「OHP」をご存知でしょうか。
世代によって認知度が分かれるらしい。知っている世代はほぼ全員知っているはず。
機器の名で、少し前まで学校には必ずあり、企業・団体でもよく使われていた。現在はほぼ使われなくなっている(死蔵はしているかも)。
日本では1960年代頃から広まったらしいが、全国の学校にあまねく配置されたのはもっと後だと思う。宇都宮市の作新学院小学部のサイトには1973年に全教室にOHPを設置したとある。そんな感じで1970年代に普及した雰囲気。団塊の世代が在学中は、まだなかったかもしれない。ただし、卒業後、就職先等で知った人は多いだろう。
下の世代では、昭和生まれ/平成生まれが、知る/知らないの大雑把な境のようだ。地域差はあまりなさそう。
そんなわけで1970年代~2000年頃が、OHPの全盛期だったようだ。
OHPとは「Overhead projector(オーバー・ヘッド・プロジェクター)」。
なお、OHPは知っていても、何の略かは知らない人も少なくないようだ。
プロジェクターの一種なのだが、基本的には映写機などとは違う見た目をしていて、知らない人は、プロジェクターと分からないかもしれない。
OHPは、写真とか動画ではなく、透明なシート(※)に記した文字や絵を、投影する装置。授業・講習やプレゼンテーションに重宝された。
学校教育向けには、教科書に連動した資料を印刷したシートや、エンジンの構造と動きを説明するような動く指導用教材も発売されていたようだ。
【30日追記・コメント欄のように、動くパーツを使って、子ども向けのお話を、動く紙芝居というか影絵劇のように上演することもあった。】
※無地のOHP専用シートが市販されていた。実態は無色透明の薄いプラスチック。平成に入る頃までは手書きが基本だったはずだが、色ペンを使えばカラー表示できる。【30日補足・OHP用を謳うペンも市販されていたが、油性ペン(細字マジックなど)で代用可能。】
OHPシートは「OHPフィルム」とも呼ばれるほか、「transparent(=透明な)」から「トラペンシート」「トラペン」「トラペ」などと呼ぶこともあったとのこと。業界や組織で、呼び名に偏りはあったと思われる。名残りで、今のプレゼンソフトのファイルや(プリントアウトした?)資料のことも「トラペン/トラペ」と呼ぶ企業や人もいるらしい。
ネット上に手頃なOHPの画像がなかったので、自分でかいてみました。
単純化した典型的なOHP
このほか、進化形のOHPもあるので、後ほど。
ちなみに、どんな絵でもありそうな「かわいいフリー素材集 いらすとや」には、現時点でOHPのイラストはなさそう(ワープロやVHSは掲載)。過去の遺物なのか。
上の絵のようなOHPは、人が両手で抱えてギリギリ持てる程度の箱から、棒(ヘッドアームと呼ぶらしい)が突き出たもの。
箱の中に電球や冷却ファンが入っていて、天面が原稿を載せる平らなガラスの台=ステージ(コピー機の原稿台のような感じ。絵の黄色い部分)。電源コードが出る。
アームの上のほうに、台の原稿をスクリーンへ反射するミラー(やレンズ?)が付く。
下からの光と原稿の像が、ミラーで90度前方のスクリーンに投影される、みたいな構造。
話者が説明する時、スクリーン(に映った像)ではなく、プロジェクターに置いた原稿を指し示しながら、(スクリーンを背にして)聴衆のほうを向いて話できるということで、Overhead。
説明しながら原稿を指し示すだけでなく、その場でペンで書きこんだり、複数のシートを重ねたりもでき、当時としては画期的なプレゼンテーションツール(という言葉はなかったけど)だったようだ。
2000年代になると、書画カメラ(OHPと通ずる点はある)や、PowerPointなどプレゼンテーションソフト、パソコンと直結したプロジェクターや電子黒板が出現。その普及でOHPの役目は終わった。
ただ、プロジェクターや電子黒板だと、基本的に指し示す時は画面を向いてやらないとならず、Overheadではない。レーザーポインターも普及した。Overheadはそれほど要求される条件ではないのか。また、Lifehacking.jpの「いまでも参考になる OHP 時代のプレゼンの「ダメ」な例」では、OHPであってもスクリーンのほうを指し示すべしとしているように読める。この辺は分野の慣習や流派・流儀のようなのもあって、見解は分かれそう。
以下、OHPの思い出を織り混ぜつつ。
OHPに出会ったのは小学校。
1980年代の秋田市立の小学校では、各教室の前(正面の黒板と重なる位置だったか、その横だったか?)に、スクリーンが備え付けられていた。【2022年7月5日言葉足らずだったので補足・スクリーンは巻取り式で、教室の天井に取り付けられていた。それに引っ掛けて下ろすための、金属製のフック付きの棒も、各教室に配備されていた。】
