ちょうど30年前、1993年6月21日(月曜日。1993年も2023年も夏至の日)。JR東日本701系電車が営業運転を開始した。
製造番号「1」のトップナンバー車が秋田に配置されているように、701系の導入は秋田地区(奥羽本線・羽越本線など。1999年までは山形新幹線が山形駅止まりだったので、山形~新庄でも運用された)が最初。その後、盛岡地区や仙台地区にも導入。
2002年4月 大館駅。N1~N13編成のどれかのクハ700形
↑デビュー時は、帯色が現在よりも淡いピンク色というかパープルだった。E3系こまちの影響か、ピンク色が秋田地区のイメージカラーのようにされることもあるが、701系のほうが先。帯色は2000年代前半に、現在の濃いピンクに改められた。また、座席も当初はピンク色だった。【末尾リンクの続き記事参照】
現在の新車置き換えの多くと同様、701系は段階的に落成し、順次営業投入する方式で進められた。1993年6月時点では、普通列車の一部ダイヤのみを701系に置き換え、それも従前の客車列車用のままの、遅いダイヤで運用された。
その後、後に「基本番台」「ゼロ番台」と呼ばれる3両編成13本(N1~N13編成)、2両編成25本(N14~N38)、計89両がそろい、1993年12月1日のダイヤ改正から、701系が本格的に運用された。
さらに、翌1994年度後半に「100番台」として3両編成1本(N101)、2両編成5本(N102~N106)、計13両が追加投入された。
以降、多少の出入りや近年は廃車も経て、現在に至る。
※この記事の通り、現在は2両編成30本(60両)、3両編成11本(33両)、計93両の701系電車が、秋田地区を走っている。※別に田沢湖線用もありますが、割愛。
701系導入以前の秋田地区、盛岡地区(両地区には青森県も含む)の普通列車は、機関車にひかれて走る、4人掛けボックスシート主体の客車列車が主流であった。
701系はオールロングシートで、客車時代よりも少ない(短い)編成で走ることになったため、利用客の「座れない」との声が、地元紙投書欄などで上がった。秋田地区で1994年に13両追加されたのは、いちおうそれに応えたということなのかもしれない。
また、鉄道に詳しい人たちには、全体に安っぽい造りの車両であることが批判された。
「重量半分・価格半分・寿命半分」がコンセプトで、同じ思想で設計された、209系電車(京浜東北線など)などとともに「プレハブ電車」とか、レンズ付きフィルム(=使い捨てカメラ)「写ルンです」に掛けて「走ルンです」と揶揄されることもあった。※インターネットが一般化するのは1990年代後半だから、この蔑称は、701系導入から少し経ってから広まったということなのだろうか?
ここで擁護しておくと。
オールロングシートについては、当時の高校生などの一部乗客が、車内にごみを放置したり、混雑時に車内に詰めずにデッキに滞留したりすることへの対策が、1つの理由であったようだ。
「寿命半分」については、減価償却期間を終えた後は、必要に応じて廃車しても損にならない、ということ。必要に応じて手入れをすれば、寿命は伸びるということで、実際そうなっている。
重量や価格については、省エネやランニングコストも考慮してのことであり、今で言う持続可能性につながるものがありそう。
そして評価するべきは、電車化によるスピードアップと、冷房による居住性の向上。民営化されず国鉄のままだったら、遅くて冷房がない50系客車が、今も走り続けていたかもしれない。
ただ、それでも、オールロングシート車を、特急列車が走らない区間で県を越えて100キロ以上も運行するというのは、サービス業としてどうなのだろうか。
個人的にはロングシートは許せても、やたらと揺れるし、走行中うるさいし、日除けのカーテンはないし…といった点は、“走ルンです”と言わざるを得ない。設計時になんとかしてほしかった。
そんなわけで、701系の“功罪”は相半ばと考えるし、嫌いではないけれど、好きでもないです。乗客としては、701系を利用するしかないわけであり、(僕自身も多くの皆さんも)30年間ですっかり慣らされてしまったのは否定しない。
2004年1月 弘前駅。クモハ701-30。青森~弘前など都市間輸送には威力を発揮。厳冬にも強い
2023年6月 折渡→羽後亀田間。クモハ701基本番台車内
ロングシートも、空いていればまた楽し。一面に水田が広がる、701系定番の車窓。
導入時は、(ガラスが着色されているとはいえ)窓が大きく、壁や天井がFRP製で、国鉄車両と比べて車内が明るく感じられた。ただし、蛍光灯が長いのと短いのが交互に間隔を空けて設置されているのが、ケチくさい(暗いとは感じないけど)。
