秋田市中央部、竿燈大通り(県道26号、広義には山王大通り)の北側歩道の西寄り。
先方が山王十字路、車道中央部が中央道路地下トンネル下り口
この数か月、通らないでいたうちに、風景がちょっと変わった。
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以前は、
(再掲)
道路外側の塀が新しくなった。
近年各所で進められている、地震で倒壊する恐れがあって、ということでしょう。
この塀の設置者=道路外側の施設は、お寺「當福寺(当福寺、とうふくじ)」。
お寺の山門は大通りに面さない(小路へ曲がってすぐ)東側で、この塀の向こうはほとんどが墓地。大通りに面する敷地南辺は、130メートルほど塀が続いている。
以前の塀は、横長で大きい、石風のブロックを積み上げたもので、歩道から見て高さ2メートル弱はあったと思う。見る位置や身長にもよるが、中の墓石の頭がちょっと見えるかどうか。
新しい塀は、コンクリート打ちっ放しの建物の壁のような見た目で、低くなった。歩道から墓石に彫られた文字が読めるようになったものもある。
大通りは1970年頃に拡幅されたので、古い塀はその時に設置されたはず。
僕がここを歩くようになってからでも30年。毎日のように通っていた時期もあった。当たり前の景色が初めて変わって、感想はなんか無機質で殺風景になった。
石っぽいものが質素なコンクリートに代わり、それがまだ新しいこともあるが、それだけではない。
まず、工事の支障だったのだろう、墓地内塀際にあった、いくつかの木がなくなった。印象深いのは、数本のカンザン(関山)と思われる遅咲きの八重桜、今の時期ならノウゼンカズラが、塀を越えて歩道側にも少しだけ枝を伸ばして、歩行者の目を楽しませてくれていた。
もう1点。
南辺は130メートルずっとブロック塀が続いていたわけではなかった。西寄りと東寄りに1つずつ、こんなのがあったのを忘れていた。
Googleストリートビューより東側
通用門のような小さい門があった。お寺らしく、木造で銅葺き屋根。存在感は薄かったが、潜在的なアクセントになっていたようだ。お盆や彼岸も含めて、この門が開いているのは見たことがないので、廃止したのだろう。
塀の東端(敷地南東角)。右がすぐ山門
山門左にあった、大きなケヤキも伐られてしまった。
(再掲)2012年。手前の木
塀の西端(敷地南西角)
お寺の敷地の南西角から、敷地西辺沿いに北方向へ、水路に蓋をしたような人が通れる通路がある。上の写真左方向。
西辺は、以前は南辺と同じ高さで、さらに古そうな一般的なブロック塀だった。それも今回新しくなって、こちらはブロック塀+茶色い金属板の塀。民家の塀なんかで、よく見るタイプ。
茶系統のほうが、雰囲気にマッチしているような。大通り側もこれでよかったのでは?
人通りが多い道路に面した長い塀ということで、交換の必要性は高かったと考えられ、これで安心できるのは間違いない。
お寺側のさまざまな事情もある中で、参拝者や通行人の安全を確保した結果がこれということになり、部外者はなんとも言えないが、塀の交換に伴って、これだけ風景が変わったことは記憶に留めておきたい。
そして、本来であれば、今の時期、當福寺の周りは騒がしくなる。
竿燈まつりの会場として。
例年ならば、観覧席や転倒防止柱の設置工事が終わる頃だが、昨年に続いて、新型コロナウイルス感染症のため中止された。
竿燈と當福寺の関係は、会場が近いというだけではない。
毎年、まつりを控えた7月に、當福寺で「追善供養」が催される。
1972年からここが会場になったが、当初は雨に祟られる日が増加。1970年の道路拡張の時、墓地の一部が大通りにされ、その跡で騒ぐことに霊が怒ったのでは、との話が持ち上がって、1980年から供養が続いている。中止になっても、2020、2021年とも供養は実施。
そして、物理的に会場と墓地が隣接しているわけだから、まつり当日の塀の外では観客が見物したり、ひっきりなしに行き交ったりする。塀の内側はいつもの静かな墓地。今までは高い塀が厳重に仕切っていたのかもしれない。
塀が新しくなって低くなった分、乗り越えて墓地内に侵入して竿燈見物しようという不届き者が出ないだろうか。
山門より東側。奥が大通り
山門のある東辺の市道沿いのブロック塀は、西辺と似たものだが、さらに低い。こちらは未更新で、ツタに覆われる。
竿燈の時は、この塀の前に仮設トイレがずらりと並ぶ。ご先祖様はちょっと迷惑かも(この点も供養でお断りしてるのかな)。
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この数か月、通らないでいたうちに、風景がちょっと変わった。
