秋田地区701系電車30周年シリーズ(?)。前回の帯と座席の色に続いて、コメント欄でも話題になった行き先表示。
現在は、側面と、正面(前と後ろ)に、LED式の表示器がある。
しかし、登場時は、側面はLEDでなく、印字したフィルムを内側から蛍光灯で照らす“方向幕”。さらに正面は、行き先でなく「普通」「快速」など列車種別を表示する“種別幕”であった。
LEDに変わったのは2010年前後に、数年かけて順次。
Wikipediaなどには、(走行用の)機器更新工事に合わせて、行き先表示も交換されたと書かれているが、実際には、必ずしも同時施工ではなかったような気がする。
(再掲)701系側面のLED表示器
正面については、少々複雑な変遷があるので後回しにして、今回は、側面について。
方向幕表示器。2010年1月撮影「新屋」
2009年4月「羽後本荘」
701系が登場した1990年代半ばでは、鉄道もバスも、行き先表示はLEDはなく幕式が主流。秋田地区では、特急電車や寝台車は幕式表示だったが、普通列車は、行き先を書いた板を手で抜き差しする「サボ(サイドボード)」だった。というか、2021年まで残っていたキハ40系もそうだったけど…
701系に方向幕が採用されたことで、都会的になったというか、やっと人並み(?)になったと思った。
表示機のサイズや、文字が“国鉄書体”なのは、当時のJR東日本標準。京浜東北線209系電車も同じ。
ただ、その数が問題。
秋田の701系は2両編成と3両編成があるが、側面表示器が設置されているのは、青森側の先頭車であるクモハ701形の後方・パンタグラフ付近のみ(もちろん両側面に1台ずつ)。
サボ時代は、1両片側に1か所ずつ表示されていたのが、2両か3両に1か所に減らされた。当時は、前後にも行き先表示がなかったのだから、(併結しない多くのダイヤで)電車1本につき1か所しか行き先が示されない。2両編成では、ほぼ中間だからまあいいとして、3両編成では足りない。ケチっている。※表示の切り替えは、何台あっても一括で変更できる。
ホームや車内で、居合わせた客に「これは◯◯行きですか?」と尋ねる人が、ちらほらいた。
前後にも行き先が表示されるようになった現在は、おおむね問題なくなったと思っているが、前後は日本語のみの表示なので、多少難ありか。
以下は、秋田地区701系方向幕コレクション。枠からズレている表示は、幕回しの途中を撮影したため。
2013年3月「蟹田」
2009年4月「碇ケ関」
いかりがせきの「が」は、地名(旧村名)は「碇ヶ関」、JRの駅名は「碇ケ関」が正式で、「ケ」の大小が異なる。方向幕は若干小さいか?
多くの鉄道・バスでも同様だが、行き先表示のコマ(1つ1つの表示)は、表示する頻度が高いものもあれば、1日1便など表示の機会が少ないもの、さらには作ってはあるけれど表示する機会がほぼ皆無のものもある。皆無というのは、廃止になった行き先を残しているとか、平常ダイヤで設定はないが臨時便や不通時の折り返し運転などで使うかもしれないもの、将来的にその行き先のダイヤができるかもしれないもの、車両の貸し借りで他地域へ行った時に使うかもしれないもの、などがあろう。LEDならデータを入れておけば済むが、幕だったら、費用をかけて作らないといけないし、コマが多すぎると切り替え(幕回し)に時間がかかるし、表示器の性能上の限界もある。
JR東日本は金銭的余裕があるためか、秋田の701系には、果たして使うのかどうか疑問なコマも、けっこう含まれていた。東北本線(当時)の「浅虫温泉」「八戸」「快速 八戸」などもあった。浅虫温泉までは定期運用があったようだが、八戸まで行ったことはあったのかな。
2002年11月「快速こまくさ 新庄」
秋田~山形の特急「こまくさ」が、1999年12月の山形新幹線新庄開業時に、秋田~新庄の701系快速となったもの。でも、2002年12月に廃止されてしまった。
2002年11月「快速こよし 酒田/羽後本荘-酒田間普通」【7日補足・普通列車区間を表記したせいで、英字がなくなってしまっている。】
701系登場時は、青森~弘前と、秋田から各方面を結ぶ快速列車が設定され、それぞれ「いわき」、「しらかみ」→「しらゆき」、「かまくら」、「こよし」と愛称もあった。「こよし」は秋田~羽後本荘が運転区間だったが、上の写真のように各駅停車になって酒田へ直通する便もあった【7日補足・他方面でも同様の事例あり】。
その後、減便(各駅停車化)とともに、2002年12月には愛称がない無名快速にされてしまった。
上の2つの快速表示は、廃止・名称消滅直前の撮影。
「快速」と「こまくさ」も国鉄書体。「こよし」は少し違う書体(手書き?)。いずれも英字なし。こよしの「羽後本荘-酒田間普通」は写研ナールか。
ネット上に画像がある、別の時期(=より古いもの?)のものと思われる方向幕では、「快速」は、これも国鉄から継承したのか、カキッとして斜めになった独特な書体(下の画像と同じ文字で、枠なし)で、愛称は写研ゴナらしきゴシック体のものも存在したようだ。
以下、無名化後・方向幕末期の2009年4月撮影の快速。
「快速 新庄」
「快速 羽後本荘」
カキッとして斜めの「快速」を枠で囲む。首都圏と同じ配置か。
ただ、これらの幕が、実際に表示される機会はあっただろうか。旧こよしも、無名化後は下り秋田行きだけになったはずなので。以下同様に、
「快速 象潟」
「快速 酒田」
「快速 鶴岡」
LED化後の快速表示は、
(再掲)やはり「快速」は日本語のみ
正面の表示器では、「快速」と行き先を交互に切り替えて表示する。
また、「ワンマン」については、田沢湖線用や盛岡地区、仙台地区の701系では、幕時代・LED化後とも、行き先と同一画面に表示している。つまり「盛岡」と別に「ワンマン 盛岡」のコマがある。
対して、秋田地区では、正面は、当初、種別幕だった頃には表示していた(続きの記事にて)。しかし、LED化後は表示していない(別に表示灯を使用)。側面では、幕もLEDでも一貫して一切表示していない。
想像するに、秋田地区は運用範囲が広く、ただでさえ行き先が多いのに、それに「ワンマン ◯◯」のコマを作ると、自動巻取り機の限界を超えるコマ数になってしまうのだろうか。
LED化後も表示しないのは、側面は「快速」で赤文字にできるのだから、「ワンマン」を緑文字にもできそうだけど…【7日補足・側面に表示しないのは、単なる前例踏襲か、あるいは秋田支社では側面でのワンマン表示は不要と考えている(田沢湖線は盛岡支社への配慮から表示)のか、どちらかではないだろうか。】
正面は、もしかしたらドット数や文字色の制限があるのかもしれない。ワンマンをLEDで表示すれば、ワンマン表示灯(折りたたみ式で手作業で出し入れする)を廃止して省力化できるのにやっていないということは。
正面の表示について、続く。
現在は、側面と、正面(前と後ろ)に、LED式の表示器がある。
しかし、登場時は、側面はLEDでなく、印字したフィルムを内側から蛍光灯で照らす“方向幕”。さらに正面は、行き先でなく「普通」「快速」など列車種別を表示する“種別幕”であった。
LEDに変わったのは2010年前後に、数年かけて順次。
Wikipediaなどには、(走行用の)機器更新工事に合わせて、行き先表示も交換されたと書かれているが、実際には、必ずしも同時施工ではなかったような気がする。