現在は壁などは黄ばんだ気がしなくもないし、天井は煤けたように黒く、窓ガラスは曇ったように白いものも。30年乗っていると見過ごしていたが、気が付けば、“くたびれた古い電車”になってしまった。自分と同じかも…
秋田地区の701系は、2010年前後にインバーターなどの機器更新が行われた。新しくした機器も、そろそろ再更新の頃かもしれない。
別に2020年秋から、一部の701系に、高機能な自動列車停止装置である「ATS-P」が搭載されている(関連記事)。ただ、その進捗は遅く感じられ、2年半経った現在でも、P形未搭載の701系のほうが多い気がする。
不採算路線のありかたが検討されたり、電化路線を“非電化化”することも検討されたりしている。そういうことも踏まえると、701系はいつまで走ることになるのか。そろそろ動きが出るのではと考えたりもする。
上記、帯や座席の色以外にも、30年間で701系にはいろいろと変化があった。また改めて。→続きは帯色と座席の色柄について。
【21日追記】30周年当日。ツイッターではその旨に触れる一般人はちらほらいたが、「JR東日本 秋田支社公式 「AKITA RAIL TRIP」」アカウントでも「本日、秋田・津軽エリアを運転する「701系電車」は登場から30周年を迎えました。東北を旅する機会に、そして毎日の通勤・通学等でのご利用誠にありがとうございます!」などと投稿。
添えられたのは2両編成のイラストで、帯色、パンタグラフ、種別表示幕など、登場時の仕様。ただ、中ドアがない2ドア車なのは、なんとも…
「これからもご利用ください」など、今後についての言及がないのは、何を意味するのか???(と期待)
【22日追記】余談だが、701系のちょうど10年前、1983年6月21日には、ボーイング767が国内運行を開始している。全日空の羽田→松山、伊丹→松山が初就航路線(日本航空は1985年から)で、2023年6月21日には40年記念イベントが開催された。
製造番号「1」のトップナンバー車が秋田に配置されているように、701系の導入は秋田地区(奥羽本線・羽越本線など。1999年までは山形新幹線が山形駅止まりだったので、山形~新庄でも運用された)が最初。その後、盛岡地区や仙台地区にも導入。
2002年4月 大館駅。N1~N13編成のどれかのクハ700形
↑デビュー時は、帯色が現在よりも淡いピンク色というかパープルだった。E3系こまちの影響か、ピンク色が秋田地区のイメージカラーのようにされることもあるが、701系のほうが先。帯色は2000年代前半に、現在の濃いピンクに改められた。また、座席も当初はピンク色だった。【末尾リンクの続き記事参照】
現在の新車置き換えの多くと同様、701系は段階的に落成し、順次営業投入する方式で進められた。1993年6月時点では、普通列車の一部ダイヤのみを701系に置き換え、それも従前の客車列車用のままの、遅いダイヤで運用された。
その後、後に「基本番台」「ゼロ番台」と呼ばれる3両編成13本(N1~N13編成)、2両編成25本(N14~N38)、計89両がそろい、1993年12月1日のダイヤ改正から、701系が本格的に運用された。
さらに、翌1994年度後半に「100番台」として3両編成1本(N101)、2両編成5本(N102~N106)、計13両が追加投入された。
以降、多少の出入りや近年は廃車も経て、現在に至る。
※この記事の通り、現在は2両編成30本(60両)、3両編成11本(33両)、計93両の701系電車が、秋田地区を走っている。※別に田沢湖線用もありますが、割愛。
701系導入以前の秋田地区、盛岡地区(両地区には青森県も含む)の普通列車は、機関車にひかれて走る、4人掛けボックスシート主体の客車列車が主流であった。
701系はオールロングシートで、客車時代よりも少ない(短い)編成で走ることになったため、利用客の「座れない」との声が、地元紙投書欄などで上がった。秋田地区で1994年に13両追加されたのは、いちおうそれに応えたということなのかもしれない。
また、鉄道に詳しい人たちには、全体に安っぽい造りの車両であることが批判された。
「重量半分・価格半分・寿命半分」がコンセプトで、同じ思想で設計された、209系電車(京浜東北線など)などとともに「プレハブ電車」とか、レンズ付きフィルム(=使い捨てカメラ)「写ルンです」に掛けて「走ルンです」と揶揄されることもあった。※インターネットが一般化するのは1990年代後半だから、この蔑称は、701系導入から少し経ってから広まったということなのだろうか?