OHPの機械は、全クラス分ではないがけっこうな台数あった。どこかのクラスに置きっぱなしにして、ほかのクラスが借りに来ることもあった。
Wikipediaのオーバーヘッドプロジェクタの項に、
「金属製の頑丈なキャビネットを兼ねた台の上に乗せて利用する。使わないときは、キャビネットの中に入れて施錠することで高価なOHPの破損や盗難を防ぐことが出来る。」とある。
小学校ではたしかにキャビネットとOHPがセットだったと思うが、中に入れずに、上に載せて、ビニールカバーをかけて、教室前の廊下に置くこともあったはず。重くてガラスで危なそうだけど、やんちゃな子が抱きついてひっくり返すようなことは、ありそうでなかったのか。
小学校のOHPは違うメーカーのものが何種類かあったが、機能は変わらないはず。
内田洋行(1976年制定の「UCHIDA」ロゴ)やOEMだろうけど学研(当時はブランド名で社名は学習研究社)のもあった。
1つだけちょっと変わったのがあった(内田のだったか)。メイン電源を入/切すると、「チーン」とベルが鳴るもの。緑色系統のボディで「Chime」とか書いてあったか。※上のイラストは、これをイメージしました。
電球切れは珍しくないようで、本体に2球をセットし、レバー操作ですぐに交換できるものもあった。
ネットで調べると、リコー、プラス、富士フイルム系列(後述)、3M、理想科学工業、とオフィス用品メーカーなどがOHPに参入していた。キヤノンなんかも作れそうだけど、同社は未参入っぽい。
小学校にはなかったが、原稿台が上下するズーム機能付き、ヘッドアームが台側に倒れてかさばらずに収納できるものなどもあった。
小学校では、先生にもよるけれど、頻繁・定期的ではなかったが、たまにOHPを使った。
戦前生まれ・当時50歳前後の先生は、1人に1枚ずつシートを配って、好きな絵をかかせて上映会をした。
OHPの名前は先生にも児童にも浸透していた。「オーバーヘッド」と呼ぶ先生も一部いた。
【30日追記】教室で先生が準備している間などに、(スクリーン前もしくはステージ上で)手でキツネやハトの形を作って手影絵する子もいた。あと、校内テレビ放送が試験的に実施された時には、スタジオの照明の代わりとしてOHPを使っていた気がする。
秋田市立中学校は、各教室の前方右側にスクリーンがあったと思う。
OHPは全教室に1台ずつ配備され(テレビはなかったけど)、Wikipediaの通り、台兼用のキャビネットに入って、教室右前に置かれていた。
1年生の時の新採用の英語の先生が熱心に使ったが、それ以外はほとんど使わず、稼働率は小学校より低かった。
技術科でも使ったことがあったようで、スクリーンに向かって説明する生徒を見て、身振りを交えて「OHPってのはな、オーバー、ヘッド、プロジェクターなんだぞ!」と、前を向いて話させたのを記憶している。そこでオーバーヘッドの意味を初めて知った。
斬新だったのが、学級目標の紙製横断幕作成。担任の先生が段取りした。
本の字典(書体見本)から、必要な文字をOHPシートに転写。
黒板に色画用紙を貼って、そこに文字を投影して、輪郭をなぞる。その画用紙を切り抜いて、ほかの紙に貼り付ければ、きれいな活字の横断幕ができあがるというもの。
当時のワープロ専用機やパソコンでは、拡大に耐える文字はまだなかった頃だから、そうするしかなかったのだろう。
字典からシートへの転写方法は、職員室のレーザーコピー機(トナーを使う普通のコピー機)で、シートに複写したはず。こんなツルツルしたものにコピーできるのかと、感心したはず。
でもコピー代やシート代を考えれば、無駄が少なくない。
このやり方は、手がきの看板屋さんが使うことがある(あった)らしい。
【8月2日追記】中学校では可搬式スクリーンとともに体育館へ運んで、学校祭の時にテーマソングの歌詞などを投影したこともあったと思う。小学校の学習発表会でも、同様に使ったような気もする。
秋田県立高校は、貧乏だったのか、1度もお目にもかからなかった。校内どこかに何台かはあって、可搬式スクリーンはあったかもしれないけど。
そして大学。ここで画期的なOHPに出会った。
両開き冷蔵庫、明朝体のリュウミン、マイクロピペット、インクジェットカラープリンター、デジタル・グランドピアノ等々と並んで、これまでの人生で「感動した工業製品」の1つ。
入学早々の授業で、(当時はまだ普通にあった)プリンター一体型・大型液晶画面のワープロ専用機のようなサイズと見た目の、持ち手が付いた機械を持ちこんだ先生がいらした。
それを広げると、
Internet Archive(後述)より
なんとOHPが完成!(広げても、点灯するまで分からなかったかもしれない)
