今年も、いろいろな著名人が亡くなった。
前も書いたけれど、近年は元気に活躍されていた頃の姿が記憶にある方々が亡くなることが多く、それだけ自分が歳を取ったということなんだろう。
さて、今から30年前の1985年には、NHK教育テレビ(現・Eテレ)の学校放送に出演していた人が急に亡くなり、年度途中でほかの人に交代するという事態が、2件あった。その思い出。
※学校放送に関する以前の記事
まずおひとりは、坂本 九さん。
ご存じの方も多いように、歌手・タレントとして活躍中だった1985年8月12日、日本航空機墜落事故により43歳で亡くなった。
教育テレビでは、顔出し出演ではなく、番組の主題歌を歌っていた。
前年度1984年から始まった、小学校3年生社会科「たんけんぼくのまち」。チョーさんが自転車に乗って地図を作る、あの番組。「♪知らないことが おいでおいでしてる」の歌(作詞・山川啓介、作曲・福田和禾子)。
急逝は夏休み終盤。急遽、チョーさん自身の歌唱で収録し直され、2学期最初の放送から差し替えられたようだ。近年発売されたDVDのオーディオコメンタリー(副音声のおしゃべり)において、チョーさんがこの時のことを振り返っており、かなりプレッシャーだったのが窺えた。
結局、1991年度の放送終了までチョーバージョンが使い続けられることになる。
その後長らく、坂本バージョンは実質お蔵入りだったが、最近の「懐かしの学校放送」系CD・DVDでは、両バージョンが揃って収録されていることが多い。
僕は1985年度にちょうど3年生であり、学校でもこの番組を視聴していた(はず)。また、坂本九という人物も、墜落事故で亡くなったことも知ってはいた。
だから、坂本バージョンも聞いているはずだし、チョーバージョンに変わったことに気がついてもおかしくはないのだが、近年まで坂本バージョンの存在を知らず、最初からずっとチョーさんが歌っていたものだと思い込んでいた。
なお、たんけんぼくのまちの前後の3年生向け社会科番組でも、チェリッシュ、山本正之、所ジョージと著名な人が歌唱している。
もうおひとかたは、バリトン歌手・タレントの立川清登(たちかわすみと)さん。
1985年12月10日のディナーショー中に体調不良を訴え、大みそかに56歳で亡くなった。
歌手としてはオペラなどにも出ていたそうだが、テレビなどでもっと身近な歌も多く歌った。みんなのうたの「大きな古時計」(2002年の平井堅版とはアレンジが異なる。個人的には大きな古時計といえば立川版)、“六甲おろし”こと「阪神タイガースの歌」(1992年まで球団公式版として使用されたバージョン。現在もテレビ番組などで流れることがある)など。
軽妙なトークや気さくな人柄でタレントとしても親しまれ、フジテレビ「オールスター家族対抗歌合戦」「スターどっきりマル秘報告」の司会やCMに出演した。
【2016年1月3日追記】みんなのうたの「大きな古時計」は1962年と1973年の2度本放送(映像は異なる。歌は再収録か使い回しかは不明)された。その後、1973年版が再放送され、僕はそれを見た。また、1960年代中~後半頃までは本名の「立川澄人」で活動しており、みんなのうたホームページのデータベースでは別人のように扱われていて検索しづらい。
学校放送では、小学校2年生音楽科「うたって・ゴー」に「立川さん」もしくは「立川のおじさん」として出演。番組は1974年に始まったが、1978年度から出演したようだ。
“歌のお兄さん”的存在でありながら、“歌の先生”のような存在でもあった。
立川さん時代の「うたって・ゴー」だけでも、他の出演者やテーマ曲は何度か代替わりしている。1980年代中頃~後半は「♪モジモジしないで 恥ずかしがり屋」で始まるテーマ曲(作詞・西尾尚子、作曲・宇都宮安重=「西部警察」の初期のテーマ曲の作曲者【2023年5月1日追記・宇都宮氏は番組初期には、番組全体の「音楽」すなわち編曲も担当。その後比較的早期に、編曲は降板したようだ。】)、お姉さん、クニ河内、人形の「ガクちゃん」が出演。
