1年前、秋田市営バス(秋田市交通局)の1つしかないバス停ポールを紹介した。その続き。
県立体育館前や割山町は、当初から“一点物”だった。今回紹介するのは、後の改造で一点物になったもの。
新国道(と通称される秋田県道56号)、下りで秋田中央郵便局前の次。
「幸町交番前」
バス停は、「いとく」をメインとする「新国道モール」の前に位置する。秋田中央警察署 幸町交番は、その新国道モール南辺の狭い市道に面し、モールに食いこむような立地。
幸町交番前下りバス停は、台座のある可動式ではなく、路面に埋めこまれたポール。支柱と枠が一体化した金属製。このポールは、秋田市内にそこそこあるが、幸町交番前下りだけバス名称部分が違う。
市町村会館前・下り
バス停名部分が板ではなく、厚みのある黒い箱なのが本来の姿。箱のサイズは、横32.3センチ×縦24.5センチ×奥行き13.5センチといったところ。文字は白いナール(市営バス時代は事業者名も)、事業者名とバス停名の間に赤い線。反対面も同じ。
交通局が1990年代中頃にまとめて設置したと記憶する。過去の記事で「1994年度頃」と自分で書いているが、それだと2代目バスロケと同年になってしまうはず。2代目バスロケよりは若干後だった気がする。
バスロケーションシステム(接近表示)にするほどでもなく、蛍光灯を内蔵した電照式にするほどでもないが、そこそこ乗車があるバス停に設置された感じ。中心市街地にはないはず【2022年1月15日訂正・明田地下道入口(下り)があった】で、新国道や市立病院西口(上り)、川尻十字路(上り・撤去済み)、山王交番前(上下とも)など。埋めこみだから歩道など広い環境でないと設置できない。
(再掲)市民生協前(折り返し待機場、正しくは市民生協入口)
(再掲)中央郵便局前・上り
上の2つの写真のバス停名部分には、文字のライン上に小さな点が並んでいる。赤色のLED。
移管で秋田中央交通とされた部分は、かつては「市営バス」で同様にそこにも埋めこまれていた。
そんなわけで、夜になると、
(再掲)2002年夜の山王二丁目・上り(後に撤去)、市章は光らない
点滅していた。※点灯ではなく点滅。
当時は白色LEDはまだなくやむを得ないが、赤点滅では「電照式」とするには物足りない明るさ。バス停の存在を知らせる効果程度だったはず。
そして、現状では、どれも点滅しなくなってしまった。
今まで意識しないでしまっていた。LEDの電力はどこから来るのか。地中に配線があるのか?
中央郵便局前上りを上から拝見すると、
箱の天面にソーラーパネルが!
↑この面左隅には、コードをつなげるかもしれない端子のような穴があるが、何もつながっていない。中央はネジ。反対向きでは、
端子がなく「KYOCERA」
京セラのソーラーパネル(太陽電池)があった。
調べてもよく分からなかったが、バス停全体が京セラ製というわけではないかもしれない。
2000年に設置される県立体育館前もソーラーだが、それと比べると、パネルが目立たず洗練されたデザインだ。消費電力が少ないこともあるだろうか。
市営バス時代設置の蛍光灯電照式バス停も、移管後いつの間にかどれも点灯しなくなってしまった(買物広場だけは常夜灯みたいなのがぼーっと光るけど)。それらは意図的に電線を切ったのか、電力契約を解約したのだと思う。
ソーラーでは、あえて線を切る意味はないだろうから、バッテリーが劣化してしまったのか。
市町村会館前にはLED粒がない
市町村会館前は、1998年に「自治会館前」から改称されたとのこと。
ということは、新規設置からわずか数年で改称され、光らない板を上張りされてしまったのだろう。「市町村会館前」もナールなので、ぱっと見分からない。
また、社名の上張りの下に緑色が少し見えている。
移管直後は緑色シールで対応し、後からその上に黒地を貼ったようだ。移管途中で2者が一時的に共用していたバス停では、この緑シールがよく使われたが、ここは新屋西線だけなのでいちどに移管したはずなのに、社名は2度貼っている。
山王交番前も粒がない。これは「酒造センター前」で設置され、2006年頃に「八橋南一丁目」、2010年秋頃に「山王交番前」と変遷。
幸町交番前に戻ります。
箱状表示を取り外して金属板を付けたので、一点物になった。
箱を取り付けていた金具を撤去して、ハンダ付けみたいなので金属板を付け直した痕跡がある。
ローマ字なし、フォントはスーラ