あの抱えなければならない分厚い原稿台部分が、厚さ5センチあるかどうかまでコンパクト化されている。
投影するミラー部分、アームもそれぞれ折りたたむことができ、電源コードは本体に巻き取り収納。
光源やファンは、上のミラー部分へ移されている。原稿の上から光を当てて、反射させる方式のようだ。
このタイプを「ポータブルOHP」と称するようだ。僕は、持ち運べること以前に、分厚いOHPをここまで小さくたためる構造にしたことに感激した。
赤矢印を加筆
たたむ時は、上から順に、ミラーを光源部分へ、光源をアームへそれぞれ収納し、アームをステージまでぴったり倒して、蓋をする。広げる時はその逆。上の写真では、蓋が写っていないことになる。
Wikipediaには、
「超広角ミラーを利用した軽量薄型の機種も存在した。薄型の機種の場合は専用のキャビネットを使わずに、通常の机やレクチャーテーブルなどに置き使用し、使用する箇所に持ち込む事が容易なため、高価なOHPの台数が削減できたり、盗難から守りやすくなる。また、OHPを備えていない会場に持ち込み使うこともできる。 」と記述あり。
なるほど、ミラーがコンパクト化の肝だったのか。でも、光源を下から上へ移すという、発想の転換もポイントなのではないかな。
記述の通りで、大学では講義室ごとの配備ではなく、使う教員が都度、事務局から借りてくる方式。ただ、講義室の机に置くと、スクリーンに比べて低い投影位置になってしまうので、画像がゆがんでしまったり、対策として物を置いてかさ上げしたりしていた。
弘前大学では少なくとも2機種のポータブルOHPが存在し、どちらも「FUJI」ロゴがあった。
教養部(共通教育棟)備品は、まさに上の写真のもので間違いない。薄いグレーのボディで、アームがキリンの首のように斜めに持ち上がる機種【30日補足・アームは片側に寄って取り付けられるので、左右非対称のデザイン】。こちらのほうが新しそう。
農学部備品は、当時のパソコンのようなクリーム色っぽいボディで、アームが面のような作りで、光源部分を2本の細い棒で支える機種【30日補足・左右対称のデザイン】。
調べると、農学部のものは、当時の富士写真フイルム株式会社(現・富士フイルム)の「FUJIX」ブランドで、1985年にグッドデザイン賞を受賞した「フジックス OHP CP-1(13万5000円)」というのがあり、それに似ている。もう少し柔らかい形状だった気もするが、構造は同一。
インターネットアーカイブで、2000年8月17日の富士ゼロックス(今春から富士フイルムビジネスイノベーション)のサイト「商品一覧(http://www.fujixerox.co.jp/product/index.html)」を見ると、OHPが4機種載っていた。上の写真はそこから転載。これら4機種は、2002年2月までは、掲載されているのを確認できた。
分厚い従来型(アームが倒れる)で、ステージが上下するズーム付きZ2が21万8千円(税別。以下同)。
その上位機種で、メタルハライドランプにより「3,200ルクス。明るい部屋でも鮮烈な画面を投影。」を謳うZMが44万8千円。
ヘッドアームをステージの下に内蔵した、液晶プロジェクターと変わらないような姿のM250が24万8千円。
そして、いちばん安い「L2(FUJI XEROX OHP L2)」が、このポータブルで14万5千円。
「ワンアクションでアームアップ。ワンアクションでスペアランプ交換。しかも携帯に優れた軽量・コンパクトなOHP。」
ステージサイズ285×285mm、ハロゲンランプ搭載なのは、従来型のZ2と同じ。
投影距離・拡大率は1.4~3.0m、4~8.5倍。Z2は1.5~6.0m、4.3~16.8倍(最大ズーム時8.6~33.6倍)なので、ポータブルには制約もある。
サイズは幅330×奥行440×高さ545mm(携行時129mm)・6.9kg。Z2は387×584×680mm(アーム収納時264mm)・16.5kg。数値にすると大したことない感じもするが、あの見た目とギミックは衝撃的だった。
さらに、中古品販売サイトなどには「FUJIX OHP CR-1」という、これとそっくりなのも見られた。当時のフジフイルムとゼロックスの棲み分けがよく分からない。
そこでインターネットアーカイブで「富士フイルム ビジネスサプライ株式会社(http://www.fujifilmbusinesssupply.co.jp/OHP/frame-ohp.html)」のサイトを見ると、1997年から2004年まで、CR-1が出ていた。サイズ、重さ、価格はやはりL2と同一。
ゼロックスより詳しい仕様があり、投影方式:反射式(従来形は透過式)、ハロゲンランプ300W、5m自動巻き込み式(コードリール)など。
交換ランプは1個7千円、複写機用フイルムA4判100枚6千円。
