自宅近くの銀行に行った。
ピッと押して待ち札を取ったやおら
「103番のお客様ぁ」とコールが流れて、
瞬時に私の望む件は終わった
ターミナル駅に近い店舗ということもあり、
コロナ以前は長椅子で待つ時間があった。
普段手にしない雑誌も読めて、
それはそれで、嬉しいひとときだったのだ。
が。
今やネットでの諸々の手続きが推奨され、
実際、多くの人が利用している結果だろう。
港区役所にも行った。
豊島区民なので初めての訪庁となったが、
なぜ役所とか病院ってのは緊張するのだろう。
あとホテルとか……私だけかしら。
その区役所は大門駅が最寄で、
その界隈自体、あまり縁がない場所。
それこそ友人の結婚式で数回行った街。
一度は高校の友人の祝宴。
披露宴の司会という大任を仰せつかった。
演劇制作仲間の時はバンドのライブ
新郎もメンバーで…、と言いつつ、
私はといえば楽器はもたず、やはり司会。
《行った》をキーワードに、そんなエピソードを
重ねて、コロナ禍の生活の変化を綴ろうと
書きかけていたところに電話。
山さんが亡くなったと。
山田健之さんは、私が制作として
一番多く仕事をしている音響家だ。
東演、遊戯空間、はすいけタイムス、
劇団櫂人などなど複数のカンパニーで
演劇をともに紡いできた。
あるいは一観客として向かった劇場や
専門学校の発表会でも、
繊細でかつ芝居に寄り添った音を
山さんは聞かせてくれた。
満身創痍で、それでも真摯に演劇と
向き合ったアーティスト。
糖尿病から片足を失ってもいたが、
稽古場や劇場で義足を外して、
明るく健康の大切さを説いてもくれた。
合掌。
6月4日、山田健之が逝った。
ブログタイトルも紫苑に変更。
花言葉は「君を忘れない」
・・・そして、献盃。
2007年秋、中国に行った。
天安門事件から18年経っていたが、
まだ広場の警備はゆるくはなかった
・・・と「六四」から31年目の思いを
最後に少し添える予定だったけれど、
それは改めて。
ただ、未だ不明な戦死者たちに、やはり紫苑を。
ピッと押して待ち札を取ったやおら
「103番のお客様ぁ」とコールが流れて、
瞬時に私の望む件は終わった
ターミナル駅に近い店舗ということもあり、
コロナ以前は長椅子で待つ時間があった。
普段手にしない雑誌も読めて、
それはそれで、嬉しいひとときだったのだ。
が。
今やネットでの諸々の手続きが推奨され、
実際、多くの人が利用している結果だろう。
港区役所にも行った。
豊島区民なので初めての訪庁となったが、
なぜ役所とか病院ってのは緊張するのだろう。
あとホテルとか……私だけかしら。
その区役所は大門駅が最寄で、
その界隈自体、あまり縁がない場所。
それこそ友人の結婚式で数回行った街。
一度は高校の友人の祝宴。
披露宴の司会という大任を仰せつかった。
演劇制作仲間の時はバンドのライブ
新郎もメンバーで…、と言いつつ、
私はといえば楽器はもたず、やはり司会。
《行った》をキーワードに、そんなエピソードを
重ねて、コロナ禍の生活の変化を綴ろうと
書きかけていたところに電話。
山さんが亡くなったと。
山田健之さんは、私が制作として
一番多く仕事をしている音響家だ。
東演、遊戯空間、はすいけタイムス、
劇団櫂人などなど複数のカンパニーで
演劇をともに紡いできた。
あるいは一観客として向かった劇場や
専門学校の発表会でも、
繊細でかつ芝居に寄り添った音を
山さんは聞かせてくれた。
満身創痍で、それでも真摯に演劇と
向き合ったアーティスト。
糖尿病から片足を失ってもいたが、
稽古場や劇場で義足を外して、
明るく健康の大切さを説いてもくれた。
合掌。
6月4日、山田健之が逝った。
ブログタイトルも紫苑に変更。
花言葉は「君を忘れない」
・・・そして、献盃。
2007年秋、中国に行った。
天安門事件から18年経っていたが、
まだ広場の警備はゆるくはなかった
・・・と「六四」から31年目の思いを
最後に少し添える予定だったけれど、
それは改めて。
ただ、未だ不明な戦死者たちに、やはり紫苑を。