形も色も、激減した共用タイプのバス停表示板に酷似している。サイズや上辺のカーブは異なり、こちらのほうが縦長か。
(再掲)市営・中央交通共用表示板
幸町交番前は、以前は「いすゞ前」という名前だった。新国道モールの場所に、秋田いすゞ自動車があった。埋めこみポール設置時はまだいすゞ。
では、その改称に伴って、箱に上張りせず、撤去交換したのか? と予想したが違う。なぜなら、表示板の下に透けている文字を見ると、
「いすゞ前」
「幸町交番前」と書かれた下には、太めの丸ゴシック体で「いすゞ前」、ローマ字なし。事業者名部分は、
今の中央交通の文字も消えてますが…
以前の「秋田中央交通」の上に、少し小さく「秋田市交通局」とある。市章・社章はなさそう。
「市営バス」ではなく、「秋田市交通局」と表示されるバス停は、ほかには知らない。
となると、まだいすゞ前だった時点、かつ市営バス時代のうちに交換されている。時系列でまとめると、
・2001年4月 新港線、新国道経由サンパーク線が中央交通へ移管。
たしかこの後も、千代田町経由神田線はここを通っていたはずで、だとすればそれが唯一の市営バス。=千代田町経由と言いながら、末期は千代田町は経由していなかった。
・2005年4月 千代田町経由神田線が移管。
・2006年4月 秋田市交通局閉局
・2006年4月 秋田いすゞが寺内へ移転(ちなみに工場は1958年から、本社は1961年からここにあった)
・2008年6月 新国道モール開店
ということは、2005年春より前に、板に交換されたのか? 車がぶつかるとかして、表示部分が壊れたのだろうか。
【9日追記】移管途中段階辺りの交換、他にない仕様であることを踏まえれば、中央交通側で作った表示板かもしれない。市章を使うのをためらったり、表示板作成の経験が少なくて、こうなったのかと考えたり…
ここで、このポールの「向き」に注目。
バスの進行方向と平行になってしまっている。これでは点滅したとしても、歩行者も運転士も気付きにくい。上の中央郵便局前も平行だが、撤去前の山王二丁目やその他各所では進行方向(とその裏)に向いていた。
この道路は、21世紀に入ってから、電線地中化・ロードヒーティング設置工事がされている。
その工事の時に、配慮がなくて向きが変えられてしまった可能性もある。幸町交番前の金属板交換も、工事が関係する可能性もあるかもしれない。
ところで、この向かいの上り側。
今はダルマ型で、移管後に設置されたもの。その前は、上りもLED点滅埋めこみ式だったが、撤去されている。こちら側も同様の道路工事が行われていたが…
Googleストリートビューでさかのぼると、2015年夏では今と同じ。その前2012年10、11月では、
これだった!(赤枠は違うアングルから合成)
工事は終わった状態で、埋めこみ式が直角向き。
不鮮明だが表示は、板だが、下り側とはまた違うもの。
上辺も平らな正方形に近い四角形で、ダルマ型円形表示板(いわゆる市営バスタイプ)と同じ3色塗り分け。社章は社名の上ではなく前。バス停名は細い文字でローマ字があるようだ。下り側よりは新しそうかな。
上り側も、壊されたのか、もしくは歩道が狭くなっている部分だからジャマだとかで撤去交換されたのか。
何度か触れているように、幸町交番は近いうちに泉外旭川駅前(泉側)へ移転する。更地は確保されているが未着工。
そうなれば、このバス停名を再び変える必要がある。
中央交通では、原則として今は施設名を新たなバス停名に使わない方針にしているそうだけど、「千代田町」「高陽幸町」等周辺の地名は他路線のバス停で使っている(別に重複しても構わないとも思うが)。「新川向」だと1つ隣の交差点だし…
その時、一点物表示板はどうなるか。【10日追記・支柱の途中付近に衝突されたのか、わずかに傾いているのも気になる。】
【2022年8月31日追記】幸町交番前バス停は、2022年10月から「高陽幸町交差点前」となることになった。変更後の状況。
県立体育館前や割山町は、当初から“一点物”だった。今回紹介するのは、後の改造で一点物になったもの。
新国道(と通称される秋田県道56号)、下りで秋田中央郵便局前の次。
「幸町交番前」
バス停は、「いとく」をメインとする「新国道モール」の前に位置する。秋田中央警察署 幸町交番は、その新国道モール南辺の狭い市道に面し、モールに食いこむような立地。
幸町交番前下りバス停は、台座のある可動式ではなく、路面に埋めこまれたポール。支柱と枠が一体化した金属製。このポールは、秋田市内にそこそこあるが、幸町交番前下りだけバス名称部分が違う。