結局どっちかは分からないが、FUJI XEROX OHP L2 もしくは FUJIX OHP CR-1 のはず。当時最新機種であり、OHPの最終機種だったかもしれない。
ポータブルOHPも、複数メーカーが製造していた。確認した限りでは、フジと同一デザイン(OEMの可能性がある)のものはない。
グッドデザイン賞では、1984年のリコーの17万9千円が最初。1988年にもリコーが受賞していて9万5千円と低価格化。フジも含めて価格はだいぶ上下している。
内田洋行のサイトには、1997年12月5日「「ウチダ ポータブルOHP HP-300」新発売~3.5kgの軽量・小型OHP(オーバーヘッドプロジェクター)~」というのがあった。かなり軽い。
大学の授業でOHPで投影されるシートは、手書きでなく、ほとんどが資料をコピー機で転写したものだったはず。
大学だからということもあるだろうが、コピー機やOHPシートが、互いに対応するようになったという技術革新なのだと思う。
※昭和60年代の小学校では、レーザーコピー機自体は使われていた。OHP印刷には対応していなかったということかもしれない。
大学の授業では、これまでほぼ見たことがなかった「スライド映写機」を使うこともあった。1コマずつプラスチックの枠にセットされたポジフィルムを投影するもの。
(医学部の教官だったと思うが)今のパワーポイントのように文字や図表を焼き付けたフィルムを用意する人もいた。
写真はそのまま投影でき、画面送り【30日補足・いわゆる「スライドショー」】が容易で決まった順番で表示しやすい(リモコン付きもある)というメリットはある。OHPより輝度は低く、部屋をだいぶ暗くしないと見えない欠点もあった。
【30日追記】事前の設定通りに順送りで表示するスライドショーは、プレゼンソフトでもできるが、OHPではできない。OHPの欠点。
さらに、1990年代後半は、パソコンとインクジェットプリンターが普及した。
OHPシートも、インクジェット対応のものが出回るようになった。これも時代の変化を感じた。※OHP対応シートでも、レーザープリンター用とインクジェットプリンター用は別物で、使い回しは不可。
研究室内でささやかな卒業研究発表会を行った時は、データやグラフはOHPで示すこととされ、研究室のインクジェットプリンターで印刷。それをFUJIXのポータブルOHPで投影して、どうにか発表して、卒業できた。
2000年代以降にテレビで見たのが、演芸の紙切り。
林家二楽師匠が、切った紙をOHPのステージ上で動かしながら、ストーリー性のある作品を上演していたのが斬新だった。切った紙そのものは直接観客に見せない、ある種の影絵劇みたいなもので、本来の紙切り芸とはちょっと違うかもしれないけど。その時は、ポータブルでない普通のOHPを使っていた。
林家正楽師匠など一門全体でも、通常の紙切り作品(観客の注文を受けて切ったもの)を、完成後にOHPで投影して大きく見せることをしているそうだ。
OHPそのものはほぼ消滅してしまったが、上記の通り、書画カメラなど基本的な思想は残っているとも言える。
しかし、透明シート、手書き・コピー機転写・プリンター印刷による原稿作成、電球といった、OHPならではのものは過去のものだろう。
その1つに「トラペンアップ」なるものもあるのですが、これは知らない人が多いでしょう。いずれまた。【2022年7月5日リンク追加・続き記事へのリンクを張り忘れていました。】
【2022年2月6日追記】アニメ「ちびまる子ちゃん」で2005年1月30日に「影絵で遊ぼう」の巻が放送されていた。
次の授業でスライドを見るとして、段ボールっぽい(もしくは木製の)箱に入った「プロジェクター」をどこかから教室へ運んでセットして、休み時間中に手や体を投影して遊ぶ場面から始まる。授業中の場面はなし。
プロジェクターの見かけは、ごく一般的なOHP。スクリーンは、黒板の前に置かれ脚があるので可搬式(運んだ描写はなし)。
1974年度が舞台だが、当時OHPがあってもおかしくはない。
世代によって認知度が分かれるらしい。知っている世代はほぼ全員知っているはず。
機器の名で、少し前まで学校には必ずあり、企業・団体でもよく使われていた。現在はほぼ使われなくなっている(死蔵はしているかも)。
日本では1960年代頃から広まったらしいが、全国の学校にあまねく配置されたのはもっと後だと思う。宇都宮市の作新学院小学部のサイトには1973年に全教室にOHPを設置したとある。そんな感じで1970年代に普及した雰囲気。団塊の世代が在学中は、まだなかったかもしれない。ただし、卒業後、就職先等で知った人は多いだろう。
下の世代では、昭和生まれ/平成生まれが、知る/知らないの大雑把な境のようだ。地域差はあまりなさそう。
