は正面から見える幅(南北方向)が狭く、上の写真で見える、奥行き=東西方向は長かった。新病院のそれよりも長い。そうしたことが分かるこちら側から見ると、正面側ほど新旧の大きさの違いは感じないかも。
新しい病院は、東西・南北とも同じくらいの長さ。デザインも、特に上階はどの面も同じようだ。
新しい病院も茶色系統の外壁で、特に4階くらいまでの下側は旧病院とよく似た色合い。
旧病院西面
西側北寄りには、本体と同じ壁ながら窓がない建物。塀も外壁と同じだ。
北側・川元松丘町街区公園越しに
隣の川元松丘町街区公園の一部が、工事用地に使われている。
旧病院は11月頃から解体が本格化し、跡に病院の駐車場ができるとのこと。
起源は1927(昭和2)年までさかのぼり、その翌1928年から現在地にあるらしい。川尻村は1926年に秋田市に編入されたばかり。
9月末の秋田魁新報のスリバチ学会の人の連載によれば、当初は、伝染病患者を隔離する「避病院」であり(こまごめピペット発祥の都立駒込病院も同じ)、川尻村に病院を置くことを条件に、秋田市への合併を認めたのだとか(細かい言い回しはうろ覚えです)。
その後、川尻は人口が増えて秋田市街地の一部となり、市立病院は秋田市を代表する総合病院の1つとなった。日赤病院が郊外移転したこの20年では、秋田市中央地域にある総合病院は、市立と中通総合病院の2つだけ。【8日・旧脳研(秋田県立循環器・脳脊髄センター)は、大規模ではあるが診療科目からすれば総合病院とは違うのだと思う。】
なお、かつては地方公営企業であったが、2014年に「地方独立行政法人」へ移行している。4つあった秋田市の公営企業は、交通とガスは民間移管したので、今は上下水道事業のみ。
僕は、市立病院にはかかったことも、見舞いに行ったこともなく、建物を外から眺めるだけだった。時折前を通ったり、遠方から眺める程度だが、その建物には親しみがあった。
子どもの頃、新しい建物ができて、その存在を認識し(それ以前の建物は記憶がない)、ハーフミラー(?)も用いられた都会的なビル然とした建物の形状と、茶色いレンガ風の外壁(秋田空港などもそうで、当時の流行りの設計だろう【9日追記・そのほか平安閣(改装済み)、秋田キャッスルホテル、北都ビルディング等々も似ている】)がかっこよく感じていた。1984年10月開院とのこと。
【9日追記・コメントで教えていただいたが、1983年にできた函館市役所の庁舎によく似ている。】
そんな市立病院も、2019年から建て替え(全面改築)が行われていた。
まだ新しい病院なのに…と思いかけてしまうが、38年も経って医療業界も変化が著しいだろうし、何より、秋田市内の他の総合病院は、この20数年でいずれも新しい建物に代わっている。市立病院がいちばん古い建物になってしまっていたはず。
敷地内南側の駐車場だった場所に建設。現在地で3代目ということになるのだろうか、新しい病院は、2022年10月1日に開院した。
市立病院の敷地は、西側を広めで交通量がある市道が通っている。新屋西線のバス通りで「市立病院西口」バス停がある。以前の建物では裏口で、救急車はこちらに入る。
東側には、県道56号(広義では新国道)からつながる、そこそこ広さの市道が突き当たる。そこが病院の正面。突き当たった市道はとても狭くなって左右(南北)に続くのだが、ここを割山線が通る。バス停は「市立病院前」。
県道56号の交差点は「市立病院前」。350メートルほど離れているのだけど。
2002年3月。交差点東・割山線下りが通る寺町側の一方通行路から
市立病院前交差点やそこに続く寺町側から見ると、まっすぐ突き当たりに、先代市立病院がそびえていた。(上写真では電柱で隠れてしまっているけれど)真正面が見え、左右対称のカキッとしたスタイルに、上から下まで連続するガラスが輝いていた。
そこの現在の風景。
割山線上りは、左折して県道→長崎屋バスターミナル→寺町
旧病院の前に、低層の新しい病院の建物ができていて、旧病院の下側が隠れてしまっている。
新しい病院の本体は、南側だから、この位置から見ると左。引くと、
手前の建物に隠れて、頭だけ見える
近くから。
新旧
新しいほうも
新しい病院の第一印象は「デカい!」。以前の建物も大きいと思っていたが、並んでしまうとちっぽけに見えてしまう。
旧病院は8階建て(正面側は連続ガラスで数えづらい)、新病院は13階建て。
反対側、南西角から
旧病院は正面から見える幅(南北方向)が狭く、上の写真で見える、奥行き=東西方向は長かった。新病院のそれよりも長い。そうしたことが分かるこちら側から見ると、正面側ほど新旧の大きさの違いは感じないかも。
新しい病院は、東西・南北とも同じくらいの長さ。デザインも、特に上階はどの面も同じようだ。
新しい病院も茶色系統の外壁で、特に4階くらいまでの下側は旧病院とよく似た色合い。
旧病院西面
西側北寄りには、本体と同じ壁ながら窓がない建物。塀も外壁と同じだ。
北側・川元松丘町街区公園越しに
隣の川元松丘町街区公園の一部が、工事用地に使われている。
旧病院は11月頃から解体が本格化し、跡に病院の駐車場ができるとのこと。