長春のホテルと劇場のまわりは「学校」が多かった。小学校に中学校に、塾もあった。
武漢もホテルから少し歩いた一角に大きな中学校があって“学校城下町”って感じでした。
さて中国には、給食や弁当という習慣はないらしく、お昼になると校内から揃いのジャージを来た子供らが飛び出してきて、ファストフード店などに押し寄せていた。それから余った時間にお買い物。



なので、学校の回りは飲食店や文房具店、CDショップにオタクの店(?)まであった。オタクの店は武漢や北京、上海で見掛けたのだが、ガンプラ、テニ王やエヴァのグッズに、コスプレものまでと充実(?)していた。
(言うまでもなく我々のホテルや劇場との絡みで、大都市だから云々ではなく、これらのカルチャーは広く中国に広まっていると察しました。)
なので以下の話もたまさか僕が見たのが長春ってだけで、チャイナ中で起きてる現象だと思われます。
小学校の終わる時間、その周辺の一車線は「お迎え」の車で覆われ、その近辺が渋滞になり、タクシー等はクラクションを鳴らし…ってな風情になるのです。
校門に鈴なりのお母さんお父さん。子供達を迎えるだけでなく、その後の塾や習い事への送迎も兼ねているようでした。
教育熱はいずこも同じです
さて、5年前の訪中公演の際は、いかにも“中国”という頑強で古いタイプの自転車を大人達が乗っている中、子供達はマウンテンバイク等の新型にまたがっていたのが印象的でしたが、今回はジャージのブランド化が一層進み、繁華街での私服などは、もう日本と遜色ない勢いでした。

さらに大人達のチャリ率が下がって、自動車7に原チャリ2.5、自転車は0.5ってな道路事情ではなかったでしょうか。
これは矢野による北京でのレポートになるのですが、夕方は帰宅する中国人がタクシーを捕まえるので、まるで乗れないとのこと。ホテルのフロントもお手上げで、その時間は「流しを捕まえるしかない」と言われたそう。で、街に出て、止まったと思うと、脇から猛烈に中国人が来て、ワーワー言って乗ってしまうのだとか…。

あ、大連でも、笹山たちがやはり帰宅時間にタクシーが捕まえられず、劇場からホテルまで路線バスで帰ったことがありましたネ。
これらは中国が「自動車社会」に入った一例と言えましょう。
あ、そうそう。皆、中国に行く前には空気の悪さをかなり気にかけていたのですが、思ったほどではありませんでした。
乾燥対策として掛けていたマスクは、長春の猛烈な砂埃にも役立ったり、5つの都市の中では盆地であり工業地帯である武漢のスモッグは気になったけれど、相対的には普通に生活できました。
勿論、実際には汚染が進んでいるのでしょうが、日本のマスコミが流す強烈な映像にショックを受けていた僕らの行動範囲内で、それを目にすることはありませんでした。
武漢もホテルから少し歩いた一角に大きな中学校があって“学校城下町”って感じでした。
さて中国には、給食や弁当という習慣はないらしく、お昼になると校内から揃いのジャージを来た子供らが飛び出してきて、ファストフード店などに押し寄せていた。それから余った時間にお買い物。



なので、学校の回りは飲食店や文房具店、CDショップにオタクの店(?)まであった。オタクの店は武漢や北京、上海で見掛けたのだが、ガンプラ、テニ王やエヴァのグッズに、コスプレものまでと充実(?)していた。
(言うまでもなく我々のホテルや劇場との絡みで、大都市だから云々ではなく、これらのカルチャーは広く中国に広まっていると察しました。)
なので以下の話もたまさか僕が見たのが長春ってだけで、チャイナ中で起きてる現象だと思われます。
小学校の終わる時間、その周辺の一車線は「お迎え」の車で覆われ、その近辺が渋滞になり、タクシー等はクラクションを鳴らし…ってな風情になるのです。
校門に鈴なりのお母さんお父さん。子供達を迎えるだけでなく、その後の塾や習い事への送迎も兼ねているようでした。


さて、5年前の訪中公演の際は、いかにも“中国”という頑強で古いタイプの自転車を大人達が乗っている中、子供達はマウンテンバイク等の新型にまたがっていたのが印象的でしたが、今回はジャージのブランド化が一層進み、繁華街での私服などは、もう日本と遜色ない勢いでした。






さらに大人達のチャリ率が下がって、自動車7に原チャリ2.5、自転車は0.5ってな道路事情ではなかったでしょうか。
これは矢野による北京でのレポートになるのですが、夕方は帰宅する中国人がタクシーを捕まえるので、まるで乗れないとのこと。ホテルのフロントもお手上げで、その時間は「流しを捕まえるしかない」と言われたそう。で、街に出て、止まったと思うと、脇から猛烈に中国人が来て、ワーワー言って乗ってしまうのだとか…。

あ、大連でも、笹山たちがやはり帰宅時間にタクシーが捕まえられず、劇場からホテルまで路線バスで帰ったことがありましたネ。
これらは中国が「自動車社会」に入った一例と言えましょう。

乾燥対策として掛けていたマスクは、長春の猛烈な砂埃にも役立ったり、5つの都市の中では盆地であり工業地帯である武漢のスモッグは気になったけれど、相対的には普通に生活できました。
勿論、実際には汚染が進んでいるのでしょうが、日本のマスコミが流す強烈な映像にショックを受けていた僕らの行動範囲内で、それを目にすることはありませんでした。