ここで擁護しておくと。
オールロングシートについては、当時の高校生などの一部乗客が、車内にごみを放置したり、混雑時に車内に詰めずにデッキに滞留したりすることへの対策が、1つの理由であったようだ。
「寿命半分」については、減価償却期間を終えた後は、必要に応じて廃車しても損にならない、ということ。必要に応じて手入れをすれば、寿命は伸びるということで、実際そうなっている。
重量や価格については、省エネやランニングコストも考慮してのことであり、今で言う持続可能性につながるものがありそう。
そして評価するべきは、電車化によるスピードアップと、冷房による居住性の向上。民営化されず国鉄のままだったら、遅くて冷房がない50系客車が、今も走り続けていたかもしれない。
ただ、それでも、オールロングシート車を、特急列車が走らない区間で県を越えて100キロ以上も運行するというのは、サービス業としてどうなのだろうか。
個人的にはロングシートは許せても、やたらと揺れるし、走行中うるさいし、日除けのカーテンはないし…といった点は、“走ルンです”と言わざるを得ない。設計時になんとかしてほしかった。
そんなわけで、701系の“功罪”は相半ばと考えるし、嫌いではないけれど、好きでもないです。乗客としては、701系を利用するしかないわけであり、(僕自身も多くの皆さんも)30年間ですっかり慣らされてしまったのは否定しない。
2004年1月 弘前駅。クモハ701-30。青森~弘前など都市間輸送には威力を発揮。厳冬にも強い
2023年6月 折渡→羽後亀田間。クモハ701基本番台車内
ロングシートも、空いていればまた楽し。一面に水田が広がる、701系定番の車窓。
導入時は、(ガラスが着色されているとはいえ)窓が大きく、壁や天井がFRP製で、国鉄車両と比べて車内が明るく感じられた。ただし、蛍光灯が長いのと短いのが交互に間隔を空けて設置されているのが、ケチくさい(暗いとは感じないけど)。
現在は壁などは黄ばんだ気がしなくもないし、天井は煤けたように黒く、窓ガラスは曇ったように白いものも。30年乗っていると見過ごしていたが、気が付けば、“くたびれた古い電車”になってしまった。自分と同じかも…
秋田地区の701系は、2010年前後にインバーターなどの機器更新が行われた。新しくした機器も、そろそろ再更新の頃かもしれない。
別に2020年秋から、一部の701系に、高機能な自動列車停止装置である「ATS-P」が搭載されている(関連記事)。ただ、その進捗は遅く感じられ、2年半経った現在でも、P形未搭載の701系のほうが多い気がする。
不採算路線のありかたが検討されたり、電化路線を“非電化化”することも検討されたりしている。そういうことも踏まえると、701系はいつまで走ることになるのか。そろそろ動きが出るのではと考えたりもする。
上記、帯や座席の色以外にも、30年間で701系にはいろいろと変化があった。また改めて。→続きは帯色と座席の色柄について。
【21日追記】30周年当日。ツイッターではその旨に触れる一般人はちらほらいたが、「JR東日本 秋田支社公式 「AKITA RAIL TRIP」」アカウントでも「本日、秋田・津軽エリアを運転する「701系電車」は登場から30周年を迎えました。東北を旅する機会に、そして毎日の通勤・通学等でのご利用誠にありがとうございます!」などと投稿。
添えられたのは2両編成のイラストで、帯色、パンタグラフ、種別表示幕など、登場時の仕様。ただ、中ドアがない2ドア車なのは、なんとも…
「これからもご利用ください」など、今後についての言及がないのは、何を意味するのか???(と期待)
【22日追記】余談だが、701系のちょうど10年前、1983年6月21日には、ボーイング767が国内運行を開始している。全日空の羽田→松山、伊丹→松山が初就航路線(日本航空は1985年から)で、2023年6月21日には40年記念イベントが開催された。
新幹線やキハ区間で新しいのを優先されたから我慢しろ(それだってキハ40を最後まで押し付けられたりしていた)なのか儲けが薄いからなのか。
その儲けも運営や維持は秋田で貰いは盛岡という謎な構図もありますが。
そのためE721を入れる時に後回しをくらい、要らない老体719を押し付けられたはいいがやはり健康寿命が無かったというパターンもありました。
秋田は盛岡山形よりもJRの狭軌交流電化在来線区間が長いからどうにかしてほしいとこですが。
先に701系を入れたばかりに、新形式が来ないというのは、順番通りなわけで、それは仕方ないことかもしれません。
JR東日本全体で見れば、長野や高崎の211系、山形新幹線区間の719系5000番台のほうが古い(さらにキハ100・110系もそろそろ)ので、701系代替はそれらの後になってしまうのか。