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以前は、
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道路外側の塀が新しくなった。
近年各所で進められている、地震で倒壊する恐れがあって、ということでしょう。
この塀の設置者=道路外側の施設は、お寺「當福寺(当福寺、とうふくじ)」。
お寺の山門は大通りに面さない(小路へ曲がってすぐ)東側で、この塀の向こうはほとんどが墓地。大通りに面する敷地南辺は、130メートルほど塀が続いている。
以前の塀は、横長で大きい、石風のブロックを積み上げたもので、歩道から見て高さ2メートル弱はあったと思う。見る位置や身長にもよるが、中の墓石の頭がちょっと見えるかどうか。
新しい塀は、コンクリート打ちっ放しの建物の壁のような見た目で、低くなった。歩道から墓石に彫られた文字が読めるようになったものもある。
大通りは1970年頃に拡幅されたので、古い塀はその時に設置されたはず。
僕がここを歩くようになってからでも30年。毎日のように通っていた時期もあった。当たり前の景色が初めて変わって、感想はなんか無機質で殺風景になった。
石っぽいものが質素なコンクリートに代わり、それがまだ新しいこともあるが、それだけではない。
まず、工事の支障だったのだろう、墓地内塀際にあった、いくつかの木がなくなった。印象深いのは、数本のカンザン(関山)と思われる遅咲きの八重桜、今の時期ならノウゼンカズラが、塀を越えて歩道側にも少しだけ枝を伸ばして、歩行者の目を楽しませてくれていた。
もう1点。
南辺は130メートルずっとブロック塀が続いていたわけではなかった。西寄りと東寄りに1つずつ、こんなのがあったのを忘れていた。
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通用門のような小さい門があった。お寺らしく、木造で銅葺き屋根。存在感は薄かったが、潜在的なアクセントになっていたようだ。お盆や彼岸も含めて、この門が開いているのは見たことがないので、廃止したのだろう。
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山門左にあった、大きなケヤキも伐られてしまった。
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お寺の敷地の南西角から、敷地西辺沿いに北方向へ、水路に蓋をしたような人が通れる通路がある。上の写真左方向。
西辺は、以前は南辺と同じ高さで、さらに古そうな一般的なブロック塀だった。それも今回新しくなって、こちらはブロック塀+茶色い金属板の塀。民家の塀なんかで、よく見るタイプ。
茶系統のほうが、雰囲気にマッチしているような。大通り側もこれでよかったのでは?
人通りが多い道路に面した長い塀ということで、交換の必要性は高かったと考えられ、これで安心できるのは間違いない。
お寺側のさまざまな事情もある中で、参拝者や通行人の安全を確保した結果がこれということになり、部外者はなんとも言えないが、塀の交換に伴って、これだけ風景が変わったことは記憶に留めておきたい。
そして、本来であれば、今の時期、當福寺の周りは騒がしくなる。
竿燈まつりの会場として。
例年ならば、観覧席や転倒防止柱の設置工事が終わる頃だが、昨年に続いて、新型コロナウイルス感染症のため中止された。
竿燈と當福寺の関係は、会場が近いというだけではない。
毎年、まつりを控えた7月に、當福寺で「追善供養」が催される。
1972年からここが会場になったが、当初は雨に祟られる日が増加。1970年の道路拡張の時、墓地の一部が大通りにされ、その跡で騒ぐことに霊が怒ったのでは、との話が持ち上がって、1980年から供養が続いている。中止になっても、2020、2021年とも供養は実施。
そして、物理的に会場と墓地が隣接しているわけだから、まつり当日の塀の外では観客が見物したり、ひっきりなしに行き交ったりする。塀の内側はいつもの静かな墓地。今までは高い塀が厳重に仕切っていたのかもしれない。
塀が新しくなって低くなった分、乗り越えて墓地内に侵入して竿燈見物しようという不届き者が出ないだろうか。
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山門のある東辺の市道沿いのブロック塀は、西辺と似たものだが、さらに低い。こちらは未更新で、ツタに覆われる。
竿燈の時は、この塀の前に仮設トイレがずらりと並ぶ。ご先祖様はちょっと迷惑かも(この点も供養でお断りしてるのかな)。
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