市町村会館前・下り
バス停名部分が板ではなく、厚みのある黒い箱なのが本来の姿。箱のサイズは、横32.3センチ×縦24.5センチ×奥行き13.5センチといったところ。文字は白いナール(市営バス時代は事業者名も)、事業者名とバス停名の間に赤い線。反対面も同じ。
交通局が1990年代中頃にまとめて設置したと記憶する。過去の記事で「1994年度頃」と自分で書いているが、それだと2代目バスロケと同年になってしまうはず。2代目バスロケよりは若干後だった気がする。
バスロケーションシステム(接近表示)にするほどでもなく、蛍光灯を内蔵した電照式にするほどでもないが、そこそこ乗車があるバス停に設置された感じ。
(再掲)市民生協前(折り返し待機場、正しくは市民生協入口)
(再掲)中央郵便局前・上り
上の2つの写真のバス停名部分には、文字のライン上に小さな点が並んでいる。赤色のLED。
移管で秋田中央交通とされた部分は、かつては「市営バス」で同様にそこにも埋めこまれていた。
そんなわけで、夜になると、
(再掲)2002年夜の山王二丁目・上り(後に撤去)、市章は光らない
点滅していた。※点灯ではなく点滅。
当時は白色LEDはまだなくやむを得ないが、赤点滅では「電照式」とするには物足りない明るさ。バス停の存在を知らせる効果程度だったはず。
そして、現状では、どれも点滅しなくなってしまった。
今まで意識しないでしまっていた。LEDの電力はどこから来るのか。地中に配線があるのか?
中央郵便局前上りを上から拝見すると、
箱の天面にソーラーパネルが!
↑この面左隅には、コードをつなげるかもしれない端子のような穴があるが、何もつながっていない。中央はネジ。反対向きでは、
端子がなく「KYOCERA」
京セラのソーラーパネル(太陽電池)があった。
調べてもよく分からなかったが、バス停全体が京セラ製というわけではないかもしれない。
2000年に設置される県立体育館前もソーラーだが、それと比べると、パネルが目立たず洗練されたデザインだ。消費電力が少ないこともあるだろうか。
市営バス時代設置の蛍光灯電照式バス停も、移管後いつの間にかどれも点灯しなくなってしまった(買物広場だけは常夜灯みたいなのがぼーっと光るけど)。それらは意図的に電線を切ったのか、電力契約を解約したのだと思う。
ソーラーでは、あえて線を切る意味はないだろうから、バッテリーが劣化してしまったのか。
市町村会館前にはLED粒がない
市町村会館前は、1998年に「自治会館前」から改称されたとのこと。
ということは、新規設置からわずか数年で改称され、光らない板を上張りされてしまったのだろう。「市町村会館前」もナールなので、ぱっと見分からない。
また、社名の上張りの下に緑色が少し見えている。
移管直後は緑色シールで対応し、後からその上に黒地を貼ったようだ。移管途中で2者が一時的に共用していたバス停では、この緑シールがよく使われたが、ここは新屋西線だけなのでいちどに移管したはずなのに、社名は2度貼っている。
山王交番前も粒がない。これは「酒造センター前」で設置され、2006年頃に「八橋南一丁目」、2010年秋頃に「山王交番前」と変遷。
幸町交番前に戻ります。
箱状表示を取り外して金属板を付けたので、一点物になった。
箱を取り付けていた金具を撤去して、ハンダ付けみたいなので金属板を付け直した痕跡がある。
ローマ字なし、フォントはスーラ
形も色も、激減した共用タイプのバス停表示板に酷似している。サイズや上辺のカーブは異なり、こちらのほうが縦長か。
(再掲)市営・中央交通共用表示板
幸町交番前は、以前は「いすゞ前」という名前だった。新国道モールの場所に、秋田いすゞ自動車があった。埋めこみポール設置時はまだいすゞ。
では、その改称に伴って、箱に上張りせず、撤去交換したのか? と予想したが違う。なぜなら、表示板の下に透けている文字を見ると、
「いすゞ前」
「幸町交番前」と書かれた下には、太めの丸ゴシック体で「いすゞ前」、ローマ字なし。事業者名部分は、
今の中央交通の文字も消えてますが…
以前の「秋田中央交通」の上に、少し小さく「秋田市交通局」とある。市章・社章はなさそう。
「市営バス」ではなく、「秋田市交通局」と表示されるバス停は、ほかには知らない。
となると、まだいすゞ前だった時点、かつ市営バス時代のうちに交換されている。時系列でまとめると、
