🌸「三英傑」の知られざる女性観6
『要旨』
☆浜松時代の家康、性欲がなかった可能性もある
*築山殿と西郡局への家康の愛情に対する態度より
☆家康には女性に対する深い愛情がなかった
*三代将軍となる孫の家光は男好きで有名
*家康も信長のように男性を愛していた可能性も考えられる
☆家康が浜松に滞在していた時代
*常に武田信玄の脅威におびえる状況だった
☆シングルマザーが大好きだった家康
*子どもを出産したことのある女性なら、子どもを作る能力がある
*その女性と自分が夫婦の営みをすれば、必ず子どもが生まれる
*ここまで考えて、家康は相手の女性を選んでいた
*「徳川家を栄えさせるには、男の子が多数生まれればいい」選択
*「徳川家を栄えさせるには、男の子が多数生まれればいい」選択
「築山殿」「西郡局」「シングルマザーと家康」6
(ネットより画像引用)
⛳浜松時代の家康、性欲がなかった可能性もある
☆家康と築山殿の間には愛情はなかった
☆浜松に移った家康、当時の家康は20歳くらい
*男性としては一番女性にそばにいてほしい年齢
*しかし、愛する女性がいた形跡がない
☆家康には西郡局と言われる側室がおり、女の子を産んでいる
*しかし、愛する女性がいた形跡がない
☆家康には西郡局と言われる側室がおり、女の子を産んでいる
*西郡局が家康の愛を独占していたので
*築山殿や他の女性は必要なかったのかもしれないが
☆家康が西郡局を溺愛していた形跡は見当たらない
☆家康が西郡局を溺愛していた形跡は見当たらない
☆彼女が産んだ女の子・督姫は北条氏直の嫁になる
*北条氏直が若くして亡くなると、督姫は池田輝政へと嫁に行く
☆晩年の西郡局は、督姫が嫁いだ池田の家で世話になり
*葬儀は、義理の息子である輝政が全部取り仕切る
☆家康が彼女に愛情を注いでいたのなら、娘の実家に住まわせたり
☆家康が彼女に愛情を注いでいたのなら、娘の実家に住まわせたり
*池田輝政に葬儀を一手に引き受けさせたりはしなかった
⛳家康には女性に対する深い愛情がなかった
☆三代将軍となる孫の家光は男好きで有名
*家康も信長のように男性を愛していた可能性も考えられる
*「家康が男色を好んだ」という史料は残っていない
*正妻築山殿を愛していたから可能性は薄い
☆浜松時代の家康が淡泊に見える理由
*正妻築山殿を愛していたから可能性は薄い
☆浜松時代の家康が淡泊に見える理由
*当時の家康は女性にかまっている暇がない程、精神的に緊張していた
☆家康が浜松に滞在していた時代
☆家康が浜松に滞在していた時代
*常に武田信玄の脅威におびえる状況だった
*女性とくつろぐことなど許されなかった
☆武田信玄が攻めてくるのが怖くて
*一時的な男性不能に陥っていても、おかしくない
⛳シングルマザーが大好きだった家康
☆浜松時代の家康が積極的に女性と関係を持たなかったのは
⛳シングルマザーが大好きだった家康
☆浜松時代の家康が積極的に女性と関係を持たなかったのは
*岡崎城の息子信康が、跡を継と安心していたから
*信康が織田信長の 逆鱗に触れたことで
*家康はやむなく息子に切腹を命じます
☆大切な自分の後継者がいなくなってしまった家康
☆大切な自分の後継者がいなくなってしまった家康
*家康は、子持ちの未亡人たちと関係を持つようになる
*若い頃の家康の女性選びの特徴は、地味ながらも熟女好き
*若い頃の家康の女性選びの特徴は、地味ながらも熟女好き
*子どもがいる未亡人と多く関係を持っている
☆二代目将軍の秀忠を産んだ西郷局、通称・於愛の方
*彼女は、西郷義勝の正室だった女性で、夫が亡くなり未亡人になる
*家康の側室になりました
☆家康が子持ちの未亡人を愛した目的「跡継ぎを作るため」だった
*家康は、秀吉の苦労を知っていた
☆家康が子持ちの未亡人を愛した目的「跡継ぎを作るため」だった
*家康は、秀吉の苦労を知っていた
*自分に子どもを作る能力があることはわかっていた
☆当時は身分の高い女性であればあるほどに
*身体が弱くて子どもができなかったり
*妊娠出産に耐えられずに亡くなる事情もあった
☆子どもを出産したことのある女性なら、子どもを作る能力がある
☆子どもを出産したことのある女性なら、子どもを作る能力がある
*その女性と自分が夫婦の営みをすれば、必ず子どもが生まれる
*ここまで考えて、家康は相手の女性を選んでいた
☆「徳川家を栄えさせるには、男の子が多数生まれればいい」選択
☆「徳川家を栄えさせるには、男の子が多数生まれればいい」選択
(敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』
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