正面については、少々複雑な変遷があるので後回しにして、今回は、側面について。


701系が登場した1990年代半ばでは、鉄道もバスも、行き先表示はLEDはなく幕式が主流。秋田地区では、特急電車や寝台車は幕式表示だったが、普通列車は、行き先を書いた板を手で抜き差しする「サボ(サイドボード)」だった。というか、2021年まで残っていたキハ40系もそうだったけど…
701系に方向幕が採用されたことで、都会的になったというか、やっと人並み(?)になったと思った。
表示機のサイズや、文字が“国鉄書体”なのは、当時のJR東日本標準。京浜東北線209系電車も同じ。
ただ、その数が問題。
秋田の701系は2両編成と3両編成があるが、側面表示器が設置されているのは、青森側の先頭車であるクモハ701形の後方・パンタグラフ付近のみ(もちろん両側面に1台ずつ)。
サボ時代は、1両片側に1か所ずつ表示されていたのが、2両か3両に1か所に減らされた。当時は、前後にも行き先表示がなかったのだから、(併結しない多くのダイヤで)電車1本につき1か所しか行き先が示されない。2両編成では、ほぼ中間だからまあいいとして、3両編成では足りない。ケチっている。※表示の切り替えは、何台あっても一括で変更できる。
ホームや車内で、居合わせた客に「これは◯◯行きですか?」と尋ねる人が、ちらほらいた。
前後にも行き先が表示されるようになった現在は、おおむね問題なくなったと思っているが、前後は日本語のみの表示なので、多少難ありか。
以下は、秋田地区701系方向幕コレクション。枠からズレている表示は、幕回しの途中を撮影したため。


