秋田市中央部、久保田城址「千秋公園(せんしゅうこうえん)」。
江戸時代は、黒門というのがあった東側(旧脳研向かい)から入るのが、正式な登城ルートだったという。公園化された近代は、南側の市立中央図書館明徳館前から「大坂(おおざか)」を上るほうが、市民にはより身近だろう。
その大坂では、融雪装置(ロードヒーティング)設置工事が行われていた。
(再掲)今年の花見の頃
花見後、再び通行止めにされていたが、7月初めまでに工事が終わって開放(歩行者は6月下旬から)された。
まだ工事途中
駐車禁止の道路標識が、工事後はなくなっている。ここって公園内で公道ではない(後述)と思うが、道交法が適用されていたのか?
(再掲)2014年
見た目は、以前とほとんど変わっていない。
アスファルトが新しくなったのと、がけ状になった側の路肩にある柵が新しくされた。以前は、擬木にチェーンを渡したもの(秋田だけなのか、時代の流行りだったのか、この辺は擬木が多い)だった。
新しい柵は、全金属製で、上部が傾斜した、黒に近い茶色のもの。上の写真ではまだ支柱だけだが、後でそれをつなぐ横棒2本が取り付けられた。
今春供用された手形新栄町街区公園の外周の柵、それに昨年度、市内の県道の交差点(2か所で確認)角のガードレール的意味合いで設置された柵と、同一もしくはシリーズの製品だと思う。今はこれが流行りなのか?
そのほか、図書館前の坂の上り口に今までなかった物が設置されていた。
でーんと2本
この時点ではブルーシートで包まれていた。人の背丈以上の柱状のものが、両端に1本ずつ。
予想はついた。以前から、千秋公園にありそうでないものが、ついにできるのかと思った。
特に報道などされなかったが、7月に入ってから行くと、
シートが取れていた。コーンはまだ置かれている。柵は横棒も取り付け
材質は石か金属かと思っていたら、木メインだった。左右とも同じで、
「千秋公園」
千秋公園の、表札というか門柱というか。
千秋公園には、案内地図や由来を記した看板はあったが、「ここが千秋公園だ」という表示は、これまでなかったと思う。
中土橋通りの穴門の堀にある石柱は「久保田城址」だけ表記。久保田町交差点寄りの大手門の堀を見渡す場所の横書きの石は「千秋公園ポケットパーク」であって、千秋公園本体ではない。みたいに。
旅行客は(実は市民も?)、どこから千秋公園なのか戸惑うかもしれないし、千秋公園に来た記念に写真撮影するにしてもそれと分かる場所はあまりない。
秋田市では、街区公園にも基本的には標柱があるのだから、大規模で、秋田市を代表する観光地でもある千秋公園に、表示があってもいいと考えていたが、実現された。
ただ、こんな形で、この位置に置かれるのは、どうなんだろう。江戸時代にはあり得なかったと思うけれど、お城ではなく「公園」としての表札なのだから、いいのだと思う。よその城跡でも、こういうのもなくはないようだが、石柱が多いようだ。石柱だと重々しすぎる感じもする。並んで記念撮影するには、若干表示位置が高いかな。
次に、表札の文字。白っぽい木目板に白い文字で、ちょっと目立たないと感じた。
活字の毛筆書体で、楷書体の事実上定番、ダイナコムウェア「DFP太楷書体」の古いバージョンのフォントだと思う。「秋」の「火」の点の位置や、「公」の「ハ」右側の入りかたが、「P」でないフォントや新しいバージョンとは異なる。
もう1つ程度太いウエイト(極太)でも良さそうだし、黒でもいいかも。誰か秋田市にゆかりある筆の立つ人に揮毫してもらえば、話題になったのでは。
それと、左右とも同じ「千秋公園」なのは、ヘンでは?