そんなわけで1970年代~2000年頃が、OHPの全盛期だったようだ。
OHPとは「Overhead projector(オーバー・ヘッド・プロジェクター)」。
なお、OHPは知っていても、何の略かは知らない人も少なくないようだ。
プロジェクターの一種なのだが、基本的には映写機などとは違う見た目をしていて、知らない人は、プロジェクターと分からないかもしれない。
OHPは、写真とか動画ではなく、透明なシート(※)に記した文字や絵を、投影する装置。授業・講習やプレゼンテーションに重宝された。
学校教育向けには、教科書に連動した資料を印刷したシートや、エンジンの構造と動きを説明するような動く指導用教材も発売されていたようだ。
【30日追記・コメント欄のように、動くパーツを使って、子ども向けのお話を、動く紙芝居というか影絵劇のように上演することもあった。】
※無地のOHP専用シートが市販されていた。実態は無色透明の薄いプラスチック。平成に入る頃までは手書きが基本だったはずだが、色ペンを使えばカラー表示できる。【30日補足・OHP用を謳うペンも市販されていたが、油性ペン(細字マジックなど)で代用可能。】
OHPシートは「OHPフィルム」とも呼ばれるほか、「transparent(=透明な)」から「トラペンシート」「トラペン」「トラペ」などと呼ぶこともあったとのこと。業界や組織で、呼び名に偏りはあったと思われる。名残りで、今のプレゼンソフトのファイルや(プリントアウトした?)資料のことも「トラペン/トラペ」と呼ぶ企業や人もいるらしい。
ネット上に手頃なOHPの画像がなかったので、自分でかいてみました。
単純化した典型的なOHP
このほか、進化形のOHPもあるので、後ほど。
ちなみに、どんな絵でもありそうな「かわいいフリー素材集 いらすとや」には、現時点でOHPのイラストはなさそう(ワープロやVHSは掲載)。過去の遺物なのか。
上の絵のようなOHPは、人が両手で抱えてギリギリ持てる程度の箱から、棒(ヘッドアームと呼ぶらしい)が突き出たもの。
箱の中に電球や冷却ファンが入っていて、天面が原稿を載せる平らなガラスの台=ステージ(コピー機の原稿台のような感じ。絵の黄色い部分)。電源コードが出る。
アームの上のほうに、台の原稿をスクリーンへ反射するミラー(やレンズ?)が付く。
下からの光と原稿の像が、ミラーで90度前方のスクリーンに投影される、みたいな構造。
話者が説明する時、スクリーン(に映った像)ではなく、プロジェクターに置いた原稿を指し示しながら、(スクリーンを背にして)聴衆のほうを向いて話できるということで、Overhead。
説明しながら原稿を指し示すだけでなく、その場でペンで書きこんだり、複数のシートを重ねたりもでき、当時としては画期的なプレゼンテーションツール(という言葉はなかったけど)だったようだ。
2000年代になると、書画カメラ(OHPと通ずる点はある)や、PowerPointなどプレゼンテーションソフト、パソコンと直結したプロジェクターや電子黒板が出現。その普及でOHPの役目は終わった。
ただ、プロジェクターや電子黒板だと、基本的に指し示す時は画面を向いてやらないとならず、Overheadではない。レーザーポインターも普及した。Overheadはそれほど要求される条件ではないのか。また、Lifehacking.jpの「いまでも参考になる OHP 時代のプレゼンの「ダメ」な例」では、OHPであってもスクリーンのほうを指し示すべしとしているように読める。この辺は分野の慣習や流派・流儀のようなのもあって、見解は分かれそう。
以下、OHPの思い出を織り混ぜつつ。
OHPに出会ったのは小学校。
1980年代の秋田市立の小学校では、各教室の前(正面の黒板と重なる位置だったか、その横だったか?)に、スクリーンが備え付けられていた。【2022年7月5日言葉足らずだったので補足・スクリーンは巻取り式で、教室の天井に取り付けられていた。それに引っ掛けて下ろすための、金属製のフック付きの棒も、各教室に配備されていた。】
OHPの機械は、全クラス分ではないがけっこうな台数あった。どこかのクラスに置きっぱなしにして、ほかのクラスが借りに来ることもあった。
Wikipediaのオーバーヘッドプロジェクタの項に、
「金属製の頑丈なキャビネットを兼ねた台の上に乗せて利用する。使わないときは、キャビネットの中に入れて施錠することで高価なOHPの破損や盗難を防ぐことが出来る。」とある。
小学校ではたしかにキャビネットとOHPがセットだったと思うが、中に入れずに、上に載せて、ビニールカバーをかけて、教室前の廊下に置くこともあったはず。重くてガラスで危なそうだけど、やんちゃな子が抱きついてひっくり返すようなことは、ありそうでなかったのか。