いかりがせきの「が」は、地名(旧村名)は「碇ヶ関」、JRの駅名は「碇ケ関」が正式で、「ケ」の大小が異なる。方向幕は若干小さいか?
多くの鉄道・バスでも同様だが、行き先表示のコマ(1つ1つの表示)は、表示する頻度が高いものもあれば、1日1便など表示の機会が少ないもの、さらには作ってはあるけれど表示する機会がほぼ皆無のものもある。皆無というのは、廃止になった行き先を残しているとか、平常ダイヤで設定はないが臨時便や不通時の折り返し運転などで使うかもしれないもの、将来的にその行き先のダイヤができるかもしれないもの、車両の貸し借りで他地域へ行った時に使うかもしれないもの、などがあろう。LEDならデータを入れておけば済むが、幕だったら、費用をかけて作らないといけないし、コマが多すぎると切り替え(幕回し)に時間がかかるし、表示器の性能上の限界もある。
JR東日本は金銭的余裕があるためか、秋田の701系には、果たして使うのかどうか疑問なコマも、けっこう含まれていた。東北本線(当時)の「浅虫温泉」「八戸」「快速 八戸」などもあった。浅虫温泉までは定期運用があったようだが、八戸まで行ったことはあったのかな。

秋田~山形の特急「こまくさ」が、1999年12月の山形新幹線新庄開業時に、秋田~新庄の701系快速となったもの。でも、2002年12月に廃止されてしまった。

701系登場時は、青森~弘前と、秋田から各方面を結ぶ快速列車が設定され、それぞれ「いわき」、「しらかみ」→「しらゆき」、「かまくら」、「こよし」と愛称もあった。「こよし」は秋田~羽後本荘が運転区間だったが、上の写真のように各駅停車になって酒田へ直通する便もあった【7日補足・他方面でも同様の事例あり】。
その後、減便(各駅停車化)とともに、2002年12月には愛称がない無名快速にされてしまった。
上の2つの快速表示は、廃止・名称消滅直前の撮影。
「快速」と「こまくさ」も国鉄書体。「こよし」は少し違う書体(手書き?)。いずれも英字なし。こよしの「羽後本荘-酒田間普通」は写研ナールか。
ネット上に画像がある、別の時期(=より古いもの?)のものと思われる方向幕では、「快速」は、これも国鉄から継承したのか、カキッとして斜めになった独特な書体(下の画像と同じ文字で、枠なし)で、愛称は写研ゴナらしきゴシック体のものも存在したようだ。
以下、無名化後・方向幕末期の2009年4月撮影の快速。


カキッとして斜めの「快速」を枠で囲む。首都圏と同じ配置か。
ただ、これらの幕が、実際に表示される機会はあっただろうか。旧こよしも、無名化後は下り秋田行きだけになったはずなので。以下同様に、



LED化後の快速表示は、

正面の表示器では、「快速」と行き先を交互に切り替えて表示する。
また、「ワンマン」については、田沢湖線用や盛岡地区、仙台地区の701系では、幕時代・LED化後とも、行き先と同一画面に表示している。つまり「盛岡」と別に「ワンマン 盛岡」のコマがある。
対して、秋田地区では、正面は、当初、種別幕だった頃には表示していた(続きの記事にて)。しかし、LED化後は表示していない(別に表示灯を使用)。側面では、幕もLEDでも一貫して一切表示していない。
想像するに、秋田地区は運用範囲が広く、ただでさえ行き先が多いのに、それに「ワンマン ◯◯」のコマを作ると、自動巻取り機の限界を超えるコマ数になってしまうのだろうか。
LED化後も表示しないのは、側面は「快速」で赤文字にできるのだから、「ワンマン」を緑文字にもできそうだけど…【7日補足・側面に表示しないのは、単なる前例踏襲か、あるいは秋田支社では側面でのワンマン表示は不要と考えている(田沢湖線は盛岡支社への配慮から表示)のか、どちらかではないだろうか。】
正面は、もしかしたらドット数や文字色の制限があるのかもしれない。ワンマンをLEDで表示すれば、ワンマン表示灯(折りたたみ式で手作業で出し入れする)を廃止して省力化できるのにやっていないということは。
正面の表示について、続く。