【2023年5月9日追記】「モジモジ~」の主題歌は、1984年度~1989年度に使用されたようだ。後述の通り、アレンジや映像は、途中(おそらく1987年度まで/1988年度から)で変わっている。
そんなわけで、「うたって・ゴー」では、唱歌を立川さんが朗々と歌い上げていたのが記憶にある。
新学期の「春がきた」、3学期末の「どこかで春が」など。
「秋の子(作詞・サトウハチロー、作曲・末広恭雄)」では、「♪つばき(唾き)を飲む子は何人だろうな」が理解できず、「椿」? でも秋にツバキの花は咲いていないから、ツバキの実を丸飲みするの? と疑問だった記憶も…
僕は前年度に対象学年を過ぎていたわけだけど、長期休みに自宅で番組を見ていたし、ニュースで亡くなったことも知っていたから、3学期分の放送をどうするのか、子ども心に心配(と少々期待)した。【2016年1月3日追記】秋田は冬休みが長いので、1月上旬に始まる3学期最初の放送は自宅で視聴可能。
立川さんが倒れる前の段階で、冬休み前(冬休み明けも?)1~2回分は収録済みで、それは「この番組は11月○日に収録したものです」といったテロップを入れて、そのまま放送されたかと思う。とても切ない気持ちで視聴した覚えがある。
収録ストックが尽きた学期末最後までの残り数回は、バリトン歌手(作曲もするようだ)・加賀清孝氏(1950年生まれ。当初はさすがに「おじさん」ではなく「お兄さん」と呼ばれたはず)に交代した。番組内で立川さんが亡くなったことへの言及はなかったはずで、知らない子には唐突だったかも。
こちらも長期休みを間に挟んだものの、メイン出演者なのだから人選や打ち合わせをするには、時間がギリギリだったことだろう。
加賀さんは、立川さんと同じような音楽の専門家として、そのまま1989年度まで出演。
以後、声楽を専門とするお兄さん的存在は廃止されたようで、クニ河内氏も1991年まで、最後は作曲家(?)の白石哲也さんという方【2023年5月1日追記・白石さんは1980年代後半(=宇都宮さんの後任か?)には、番組の「音楽(編曲)」を担当していた。】が出演し、1995年度で番組が終了。【29日追記】見た記憶はないが、末期にはお兄さんとして藤井秀亮さんという方が出演。ギタリストだそうだが、その10年ほど前には、小学校3年生向け「ふえはうたう」に(リコーダーを習いつつ、歌を歌う)お兄さんとして出演していた。我々世代には記憶にあるであろう、アフロヘアでヒゲを生やしたあの人(うたって・ゴーではどんな髪型・ヒゲだったんだろう。さすがに現在はアフロヘアではないみたい)。
1996年度からはワンツー・どんと統合されて「まちかどド・レ・ミ」→2004年度から「ドレミノテレビ」となり、2005年度をもって小学校低学年向け音楽番組は幕を下ろした。
ちなみに、「懐かしの学校放送」系CD・DVDでは、主題歌だけを収録したものは立川版(あらかじめ収録された歌と、バランスが悪そうなUFOが出てくるアニメーション【2016年4月10日追記】公式な情報はないが、絵のタッチからしてみんなのうたのアニメを多く手がけている、加藤晃氏の作)が収録されている。立川さんがうたって・ゴーに出演している映像を見ることはできない(公式には…)。
2014年に発売されたDVD「NHKこども番組 80'sメモリー 1985~1989」では、1988年度の1本分が本編まるまる収録されており、そちらでは加賀版の主題歌(曲は同じだがアレンジが若干異なりおとなしめ、スタジオの実写映像である後期バージョン=立川さん時代と同じアレンジ・アニメの前期バージョンも存在した)も、当時の加賀さんご本人の姿も見ることができる。