小学校のOHPは違うメーカーのものが何種類かあったが、機能は変わらないはず。
内田洋行(1976年制定の「UCHIDA」ロゴ)やOEMだろうけど学研(当時はブランド名で社名は学習研究社)のもあった。
1つだけちょっと変わったのがあった(内田のだったか)。メイン電源を入/切すると、「チーン」とベルが鳴るもの。緑色系統のボディで「Chime」とか書いてあったか。※上のイラストは、これをイメージしました。
電球切れは珍しくないようで、本体に2球をセットし、レバー操作ですぐに交換できるものもあった。
ネットで調べると、リコー、プラス、富士フイルム系列(後述)、3M、理想科学工業、とオフィス用品メーカーなどがOHPに参入していた。キヤノンなんかも作れそうだけど、同社は未参入っぽい。
小学校にはなかったが、原稿台が上下するズーム機能付き、ヘッドアームが台側に倒れてかさばらずに収納できるものなどもあった。
小学校では、先生にもよるけれど、頻繁・定期的ではなかったが、たまにOHPを使った。
戦前生まれ・当時50歳前後の先生は、1人に1枚ずつシートを配って、好きな絵をかかせて上映会をした。
OHPの名前は先生にも児童にも浸透していた。「オーバーヘッド」と呼ぶ先生も一部いた。
【30日追記】教室で先生が準備している間などに、(スクリーン前もしくはステージ上で)手でキツネやハトの形を作って手影絵する子もいた。あと、校内テレビ放送が試験的に実施された時には、スタジオの照明の代わりとしてOHPを使っていた気がする。
秋田市立中学校は、各教室の前方右側にスクリーンがあったと思う。
OHPは全教室に1台ずつ配備され(テレビはなかったけど)、Wikipediaの通り、台兼用のキャビネットに入って、教室右前に置かれていた。
1年生の時の新採用の英語の先生が熱心に使ったが、それ以外はほとんど使わず、稼働率は小学校より低かった。
技術科でも使ったことがあったようで、スクリーンに向かって説明する生徒を見て、身振りを交えて「OHPってのはな、オーバー、ヘッド、プロジェクターなんだぞ!」と、前を向いて話させたのを記憶している。そこでオーバーヘッドの意味を初めて知った。
斬新だったのが、学級目標の紙製横断幕作成。担任の先生が段取りした。
本の字典(書体見本)から、必要な文字をOHPシートに転写。
黒板に色画用紙を貼って、そこに文字を投影して、輪郭をなぞる。その画用紙を切り抜いて、ほかの紙に貼り付ければ、きれいな活字の横断幕ができあがるというもの。
当時のワープロ専用機やパソコンでは、拡大に耐える文字はまだなかった頃だから、そうするしかなかったのだろう。
字典からシートへの転写方法は、職員室のレーザーコピー機(トナーを使う普通のコピー機)で、シートに複写したはず。こんなツルツルしたものにコピーできるのかと、感心したはず。
でもコピー代やシート代を考えれば、無駄が少なくない。
このやり方は、手がきの看板屋さんが使うことがある(あった)らしい。
【8月2日追記】中学校では可搬式スクリーンとともに体育館へ運んで、学校祭の時にテーマソングの歌詞などを投影したこともあったと思う。小学校の学習発表会でも、同様に使ったような気もする。
秋田県立高校は、貧乏だったのか、1度もお目にもかからなかった。校内どこかに何台かはあって、可搬式スクリーンはあったかもしれないけど。
そして大学。ここで画期的なOHPに出会った。
両開き冷蔵庫、明朝体のリュウミン、マイクロピペット、インクジェットカラープリンター、デジタル・グランドピアノ等々と並んで、これまでの人生で「感動した工業製品」の1つ。
入学早々の授業で、(当時はまだ普通にあった)プリンター一体型・大型液晶画面のワープロ専用機のようなサイズと見た目の、持ち手が付いた機械を持ちこんだ先生がいらした。
それを広げると、
Internet Archive(後述)より
なんとOHPが完成!(広げても、点灯するまで分からなかったかもしれない)
あの抱えなければならない分厚い原稿台部分が、厚さ5センチあるかどうかまでコンパクト化されている。
投影するミラー部分、アームもそれぞれ折りたたむことができ、電源コードは本体に巻き取り収納。
光源やファンは、上のミラー部分へ移されている。原稿の上から光を当てて、反射させる方式のようだ。
このタイプを「ポータブルOHP」と称するようだ。僕は、持ち運べること以前に、分厚いOHPをここまで小さくたためる構造にしたことに感激した。
赤矢印を加筆
たたむ時は、上から順に、ミラーを光源部分へ、光源をアームへそれぞれ収納し、アームをステージまでぴったり倒して、蓋をする。広げる時はその逆。上の写真では、蓋が写っていないことになる。
Wikipediaには、