・2001年4月 新港線、新国道経由サンパーク線が中央交通へ移管。
たしかこの後も、千代田町経由神田線はここを通っていたはずで、だとすればそれが唯一の市営バス。=千代田町経由と言いながら、末期は千代田町は経由していなかった。
・2005年4月 千代田町経由神田線が移管。
・2006年4月 秋田市交通局閉局
・2006年4月 秋田いすゞが寺内へ移転(ちなみに工場は1958年から、本社は1961年からここにあった)
・2008年6月 新国道モール開店
ということは、2005年春より前に、板に交換されたのか? 車がぶつかるとかして、表示部分が壊れたのだろうか。
【9日追記】移管途中段階辺りの交換、他にない仕様であることを踏まえれば、中央交通側で作った表示板かもしれない。市章を使うのをためらったり、表示板作成の経験が少なくて、こうなったのかと考えたり…
ここで、このポールの「向き」に注目。
バスの進行方向と平行になってしまっている。これでは点滅したとしても、歩行者も運転士も気付きにくい。上の中央郵便局前も平行だが、撤去前の山王二丁目やその他各所では進行方向(とその裏)に向いていた。
この道路は、21世紀に入ってから、電線地中化・ロードヒーティング設置工事がされている。
その工事の時に、配慮がなくて向きが変えられてしまった可能性もある。幸町交番前の金属板交換も、工事が関係する可能性もあるかもしれない。
ところで、この向かいの上り側。
今はダルマ型で、移管後に設置されたもの。その前は、上りもLED点滅埋めこみ式だったが、撤去されている。こちら側も同様の道路工事が行われていたが…
Googleストリートビューでさかのぼると、2015年夏では今と同じ。その前2012年10、11月では、
これだった!(赤枠は違うアングルから合成)
工事は終わった状態で、埋めこみ式が直角向き。
不鮮明だが表示は、板だが、下り側とはまた違うもの。
上辺も平らな正方形に近い四角形で、ダルマ型円形表示板(いわゆる市営バスタイプ)と同じ3色塗り分け。社章は社名の上ではなく前。バス停名は細い文字でローマ字があるようだ。下り側よりは新しそうかな。
上り側も、壊されたのか、もしくは歩道が狭くなっている部分だからジャマだとかで撤去交換されたのか。
何度か触れているように、幸町交番は近いうちに泉外旭川駅前(泉側)へ移転する。更地は確保されているが未着工。
そうなれば、このバス停名を再び変える必要がある。
中央交通では、原則として今は施設名を新たなバス停名に使わない方針にしているそうだけど、「千代田町」「高陽幸町」等周辺の地名は他路線のバス停で使っている(別に重複しても構わないとも思うが)。「新川向」だと1つ隣の交差点だし…
その時、一点物表示板はどうなるか。【10日追記・支柱の途中付近に衝突されたのか、わずかに傾いているのも気になる。】
【2022年8月31日追記】幸町交番前バス停は、2022年10月から「高陽幸町交差点前」となることになった。変更後の状況。
ただ、いすゞ前のうちに市営は撤退したはずです。
さらになんかあったのですかね。
他には存在しない「秋田市交通局」表記をし、市章がないのは使うのをためらったのかもしれません。
移管途中で仕様が定まらない状態で、悩みながら作ったとかでしょうか。
・高陽入口
・新国道モール前
・羽後日産前
・保戸野学園通り西口
・高陽幸町北
千秋トンネル経由東口行きが分岐してすぐ「保戸野学園通り入口」があるのもネック。それがなければ、学園通り関係の名称でもよさそう。
将軍野線と重複してしまいますが、交差点名でもある「高陽幸町」も分かりやすいとは思います。
決め手に欠けますね。
どう思いますか?
県警から中央交通に対して、移転日の連絡などもしていないでしょうから、変更されるのもだいぶ先になるかもしれません。
【新停留所名の候補】
・高陽入口
・いとく新国道店前(もしくは新国道モール前)
・羽後日産前
・保戸野学園通り西口
・保戸野学園通り入口(土崎東口線では既存で使われるが新国道側にも新設)
・高陽幸町北(高陽幸町は既に将軍野・市民生協行きで使われているので、それに北を付け足した名称)
・秋田スズキ前
その跡地近くの幸町交番前の停留所は、さてどんな名称に変更になるんでしょうね。続報を期待したいですね。
跡地利用も気になります。
ただ、肝腎のバス停名は、能代路線もあることから、さっさと決めないと行けませんね。