お二方の訃報により、人が突然亡くなるということをほぼ初めて実感した。30年も経った今でも、時々思い出す。
【2016年7月18日追記】上記の通り、立川さんは「六甲おろし」を歌っていたのだが、亡くなった1985年に、阪神タイガースは21年ぶりのリーグ優勝、さらに球団設立以来初めての日本一を成し遂げていた。
前も書いたけれど、近年は元気に活躍されていた頃の姿が記憶にある方々が亡くなることが多く、それだけ自分が歳を取ったということなんだろう。
さて、今から30年前の1985年には、NHK教育テレビ(現・Eテレ)の学校放送に出演していた人が急に亡くなり、年度途中でほかの人に交代するという事態が、2件あった。その思い出。
※学校放送に関する以前の記事
まずおひとりは、坂本 九さん。
ご存じの方も多いように、歌手・タレントとして活躍中だった1985年8月12日、日本航空機墜落事故により43歳で亡くなった。
教育テレビでは、顔出し出演ではなく、番組の主題歌を歌っていた。
前年度1984年から始まった、小学校3年生社会科「たんけんぼくのまち」。チョーさんが自転車に乗って地図を作る、あの番組。「♪知らないことが おいでおいでしてる」の歌(作詞・山川啓介、作曲・福田和禾子)。
急逝は夏休み終盤。急遽、チョーさん自身の歌唱で収録し直され、2学期最初の放送から差し替えられたようだ。近年発売されたDVDのオーディオコメンタリー(副音声のおしゃべり)において、チョーさんがこの時のことを振り返っており、かなりプレッシャーだったのが窺えた。
結局、1991年度の放送終了までチョーバージョンが使い続けられることになる。
その後長らく、坂本バージョンは実質お蔵入りだったが、最近の「懐かしの学校放送」系CD・DVDでは、両バージョンが揃って収録されていることが多い。
僕は1985年度にちょうど3年生であり、学校でもこの番組を視聴していた(はず)。また、坂本九という人物も、墜落事故で亡くなったことも知ってはいた。
だから、坂本バージョンも聞いているはずだし、チョーバージョンに変わったことに気がついてもおかしくはないのだが、近年まで坂本バージョンの存在を知らず、最初からずっとチョーさんが歌っていたものだと思い込んでいた。
なお、たんけんぼくのまちの前後の3年生向け社会科番組でも、チェリッシュ、山本正之、所ジョージと著名な人が歌唱している。
もうおひとかたは、バリトン歌手・タレントの立川清登(たちかわすみと)さん。
1985年12月10日のディナーショー中に体調不良を訴え、大みそかに56歳で亡くなった。
歌手としてはオペラなどにも出ていたそうだが、テレビなどでもっと身近な歌も多く歌った。みんなのうたの「大きな古時計」(2002年の平井堅版とはアレンジが異なる。個人的には大きな古時計といえば立川版)、“六甲おろし”こと「阪神タイガースの歌」(1992年まで球団公式版として使用されたバージョン。現在もテレビ番組などで流れることがある)など。
軽妙なトークや気さくな人柄でタレントとしても親しまれ、フジテレビ「オールスター家族対抗歌合戦」「スターどっきりマル秘報告」の司会やCMに出演した。
【2016年1月3日追記】みんなのうたの「大きな古時計」は1962年と1973年の2度本放送(映像は異なる。歌は再収録か使い回しかは不明)された。その後、1973年版が再放送され、僕はそれを見た。また、1960年代中~後半頃までは本名の「立川澄人」で活動しており、みんなのうたホームページのデータベースでは別人のように扱われていて検索しづらい。
学校放送では、小学校2年生音楽科「うたって・ゴー」に「立川さん」もしくは「立川のおじさん」として出演。番組は1974年に始まったが、1978年度から出演したようだ。