一般家庭でも企業・学校でも、左右に門柱あっても、表札は片方にしかない。両側表札は、自己主張が強いというか芸がないというか。片方を「久保田城址」とか「Senshu Park」とかにすればいいのに。
なお、弘前公園では石柱1本だけで「史跡 弘前城址」。←弘前公園も、きちんとした公園名表示はないのかも。
横から
門柱は、木そのままではなく、外観上は各面2枚ずつの細長い板を、金具か何かで打ち付けて、柱型に成形しているようだ。地際と天面は銅板で覆われている。芯というか中身はどういう材質・構造なのだろう。
文字を印刷した板は、門柱本体とは別に出っ張っているが、引っ掛けているわけでなく、3か所でがっちり固定しているようだ。
裏面下に銘板があった。
「株式会社ザイエンス」
広島発祥の、防腐木材で住宅資材や公園施設を手掛けるメーカー。2021年2月製で、製造番号は両側とも2153234と同番。カタログには出ていないので、特注品なのだろう。
裏側から中土橋方向。左が図書館、向こうが県民会館跡地のミルハス工事現場
この時点では、門柱の園外側(向こう側)、グレーチング(網蓋)のところで、路面の白線が終わっている。工事前もほぼ同じ。そこまでが公道で、グレーチング・門柱から公園内ということなのだろう。
大坂は花見期間以外は一般車両の通行も可能なのだが、通る車はかなり少ない。
ただ、坂の下側では、業務や送迎の時間つぶしらしき車が停まっていたり、警察の取り締まり車両(一時停止、横断歩道、一方通行の違反があり得る場所)が隠れて(=知っている者にはミエミエ)いたりした。
門柱ができても、それらをしようとすれば、門柱が障害になるかも。道幅も、門柱とその外側分、1メートルちょっとは狭くなった。門柱に衝突とか、門柱を避けようとして歩行者にぶつかるとかしないようにお願いします。
【15日追記】秋田市の入札資料によれば、名称は「門柱」とされており、地上部の高さ2.5メートル、各辺の幅は40センチ。表示板は1.2メートル×24センチ。
【8月9日追記】2本の門柱は、道路に対して平行に揃って並んでいるのではなく、向かって左側のほうが、門柱1本分ほど前寄りに設置されていた。真横から見ないと気づきにくいけれど、どうして揃えなかったのか。
江戸時代は、黒門というのがあった東側(旧脳研向かい)から入るのが、正式な登城ルートだったという。公園化された近代は、南側の市立中央図書館明徳館前から「大坂(おおざか)」を上るほうが、市民にはより身近だろう。
その大坂では、融雪装置(ロードヒーティング)設置工事が行われていた。
(再掲)今年の花見の頃
花見後、再び通行止めにされていたが、7月初めまでに工事が終わって開放(歩行者は6月下旬から)された。
まだ工事途中
駐車禁止の道路標識が、工事後はなくなっている。ここって公園内で公道ではない(後述)と思うが、道交法が適用されていたのか?
(再掲)2014年
見た目は、以前とほとんど変わっていない。
アスファルトが新しくなったのと、がけ状になった側の路肩にある柵が新しくされた。以前は、擬木にチェーンを渡したもの(秋田だけなのか、時代の流行りだったのか、この辺は擬木が多い)だった。
新しい柵は、全金属製で、上部が傾斜した、黒に近い茶色のもの。上の写真ではまだ支柱だけだが、後でそれをつなぐ横棒2本が取り付けられた。
今春供用された手形新栄町街区公園の外周の柵、それに昨年度、市内の県道の交差点(2か所で確認)角のガードレール的意味合いで設置された柵と、同一もしくはシリーズの製品だと思う。今はこれが流行りなのか?