「超広角ミラーを利用した軽量薄型の機種も存在した。薄型の機種の場合は専用のキャビネットを使わずに、通常の机やレクチャーテーブルなどに置き使用し、使用する箇所に持ち込む事が容易なため、高価なOHPの台数が削減できたり、盗難から守りやすくなる。また、OHPを備えていない会場に持ち込み使うこともできる。 」と記述あり。
なるほど、ミラーがコンパクト化の肝だったのか。でも、光源を下から上へ移すという、発想の転換もポイントなのではないかな。
記述の通りで、大学では講義室ごとの配備ではなく、使う教員が都度、事務局から借りてくる方式。ただ、講義室の机に置くと、スクリーンに比べて低い投影位置になってしまうので、画像がゆがんでしまったり、対策として物を置いてかさ上げしたりしていた。
弘前大学では少なくとも2機種のポータブルOHPが存在し、どちらも「FUJI」ロゴがあった。
教養部(共通教育棟)備品は、まさに上の写真のもので間違いない。薄いグレーのボディで、アームがキリンの首のように斜めに持ち上がる機種【30日補足・アームは片側に寄って取り付けられるので、左右非対称のデザイン】。こちらのほうが新しそう。
農学部備品は、当時のパソコンのようなクリーム色っぽいボディで、アームが面のような作りで、光源部分を2本の細い棒で支える機種【30日補足・左右対称のデザイン】。
調べると、農学部のものは、当時の富士写真フイルム株式会社(現・富士フイルム)の「FUJIX」ブランドで、1985年にグッドデザイン賞を受賞した「フジックス OHP CP-1(13万5000円)」というのがあり、それに似ている。もう少し柔らかい形状だった気もするが、構造は同一。
インターネットアーカイブで、2000年8月17日の富士ゼロックス(今春から富士フイルムビジネスイノベーション)のサイト「商品一覧(http://www.fujixerox.co.jp/product/index.html)」を見ると、OHPが4機種載っていた。上の写真はそこから転載。これら4機種は、2002年2月までは、掲載されているのを確認できた。
分厚い従来型(アームが倒れる)で、ステージが上下するズーム付きZ2が21万8千円(税別。以下同)。
その上位機種で、メタルハライドランプにより「3,200ルクス。明るい部屋でも鮮烈な画面を投影。」を謳うZMが44万8千円。
ヘッドアームをステージの下に内蔵した、液晶プロジェクターと変わらないような姿のM250が24万8千円。
そして、いちばん安い「L2(FUJI XEROX OHP L2)」が、このポータブルで14万5千円。
「ワンアクションでアームアップ。ワンアクションでスペアランプ交換。しかも携帯に優れた軽量・コンパクトなOHP。」
ステージサイズ285×285mm、ハロゲンランプ搭載なのは、従来型のZ2と同じ。
投影距離・拡大率は1.4~3.0m、4~8.5倍。Z2は1.5~6.0m、4.3~16.8倍(最大ズーム時8.6~33.6倍)なので、ポータブルには制約もある。
サイズは幅330×奥行440×高さ545mm(携行時129mm)・6.9kg。Z2は387×584×680mm(アーム収納時264mm)・16.5kg。数値にすると大したことない感じもするが、あの見た目とギミックは衝撃的だった。
さらに、中古品販売サイトなどには「FUJIX OHP CR-1」という、これとそっくりなのも見られた。当時のフジフイルムとゼロックスの棲み分けがよく分からない。
そこでインターネットアーカイブで「富士フイルム ビジネスサプライ株式会社(http://www.fujifilmbusinesssupply.co.jp/OHP/frame-ohp.html)」のサイトを見ると、1997年から2004年まで、CR-1が出ていた。サイズ、重さ、価格はやはりL2と同一。
ゼロックスより詳しい仕様があり、投影方式:反射式(従来形は透過式)、ハロゲンランプ300W、5m自動巻き込み式(コードリール)など。
交換ランプは1個7千円、複写機用フイルムA4判100枚6千円。
結局どっちかは分からないが、FUJI XEROX OHP L2 もしくは FUJIX OHP CR-1 のはず。当時最新機種であり、OHPの最終機種だったかもしれない。
ポータブルOHPも、複数メーカーが製造していた。確認した限りでは、フジと同一デザイン(OEMの可能性がある)のものはない。
グッドデザイン賞では、1984年のリコーの17万9千円が最初。1988年にもリコーが受賞していて9万5千円と低価格化。フジも含めて価格はだいぶ上下している。
内田洋行のサイトには、1997年12月5日「「ウチダ ポータブルOHP HP-300」新発売~3.5kgの軽量・小型OHP(オーバーヘッドプロジェクター)~」というのがあった。かなり軽い。