“歌のお兄さん”的存在でありながら、“歌の先生”のような存在でもあった。
立川さん時代の「うたって・ゴー」だけでも、他の出演者やテーマ曲は何度か代替わりしている。1980年代中頃~後半は「♪モジモジしないで 恥ずかしがり屋」で始まるテーマ曲(作詞・西尾尚子、作曲・宇都宮安重=「西部警察」の初期のテーマ曲の作曲者【2023年5月1日追記・宇都宮氏は番組初期には、番組全体の「音楽」すなわち編曲も担当。その後比較的早期に、編曲は降板したようだ。】)、お姉さん、クニ河内、人形の「ガクちゃん」が出演。
【2023年5月9日追記】「モジモジ~」の主題歌は、1984年度~1989年度に使用されたようだ。後述の通り、アレンジや映像は、途中(おそらく1987年度まで/1988年度から)で変わっている。
当時は、音楽番組は1年生向け「ワンツー・どん」という番組も存在した。クニ河内氏は両方に出演した経験があり(出演時期は、ずれている)、どちらにも人形のキャラクターや児童合唱団が出て、似ている点があってごっちゃになってしまうが、両番組のコンセプトはわりと違った。
「ワンツー・どん」は、1980年代にはドラマーの「石川のおじさん」やお兄さんとしてザ・ワイルドワンズの鳥塚しげき氏が出演。歌は番組オリジナルに書き下ろされたものが多く(後に子ども向けの歌として広まったものも)、バンブーダンス風の「いるかはざんぶらこ」など歌いながら楽しく踊ることにも重きが置かれていた。※関連記事
一方、「うたって・ゴー」は、古くからの童謡や唱歌が多く歌われ、二部合唱などで「いい声で歌う」ことも重視していた。それには、立川さんが適任だったのだろう。【29日追記】ほかにも「発表会形式で他人に聞かせる」「楽器を演奏する」といった、指導要領に沿っていたのだろうが、1年生向けでは扱わない内容もあった。
なお、児童合唱団は、ワンツー・どんはNHK東京放送児童合唱団、うたって・ゴーは杉並や多摩といった外部の合唱団(立川さん時代は杉並?)だった。【2018年11月22日追記】1980年代前半頃は、ワンツー・どんに杉並児童合唱団が出ていたこともあったそうだ。【2023年5月1日追記】立川さん最後の1985年度は多摩少年少女合唱団が出演する回があったのを確認。一方で、1985年度(のはず)の初回では、多摩と杉並がいっしょにクレジットされた回があり、混成もあったようだ。【2023年5月5日追記】1985年度には杉並のみの回もあったようで、2合唱団が交代で出演していたのだろうか。
「ワンツー・どん」は、1980年代にはドラマーの「石川のおじさん」やお兄さんとしてザ・ワイルドワンズの鳥塚しげき氏が出演。歌は番組オリジナルに書き下ろされたものが多く(後に子ども向けの歌として広まったものも)、バンブーダンス風の「いるかはざんぶらこ」など歌いながら楽しく踊ることにも重きが置かれていた。※関連記事
一方、「うたって・ゴー」は、古くからの童謡や唱歌が多く歌われ、二部合唱などで「いい声で歌う」ことも重視していた。それには、立川さんが適任だったのだろう。【29日追記】ほかにも「発表会形式で他人に聞かせる」「楽器を演奏する」といった、指導要領に沿っていたのだろうが、1年生向けでは扱わない内容もあった。
なお、児童合唱団は、ワンツー・どんはNHK東京放送児童合唱団、うたって・ゴーは杉並や多摩といった外部の合唱団(
そんなわけで、「うたって・ゴー」では、唱歌を立川さんが朗々と歌い上げていたのが記憶にある。
新学期の「春がきた」、3学期末の「どこかで春が」など。
「秋の子(作詞・サトウハチロー、作曲・末広恭雄)」では、「♪つばき(唾き)を飲む子は何人だろうな」が理解できず、「椿」? でも秋にツバキの花は咲いていないから、ツバキの実を丸飲みするの? と疑問だった記憶も…