秋田地区の輸送形態が大きく変わることはなさそうですし、まだしばらくは、現行体制が続き、701系のお世話になってしまう予感はします。新車に淡い期待はしつつも。
旧仁賀保町に住んでいて、仁賀保-羽後本荘間を通学利用していました。
ある日の、というか1993年の6月21日だったわけですが、
学校帰り、羽後本荘駅に停車していたのがいつものEF81+50系客車ではなく701系で、
「あ、今日から?」
と思った記憶があります。
当時、701系の紹介パンフレットでドアの(半自動対応の)開閉ボタンについて、
「都会派」だか「都会感覚」
みたいな文言があって、友人と
「どこがだよ。都会は自動で、自分で開けたりしねーよ」
とツッコんでましたw
ま、もちろん、特に冬時期にドアが開いたままでは寒いので閉められるように
ということもあっての半自動なのは理解していたのですが、
「この説明文は...??」
と思ってました。
あと、
「209系の交流版のはずなのに、何でこんなにもイケてないマスクなのか」
と思ったものです。
少々表現をマイルドにしましたが、はっきり言ってしまえば、
「何でこんなにブサイクなの?」と思ったんですw
「寿命半分」については、
当時の自分は「13年使ってポイ」という認識でした。
ま、そんな年数での廃車はない(実際されていない)にしても、
まさか30年以上使うとは思いもしませんでした。
E703系なのか、E723系なのか、E721系番台違いなのか、
それともまったく違う形式なのかわかりませんが、ウワサすら聞かないので
この先もまだまだ使っていくんでしょうねぇ。
「ドアを自分で開け閉めするのがヘンな感じ」とのことでしたが、今は秋田の乗客は老若男女問わず慣れたもの。E6_ Komachiさんたちが、701系第1世代として、ドアボタンの風習を確立したとも言えるでしょう。
導入前後の一般公開を伝えるニュースでも、都会的でスタイリッシュな点を取り上げていて、そうなのかなと思った記憶があります。ピンク色の帯や座席については、新しさはあったかもしれません。
701系の顔は、国鉄時代1987年に造られた四国の121系(現・7200系)という電車に、ちょっと似ています。ドラマ「ガリレオ」で福山雅治に「完璧な造形美」と称えられたそうですが…
置き換えるとなると、盛岡・仙台分も含めてまとまった数の新造になるはずですが、昨今の情勢もあり、もう少し先なのでしょうかね。
正面の編成番号表記末尾にドットが付いたんですよね、たしか。
「N9.」とか「N22.」といった感じで。
ただ、発車直後のあの3段階のVVVF音
ウィーン、ウィーーーン、ウィーーン
が好きだった私としては、機器更新でこれを聞けなくなってしまったのが残念でした。
ついでに言うと、E3系も当初の音が好きでした。
ヒーーン、ヒュワーーーン、ポワーーン
みたいな感じの音。
VVVFのあの音を文字でどう表したらいいのかw
上記で伝わりましたでしょうか。
と、私は、乗車時は好んでモーター車に乗るので、
その音はそんなに気にならないんですが、
走行中に乗降ドアが風圧でバタバタガタガタする音は
何とかしてほしいものです。
同感です。磁励音というのでしたっけ。701系もE3系も、新しい車両たるにふさわしい近未来的な音だったと思います。
E3系はたしかに表わしずらいですが、田沢湖線や大宮~東京の中低速走行時は楽しかったような。
701系のドアは、吹雪が入り込むようなこともなく(凍り付くことはありますが)、そこそこ悪くないかなと思っていました。
JR東海静岡地区の211系電車は、すれ違いやトンネルで、ガタッと音を立てるのですが、なんだかドアが外れそうで、どうも苦手です。
羽越本線の秋田18:31発新屋行き(酒田16:30発→秋田18:23着の折り返し)に乗車しました。
その車両は37番でした。
701系0番台のN36、N37、N38の3編成のクハは、
山形新幹線新庄延伸に伴う特急廃止に対応する形で
セミクロスシート化改造が施されましたが、
この3編成は奥羽南線のみでの運用だったと記憶しています。
ただ、現在では、
横手方面からの電車が秋田到着後に弘前行きになる運用もあるので、
まあ、奥羽北線には行くこともあるだろうなと、
特に違和感はないのですが、
このセミクロスシート化の編成が羽越線に入る(入った)のを見たのは、
長年乗ってきて初めてです。
何らかの事情で代走のような形だったのか、
知らない間に運用が変わっていて奥羽・羽越関係なく入るようになったのか。
羽越線の(701系の)普通列車にボックスタイプの座席があるというのが、
私にとっては初めてのことでしたので、何だか不思議な感じでした。
奥羽南線以外での運用が増えると、本来の目的から外れてしまっていることになってしまいますね。