大学の授業でOHPで投影されるシートは、手書きでなく、ほとんどが資料をコピー機で転写したものだったはず。
大学だからということもあるだろうが、コピー機やOHPシートが、互いに対応するようになったという技術革新なのだと思う。
※昭和60年代の小学校では、レーザーコピー機自体は使われていた。OHP印刷には対応していなかったということかもしれない。
大学の授業では、これまでほぼ見たことがなかった「スライド映写機」を使うこともあった。1コマずつプラスチックの枠にセットされたポジフィルムを投影するもの。
(医学部の教官だったと思うが)今のパワーポイントのように文字や図表を焼き付けたフィルムを用意する人もいた。
写真はそのまま投影でき、画面送り【30日補足・いわゆる「スライドショー」】が容易で決まった順番で表示しやすい(リモコン付きもある)というメリットはある。OHPより輝度は低く、部屋をだいぶ暗くしないと見えない欠点もあった。
【30日追記】事前の設定通りに順送りで表示するスライドショーは、プレゼンソフトでもできるが、OHPではできない。OHPの欠点。
さらに、1990年代後半は、パソコンとインクジェットプリンターが普及した。
OHPシートも、インクジェット対応のものが出回るようになった。これも時代の変化を感じた。※OHP対応シートでも、レーザープリンター用とインクジェットプリンター用は別物で、使い回しは不可。
研究室内でささやかな卒業研究発表会を行った時は、データやグラフはOHPで示すこととされ、研究室のインクジェットプリンターで印刷。それをFUJIXのポータブルOHPで投影して、どうにか発表して、卒業できた。
2000年代以降にテレビで見たのが、演芸の紙切り。
林家二楽師匠が、切った紙をOHPのステージ上で動かしながら、ストーリー性のある作品を上演していたのが斬新だった。切った紙そのものは直接観客に見せない、ある種の影絵劇みたいなもので、本来の紙切り芸とはちょっと違うかもしれないけど。その時は、ポータブルでない普通のOHPを使っていた。
林家正楽師匠など一門全体でも、通常の紙切り作品(観客の注文を受けて切ったもの)を、完成後にOHPで投影して大きく見せることをしているそうだ。
OHPそのものはほぼ消滅してしまったが、上記の通り、書画カメラなど基本的な思想は残っているとも言える。
しかし、透明シート、手書き・コピー機転写・プリンター印刷による原稿作成、電球といった、OHPならではのものは過去のものだろう。
その1つに「トラペンアップ」なるものもあるのですが、これは知らない人が多いでしょう。いずれまた。【2022年7月5日リンク追加・続き記事へのリンクを張り忘れていました。】
【2022年2月6日追記】アニメ「ちびまる子ちゃん」で2005年1月30日に「影絵で遊ぼう」の巻が放送されていた。
次の授業でスライドを見るとして、段ボールっぽい(もしくは木製の)箱に入った「プロジェクター」をどこかから教室へ運んでセットして、休み時間中に手や体を投影して遊ぶ場面から始まる。授業中の場面はなし。
プロジェクターの見かけは、ごく一般的なOHP。スクリーンは、黒板の前に置かれ脚があるので可搬式(運んだ描写はなし)。
1974年度が舞台だが、当時OHPがあってもおかしくはない。
先生の方針、教材研究に対する熱心さ、新しもの好き度? も大きいでしょうね。
実は卒論発表で誤字があり、なんとかなるかとカッターで切り取ってみたのですが、線がくっきり出て恥ずかしい思いをしました。
たしかにOHP資料の作成により、鍛えられた面はありそうです。
今は、パワポにより苦労も制限も少なくなり、ダラダラと無駄な資料も多いようで。
>りおさん
OHP衰退期ですね。
簡易な影絵劇、あるいはOHP版動く紙芝居といった感じでしょうか。保育業界などで、そのような使いかたもされたみたいです。
暗くした部屋という非日常空間で、ビデオ上映などでなく生で動かされるストーリーに、子どもたちにとってはお話を聞く楽しみが倍増したかもしれません。パワーポイントでは電子紙芝居になってしまい、同じ雰囲気にはできないでしょう。
小学生のとき、ボランティアの保護者が行っていた「お話し会」で使っていたと思います。
カラーのフィルムで昔話の登場人物なんかを作り、朗読に合わせて動かしたりして「動く絵本」みたいにしていたような。
授業ではほとんど使わなかった気がします。
ただ、中学校なるとパタリとみなくなり、高校でも機会無く大学はワード打ちのレジュメにパワポでした。
フィルムがリサイクルできず、訂正もできないのがきついとこでしょうか。
お笑い芸人では、チコちゃんに叱られるのあの芸人がつかっていたのをみたことが。
ただ、日本人が苦手な「プレゼン」の勉強にはこれはもってこいだと思うのですが。