僕は前年度に対象学年を過ぎていたわけだけど、長期休みに自宅で番組を見ていたし、ニュースで亡くなったことも知っていたから、3学期分の放送をどうするのか、子ども心に心配(と少々期待)した。【2016年1月3日追記】秋田は冬休みが長いので、1月上旬に始まる3学期最初の放送は自宅で視聴可能。
立川さんが倒れる前の段階で、冬休み前(冬休み明けも?)1~2回分は収録済みで、それは「この番組は11月○日に収録したものです」といったテロップを入れて、そのまま放送されたかと思う。とても切ない気持ちで視聴した覚えがある。
収録ストックが尽きた学期末最後までの残り数回は、バリトン歌手(作曲もするようだ)・加賀清孝氏(1950年生まれ。当初はさすがに「おじさん」ではなく「お兄さん」と呼ばれたはず)に交代した。番組内で立川さんが亡くなったことへの言及はなかったはずで、知らない子には唐突だったかも。
こちらも長期休みを間に挟んだものの、メイン出演者なのだから人選や打ち合わせをするには、時間がギリギリだったことだろう。
加賀さんは、立川さんと同じような音楽の専門家として、そのまま1989年度まで出演。
以後、声楽を専門とするお兄さん的存在は廃止されたようで、クニ河内氏も1991年まで、最後は作曲家(?)の白石哲也さんという方【2023年5月1日追記・白石さんは1980年代後半(=宇都宮さんの後任か?)には、番組の「音楽(編曲)」を担当していた。】が出演し、1995年度で番組が終了。【29日追記】見た記憶はないが、末期にはお兄さんとして藤井秀亮さんという方が出演。ギタリストだそうだが、その10年ほど前には、小学校3年生向け「ふえはうたう」に(リコーダーを習いつつ、歌を歌う)お兄さんとして出演していた。我々世代には記憶にあるであろう、アフロヘアでヒゲを生やしたあの人(うたって・ゴーではどんな髪型・ヒゲだったんだろう。さすがに現在はアフロヘアではないみたい)。
1996年度からはワンツー・どんと統合されて「まちかどド・レ・ミ」→2004年度から「ドレミノテレビ」となり、2005年度をもって小学校低学年向け音楽番組は幕を下ろした。
ちなみに、「懐かしの学校放送」系CD・DVDでは、主題歌だけを収録したものは立川版(あらかじめ収録された歌と、バランスが悪そうなUFOが出てくるアニメーション【2016年4月10日追記】公式な情報はないが、絵のタッチからしてみんなのうたのアニメを多く手がけている、加藤晃氏の作)が収録されている。立川さんがうたって・ゴーに出演している映像を見ることはできない(公式には…)。
2014年に発売されたDVD「NHKこども番組 80'sメモリー 1985~1989」では、1988年度の1本分が本編まるまる収録されており、そちらでは加賀版の主題歌(曲は同じだがアレンジが若干異なりおとなしめ、スタジオの実写映像である後期バージョン=立川さん時代と同じアレンジ・アニメの前期バージョンも存在した)も、当時の加賀さんご本人の姿も見ることができる。
お二方の訃報により、人が突然亡くなるということをほぼ初めて実感した。30年も経った今でも、時々思い出す。
【2016年7月18日追記】上記の通り、立川さんは「六甲おろし」を歌っていたのだが、亡くなった1985年に、阪神タイガースは21年ぶりのリーグ優勝、さらに球団設立以来初めての日本一を成し遂げていた。
BS-TBSの公式サイトにはまったく掲載されていないのですが…
3年ということは日本一は阪急で、くしくも対戦相手でしたか。
1985年の阪神優勝は、おぼろげに記憶があります。道頓堀に飛び込むなんで無茶だなとか。
その前後の年は記憶にないので、初優勝であった当時も大フィーバーで報道されたのだと思います。