そのほか、図書館前の坂の上り口に今までなかった物が設置されていた。
でーんと2本
この時点ではブルーシートで包まれていた。人の背丈以上の柱状のものが、両端に1本ずつ。
予想はついた。以前から、千秋公園にありそうでないものが、ついにできるのかと思った。
特に報道などされなかったが、7月に入ってから行くと、
シートが取れていた。コーンはまだ置かれている。柵は横棒も取り付け
材質は石か金属かと思っていたら、木メインだった。左右とも同じで、
「千秋公園」
千秋公園の、表札というか門柱というか。
千秋公園には、案内地図や由来を記した看板はあったが、「ここが千秋公園だ」という表示は、これまでなかったと思う。
中土橋通りの穴門の堀にある石柱は「久保田城址」だけ表記。久保田町交差点寄りの大手門の堀を見渡す場所の横書きの石は「千秋公園ポケットパーク」であって、千秋公園本体ではない。みたいに。
旅行客は(実は市民も?)、どこから千秋公園なのか戸惑うかもしれないし、千秋公園に来た記念に写真撮影するにしてもそれと分かる場所はあまりない。
秋田市では、街区公園にも基本的には標柱があるのだから、大規模で、秋田市を代表する観光地でもある千秋公園に、表示があってもいいと考えていたが、実現された。
ただ、こんな形で、この位置に置かれるのは、どうなんだろう。江戸時代にはあり得なかったと思うけれど、お城ではなく「公園」としての表札なのだから、いいのだと思う。よその城跡でも、こういうのもなくはないようだが、石柱が多いようだ。石柱だと重々しすぎる感じもする。並んで記念撮影するには、若干表示位置が高いかな。
次に、表札の文字。白っぽい木目板に白い文字で、ちょっと目立たないと感じた。
活字の毛筆書体で、楷書体の事実上定番、ダイナコムウェア「DFP太楷書体」の古いバージョンのフォントだと思う。「秋」の「火」の点の位置や、「公」の「ハ」右側の入りかたが、「P」でないフォントや新しいバージョンとは異なる。
もう1つ程度太いウエイト(極太)でも良さそうだし、黒でもいいかも。誰か秋田市にゆかりある筆の立つ人に揮毫してもらえば、話題になったのでは。
それと、左右とも同じ「千秋公園」なのは、ヘンでは?
一般家庭でも企業・学校でも、左右に門柱あっても、表札は片方にしかない。両側表札は、自己主張が強いというか芸がないというか。片方を「久保田城址」とか「Senshu Park」とかにすればいいのに。
なお、弘前公園では石柱1本だけで「史跡 弘前城址」。←弘前公園も、きちんとした公園名表示はないのかも。
横から
門柱は、木そのままではなく、外観上は各面2枚ずつの細長い板を、金具か何かで打ち付けて、柱型に成形しているようだ。地際と天面は銅板で覆われている。芯というか中身はどういう材質・構造なのだろう。
文字を印刷した板は、門柱本体とは別に出っ張っているが、引っ掛けているわけでなく、3か所でがっちり固定しているようだ。
裏面下に銘板があった。
「株式会社ザイエンス」
広島発祥の、防腐木材で住宅資材や公園施設を手掛けるメーカー。2021年2月製で、製造番号は両側とも2153234と同番。カタログには出ていないので、特注品なのだろう。
裏側から中土橋方向。左が図書館、向こうが県民会館跡地のミルハス工事現場
この時点では、門柱の園外側(向こう側)、グレーチング(網蓋)のところで、路面の白線が終わっている。工事前もほぼ同じ。そこまでが公道で、グレーチング・門柱から公園内ということなのだろう。
大坂は花見期間以外は一般車両の通行も可能なのだが、通る車はかなり少ない。
ただ、坂の下側では、業務や送迎の時間つぶしらしき車が停まっていたり、警察の取り締まり車両(一時停止、横断歩道、一方通行の違反があり得る場所)が隠れて(=知っている者にはミエミエ)いたりした。
門柱ができても、それらをしようとすれば、門柱が障害になるかも。道幅も、門柱とその外側分、1メートルちょっとは狭くなった。門柱に衝突とか、門柱を避けようとして歩行者にぶつかるとかしないようにお願いします。
【15日追記】秋田市の入札資料によれば、名称は「門柱」とされており、地上部の高さ2.5メートル、各辺の幅は40センチ。表示板は1.2メートル×24センチ。
【8月9日追記】2本の門柱は、道路に対して平行に揃って並んでいるのではなく、向かって左側のほうが、門柱1本分ほど前寄りに設置されていた。真横から見ないと気づきにくいけれど、どうして揃えなかったのか。
何だか違和感があるなあと思って良く見たら「なんじゃこりゃ~」でした。
多分「車が衝突して門柱折られる」と新聞ネタになる事でしょう。
それにしてもアスファルトでは無く石畳にすれば良かったのにと川崎で生活したことのある私は思います。
アスファルトの方がお安いですしね。
ミルハスができると、車の流れや量が変わってくることも考えられ、障害物になってしまわないことを願います。
維持も考えると、アスファルトが妥当でしょうね。
でも、最近の秋田市が好むカラー舗装を採用し、例えば茶色系統などにしたら、雰囲気が違ってくるかもしれません。